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爪の音  作者: 一人旗目
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第9章 通信教育で空手を習っていた僕が本気を出す

 ああ殺したい。

 あのムカつく女神だけは百回殺したい。情け無用で、マジで殺したい。

 夏子の指がぺきぱきと音を立てる。怒りが闘気となって、全身から滲み出ている。

 それはまるで、何かに憑かれているようにさえ見えるだろう。

「君島さん、なんか気合入ってますね」

「あんな外道な天上界ラジオを聞かされて、平然としてる方がおかしいのよ!」

「でも、焦っても三千万円は空から降ってきませんよ」

「そうね、ところでお金はどこから調達するつもりなの?」

「良い質問です、この地図を見て下さい」

 勉は背負っていたリュックから、セロテープで何度も折り目を補強した、すりきれそうな古い地図を出す。

 褒めてください、そんな態度が少々鼻に付く。

 だが、まだこれでは何のことか分からない。

「これは……この周囲の沿海部の詳細地図ね。これがどうしたの?」

「ここ、赤い丸印で囲んでるよね」

「あるわね」

「春日井組と香港マフィア、二つが協同で管理しているマネーロンダリング用の金庫です」

「は?!」夏子は思わず頓狂な声を上げる。

「元々はインターネットに流れてるタブロイド記事だったんです。そもそも、そんなものが簡単にネットに流出するはずがない」

「そうよね」

「ところが! これが実は実際の春日井組の金庫番とされていたKのPCのデーターなんですね。どうやら海外のロリコン無修正画像を集めていたら、苺めんたまウイルスに感染しちゃったらしくて」

「証拠は?」

 ペテン師でも見るような目の夏子に対し、勉は怯まず続ける。

「実際に友人が行って、危うく事務所に連れ込まれかけた事が一度。聞いた話だと、常に数人の屈強な男達が周囲をうろついてるし、それに関する目撃証言はたくさんある」

「裏付けも一応ある程度取れてるわけね」

「流出した情報によると、少なくともこの場所には常に数億円相当の現金が保管されていたという。戦争での被害はゼロではないだろうけど、まだ相当額残ってる可能性は高いと思うね」

「すごいわね、実は元大学院生じゃなくて、単なるネットおたくの引きこもりだったんじゃない?」

「うう、三木原君、何だか僕ばかりいじめられてないか?」

「俺もちょっと、君島さんと同じこと考えたことある……」

「なっ、なんだよ、お前なんて高卒の低学歴のくせに?!」

「あ?」

「しまった!」

「何がしまったんだよテメェ、もう一度言ってみろ」

 極限状態だったせいだろうか。それとも、思っていたことはどうしても口に出てしまうものなのか。二人の争う姿を見て、自分を信じろと言う言葉など、ほんの少しでも信じようとした自分が愚かしいと夏子は感じた。

 秩序など存在しない。優美の死体を思い出せ。ひょっとすればこの二人が犯人なのかも知れないではないか。

「前々から俺を見る目が変だと思ってたんだ!」

「僕だって今の大学院に入るため、どれだけ勉強したと思ってるんだよ?!」

「俺だって親方に怒鳴られなくなるまでに、どれだけ苦労したと思ってんだよクズ!」

「なっ、く、クズだって? 僕がクズならお前はミジンコの糞だ!」

「ぶっ殺すぞオラァ!」

「じょ、上等だよ」

 醜い。

 しかし、その争いを止めねば、火の子は自分にも降りかかりかねない。こんな事なら、最初から関わるべきではなかった。などと今さら後悔しても遅いのだが、夏子は二人の間に割って入る。

「いいかげんにしてよあんた達、ここで頭に血を上らせて何か良いことでもあるわけ?」

「すっこんでろアマ!」

「何ですって?」

 ありったけの殺意を込めて睨み付ける。それだけで毅はびくりと後じさった。

 場合によっては本気で殺す。秩序を求めた者達が、自らそれを乱すならば容赦はしない。

 そんな気持ちは、声だけでも十分に伝わった。

「ほら見ろ、君島さんが怒ってるじゃないか!」

「あんたもだよ」

「はい……」

 目で殺す魔力があれば、二人は確実に今この世に存在はしなかっただろう。

 彼女の目は血走り、獣のような何かを湛えていた。

「とりあえず港の倉庫に行くんでしょ、ひょっとしたらやくざかマフィアの生き残りがお金を取りに来てる可能性もある。急ぎましょう」

「おー」

 上っ面だけの、調子の良い奴ら。

 夏子の中には既に、二人に対する信頼感などありはしなかった。いかにして彼らと手を切るか。もし自分に手を出そうものなら、本気で殺せるのか。頭の中で何度もイメージトレーニングをする。

