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告白

渡れなかった横断歩道 ~告白

作者: 時司 龍
掲載日:2026/03/08

 大樹(だいじゅ)(あや)の視線が絡んだまま、時間が止まる。


 踏み出せ。


 胸の奥で、誰かが叫ぶ。

 一歩出ればいい。

 腕を振りほどいて、車道を渡ればいい。


 たったそれだけだ。

 信号が青のうちに。

 ・・・なのに、足が動かない。


 向こう側で、彩も動かない。

 ただ、こちらを見ている。

 声は届かない距離なのに、何かを待っている気がした。


 ・・・なのに。


「おいおい、何フリーズしてんの?」


 背中をぽん、と軽く叩かれる。


「信号変わるって! 置いてくぞ~?」

「あ、もしかして可愛い子見つけた?」


 どっと笑いが起きる。空気が、一気に日常へ戻る。

 大樹は、ほんの一瞬だけ彩を見たまま・・・


「いや、別に」


 肩を竦めて笑った。いつもの軽い調子。何もなかったみたいに。場の空気を崩さない、慣れた笑顔

 横断歩道へ流されるように足を動かす。


「なに見てたの?」


 腕に絡みついてきた女の子が、顔を覗き込む。

 上目遣い。距離が近い。


「なんでもないって」


 大樹は笑ったまま、さりげなくその手を外す。


「ちょ、暑い」


 半歩、距離を取る。


「えー、ひどくない?」

「今日ずっと冷たいよ?」

「さっきまで普通だったじゃん」


 周りがまた笑う。


「ほらほら、拗ねるぞ~?」

「大樹、ちゃんとフォローしろよー」


 軽いノリ。いつもの空気。誰も深く見ていない。

 大樹は、口角を上げる。


「拗ねてんの?」


 わざと甘く、からかう声。女の子は頬を膨らませてみせる。


「だってー」

「歩きにくいんだけど」


 やんわりと、もう一度距離を取る。

 一瞬、腕が離れる。

 空気が少しだけ軽くなる。


 ・・・なのに。


「逃げないでよ」


 笑いながら、今度は両腕で絡んでくる。

 強く。

 周りが「うわー」と囃す。


「公開イチャイチャやめてくださーい」

「青春かよ!」


 大樹は、また笑う。


「うるせーな」


 声はいつも通り、軽い。

 けれど、身体だけは僅かに固い。拒んでいるのに。

 横断歩道を渡りきる。

 振り返らない。

 振り返ったら、そこからもう動けない気がした。

 信号が赤に変わる。

 向こう側に残された彩。

 こちら側の笑い声。

 世界が、わかれる。胸の奥がじわりと焼ける。・・・行けなかった。たった一歩なのに。

 腕に絡む温もりが、急に他人のものに感じる。さっきまで心地よかった距離が、今はやけに重い。


「大樹、次カラオケな!」

「賛成~!」

「お前、今日おごりな?」

「なんでだよ」


 即答できる。

 笑える。


 なのに。


 さっきの彩の視線が、まだ胸の奥に刺さっている。

 あのとき。

 ほんの一歩、踏み出せば。

 信号が変わる前に。・・・行けたのに。

 自分で選ばなかったくせに。

 足を止めなかったくせに。

 それでも胸の奥で、何かを落としてしまった気がしている。まるで、もう取り戻せないものみたいに。



 ●●



 カップの縁から、細い湯気がゆっくり上がっている。

 彩はテラス席で、コーヒーを飲んでいた。

 夕方になっても、まだまだ暑い。通りの向こうでは、信号待ちの人たちが足を止めている。

 隣の椅子には、さっき寄った雑貨屋の紙袋。白い紙袋の取っ手が、風に揺れている。

 彩は何気なく視線を上げた。


 その瞬間、手が止まる。


 通りの向こう側。

 信号待ちの人の中に、大樹がいた。

 思わず、息が浅くなる。

 会社で見るスーツ姿とも違う。先日見たシャツ姿とも違う。白のオーバーサイズのシャツ。中はシンプルな黒のTシャツ。胸元が少しだけ覗いて・・・さらにカジュアル。手首の細いブレスレットがやけに目についた。

