6 違和感
今日は一香の家に行く。彼女の好きなケーキを買って。
ボクは、緊張しながらドアの前に立つ。唯一の救いは、一香が一人暮らしと言うことだけだった。
高まる鼓動と一緒に、五回目のトライでやっとインターフォンを押すことが出来た。
ピンポーン♪
「はぁい」
一香の嬉しそうな声が、ドア越しに聞こえた。ボクは、背筋を伸ばし一香を迎える準備をする。
カチャッと、ドアが開き、一香はとびきりの笑顔で迎えてくれた。
「遅かったね?」
「ごめん、ケーキ屋さんが込んでて……」
10分も、ここでためらっていたなんて、恥ずかしくて言えない……。
「ケーキ嬉しい♪ さぁ、入って!」
「久しぶりだ、お邪魔します」
高鳴る鼓動を、悟られないように、わざと大きな声でボクは言った。
一香の部屋はとてもシンプルで、思った以上にキレイに整頓されていた。
「キレイにしてる……」
「あたり前じゃない、久しぶりに英朗がくるんだもん!」
「そっか……」
「その辺座ってて〜?」
一香は、そう言うと、キッチンで何やら用意をしていた。ボクは、所在なくその辺のラグとクッションの間に、腰を落とす。
「……」
どうしよう、こんな空間に二人きりだなんて、いったい何をすればいいんだ?
『いつもしていたことを、すればいいんだよ?』
イズルの声が、頭に響く。
いつも、って……、大人の、男と女の……、ゴニョゴニョ……、だよ、な?
べ、勉強は、したけど、イキナリ本番だなんて……。失敗してトラウマになる予感しかしないし、キモチが、全然追いついて行かないよ。
一香の部屋を、ぐるっと見渡して本棚に目をとめる。
「……」
デザインの本がいっぱいだ。そう言えば、デザインの仕事をしているって、一香の話とデータにあった……。
ボクは、本棚から一冊、気になる写真のついた本を手に取り、開いてみる。奇妙な模様のように配列されたオブジェや家具や建物たちが、絶妙にボクのナニかを刺激して、なんだか嬉しくなってくる。
このカタチ、見ているだけで気持ちがいい、な……。
「おまたせ〜!」
キッチンから、一香はコーヒーと一緒に、ボクが持ってきたケーキをトレイに乗せて持ってきた。
「ありがとう、一香」
ボクは、本から目を上げて一香を見る。少し驚いている顔が意外だった。
「……それ」
「えっ? 何?」
「……うぅん、何でもない、食べよ?」
ぎこちない一香の反応、この本のことだろうか? 何か変だったんだろうか?
「うん……」
「ケーキ、どっちがイイ?」
一香のために買ったのに、ボクが選んだら変だな……。
「一香が先に選らんでいいよ」
「……じゃあ、こっち」
モンブランと苺ショート、一香は、苺ショートを選んだ。
あれ? イズルのデータと違う……。一香はモンブランが大好きな、はず……。
「……」
改めて一香を見上げると、彼女は無邪気にハナ歌を歌いながら、ケーキについた透明のビニールをとっていた。
「……いいの?」
「何が?」
「モンブラン……」
一香はキョトン、とボクを見てからニコッと笑う。
「モンブラン、英朗の好物じゃない、その計算で買ったんじゃないの?」
えぇっと……。なんだ? このデータにないモノ。
「……い、一応、一香へのプレゼントだから!」
慌てて、なんとか話を合わせてみたけど。やっぱり苦しい……。ずっと、こんなのが続くのかな?
「一応、ね……」
笑顔のまま、一香は楽しそうにケーキを一口頬張った。
「……」
微かに残る違和感。でもボクは、仕方なく、モンブランを一口くちにした。
あっ、意外と美味しい。やっぱり一香はコレを食べたかったんじゃないかな?
「一香、半分食べる?」
オズオズとモンブランを、一香の前に出してみる。
「ふふ……、あ〜んしてくれたら、食べるよ?」
「えっ!?」
イタズラっぽく笑う一香の前で、ボクは固まってしまった。
あ〜ん、って、何っ!? 困る、データーにないものを言われてもわからない。
「じゃあ英朗、あ〜んして?」
フォークに一切れケーキをすくい、一香はそれをボクの顔に向ける。
「……っ!?」
もしかして、このまま食べろってこと?
ゴクンッ、とボクは息を飲む。
コレ、やるしかナイのか? こんな恥ずかしいこと、していたのか? 英朗はこう言うの苦手な気がするんだけど? やっていいの?
「……」
意を決して、ボクは目の前にあるケーキにパクッと食いついた。口いっぱいに、甘い生クリームの味が広がる。
「ふふ……、一度やらせてみたかったのよね〜」
えっ!?
ドキッと心臓が嫌な音を立てる。一香の楽しそうな声におびえながら、ボクは目を開けた。
一度やらせてみたかった? って……。
鼓動が嫌でも速くなる。
やっぱり、英朗は…―――
「……」
一香に、試され、た? 彼女のこの笑顔は、本物ではないのだろうか?
