ドーン
どちら様ですか? と問われて、
達郎は、モヒカン頭の毛のない部分を右手10センチの人差し指で3度ほど掻いた。
恥ずかしさからきた感情だと思われる。
どのようなモヒカンかというと、例えるなら『タクシー・ドライバー』のロバート・デニーロのような、
5センチほどのモヒカンだ。
5cmの長さの例としては、単2の乾電池の高さが挙げられる。したがって、
達郎の頭から単2の乾電池が突き刺さっているところを想像していただけると良い。
しかも、黒いbolleloのサングラスがますます、『タクシードライバー』感を演出している。
具体的に異なるのは、服装である。
達郎は、3月の下北沢駅に、上裸で現れた。
下半身は、膝から腿にかけて20㎝ほど裂けたダメージ・ジーンズを履いている。
ちなみに20㎝というと、サッカーボールほどの大きさだ。
達郎の裸の上半身、その右乳首には、ゴールドのリング・ピアスがついており、それは達郎の鼻のピアスに鎖で繋がっている。
上半身の、笹に齧り付いているジャイアント・パンダのタトゥーが陽に照らされている。
ジャイアント・パンダとは、クマ科、食肉目、ジャイアントパンダ属の生物で、
化石からの記録によるとそれは、太古の時代はベトナムからミャンマーにかけて生息していた。
ちなみのちなみに、ミャンマーとは、インドシナ半島西部に位置する共和制国家であり、首都はネピドーである。
初期の文明は、モン族とピュー族によって栄えていたが、南下してきたビルマ族がパガン朝を建てた。
最終的にはコンバウン朝が成立し大陸の統一に至る。
その後イギリスの植民地となっていたが、第二次世界大戦時に日本に占領されて独立したのがミャンマーだが、
それと達郎とは、なんら関係はない。
……関係がないと言い切ってしまうのも違うのかもしれない。もしかしたら幾万という歴史の旅の中で、
達郎の先祖とモン族が交友をとっていて、それが達郎のルーツに根付いていることを、
誰も100%言いきることはできないだろう。
このような考え方のことを、一般的に可能世界的思考という。
可能世界的思考とは、出来事、因果、真理を考察する思考のことである。
哲学者デイヴィット・ルイスは言う。
「我々が現実だと思っているこの世界も、数ある可能世界のうちの一つにすぎない」
しかしながら少なくとも、達郎と千代子の再会というシーンを切り取る中では、ミャンマーも、
モン族もピュー族も介入する余地はないのである。
まして、達郎は格別パンダが好きというわけではない。上野動物園で1回見たかどうかという記憶しかない。
彼がまだ女性だった頃に。
そんな達郎がなぜパンダのタトゥーをしているのか、というと、本人にもわからない。
ところで、目の前までやってきた男のことが、誰とも判別がつかない千代子の心だが、
それは、達郎が性転換手術を行い、男性として生きることを決め、名前を、満朝から達郎に改めたところが由来している。
姉がくるはずが、上裸の男と再会しちゃったんだから、動揺してまあ当然といえば当然である。
ところで、上裸で下北沢を歩く、ということがどれだけ社会的リテラシーの低さを露呈しているかというと…… …… ……
苛つかせる小説 了。