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爪の音  作者: 一人旗目
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第12章 楽園と、それ以外

 神は教えを与えたもうた。

 我らに道を与えたもうた。

 だから我々は、忠実に神のご意志を反映せねばならない。

 今まで幾度と無く、宗教は血で血を洗い流し、我々の前に忠誠と信仰を試して来た。

 そして二十一世紀となった今、神は再び問おうとしていらっしゃるのだ。

「ああ神よ、私達はあなたの愛子です!」

 感極まって、鈴木敬一郎すずきけいいちろうは快哉を叫んだ。

 無論、彼は現在までに五千人いる楽園入場者の一人である。

 三千万円は近所にあった消費者金融の社長の家から盗み出し、見事それを完納した。

「なあなあ、うちらマジで救われてるん?」

 山上春乃やまがみはるのはまだ着慣れない、だぶだぶとした不思議な白衣の袖を振りながら敬一郎に問いかける。

 楽園に入ってまだ数時間の彼女には、まだ自分が助かったという実感が無い。

 神はそのように呼んでいるが、楽園という象徴的な建物や町は無く、ただ真っ白い世界が広がるばかり。

 そして、自分の着ていた服が今のように変化して、頭には変な輪っかが載っただけに過ぎない。

 三千万の金を用意する為、彼女は五人の老人を手に掛けた。

 人よりも背が低く、童顔で優しい顔立ちをしている春乃に、油断をする者が多かった事が幸いだった。

生きるためにと、容赦なく首を絞めては金を奪い、今ここにいる。

 時折争ったせいもあって、彼女の頬にはまだ少し血が付いている。

 かつては単なるフリーターとして生きていた彼女が、ある日を境に殺人鬼に身をひるがえす。人を殺すのに必要なのは、逃れようのない現実と、一人目を殺す勇気だ。

 同じ人の形をして、同じ言葉を話して、ひょっとすれば町でかつてすれ違ったかも知れない誰か。

 彼女はそれを手に掛けた。

 生きるために、ただ純粋な本能として。

「君はまだ楽園に慣れてないだけなのですよ。そしてもう、これ以上罪も無い人を殺しては駄目ですからね?」

「別に、殺したくて殺したんやないし」

 罪悪感が無いわけではない。

 冷静になれば、苦痛に歪んだ老人達の顔がまぶたの裏に浮かんでは消える。

 仕方なかった。

 ごめんなさい、せめてご冥福を祈ります。

 謝る言葉をぐっと飲み込む。

 楽園行きのチケット、それはまるで蜘蛛の糸だった。

 地獄の底に垂れ落ちてきたから、一心不乱にそれを登り続けただけ。

 誰よりも早く登ろうとして、ただそれを手繰っただけ。

 奈落に落ちていった人々の顔など、覚えていない。

 思い出したくもない。

「人間は今まで好き放題やり過ぎたのですよ。だから、神様が怒っても当然なのです」

「そう、やね」

 春乃は大阪の貧しい家で、三女として生まれた。

 決して豊かではないけれど、温かな家族に囲まれて、たくさんの友人達が居て、春乃は幸せだった。

 そんなある時、アルバイト代を貯めて、やっと巡ってきた憧れの東京旅行の日が来た。テレビの向こうで見ていた渋谷や池袋を、友人達と歩いてみる。

 大阪とは桁違いの発展した町並みと、大阪弁の飛び交わない不思議な街。

 何もかもが新鮮で、驚きに満ちていた。

 そして、突如降ってきた激しい光に思わず目を閉じた後―

「なあ、ビックリカメラとか、そういうオチってないやろか?」

「残念ですけれど、今私達があるこの世界が真実なのです」

「こんな何でも有りの世界が?」

「最終戦争を超えて、愚かしい人類に神が光臨され、その神がおっしゃったのですから、それをありのまま受け容れる事が大事ですよ」

「そうやなあ……」

 いちいちオーバーリアクション気味のこの男が、春乃は少々鬱陶しく感じる。

 別に仲良くなどしたくなかったが、今は仕方ない。

 元々三千万円を手に入れれば、後はどうでも良かった。

 神が伝えた場所に行くと、今の自分と同じ、不思議な白衣と光る輪を頭に載せた人間がいた。

 その姿形から天使なのかと思ったが、どうやら先に楽園に入った同じ人間達らしい。

 では、一人目の楽園に入る際の手続きは誰がやったのか?