 少なくとも三千万を取ったら、その後は単独行動できるようにしよう。

守ってもらえるかも知れないと、わずかでも期待した自分が馬鹿だった。

 ふと気が付けば、あちらこちらの瓦礫の山から、血まみれの腕がにょきりと、まるで新芽のように顔を覗かせている。

 そう、この国では史上最大規模とも言える悲惨な戦争が起こったのだ。

 地域によっては黒い雨が降り注ぎ、三日どころか一週間は空が晴れなかったと聞く。色々な国と戦争をしたのは知っていたが、どこで何が起きたのかさえ、もはや知る由も無い。

 ただ一つ分かっているのは、この悲惨な現実。

 どこからか生き残ったカラスが死体をついばんでいる。

 蝿がたかり、卵を産み、その腐肉を蛆がもりもりと食べている。

 おそらく、わずかな現金を奪われて殺されたのだ。

 それは敵のしわざ。

 周囲は全て敵なのだ。

 漫画のようには上手くいかない。

 助けてくれるヒーローもいない、神の奇跡は、一応起きたと言えるのだろうか。

 だが、あんなものは奇跡と思いたくはない。

 そしていつ仲間割れするとも分からない男二人の連れ合い。

 食料、水の備蓄はあと二日分。

 はっきり言って、気が狂いそうな自分に必死でブレーキを掛けているというのが正直なところだろう。

「一つ聞いていいかしら」

「分かることなら」

「もしその倉庫にやくざかマフィアの残党が居たなら、あなた達は私を守ってくれるのかしら」

「えーっと……」

 早くも勉が困った顔を始める。

 だが、相手が小悪党だと分かっていれば扱いもたやすい。

 顔に出さぬよう、夏子は心のメモを取る。

「冷静に考えて、まず自分の身を守らせてもらいます。もし手が空いていて、可能であれば他の誰かを助けます。ここで変にヒューマンドラマぶった事を言ってしまって、身勝手で変な期待をさせたくはないですからね」

 三木原毅、案外まともな奴かも知れない。同じく心にメモを取る。

「おいおい三木原君。ここは嘘でも、まず女性を守るって言うべきだろう」

 柳勉よ、お前は頭のねじを数本どこかに置き忘れて来たのか。

 思いっきり心のメモに、大きく強く殴り書き。

 分かり易過ぎる程の小悪党っぷり。

 絶対恋人にしたくないタイプ。

 というか、戦前でもタイプじゃなかった事だろう。

「じゃあ柳君は、今回姫様を守るナイトを引き受けてくれるんですね」

「当然じゃないか、男として!」

 今まで生きてきて、これほど頼りがいの無い言葉を聴いたことがない。

 前代未聞というか、言葉も出ない。

 毅は皮肉で言ったつもりなのだろうが、当の本人は薄い胸を叩いて、任せろと言いたげに鼻息を荒くしている。その横で、すまないねと言いたそうに毅は夏子に目で語った。

「何だか逃げ足の速そうなナイトさんね」

「僕の強さを疑ってるね? 実は僕、通信教育で空手を習ってたんだ!」

 一瞬、何を言っていいか分からなくなる。悪い夢なら覚めて欲しい。

 絵に描いたような駄目男だ。

 平和な日常でも寒い状況が、この場合は自分の命に関わる。渇いた笑いも出ては来ない。

「俺は柔道を高校時代やってただけですから、ひょっとしたら柳君にかなわないかも知れませんねえ」

「さあてどうだろう、僕も実戦経験はまだ無いからね」

 頭痛薬が欲しい。先の大戦でなぜ、この男は死なずに生き残ったのだろう。

 それこそ神の奇跡か気まぐれか。

「自分の身は自分で守るわ、大丈夫」

「強がる女って素敵だぜ」

(だぜって何?! だぜって何さ?! 調子乗りすぎるとあんた本気で殺すわよ?!)

 声にならない声、ある種の殺意が全身を駆け巡る。

 握りこぶしが震え、唇の端がひくついているのを、毅は苦笑気味に見ていた。

 彼としても、お調子者で寂しがりの勉に、半ば強引にパートナーにされているような状態だ。

 いつか危機的状況になった時、勉は自分を裏切るだろうことも彼の中では予想済みだった。

 そして彼もまた、この君島夏子という女のことを決して信用はしていない。

 お互い口に出しては言わない、薄氷の上に築かれた信頼関係だ。

 だが、それでも今は、もっと危ない敵と出会う前の牽制にもなる。

 そういう意味では、枯れ木も山の賑わいというものだ。

 少なくともこの程度の男や、元OLらしい女に寝首をかかれる程、まだ自分は落ちぶれていないと毅は思っている。

「とにかく倉庫まで早く行きましょう。彼らの残党がいるかどうかわからないし、インターネットに情報が出ていたのなら、他にも気付いて取りに来る人が居るかも知れません」

「そうだよ、もたもたしてる場合じゃない」

(お前が言うな)

 と、心の中だけで呟くと、精一杯の笑みを浮かべて歩き始める。

 既に楽園入場者五千人を突破。

 心の中には焦燥感がつのっていた。

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