「……今日だけの、サービスだから」
照れたフリをして、ボクはこう言ってみる。鼓動がハンパじゃなく速くなっていた。
「……」
これ以上突っ込まれたら心臓がもたない……。なにか、別のハナシをフラないと。
ボクは高速で、頭の中にある一香のデータに検索をかけた。えぇっと、話すキッカケになるヤツ……。
「……一香」
「なぁに?」
のん気な声で答えて、一香は、一口紅茶を飲む。
「一香の仕事はどう? 楽しい?」
「……ん〜、大変だけど楽しいよ?」
「へぇ、例えば?」
ボクはあらかじめ用意していた質問を、出してみる。
「うん、季節とか取り入れるデザインは好きだし、大口の空間デザインは緊張するけど、勉強になるし……」
「うん」
「小さいのだとね~、名刺のレイアウトや万年筆のなんかもあって、遊び感覚を取り入れると喜ばれて楽しいの」
仕事のことを話す一香は、本当に楽しそうで、とても輝いて見えた。
「……」
スカイドーム・アクアパレスへ、連れて行ってしまうのが可哀そうなくらいに、輝いた笑顔。
でも……。
ボクは、携帯ストラップにつけた、くまのぬいぐるみチャームの中を、左手でもてあそびながら言葉を捜していた。
このチャームの中にある、英朗の深い想いをボクは知らない……。
「デザインの仕事、出来なくなったらツライ?」
きょとん、っと一香はボクを見て、一瞬止まる。
「……なんで?」
一香は、真顔でボクの顔を覗き込んで言う。
なんでって……。
スカイドーム・アクアパレスへ、連れて行きたいからとは、まだ言えないけど……。
「いや、一香があんまり、楽しそうな顔をするから……、例えば、の話だよ?」
「……例えば?」
いぶかしそうに、一香はボクを見た。ドクンッ、と心臓が嫌な音を立てる。
また、変なことを言っただろうか?
「……英朗、久しぶりに家に来たのに、そんなハナシばっかり、ツマンナイ!」
そう言って、ぷくっ、と一香はすねて横を向く。
えっ?
予想外の言葉に、ボクはどう反応していいのかわからなかった。
「ゴメン……、久々で、一香がこんなに大人になってて、……正直ちょっと戸惑ってるのかも知れない」
戸惑っている、と言う、正直な言葉が口から出た。
「うん、私も……」
一香はうつ向いて、少し寂しそうな甘えた声で言った。
「……」
どうしよう……。こう言う時、大人ならどうするんだろう? もっと映画とか、ドラマとか見て勉強しておけばよかった。
「英朗?」
「……は、はぃっ?」
いつの間にか、そばに来ていた一香の声が、すぐ近くで響く。
「……」
ボクをじっ、と見つめた後、一香はゆっくり目を閉じた。
「!?」
これって、もしかして……、キッ、キスしろってこと?
数少ないイズルの一香対策リストの中にあった、不可思議な仕草を一香はしてきた。バクバクと胸の奥が音を立てはじめ、息が苦しくなってきた。
こんなことで、ためらっていたら、その先になんて進めやしない。
バクバク言う心臓も、ノボセそうな脳ミソも、気にしてる場合じゃない。
ボクは、息をのんで、一香に顔を近づける。
バクバクと、身体中が心臓みたいに波打っている。
「……」
彼女の唇に、触れようとしたその時…―――
不意に、一香の気配が遠のいた。
「……」
あ、れ? 一香?
目を開けると 震える唇を押さえるように、涙を流す一香がいた。
えっ!?
「……一香?」
何度もなんども、壊れたように頭を横に振る。
「……がう」
「えっ?」
頭を抱え込み、取り乱す感情を、押さえようと震える一香を、ボクは黙って見つめるしかなかった。
「……じゃない」
でも……。ボクが何か致命傷な事をしてしまったのは確かみたいで……。
「……いち、か?」
「―――…違う、……イヤッ!」
「……一香?」
どうしよう。でもボクは、何も出来ず、呆然とそんな一香を見つめていた。心臓の音が、やけに大きく身体中で響く。
「……ん、で?」
ボクを見据える、赤く濡れた眼差し。震える唇から、吐き出される言葉。
「……なたじゃない、……英朗は、どこ?」
ドクンッ、と身体中の血がざわめく。
えっ?
「英朗は、どこ?」
「……っ」
答えられるはずなんてない。イヤ、自分だと言わなければいけないのに、固まって言う事が出来ない。
一香は笑顔の裏で、すっと、こんな言えないこんな感情を抱えていたのだろうか?
「……れなの?」
「……」
「……あなたは、ダレ?」
ボクに向けられた、一香の瞳。
「……っ」
その、冷たい感情に、目の前が真っ暗になった。