5 消える少女
つ、疲れた…―――
近代的なコックピットの中、まだマバラな居住区と個々に散らばった研究ドームを全て回った。数少ないクルーに、イルハの顔を覚えさせる為に。
直接人に見られたり、話をするのは、メディアに出るより疲れることだとわかった。戻ってきたイズルの研究室のソファに、ボクはバタッと、身を投げる。
「お疲れさま……」
そんなボクを見下ろして、イズルはやさしく笑う。
「こんなに長い時間人と話したの、初めてだよ」
「今、ジュースでも持って来るから、休んでおいで?」
「ん〜……」
オレンジジュースが、いいな……。ぼんやりと頭の中でボクは思う。
「一応探してみるよ、オレンジジュース」
行きがけに、しれっとイズルはそう言った。
「また読んだな……」
こう言う時は、便利だけど。
「……」
頭が少しクラクラしていたから、目を閉じて寝返りを打つ。うっすらと人の気配がして、目の前が陰った。どうせ、イズルだろうと思って、片目だけ開けてチラ見する。
ボクを覗き込んでいる、小さな影?
見ると、くりん、とした大きな目に、さらさらの肩までのストレートヘアの女の子。
えっ? 女の子???
「……う、うわぁっ!?」
ソファの上に慌てて飛び起きて、後ずさりながらボクは、その女の子を見上げた。
「―――…だっ、誰!?」
スカイドーム・アクアパレスの住人? それとも、イズルの研究のサンプル?
「イルハくんだ」
女の子は、ボクの質問に答えず、ぽつりとボクの仮の名前をつぶやいた。少女と言っても、ボクよりは少し年上に見える。この子がここにいると言うことは、取り合えずイルハでいた方がいいのかも知れない。
「……はい、イルハです」
「わたしは鈴野香奈、十四歳中二だよ! イルハくんて本当に十歳?」
なんで、そんな質問をするんだろう? コックピットや居住区では、シルディオの予言のことばかり聴かれたのに……。
「……うん、十歳です」
「動画で見るよりも、大人っぽいね?」
人なつっこく笑う少女の顔に、どう対応していいのかわからない。
自分のことを聴かれるなんて……。
「……」
困った、なんて言えばいいんだ? 大人っぽいって、いいことなのか? 悪いことなのか?
どう反応していいのか、わからない……。でも何か話さなきゃ!
イズル、頼むから、早く帰って来てくれよ。
「そ、……そうでも、ないよ?」
ボクの言葉に、鈴野香奈と名乗る少女は目を丸くした。
「……イルハくん、て、女の子苦手?」
いっ!? 質問の難易度が、更に上がった気がした。一香以外の異性と二人きりになるのは、初めてだったから。えーっと……。ボクはなんとか頭を回転させる。
「全然、苦手じゃないです!」
もう、かなりイッパイいっぱい、だ。身体中が、熱くなってる。
「ぶっ! あははは……」
吹き出すように、少女は笑い出す。
混乱した。ボクは、変なことを、言ったのだろうか? と言うか、鈴野香奈の方が十分変だけど……。
こんな時間に、パジャマなんて着てるし。何なんだ? この子は、イキナリ現れて……。
って、……あれ? イキナリ?
そう言えば、この子、ドコから来たんだろう? 関係者の家族? でも、まだスカイドームアクアパレスは、セキュリティがやっと緩くなった場所、家族なんてよべる段階じゃなかったはず。
植物に囲まれたイズルの研究室を、ぐるっと、見回した。入り口っぽい所は一つだけ……。足音も、なかった?
もしかして、イズルと同じ能力者だろうか?
「……きみ?」
「あっ、イズルさん!」
少女の声のトーンが、明らかに高くなった。
「いらっしゃい、カナ」
飲み物を持って来たイズルは、柔らかく少女に微笑みかける。トレイにはなぜが、三個グラスにオレンジジュースが入っていた。まるで、この子がいるのを知ってたみたいに。
オイオイ、ホント性格悪いよ……。
「いつもより、早い時間だね」
「今日、熱出して学校休んじゃったみたい」
パジャマ姿の少女は言う。
だからパジャマなのか? 熱が出てるなら、こんな所にいるより家で寝てなくていいのかな?
「これを飲むと良くなるよ? ビタミンたっぷりの100%オレンジジュース」
イズルは、持ってきたジュースの一つを少女に差し出した。
「ありがとう、飲んでも大丈夫かな?」
「うん、ここにいる時は、ちゃんと現実だから、飲むことも食べることも出来るよ」
「よかった、いただきま〜す!」
二人は、意味不明な会話を交して笑っていた。
少女は嬉しそうにオレンジジュースを飲んでいる。仲がいいのは分かったけど……、この子はいったい何者なんだろう?