 鈴木に問うと、どこかの学校の制服のようなものに身を包んだ、気怠そうな若い女が楽園への水先案内をしていたという。

 あくまでも自称一人目の証言であり、その姿形の不釣り合いな様を考えると当てにはならないと彼は付け加えた。

 そして、現在は実際の楽園の人間になった者達が交代で、ボランティアによる楽園の水先案内人を引き受けさせられているらしい。

 それも、半ば強制的なもののようだった。

 楽園に最初に入ったとき、春乃は憔悴しきっていた。

 人を殺し、泥水をすすってここまでやってきたのだ。

 そして、全てが終われば休ませてもらえると信じていたのだ。

 だが、現実は常に非情なもの。

 仮に、断ると何かのペナルティがあるかも知れない。

 そう考えると、その事を問いただす事もどこかはばかられた。

「いいですか? この天使の輪が付いた私達を、楽園の外の人々は危害を加える事はできません。つまり、悪意を持っての攻撃はもちろん、事故や病気とも無縁となるのですよ」

「つまり、不老不死なん?」

「いいえ、歳は取りますし寿命が来れば死にます。ただ、病死、事故死、何らかの理由による他殺などが無くなるのです。神は我々に安楽を与えたもうたのです!」

 安楽を与える。

 その言葉にだけは同意しかねたが、春乃はそれをぐっと飲み込む。

「うち、アホやからようわからんけど、絶対に安全ってことやね?」

「簡単に言えばそういうことになります。少々子供っぽく言わせてもらえば、私達は無敵バリヤーに守られていると思ってくださればよいでしょう」

「なるほど、説明ありがとう」

「今時の大阪の方は、お礼に『おおきに』って言わないのですね」

「何年前の話してるん?」

 あからさまにむっとして、春乃は言い返す。

「いやいや、まあいいですよ。

 とりあえずやることは教えた通りですからね。三千万円を持ってきた人なら、その手で頭を触ってあげればいいだけですから」

「りょーかいや」

 この男は何を考えているか分からない。

 ただ、楽園の事を何も知らない自分にとって、この敬一郎という男は導いてくれる先生のようなものだ。

 そして、彼の言うことが本当であれば、自分は完全無欠に救われたのだ。それなのに、春乃の心はなぜか心が晴れない。

 うかうかする暇も、考える時間も与えられぬまま、神様の手伝いをするはめになってしまっては、正直言って拍子抜けというか、予想を大きくはずれた事だった。

 だが、もはや後戻りはできない。

 手伝うより他は無いのだ。

 楽園のいくつかある出口の一つから出ると、淀んだ空気に思わず軽い吐き気がする。

 手には古びた拡声器を持たされている。

 ぼろぼろで、知らないメーカーの名前が書いてある事から、これは魔法でも何でもない、ただの機械なのだろう。

 それは人間に安心感を与えるためか、それとも予算不足なのか、春乃にはわからない。

 しかしやることは決まっている。自分はそれを遂行せねばならない。

 気が付くと、いつの間にか人だかりができていた。

 妙な白衣を着た、天使の輪を付けた人間の降臨。

そばにあった闇市の人々は、ぐるりと春乃を囲むようにして距離を取り、徐々にざわめき始める。

 春乃は拡声器のスイッチを入れ、口元に当てた。

「えー、私は神の使者なんですけど、なんや、手伝えて言われたんで参上しました。

 以後よろしくお願いしますー。

 とりあえず、三千万円持ってきた方、お手数ですけどこちらに来てもらえますか?」

 気怠い声が、拡声器を通って辺りに響き渡る。

 最初静かだったのが、やがて、群衆の中から声が上がった。

「何が神の使者だ! 俺達を馬鹿にしやがって!」

「死に腐れ外道! 地獄に堕ちろ雌豚!」

「三千万持ってこれない奴には死ねと? はっ! いい気なもんだな」

 予想通りの罵詈雑言に、思わず春乃はため息を吐く。

 うんざりだった。

 あなた達は何かを犠牲にしたのか?

 私のように行動した?

 後悔と贖罪の意識を振り切って、人を殺したの?

 字面じゃなく、実際に赤の他人を殺す時、どんな風に思うかわかる?