 すっと立つ姿。


 間違えるはずがない。

 大樹だった。


 胸の奥が、小さく鳴る。


 こんなところで会うなんて。同じ会社なのに、街の中で会う事はほとんどない。

 彩はカップをテーブルに戻した。

 向こう側の歩道は賑やかだった。大樹の周りには、何人か人がいる。楽しそうな声が、車の音の合間に届く。

 誰かが大樹の背中を叩く。大樹も笑っている。その隣に女の子がいた。腕を絡めている。ぴったりとくっついて歩いている。

 彩はぼんやり、それを見ていた。


 友達かな・・・。そう思う。


 でも。

 女の子が大樹の顔を覗き込む。大樹が笑う。それから・・・その子の頭をぽんっ、と叩いた。


 彩の胸が小さく揺れる。

 どこかで見た仕草だった。

 

 BBQの帰り。車の中。距離が近くて。声も近くて。声が低くて。


「可愛かった」

 あの言葉が、ふいに頭に浮かぶ。

 

 大樹は笑っている。会社で見るのと同じ、あの気楽な笑い方で。女の子はまだ大樹の腕に絡んでいる。二人で笑っている。肩がふれる。


 とても自然に。

 とても楽しそうに。


 彩はその笑顔を、よく知っている。

 残業で遅くなった夜。

「まだ帰ってなかったんですか?」

 そう言って、コンビニのコーヒーを差し出してくれた時。

 展示会の準備で資料を抱えていた時。

「それ、半分持ちますよ」


 そして・・・孔雀の羽のチョーカーをつけながら、手を握られた時。

 あれは・・・。


 彩はその光景を見ながら思う。

 ・・・別に。おかしくない。大樹はそういうタイプだ。友達も多いし。

 女の子にも好かれるだろう。

 ああいう距離感も、きっと普通なんだ。


 自分とは違う。


 それなのに。

 胸の奥が、少しだけ痛い。理由は知りたくない。あれは・・・全部ただの社交辞令だったんだ。

 


 大樹の視線が、ふいにこちらへ向いた。


 目が合う。


 胸が、強く鳴る。


 思わず唇が動いた。

「・・・大樹」

 小さな声だった。

 自分でも驚くくらい、自然に出た。

 彩はすぐに息を止める。今、名前で呼んだ。会社では、いつも「佐藤さん」なのに。

 もちろん声は届かない。車の音も、人の話し声もある。


 それでも一瞬だけ、大樹は確かにこちらを見ていた。

 気づいたのかな。そんな期待が、胸の奥に浮かぶ。


 もし今。

 もし今、大樹がこっちに来たら。

 彩はきっと笑ってしまう。


「偶然ですね」


 そう言って。

 それだけの会話になるだろうけど。

 でも多分、少し嬉しい。


 信号が青に変わる。人の流れが動き出す。

 誰かが大樹の背中を押す。大樹が笑う。そして、そのまま横断歩道へ足を踏み出す。人の流れに混ざっていく。


 彩は、座ったまま動かない。ほんの少しだけ、期待していた。


 もしかしたら。

 ほんの少しだけ。


 でも。

 大樹は振り返らない。そのまま渡りきる。

 信号が点滅する。

 赤に変わる。

 通りの真ん中を車が走り始める。


 彩はゆっくり息を吐いた。

 カップを持ち上げる。

 コーヒーは、もう少しで冷めそうだった。


 向こう側の歩道には、もう大樹の姿は見えない。


 さっきまで、確かに目が合っていたのに。

 彩は小さく笑う。

 自分でもわかるくらい、力のない笑いだった。


 あの言葉も。

 あの視線も。

 あの少し近い距離も。

 全部。

 自分の思い過ごしだったのかもしれない。


 彩は隣の椅子の紙袋に目を向けた。

 さっき雑貨屋で買ったマグカップ。会社で使おうと思って選んだもの。大樹がこの前、「彩さんのマグ、シンプルすぎません?」って笑っていたから、少しだけ、色のあるものにしてみた。


 カップを口に運ぶ。

 コーヒーは、もうぬるい。


 そして彩は思う。


 さっき。

 ほんの少しだけ。

 大樹がこちらへ来る気がした。

 そんな気がしただけだ。


 ・・・たぶん。

 最初から、来るはずなんてなかったのに。可愛い期待をする歳は過ぎたと思っていたのに。


読んでくださってありがとうございます(*_ _)

ポイントを入れてもらえると、嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
 時司 龍さん、こんにちは。 「渡れなかった横断歩道 ~告白」拝読致しました。  動けない、自分。  信号が変わらないうちに。  動け、ない。  なにしてんの?  どうした、かわいい子でも見つけた?…
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