「お待たせ、ヒデロウ」
イズルは、あたり前に、本名でボクを呼んだ。
あれ? イルハじゃなくてイイのかな?
「ありが、とう……」
ボクはまた、混乱した、少女の存在に、イズルの特別な対応に。イルハを演じなくて、イイの?
「ヒデロウは、ゆっくり休んでて、あと、カナを見ていて?」
見て、いて?
小声でイズルはそう言うと、ソファにボクを残したまま、カナと名乗る少女と話し始める。今日あった、たわいもない彼女の日常、一香と同じ飛び飛びの話を、イズルは和かい笑顔で聞いている。
よく耐えられるな……。
本気でそう思いながら、こうやって聞けばイイのかと、学習する。
「あっ、時間切れだ……」
不意に、残念そうな少女の声が響く。
「今日は、やっぱり早かったね……」
同じく、残念そうなイズルの声。
「イズルさん、またね、イルハくんもまた話そうね!」
カナと言う少女はそう叫ぶと、手を振りながら、ゆっくりと消えていった。
「……!?」
えぇっ!? 消えた!!??
あわててイズルを見上げても、ただにこにこと笑っているだけで説明さえないし。ボクは何も言えず、消えていく少女を見つめた。
いきなり現れて、いきなり消えるだなんて、やっぱり、鈴野香奈はへんな女の子だった。
「消える少女?」
忍との定期健診の日…―――
「うん、スカイドーム・アクアパレスのイズルの研究室で見たんだ」
「……聞いたことないな」
イズルはまた、例のごとく何も教えてくれなかったし。ボクは、ベッドに横たわったまま、デターを取られている最中だった。
「確か、……カナ、鈴野香奈って言う名前だった」
「鈴野香奈!?」
めずらしく、忍が大きな声を上げた。
「知ってるの? 忍」
「……」
忍は、いつも持ち歩いている黒い手帳から、一枚の写真を取り出して、ボクに見せる。そこには昨日見た、鈴野香奈らしき少女が写っていた。
でも……。
「……確かに、この子だったと思うんだけど、もっと幼かったような気がする」
確か十四歳だって言っていた、ボクと四つ違い。この写真の少女は、髪も長くて少し落ち着いて見える。
「十六歳の、鈴野香奈の写真だ」
えっ!?
「十六歳の鈴野香奈!?」
な、なんでそんなモノが?
「今、十四歳なのに???」
「あぁ、……かなり昔、兄さんが俺にくれた写真なんだ」
「かなり前でも、今でも、とりあえずコレはあのコの未来の写真、だよね?」
イズルは何の為に、ボクと彼女を会わせたのか、何故、忍が彼女の未来の写真を持ち歩いているのかが、わからない……。
「たぶん二年後、俺と香奈は会うらしい……、十六歳の彼女に、俺は会うみたいだから」
「そう、イズルに言われたの?」
「あぁ、その時、彼女に手を貸してやって欲しいと、写真をもらったずっと昔、兄さんに言われたことがあった」
ずっと昔に伝えられた未来。忍はどんな気持ちでソレを聞いたのだろう?
綺麗に保管されていた、鈴野香奈の写真を、ボクはもう一度見つめた。
「イズルはどうやって、この写真を手に入れたンだろう?」
「……念写」
えっ?
「ねんしゃ? て、何?」
「……確か、頭に浮かんだ画像を、こう言う写真用の印画紙に、自分の念の力で焼きつけること、らしい」
「……」
相変わらず常識外だな……。イズルはいったい、幾つの能力を持っているんだろう?
ずっと昔に、十六歳の鈴野香奈の、こんなに鮮明な画像が頭に浮かび、写真にまで残しているなんて……。
「―――…エサンダゥカシェ」
「えっ? ……エサン、ダ?」
何だ? そのカミそうな言葉?
「エサンダゥカシェ、【3番目の鍵】を持つ少女、だって言っていた」
【3番目の鍵】を持つ少女?
「……いったい何の鍵を?」
「わからない、でも、彼女に会う前に、その存在は全てに知らされると、兄さんは言っていた」
全てに香奈のことが知らされる?
何のために? どうやって?
本当に、わからないことだらけだ。
唯一わかるのは、それが全て、二年後に起こる、ある事件とNOAが関係していると、言うこと。
彼女はきっと、重要な鍵を持っている子なんだろう……。
でも、イズルはなぜ、あの日の最後にボクと香奈を会わせたんだろう? ボクが香奈と出会っても、何が出来るワケでもないのに……。
わからない…―――
イズルは向かう未来で、いったい何をしようとしている?