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爪の音  作者: 一人旗目
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第14章 死ねばいいのに

 石を投げる者が居た。

 鬼畜と蔑む者が居た。

 馬鹿と嘲笑う者が居た。

 そして、それら全てを受け容れざるを得なかった。

 人を殺してまで三千万円を手に入れたはずなのに、なぜ自分はここで立ち尽くしているのだろう。

 愚かにも程がある。くだらないにも限度がある。

 手に持ったままの日本刀はべっとり人の血と脂に濡れ、西日を浴びてギラギラする。

「なんか残念やったねえ」

「あはは……そうだな……」

「まあ何て言うかさあ、結果は結果やし、厳粛に受け止めて前向きに生きたらええんちゃうかな?」

「同情か、余裕だなあんた」

「そらもう、うちは既に楽園の中の人やし」

「罰ゲームって何だよ、吸血鬼って」

「ああ、それうちも知らんねん、知ってたら教えたってんけどな」

「俺、どうしたらいいだろ」

「さあなあ」

 けらけらと春乃は笑った。

 がっくりと膝を突いている男、名前を迫田景人さこだけいとという。

 埼玉県の方から、楽園の方角を目指してひたすら歩き続けてきた。

 だが、その旅はもう終わりを告げたのだ。

「大丈夫、神はあなたを見捨てませんよ」

 修道女のような服装をした、一人の女性がその傍に寄り添う。

 最初、彼女が何を喋っているのか、春乃は聞き取る事ができなかった。

 金色の髪、そして透き通るような白い肌に青い瞳。およそ日本人には見えない。

「クリス、君はまだそんな馬鹿げた事を言っているのか」

「一人くらい、こんな馬鹿げた人がいても宜しいのではないでしょうか」

 そっと膝を突くと、その胸に迫田の頭を抱き寄せる。

 子供を慈しむように、ゆっくりと、優しく。

「ねえお姉さん、あんた日本人とちゃうよね?」

「両親はドイツ人です。私はこの国で生まれ、育ちました」

 流暢な日本語は、声だけ聞いていればまるで日本人そのものだ。

 そして、それ以上に驚いたのは、まるで平時のような落ち着いた態度、物腰だった。

 さすがの春乃も、これには少しばかり好奇心が動く。

「ねえ、あなたこの人の恋人? 奥さん?」

「天使様、私の名はクリスティ・カデルと申します。こちらの迫田景人さんと共に、旅をしていました」

「天使じゃないよー、見た目そんな感じやけど、うそっこやし」

「いいえ、きっと神はあなたを天使様にお選びになったのですよ」

「神なあ……」

 あんなよく分かららないものに選ばれたいとは、正直あまり思わない。

 ただ、生き残るために仕方なく付き従っているだけ。

 春乃にとっては、もはや神も仏も無い。

 あるのは現実と、明日の糧を得る方法。

「なあ、今ここでメロドラマ演じてもさ、ぶっちゃけあんた達地獄行きやで。どう思う?」

「どうもしません、神の意に従います」

「その神が一万人しか救わへんてゆってるやん? 何かキリスト教の敬虔な信者っぽいけれど、そんなん全く無視してるよ、あの女」

「神は私達に、試練をお与えになっておられるんですよ」

「試練とかちゃうって。この状況、マジやばいって思わん?」

「人類が愚か故に招いた結果です。それに対し、神は怒られたのです」

「はあ、あんたとことん頭ん中がお花畑なん?」

「そうかも知れませんね」

 クリスは口元に指をあて、上品に笑う。

 こんな末期的な社会の中で、その姿に言いようの無い違和感を感じた。

 それは信じ切った者の持つ特有の自信。

 否定も拒絶もはね除ける、その図太すぎる程の精神。

 善いことを行う、善くあれ、そう思っている宗教家や精神論者の、鼻が曲がりそうなお人好しの匂い。

 社会が破綻する前、春乃の未来を憂えて訪ねてきた。

 高校教師をしていた親戚の叔母のような、どこか狂気をはらんだ目の光。

 虫酸が走る、反吐が出る。だが、それを否定することはできない。

 心の中によりどころを持たない人間は、脆く、弱く、そして醜いのだ。

 どこかに、ある種の同族嫌悪がある。

 春乃はそれに気付いていた。

 気付いているからこそ、それを態度に出すことを踏みとどまる。

 かつて持っていた優しさ、思いやり。

 それを自分でえぐり取って、春乃は今の楽園のチケットを手に入れた。

「この男、名前なんて言うん?」

「迫田景人だ。名前があるのにこの男なんて言うな」

「どっちでもええよ、それでこの迫田って言う奴、あんたのこと差し置いて楽園行こうとしてたクズやで」

「三千万円ならもういただいています。そちらの迫田さんに」

「へ?」

 意外な返事に、春乃は思わずきょとんとする。

「迫田さんは自分のことより、私に先にお金をくれました」

「それならさっさとこっち来たらええやん。何しとったんよ?」

「迫田さんがくださったお金は、元は彼以外の誰かの物です。私には使えません」

「はあ」

「いい加減気付けよクリス! もうそんな時代じゃないんだ!」

「私がこのお金を使えば、神の御心を裏切る事になります」

 柔らかな物腰で、落ち着き払った態度で、淡々と言葉を紡ぐ。

 この期に及んで偽善を垂れる。

 どこまでおめでたい頭をしているんだ。

 この生物は本当に、自分と同じ種族の女という生物学的な区分にあるものなのか。

 今や法も秩序もない、この混沌とした世界で。

「あんた、つくづくアホやね」

「そうですね、愚かなことだと私も思います」

 くすくすと笑う。その笑顔に、思わず吐き気がこみ上げてきた。

「もうすぐ罰ゲームも始まるのに、クリスさんは不安ちゃう?」

「そうですね、しかしそれが神の思し召しなら、私は受け容れましょう」

「俺は死なん! お前も死なせん!」

「口で言うのは簡単やけど、どうなるかわからんでえ」

「吸血鬼なんて俺が残らずぶっ殺してやる!」

 シャツの裾で日本刀を拭いて、がむしゃらに空を斬る。

 触れようとする者、近づこうとする者、全てを容赦なく彼は斬り捨てるだろう。

 仏に会えば仏を殺せ、祖に会えば祖を殺せ。

 サバイバルの状況下に於いて、最も大切な事だ。

 彼こそが正しい、そしてクリスは間違っている。

 春乃は自分に言い聞かせる。

 自分に罪は無いのだと。

「あんたは頭に血ぃ上りすぎ。クリスさんのことマジで守ろう思うなら、もっと冷静にならなあかん思うよ」

 話題を変えて、自分の心の迷いを逸らす。

「お前みたいな、楽園側の住民に言われたくない」

「まあなあ。それはええけど、もうすぐ夜や。

 吸血鬼が本当に出るなら危ないんちゃう?」

「吸血鬼だろうと神だろうと、クリスに手を出す奴は殺す」

 そう言って、殺意のこもった瞳を向ける。

 さっき、老人をためらいなく斬り捨てたこの男の事だ、吸血鬼だろうと人間だろうと、恐れるものは無いだろう。

「うちもう楽園に帰るけど、また生きてたら話そうや」

「俺はもう会いたくない」

「ほな、またねー」

 春乃が手を振りながら、夕闇の中に消えていく。

 クリスだけが、それをにこやかに手を振りながら見送った。

「気に入らんわあ偽善者が。罰ゲームで死ねばええのに」

 楽園へと戻る道すがら、春乃はぼそりと呟いた。

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