 ナイフを刺した時、案外と簡単に人の体にそれは差し込まれていく。

 それに驚きつつ、目の前の被害者は世にも恨めしそうな、そして死にゆく現実が信じられないと言うような表情で、じっとこちらの目を見据えてくる。

 まるであの世まで、瞼の裏にその姿を焼き付けていこうとするように。

 口から漏れるのは精一杯の呪いの言葉。

 自分の手に伝わるなま暖かい血の感触。

 カッと見開いた瞳は徐々に色を失い、唇を舐めて感じるのは鉄と塩の味。

 べっとりと赤く染まってゆく手。

 そうして手に入れた三千万円を、一人では守りきれないと知り、同じように金を持った仲間を捜し、徒党を組む。

 時には仲間割れをして、時には何かを失って、刀や銃や、鉄パイプやバット、様々なものを血で汚しながら、光の射す方へ歩いていく。

 狂うこともできず、死ぬこともできず、正気と狂気の境を行ったり来たりしながら。

 そして、気が付けば天使の前に立っていた。

 周囲には、金を巡って争ったらしい、真新しい人間達の骸が転がり、彼らの血でできた水たまりを超えて、天使に慈悲を乞う。

 そうして手に入れたのが、楽園の入場権利なのだ。

 それを甘っちょろいヒューマニズムと、現実を否定するだけの人々に罵詈雑言を浴びせられるのは、春乃としては甚だ心外なことだった。

 とっとと死ねばいい。

 早く死ね。

 死んじまえ。豚糞野郎共。

「あんな、文句言うのはみんなの勝手やけどな、うちら単なるアルバイトやから、何言うても神様に届けへんよ?」

「神に会わせろ! 俺がぶっ殺してやる!」

「ふざけんなクソ大阪人! 手出しできねぇからってイキがってんじゃねぇぞオラァ!」

 誹謗の嵐、罵倒の津波が、全ての方向から押し寄せる。

 目を血走らせた数十人の男達は、手に手に何かの武器を持ち、今にも飛びかかりそうな勢いで、女一人である春乃の周囲を囲んでいる。

 通常であれば、土下座をして命乞いをしていたことだろう。

 だが、今の彼女にとって、それは虫けらも同然だった。

「はいはい、クソでもうんこでも好きに言ってな。うちは貧乏人に用は無いねん」

 火に油を注ぐような発言に、群衆はさらにいきり立つ。

 だが、もはや春乃の耳には届かない。

 刀で斬りつけようが、機関銃で蜂の巣にされようが、彼らは自分に傷一つ付ける事はできないのだ。

 群衆はそれを理解しているのか、誰一人として手を出そうとはしない。

 或いは、敵意を持った者は近づく事さえできないのかも知れない。

 どちらにせよ、どうでもいいことだ。

 舐めるようにして、人々の顔をじっと見る。

 醜い、正視に耐えない。

 春乃は全てを吐き出すようにため息を吐く。

「三千万円集めた人はこっちに来てーなー、貧乏人に用はあれへんから」

「無視してんじゃねえよメス豚!」

「本気でぶっ殺すぞクソがあ!」

 群衆はますますヒートアップしていく。

 もし自分に特殊なバリヤーが装備されていなければ、今頃は挽肉にでもされていたことだろう。

 だが、現実として彼らは、指一本触れることさえできないでいる。

「私達は三千万円を人数分持ってきた、道を空けろ!」

「なにい?」

 殺気だった群衆が静かになる。

 声の主を探して、血走った目が一斉に辺りを見渡す。

 数発の銃声、そして叫び声。潮が引くようにして、一カ所だけ人が散った。

「どいてくれ、死にたくないならな」

 もはや布きれ同然の衣服をまとった、満身創痍の五人の男達がこちらに近づいてくる。

 先頭を切って、少し前を歩く男は頭がはげ上がっていた。

 その姿は、かつての高校で嫌いだった、年老いた化学の教師を思い出して、少し不愉快な気分になる。

 えんじ色のジャージに身を包み、手には拳銃を装備している。彼がリーダーなのだろう、他の男達はバットや鉄パイプで、ジャージの男の背後と左右の守りを固めている。

 男達の真ん中には、台車に乗せられた大きな木箱が揺られている。

 おそらくその中に、人数分の札束が用意されているのだろう。

「うおらああああああああ!」

 張りつめた静寂が突如破られる。

 道を空けていた群衆の中から、刀を持った男が走り込んできた。

 頭上に構えた日本刀は、振り下ろす以外の選択肢を全て奪う。

 がら空きとなっている脇を守ろうともしていない。

