第11章 ブルーオーシャンの逃走
「さて、三木原さん、それにブルーオーシャンとロンドンキャット、この現状を打破するための意見を出して欲しいんだけど」
「まずその名前をやめてくれ、俺には陣内仁という、親にもらった立派な名前が」
「じゃあロンドンキャットなんて、変な名前でゲームしなきゃいいんじゃない?」
「くっ!」
人間というのは、嘘よりも本当の事を言われるほうが遥かに痛い。
特に隠していたはずの秘密等は、その典型例と言える。
内緒にしていたはずのポエム帳、机の奥に潜ませた若い頃描いた漫画。
しかし、時としてそれは大人になっても続いている事がある。
今まさに、勉と仁が置かれている状況はそうだった。
後悔先に立たず。
今さら取り返しがつくはずもない。
「とりあえず君島さん、あまりふざけないで下さい。今がどういう状況なのか、あなたならわかっているでしょう」
「こんな屈強な男達に囲まれて、肉体的に不利な私は、こんな状況だからこそ自然と傍流に追いやられてしまうでしょう。握った強みは死んでも離さない、それが私の生きる鉄則」
「あはは……タフだね君島さん……」
「女が優遇されてるなんて、勘違いしてる馬鹿とか多いからね」
毅然とした態度は、まるで永久凍土のようだ。
だが、それだからこそ、ハツコイエンペラーなどという二つ名を知られなくて正解だったと、毅は心から安堵のため息を漏らす。
「これでハツコイエンペラーが居たら、秋葉原ゴッドスリー勢ぞろいなんだけどな」
「今までで一番恥ずかしい名前ね、それ」
夏子の言葉は、氷の刃となって毅の心に突き刺さる。
「どうしたの三木原さん、顔色悪いわよ」
「い、いえ、何でもないですよ」
(今までで一番恥ずかしい名前……か……)
思わずそこから逃げ出したい衝動を堪えて、ぐっと拳を握る。
そもそも、今は恥ずかしい過去を暴露して遊んでいるような余裕は無いのだ。
「そろそろ本題に戻ろう。今朝の神のアナウンスを聞いたならば、今我々が悠長にだべっている時間が無いことはみんな分かっていることだと思う」
「そうね、ここは一つ専門家に従いましょうみんな」
夏子の提案に、勉と毅は黙って頷く。
あくまでも表社会で生きてきた彼らにとって、リスクはあれど、今は目の前にいる陣内仁と手を組む以外に術は無い。
裏社会に生きていた人間というだけで、普段なら絶対に近付きたくない職業の人間だが、今は贅沢を言っている場合ではない。
それに、藤次のような幼い子供、それも血縁関係も無い連れ合いを持っている事が、彼の人柄を表している。
誰もがそんな思いを持ったからこそ、危険を承知で声を掛けたのだ。
「いいか、この倉庫の出入り口は表のシャッターの所しかない。窓は二階にもあるが、およそ人が入れるスペースでもない」
「つまり?」
「中に誰かいる危険はあるが、正面から入るしか方法が無い」
勉は露骨に嫌そうな表情を浮かべ、その横で毅は軽く何かを考えるような素振りをする。
結局のところ、またも誰かが正面切って動かねばならないのだ。
さっきは自分がジャンケンに負けた為に表に出たが、今回もまたそうなったら、今度こそ殺されるかも知れない。
そう思うと、さすがに気が気ではない。
「それ以外手段は全く無いの?」
「見ての通りシャッターが閉まっていて、あとは通用口があるだけだ。このドアの鍵を壊して、中に入るしか無いだろう」
「それ以外方法が無いんだろうけど、あなた以外は足手まといになりかねないわね。ましてや一人は子供だし」
「ここまで来て言い訳するのか? ならば、勝手に死ね。カネが欲しいなら、ガキだろうと一般人だろうと、生き残る為の作戦には命を懸けてもらう」
「正論ですね。俺はあなたの意見に賛成だ」
毅は頷き、他の三人に同意を求める。
「自分の身を自分で守る。っていうのは分かるわ。でも、今言ったけど、藤次君は子供よ? こんな荒事に駆り出して、自分で何とかしろって言うのはちょっとひどすぎない?」
軽蔑の眼差しを向けた瞬間、夏子のブラウスの裾を藤次が引っ張る。
「お姉さん、僕は足手まといになりたくない」
「子供はいいのよ、何も心配しないで」
「僕も、戦えるよ」
「藤次君、無理はだめ」
「こいつは無理なんて言ってないぞ。君島さん、あんた藤次を何だと思ってる」
「何って、子供に何ができるって言うのよ!」
「子供だから何もできないって言うのか?」
「そうよ、あんた達もそう思うでしょう」
柳と三木原を射抜くように見据える。
だが、その横で仁は続けた。
「例えば五人でお金を手に入れた。しかしそこには仮に一億二千万しか無かった。向山藤次は働いていない。そんな時、お前達は藤次にも平等にお金を分け与えるのか?」
