イントロ
改札を抜けた瞬間、達郎は息をひとつ吐いた。 昼下がりの陽射しがじんわりと駅前を照らしている。目を細めながら腕時計を見ると、約束の時間まであと五分。 ポケットに忍ばせていた、小さなメモ用紙を取り出す。薄く色褪せた紙には、地図と「このへんで待ってると思う」とだけ書かれていた。走り書きの文字はどこか不安げで、それでも達郎には見覚えがあった。 妹の千代子の字だ。
何年ぶりだろう。 二十年か、いや二十一年かもしれない。 言葉にすれば「生き別れた」というのが最も近いのだろうが、それもどこか他人行儀な気がして、達郎はその言い方を口に出すことができなかった。 ただ、二人きりで生きてきた兄妹として、もう一度会いたいと、そう思い続けていた。それだけは間違いない。
昨日の夜、年甲斐もなく眠れなかった。
千代子は、妹は、今の自分を見たらなんて思うだろう?
失望させるだろうか? それとも、また「お兄ちゃん」と、いつもの少ししゃがれた声で呼んでくれるだろうか?
会って、何を話せばいいんだろう。 いまさら何を言える?
「元気だったか」──それくらいしか浮かばない自分に、少しだけ嫌気が差す。 でも、まずはそれでもいい。なんでもいい。ちゃんと目を見て、声を聞きたい。 それだけで、きっと、違う景色が見える気がした。
足取りは少し早くなっていた。人の流れを避けながら、信号を渡る。
街には、こんなにも人がいたのかと感じる。普段は絶対に感じることはない。 千代子は、どんな顔をしているだろう。怒ってるかもしれない。笑ってるかもしれない。
二十年ぶりの家族の顔を覚えていないなんてことは──ない、と思いたい。
コンビニの角を曲がると、小さな公園が見えた。ベンチが二つ、夏草が風に揺れている。 そのうちの一つに、彼女は座っていた。
髪は長くなっていた。背も少し伸びたように見える。 けれど、表情の奥にあるものは、あの頃と何ひとつ変わっていなかった。
達郎は一歩、また一歩と近づく。 あと数歩で、声が届く距離になる。
敢えて気取って、何も無かったかのように「よ。」とでも言ってみるか、
それとも、素直に謝るべきか。
寂しい思いをさせたねと、抱きしめて上げるべきか。
千代子がこちらを見た。
達郎を見て、思わず涙を浮かべそうな顔になった。
達郎は、頭で用意した言葉を反芻した。
千代子は、達郎からの言葉を待っている。