 一撃必殺、決死の突撃だった。

「うわあっ、やめっ、てっ」

 勝負は一瞬だった。

 最も年老いていたであろう男の頭上に、日本刀は力任せに振り下ろされる。

 切れない包丁でトマトを切ったように、中途半端に肩から腰にかけて刀がめり込む。。

「まだ……死にたくな……い……」

 血しぶきが男の全身に掛かる。それは赤いシャワーのように。

 男の仲間達は、手に持った武器で臨戦態勢を整える。

 だが、襲いかかってきた暴漢は、振り下ろした日本刀をもう構えようとはしない。

 リーダーらしき男から、殺意が無いことに違和感を感じていた。

「俺を殺さないのか」

「お前からはそれ以上の殺気がしない。目的は自分一人分、楽園に入るための三千万円が欲しいだけだろう、違うか」

「ご名答」

「一番老いた渡辺さんに目を付けたのは、偶然でもないはずだ。

 そして、お前はこれ以上私達と争うことも望んでいない」

「ふん、説明する手間が省けたか」

「いいだろう、お前に渡辺さんが使うはずだった三千万円、くれてやるよ」

 リーダー格らしい男は、銃口を向けつつもにこやかな笑みを浮かべた。

「自己紹介は楽園に入ってからでいいだろう。天使さん、私達五人を楽園に連れていってくれ」

 くい、と顎で合図する。

 とりあえず仕事は仕事だ。

 春乃は男達に近付く。

 自分と同じ、正直でまっすぐな生への欲望。嫌いじゃない。

「はいはい、それじゃうちが頭に手を載せたら終了やから。

 ここで金額と人数は確定やで。

 これ以上邪魔したりしたら、めっちゃ怒るからね」

 じろりと群衆に睨みを利かすと、人の輪はさらに数歩後ろに後退する。

 立ちこめる殺意と、獲物を狙う肉食獣の群れのような視線。

 まるで爆発寸前の時限爆弾を抱えているような気分だ。

 だが、春乃はあまり気にもせず、手を頭に載せる。

「ほな、いくでえ」

 指先から光が溢れ、やがてそれに包まれると、中の人間は楽園へと転送される。

 光が消えた時、彼は既に楽園の中の住民となって、自分と同じ服装になっており、先に入った住人達から、色々と説明を受けることになる。

 残された男達は食い入るようにそれを眺めた。

 まるでお預けを食らった犬のように。

「焦らんでもええからね」

 二人目に手を載せ、これも無事に終了する。

 三人目、いよいよ救われない人々のすすり泣く声が、辺りを包み込むようにして流れる。

 嫉妬、絶望、あらゆる希望を失い、それでも生きねばならない人の性。

 辺りはまるで、お通夜のような様相を帯びている。

 他人の幸福を喜ぶような余裕など、彼らにあろうはずもない。

「うるさいなあ。泣いてる暇があったら、あんたらも金探してきいや」

 四人目に手をかざす。

 これも無事に完了した。

 そして、いよいよ乱入してきた男の番になった。

「はい、最後」

「宜しく頼む」

 手を載せる―何も起こらない。

 もう一度手を載せる。

「あれ? 三千万円ちゃんとある?」

「あるだろ、木箱の中にほら!」

「楽園の入場資格はあるっぽいなあ、手はちゃんと反応してるし、なんでやろ」

「おいおい、早くしてくれよ」

「うーん、ちょっと待っててな」

 と、待たせてみたものの、果たしてどこの誰に何を言えばいいのだろう。

 神に呼び掛ける?

 それとも鈴木を呼び出す?

「えーっと」

「どうしたんだ、早くしてくれ!」

 その時、空から聞き慣れた声が聞こえてきた。

「チャオ♪

 神様だぴょん!

 みんな元気してた?

 はーい、ちょうどたった今、一万人目の登録が終わっちゃいましたあ。

 ブッブー、残念無念ご愁傷様!

 三千万円集められなかった貧乏人、死ねば?

 三千万円集めたのに楽園にあぶれた人、いやー惜しかったね。

 でも、神様の私は平等なのだー、うん♪

 老いも若きも、男も女も、とりあえずみんな今から楽しい罰ゲームです。

 どんな事をするのかは少しの間秘密なんだけど、注意事項の大ヒントを大発表しちゃいまーす。

 うっひょお、神様太っ腹だね、人類頑張れ!

 さてさて、そんなスペシャル私からのご神託、


『吸血鬼に気を付けて』


 以上、神様でーしたっ♪」

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