「どういう意味ですか」
最初に口火を切ったのは毅だった。
勉はその横で、じっと成り行きを見守っている。
気怠そうに仁は続ける。
「簡単な事だ。今三千万円という金の持つ意味が、かつての貨幣経済の時代と違うんだ。いや、それ以上に重要だろう。一円少なくても神は楽園に入れないと言う。もしもお前の分け前が1円でも足りないなら、その金をお前は藤次にタダで渡すのか?」
辺りは静まり返り、誰も口を開かない。
すぐさま返事をできるはずなどない。
誰もが生きたい。
楽園に入りたい。
その為ならば、犯罪さえ厭わないと覚悟を決めている者達ばかりだ。
金が足りないことは、死を意味する。
「楽園に入れなきゃ、いくらの金も全部紙くずだ。意味が無い。しかもこのゲームに負ければ地獄行き決定と来ている。そうであれば、どんな卑劣な手段を使っても天国に行ける保証付きという状況で、お前は何もしなかった藤次を平等に扱える自信があるか?」
「あなたはどうなんだよ!」
見かねたらしい勉が声を上げる。
脂汗が頬を伝い、拳は高ぶる感情に震えている。
「俺は嫌だね、働かなかった奴にそんな貴重な金は払いたくない。だから藤次にも働かせる。自分の手で楽園に行くチケットを、自分の力で手に入れさせる」
「陣内さん、あんたマジでこんな子供を使う気?」
「大マジだ。こいつなりに精一杯生きようとしているのに、答えてやらないお前達の方が失礼だろう」
全員の目が藤次に注がれる。
最初は俯いていたが、やがて覚悟を決めたように、凛とした目で皆の顔を見つめた。
少年は今、大人への階段をまた一歩昇ったのだ。
「決まりだな、君も俺達のパートナーだ」
「三木原さん?!」
「今は猫の手も借りたい状態でしょう。彼が真剣に協力をしてくれるなら、今は助け合えばいいじゃないか」
「君島さん、あなたならわかりますよね?!」
「藤次君の自主性を尊重するわ」
「ちょっとちょっと、こんな子供の失敗に巻き込まれて、僕らみんな全滅とかなったらどうするんだよ?! お前ら頭おかしいんじゃないの?」
「おかしくて結構、柳さん、あんたの好きそうな民主主義的な多数決なんだが、何かまだご不満でもあるのか?」
「あるね、大いにある! 僕はこの件から下ろさせてもらうよ!」
「じゃあ好きにすればいい」
夏子の言葉に、勉は金魚のように口をぱくぱくとさせる。
自分はもっと、この中で必要とされていると思っていた。
それが、たかが少年よりも下だと言われたのだ。
解せない。理解不能。
こいつらはいったい何を言っている?
「ははっ、おっ、お前達、僕を仲間から外してもいいのかい? インターネットで調べていた情報は欲しくないのかい? まだたくさんあるんだぞ?」
「往生際が悪いな、ブルーオーシャン。ゲームと現実は違うんだ」
「ちょっと待ってくれ! 三木原君、君なら分かるよね?」
「焦り過ぎですよ。落ち着きなさいな柳さん」
「あああ焦ってなんかいない、そもそも何だ? こんなぽっと出のやくざ者なんて信じるのか? 大学院生で将来は博士になるはずだった僕より、こーんなやくざ者の言うことを真に受けるのか?」
「やくざ者で悪かったな、お前とは仲良くしたかったよブルーオーシャン」
「あははっ、なっ、何だよ何だよ。本当は僕が居ないと困るだろ?」
「誰も出て行けとか言ってないです、落ち着いてください柳さん」
「何だよ何だよ、ああそうさ、僕は邪魔なんだよ! 学校時代から、大学院までずっと友達は居なかったさ。悪いか? 頑張ってるんだよ! 精一杯頑張ってるんだ。みみ、見てろよお前達! 楽園に先に入って、お前達なんて入れてやらないんだからな?」
「あなた、だんだん本性が出てるわね……」
「うわあああああああ! 畜生、ちくしょおおおおおおお!」
柳は叫び声を上げて、来た道を逆方向に走っていった。
だが、誰も追いかける人間など居ない。
もはや頂点に達した疑心暗鬼は、増える事はあっても減りはしない。
「陣内さん、僕が悪いのかな」
「いや、お前はお前だ、ガキだからとか考えるな」
「うん……」
せっかく増えた仲間の失踪。
その事に、藤次は責任の一端を感じてしまう。
だが、この場に居合わせた誰もが胸を撫で下ろしていた。
明らかにしてあからさまに無能な人間を排除する。
それも正当で、合法的に。
極限状況に置かれているからこそ、どうしても譲れない事がある。
そして、それは言葉にするまでも無く誰もが共有していた思いだった。
無意識と偶然が織り成した追放劇。
誰も相手を非難する事などできようはずもない。