チョコより甘い告白が、メモアプリに下書きされたまま
★〜第一章:保存されたままの“告白“
二月十四日の放課後。
窓の外では、冬の終わりの少しだけ湿った風が、校庭の砂を巻き上げていた。
佐倉陽葵は、誰もいなくなった二年B組の教室で、スマートフォンの画面をじっと見つめていた。
バックライトの光が、彼女の瞳を頼りなく照らしている。
開いているのは、標準のメモアプリだ。
そこには、三日前から書き足し、削り、並べ替えた“告白“の言葉たちが、行き場を失って整列していた。
【瀬戸くんへ。
ずっと言いたかったことがあります。
一年生の時、図書室で一緒に本を選んでくれた時から、ずっと好きでした。
もしよかったら、これを受け取ってください。】
画面の端には、いつの間にか指の脂でついた小さな跡がある。
机の横にかけられたスクールバッグの中には、丁寧にラッピングされた小さな箱が入っている。
放課後の調理実習室を借りて、友人の助けを借りながら、焦がさないように、丁寧にテンパリングした手作りチョコだ。
「……無理。送れないし、言えない」
陽葵は深くため息をつき、スマートフォンのスリープボタンを押した。
画面が暗転し、そこに自分の情けない顔が映り込む。
──瀬戸悠真。
サッカー部のエースで、クラスでも中心にいるような明るい存在。
陽葵とは、図書委員が一緒というだけの接点だ。
おとなしくて目立たない自分と、太陽のような彼。
「チョコより甘い言葉なんて、私には似合わないよね」
独り言が、冷えた教室に溶けて消えた。
★〜第ニ章:下書きの賞味期限〜★
陽葵がその“下書き“を書き始めたのは、二月の十日のことだった。
きっかけは、放課後の図書室。
当番が一緒だった瀬戸が、棚の整理をしながらふと言った言葉だ。
「佐倉ってさ、いつも一生懸命だよな。そういうとこ、いいと思うよ」
ただの世間話だったのかもしれない。
でも、陽葵にとっては、心臓の音が耳元まで聞こえてくるほどの衝撃だった。
その夜、家に着くなり、彼女はメモアプリを開いた。
最初は【好きです】の一言だけだった。
でも、それじゃ伝わらない気がして、彼との思い出を書き連ねた。
雨の日に傘を貸してくれたこと。
テスト期間中に一緒に勉強したこと。
彼が笑った時にできる、目尻のシワのこと。
気づけば、メモは千文字を超えていた。
読み返すと恥ずかしくて死にそうになり、消しては書き、消しては書き──。
そうして残ったのが、あの簡潔すぎる数行のメッセージだった。
「明日こそは」
そう決意して迎えたバレンタイン当日。
登校中、陽葵は何度もポケットの中のスマホを触った。
休み時間、廊下を歩く瀬戸の姿を見るたびに、心臓が跳ねた。
昼休み、屋上に呼び出そうとして、女子グループに囲まれている彼を見て諦めた。
そして今、放課後の静寂の中で、陽葵は立ち尽くしていた。
★〜第三章:予定外の訪問者〜★
「あれ、佐倉? まだ残ってたのか」
突然、教室の扉がガラリと開いた。
心臓が口から飛び出すかと思った。
振り返ると、そこにはジャージ姿の瀬戸が立っていた。
部活の練習前なのだろう、少しだけ汗の匂いと、外の冷たい空気を含んでいる。
「あ、……うん。ちょっと、忘れ物……っていうか、整理してて」
陽葵は慌ててスマホを背中に隠した。
瀬戸は不思議そうな顔をしながら、自分の席へと歩み寄る。
「俺も忘れ物。英単語帳、机に入れっぱなしでさ。……あ、あった」
彼は机の奥からボロボロの単語帳を取り出し、へらっと笑った。
そのまま帰ってしまうのかと思いきや、彼は陽葵の前の席に反対向きに座り、ひじをついた。
「今日の放課後、なんかみんなソワソワしてたよな。バレンタインだからかな」
その言葉に、陽葵の心拍数が跳ね上がる。
「……瀬戸くんは、たくさん貰ったんでしょ?」
「まあ、義理チョコとか、部活のマネージャーからとか。でもさ、本命っていうか、ちゃんと話したい相手からは……まだなんだよね」
瀬戸の視線が、陽葵のバッグに落ちた。
ラッピングの端が見えていたのかもしれない。
陽葵は指先が冷たくなるのを感じた。
今だ──。
今、この瞬間にバッグから箱を取り出して、メモにある言葉を口にすればいい。
──でも、声が出ない。
脳内では、メモアプリの下書きが高速でスクロールされている。
『一年生の時から、ずっと好きでした』
『もしよかったら、受け取ってください』
文字としては完璧なのに、音にしようとすると喉の奥でつっかえてしまう。
★〜第四章:送信されない本音〜★
「……佐倉、顔赤いぞ。大丈夫か?」
瀬戸が心配そうに身を乗り出した。
その距離が、陽葵の理性をかき乱す。
彼女は反射的に、背中に隠していたスマホをギュッと握りしめた。
その拍子に、親指が画面のどこかに触れた。
『ブーッ』という短いバイブレーション。
(えっ……?)
