NO税屋
マッチングアプリで出会った男は無機質だった。
こっちのこと、さして気にしていないところが好き。もう、好き好き好きぃぃっていう10代20代の恋は疲れるから。
34歳。彼氏いない歴5年。今の付き合いが彼氏にカウントされるなら、いる。
「凛、眩しい?」
男の部屋は白とグレー。その中、グリーンのモンステラが存在感を放つ。朝6時、男はモンステラのためにブラインドから光を入れる。
「ううん。おはよ」
「おはよ、凛」
ちゅ
キス、着替え、ジョギング、シャワー。男の部屋でも私は日常を熟す。
土曜の今日はどう過ごすんだろう。昨晩、私の目的は終了した。セックス。
ここでだらだら過ごすのもあり。出かけるのもあり。自分の部屋に帰っても楽。
「何やってんの?」
尋ねると、男は机の上のパソコン画面を見せてくれた。シンプルな画面には、四角が並ぶ。
「副業」
「”NO税屋”?」
「そ。物物交換サイト」
寝起きでコンタクトをしていない男は、黒縁メガネ。Tシャツにスウェット姿の無防備さがセクシーで好み。
「USED売る感じ?」
「似てる。けど、お金は払わない」
「ふーん。ん? だったら副業にならなくない?」
「あ、手数料は貰う」
「手数料って。え、サイト運営してる側なの?」
「そ」
「儲かる?」
「ぜんぜん。」
だったら、なんでやってんだろ。あ、なんか聞いたことあるかも。
「節税?」
「そんなとこ」
「家賃とかも?」
「家賃は2割だけ。光熱費、パソコン、通信費。1番大きいのは、今、赤字だから、会社の給料との合算で節税できることかな」
「かしこーい」
画面をクリックすると、運営者の言葉が男の笑顔と共に現れた。めちゃくちゃ爽やか。こんな顔、できるんだ?
「顔見せすると信用度あがるんだよね」
「へー」
「金の動きには税金が絡んでくるでしょ? もう、そーゆーの、メンドくない?」
「消費税くらいじゃ……」
「基本USEDサイトは税金はかかんない。一般的には買ったら消費税。それにインボイスが必要な場合もあるし。売ったら雑所得になるから、所得税。青色申告とかさ、マイナンバーとか」
「ふーん。じゃ、このサイトで自由に物々交換してくださいって感じ?」
「ルール設定はしたよ。規約とか作って。30万以上の価値の物はダメ。基本はタダで引き取っていただくって心。生き物はダメ。車や家みたいに名義変更がいるものもダメ」
「車は分かるけど、家って。30万以下なんてないでしょ」
「あるよ」
「……あるんだ」
「双方が合意したら、送料は送る側が負担する。住所は分かんないように、こっちで管理して宅配便屋さんにネットでお知らせ」
(このお話はフィクションです)
聞いていると、なんだか、みんなのために考えました的なボランティア精神を感じる。副業とはほど遠い。
「手数料って10%?」
10%はこの類のサイトで一般的。
「一律100円」
「安っ」
「廃棄に手間やコストがかかるものとか、フードロスとかさ、倉庫空けるための在庫処分とか、どっかに需要があると思ったんだけどなー。でもま、毎月数千円くらいにはなってるかな」
「あ、私、このオリーブオイルやパスタのセット欲しいかも。まだ53セットも残ってるじゃん。でも、交換する物がなくて交換できない。……お金って便利なんだね」
再認識。
「コンセプトがNOマネーだから」
「じゃ、ポイントは?」
「ポイント?」
「ほら、お店で使えるのあるじゃん。他の人ともやりとりできるポイント」
(このお話はフィクションです)
「んー。いいかも」
男は、いきなりキーボードを叩いて何かを調べ始めた。
「今日は帰るね。忙しそう」
「あ、ごめん」
そーっと男の部屋を出た。
資本主義社会を逆行する風変わりな人。
正直言えば、今夜もシたかったな。
『アイデアありがとう。
夕食、一緒にどう?』
メッセージが届いた。あの後、洗濯と掃除とだらだらで、夕方を迎えたところ。
『ウチ来る?』
『行く』
男はすき焼きの材料と一緒にやってきた。
「いーねぇ」
「ふるさと納税の肉」
「おおーっ」
「卵ある?」
「あるよ」
「春菊入れる派?」
「大好き」
高級牛肉のすき焼きタイムは最高。
「ポイントの、作ってみた」
「見たい見たい」
スマホでテスト用のを見せてもらった。
「まだアンドロイドのだけ。AIにMac版作ってって試したけど、無理だった」
「無茶ブリじゃん」
「はははは」
この関係が心地いい。
時間と情熱を注いで恋愛したり、高収入の相手を探したりって、正直、どうでもいい。他の女の子に勝って手にいれるとか、勝ち組職業とか、タワマンとか高級車とか。
勝つことの意義や強さを求めるのは他の人に任せた。
同年代の友達も、肩の力を抜き始めてる。
これも時代なのかな。
働いたら負け、長生きしたら負け。負け、負け、負けを避けて息をする。ひっそりと。
高所得を目指すんじゃなくて、節税で潤うことを考えるなんて、負けを避ける真骨頂。
すき焼きを食べて、シャワーを浴びて、2人で寛ぐ。絨毯の上でソファにもたれて体操座り。横並び。
ちゅ
不意打ちのキス。
「凛といるの。楽しい。オレ、ここに住んじゃダメ?」
「いーよ」
住むだけなら。
「それか、オレんとこ来る?」
「そっちの方がいい。駅から近いじゃん」
「え、ホントに?」
「うん」
わざわざセックスの相手を探すのも、その場所までいくのもメンドクサイ。
「いい?」
「うんうん」
「やった!」
あらら、ガッツポーズ。
「そんな喜んでくれるなんて」
「嬉しい」
「家事は分担だよ」
「当然。てか、オレ、割と好き」
「らっき」
確かに。いつ行っても綺麗だし、料理も美味しい。
一緒に住んでも、距離感は変わらない気がする。心の。
きっと、この男と私は似ている。
元カレと別れたのは、プロポーズされたから。親に紹介されて、ごっそりと「家」を背負ってることを見せられた。元カレの向こうに枝のように連なる家を中心とした人間関係が見えた。私の後ろにもある枝。本来なら、その覚悟に感心して喜ぶべき。
私は即逃げた。
「凛、ベッド行こ」
「うん」
「凛のベッド、オレ、足出るんだよな」
「そーだね」
「実は寝相悪いって、気づいてる?」
「知らない」
「いっか。オレのベッド、でかいし」
この距離が壊れたら、関係が壊れる。
ずっとこのままでいさせてね。