4 スカイドーム・アクアパレス
高い天井に合わせた、縦長の窓の向こうから、欅の葉を通した幾つもの日の光が館内に降り注ぐ。初夏の陽射しを浴びた若葉が、輝くように風に揺れる。
斜めに降り注ぐ光を、二階の席で時折見つめながら、ボクは本を読んでいる。取り合えず、ボギャブラリーを増やすために。
「はぁ〜……」
今日、何度目かのため息をボクはつく。自分の誕生日を忘れるなんて、なんて言う失態。あれほど注意して記憶をしていたはずなのに……。
あの日、どうやって家までたどり着いたのか、覚えていないくらい、ボクは動揺していた。
プレゼントを買ってもらい、近くのレストランで、お祝いの食事をしている所に、偶然現れたイズルと忍兄弟と合流してパーティになった。
イズルたちのおかげで何とかなったけど……。
きっと一香は、変に思っただろう。
「はぁ〜…」
信じてもらおうと努力していて、肝心なことが抜けていたら本末転倒だ。イズルが英朗は忘れっぽい、とフォローしてくれなかったら、今頃ボクは……。
「ため息ついてばかりいると、幸せが逃げるって良く言われてるよ?」
突然、真上から声がしてボクはその声の方を見上げた。わかっていても彼のそれは、心拍数が上がってしまう。
「……そう言う現れ方やめない? 心臓に悪いから」
「……」
イズルは少し眉を上げてボクをじっと見つめていた。
「……なに?」
くすり、と笑い目を伏せる。
「いや、昔英朗に同じコトを言われたな、と思って」
「……」
もしかして、言葉の魔法か?
不意に頭に、忍の言葉が横切る。こんな感じ、なのだろうか? 言葉の魔法、一香に向かう、それさえ見つかれば……。
「あせる必要ないと思うよ?」
絶妙なタイミングで、イズルが言うから……。
「……読んだな? ボクの心」
「あんまり大声で考えているから、聞こえちゃったんだよ?」
イズルが、ニコッと笑って言う。本当に性格悪いよな……。
「で、何しに来たの?」
「あぁ、凹んでる『イルハくん』に、オシゴトです」
「……またメディア?」
イルハ、とイズルが呼ぶ時は、だいたいテレビ局やネット動画系だ。
「今回は『空』だよ」
えっ!? もしかして……。
「スカイドーム・アクアパレス?」
「そうだよ」
三年前、プロジオ・ジーン・イオ・レイブラ、四つの研究所と合同プロジェクトとして打ち上げた空に浮かぶ街、そして研究所。
英朗の研究が、そこには生かされていると聞かされて育った。
『スカイドーム・アクアパレスへ、一足先に行くことになったから、ヒデロウはイズルと一緒に後からきなさい、待っているから……』
幼い頃、父親だと思っていた英朗から言われた言葉。もう待っていないことは分かっているけれど、ずっと追いかけて、行きたくてたまらなかった場所。
「行っていいのか?」
「あぁ、やっとセキュリティーが甘くなってくれたんだ、一仕事やってもらえるかな?」
ずっと夢見てきた場所だ、NOのワケがない。
「モチロン!」
「正規のルートじゃなくて悪いけど」
イズルは、いつものようにボクの目の前に、右手を差し出してくれながら言う。
正規のルート…―――
ボクが英朗として、この世に存在する限り、ボクにはあり得ないモノだった。たまには、飛行機に乗ってみたいとは、思うけどね……。
「いつも一瞬で目的地に着く便利な乗り物に、乗せてもらってますから……」
ボクは、精一杯の感謝と皮肉を込めて、そう言いうと、イズルの右手をとった。
瞬間移動…―――
イズルの手をとるだけで、彼の思い描く場所へ行ける。
一瞬の違和感と共に。
ゆっくり目を閉じて、開くと、もうボクは、まったく見たことのない景色の中にいた。ぐるりと見渡すと、いくつも仕切られたガラスが、ドーム状に天井を覆い、見たことのない花や樹木や草たちが、不規則に植えられている。
「……植物、園?」
「いや、スカイドーム・アクアパレス内の、俺の研究室」
「……趣味悪いな」
ウソだけど……。
「仕方ないよ、遺伝子をイジるために、世界中の植物をここに植えているんだから……」
植物の間に作られた小道を、ゆっくりと歩くイズルの後をついて行くと。開けたスペースに、いくつもの棚と実験用のテーブル、休憩用のソファーとローテーブル、そして資料に囲まれたデスクが置かれていた。
スゴい!
なんて、解放的な研究室だろう……。
「ヒデロウの研究室も、隣のドームに作ってあるよ?」
「えぇっ!?」
夢みたいな言葉。
「……ボクの、研究室!?」
「そうだよ」
嬉しくて、胸がドキドキしてきた。
「主にNOAの環境システムの管理と制御、コントロールを行う所だよ、見てみるかい?」
「うん!」
二つ返事でボクは頷いた。
ボクの研究室は、イズルの研究室から10分も歩かない場所に作られていた。
「わぁ……、これは何?」
ドーム状の中、180度モニターだらけの、研究、室?
真ん中に置かれた不思議な球体。
「この真ん中の球体はコントロール室、入ってごらん? ヒデロウが座る席だよ」
開いているサイドから、席らしき所に座ると、一気に電源がついて、光で出来たパネルやキーボードがあらわれた。
「えぇっ? どうなってるの? コレ」
「適当にイジってごらん? そのパネルが何を意味するか、ヒデロウは知っているはずだよ」
「……?」
不思議に思いながらも、ボクはタッチパネルをなんとなく指で弾いてみた。すると、入口だったサイドが透明なドアで閉じられ、フワリとボクを入れた球体が、研究室の中央へ浮かんだ。
「浮かんだ!」
「スカイドーム・アクアパレスと同じ、重力を制御する装置が入ってるからね」
スゴいっ!!
でも何で、ボクはこのパネルの配列がわかるんだろう? どうしてボクはコレを動かせる?
不思議に思いながらも、興味の向くままに、ボクはキーを叩きつづけた。
コレも知ってる。これもわかる……。
ボクの研究室は、イズルのモノほど大きくはなかったけれど、ドーム全体に映し出さされる画像を、この球体の中で、移動しながら確認とコントロールが出来るようになっていた。
面白い! これなら環境管理と観察データ、異常箇所の特定もある程度出来る。最高じゃないか!
それからボクは、一通りイジってから、球体を元の場所へ降ろした。
「楽しかった?」
「うん、一つ聴いてもいい?」
「いいよ?」
「このモニターに映っているのは、スカイドーム・アクアパレスだけの画像?」
「そうだよ、後は、青の丘とつながったら、その画像も映せるようにしてあるから大丈夫」
完璧だ! ここにはボクが欲しいモノが全部そろっている。
ボクの反応に、やわらかく笑って見守るイズル。きっと英朗の注文なのかも知れないけれど、ココを任されるのは、他の誰でもない、ボクなんだと言う事が、嬉しかった。
「一香ちゃんとの新居も、住居スペースにあるけど、行く?」
うっ……。
強引に、現実に戻される。ここを手に入れるのは、一香が絶対条件だ、と言われたみたいだ。
頑張るけど、さ……。
「新居は、後でイイよ……」
「じゃあ、コックピットへ先に案内しようか?」
コックピット!?
「いいの?」
「あぁ、今からは、メディア仕様のイルハ君でお願いします」
「了解、シルディオ」
イズルの差し出す手を、喜々としてボクはとって言った。