画面を見ると、不注意にも【全選択】して【コピー】を押してしまったようだった。
さらに、焦った陽葵の指は、あろうことか瀬戸とのメッセージ画面を開き、入力欄を長押ししていた。
「あ、ちょっと、待って……!」
陽葵はパニックになりながら、画面を消そうとした。
しかし、震える指先は彼女の意志に反して、瀬戸とのトーク画面にその【すべて】をペーストし、無慈悲にも送信ボタンを叩いてしまった。
沈黙──。
暗い教室に、送信完了を知らせる小さな電子音が響く。
陽葵の全身から血の気が引いた。
千文字──とはいかないまでも、推敲を重ねる前の、あの“重すぎる“長文の下書き。
彼への想い、目尻のシワの話、一緒に本を選んだ時の手の温度……。
削除しきれなかった“本音のすべて“が、今、瀬戸のポケットの中にあるデバイスへと飛んでいったのだ。
★〜第五章:甘い時間の始まり〜★
瀬戸がポケットからスマートフォンを取り出した。
「お、通知。……え、佐倉から?」
「待って! 見ないで! 今のは間違いなの!」
陽葵は机越しに身を乗り出し、彼のスマホを奪おうとした。
しかし、瀬戸はひらりとそれをかわし、画面を見つめた。
教室を支配するのは、重苦しいまでの静寂。
陽葵は顔を伏せ、両手で耳を塞いだ。
もう学校には来られない。
明日からどうやって生きていけばいいのか──。
一分、いや、永遠にも感じられる時間が流れた後。
ふっと、瀬戸が吹き出したような音が聞こえた。
「……なんだよ、これ」
陽葵は恐る恐る顔を上げた。
瀬戸はスマホを机に置き、顔を真っ赤にしていた。
でも、その目は怒っているようには見えない。
「『瀬戸くんの笑った時の目尻のシワが、世界で一番かっこいいと思う』……って。お前、そんなこと考えてたのか?」
「……っ!」
「しかもこれ、最後の方、すごいたくさん書いてあるじゃん。……『チョコは甘いけど、私の気持ちはもっと甘いから、覚悟してね』って。佐倉、意外と大胆なんだな」
陽葵は絶句した。
そんな恥ずかしいセリフ、書いた記憶があっただろうか。
いや、昨夜の深夜テンションで書き殴ったかもしれない。
「……消したかったのに。もっとちゃんとした言葉で、渡したかったのに」
陽葵の目から、ぽろりと涙がこぼれた。
完璧な下書きを用意して、完璧な自分を見せたかった。
なのに、一番見られたくない“ぐちゃぐちゃな本音“が届いてしまった。
すると、瀬戸がゆっくりと立ち上がり、陽葵の隣に歩いてきた。
彼は大きな手で、陽葵の頭にそっと触れた。
「いいよ。下書きのままでも。……っていうか、こっちの方が嬉しい」
「……え?」
「完璧な敬語とか、綺麗な言葉よりさ。こういう、カッコ悪いけど必死なやつ。俺、そういうのが一番弱いんだよ」
瀬戸は少し照れくさそうに頭をかき、自分のスマホを操作した。
すると、今度は陽葵のスマホが震えた。
届いたメッセージは、一言だけ。
【俺も。下書きにする暇もないくらい、ずっと前から好きだった】
★〜第六章:メモアプリの新しい役割〜★
「……あ」
陽葵はスマホを見つめ、それから彼を見た。
瀬戸は悪戯っぽく笑いながら、彼女のスクールバッグを指差した。
「で、そのチョコ。溶ける前にくれる?」
陽葵は赤くなった顔を隠しながら、バッグから小さな箱を取り出した。
渡す手はまだ震えていたけれど、今度は逃げなかった。
「……はい。下書きなしの、本物です」
瀬戸はそれを受け取ると、その場ですぐにラッピングを解き、一粒を口に放り込んだ。
「あま……。あはは、ほんとに。メモに書いてあった通り、チョコより甘いな」
二人が笑い合う声が、放課後の校舎に響いた。
それから数日後。
陽葵のスマホのメモアプリには、新しいページが作られていた。
タイトルは【次に瀬戸くんに会った時に言いたいこと】。
そこには相変わらず、送信される予定のない“甘すぎる下書き“が溜まっていく。
でも、今の陽葵は知っている。
下書きが完璧じゃなくても、想いは溢れた瞬間に、一番甘い味になるのだということを。
春の気配を帯びた風が、今日もメモアプリの文字を優しく揺らしているようだった。
〜〜〜おしまい〜〜〜
貴重なお時間を使ってお読み頂き、本当に有難うございました。
興味を持って頂けたならば光栄です。
作者のモチベのために☆やいいねを残して頂くと幸いです。感想などもお待ちしております。
ブクマ頂けたら……最高です!




