2 魔法の言葉
「どうすれば一香と上手く付き合えるかな?」
プロジオ研究所内には、極秘の研究を行っている棟がいくつもある。その一つ、イズルの研究棟の一室で、ボクはベッドに横たわり長時間の検査を受けている時だった。
「……何かあったのか?」
イズルの弟、忍が忙しくカルテにペンを滑らせながら、返事をしてくれた。
今はまずかったな……?
ボクのまわりに置かれた計器類から測定されモニターに映し出される大量のデーターを、忍は瞬時に分析してカルテにボクの状態を記録すると言う作業をしていたからだ。
「ごめん、後でいいよ」
「……かまわない、もう終わるから」
目線は各モニターに走らせたまま、書く手を休めずに忍は言う。
やわらかく華やかな外見のイズルとは全く雰囲気の違う忍。イズルが太陽なら、忍は月だと言えば、しっくりくるかも知れない。
あくまで、外見の話だけど……、忍は、月館所長にそっくりだった。写真でしか見たことはないが、この兄弟はクッキリと片方の親だけに似ている。イズルは母親の写真そのままの美しさだし……。
ただ二人とも、親の話をするのを避けている。
その理由は、ボクがクローンで、親がいないからと言うだけじゃないだろう……。
「……一香と、何を話せばいいのかわからない、こんなんで英朗だと信じてもらえるか不安なんだ」
「……」
パタッ、とペンを置いて忍は顔を上げた。
「一香さんはヒデロウのこと疑ってるのか?」
「今の所は全然」
本当に大丈夫なのか? と、思うくらい英朗だと信じている。たぶん。
「……兄さんは何て?」
「気に、することないって……」
忍は少しだけ首を傾げて、精悍な頬を歪めた。
イズルとは種類は違うが、忍もかなりの男前な男だと思う。この兄弟に彼女がいないのに、英朗に彼女がいるという事実が、ボクには不思議でしょうがないくらいだった。
「じやあ、大丈夫だろう」
んん?
「兄さんが、そう言うなら平気だよ」
「……うん」
確かに、イズルが言うなら、と思ってはいるけど……。
「このままでいいのか、少し不安なんだ」
「……俺は、一香さんと挨拶くらいしか交したことがなかったから、アドバイスは難しいな……」
やっぱりダメか。
恋と言うものを知らず、付き合うということも知らない十歳のボク。とりあえず大人の人の意見を一人でも多く知りたい所だけれど、そもそも外界の人と接触する機会が、一香以外ないので、他人にアドバイスを聞くことさえ難しい。
まして、この兄弟に聞いても、きっと世間とはかけ離れているとは思ってはいた。以外に、まともな返答だったけれど、結局は有力なアドバイスではなかった。
「兄さんには、聞いてみたのか?」
「素直に教えてくれると思う?」
それが出来てたら、悩んでいない。忍がちょっと考えた後、小さく吹き出すように苦笑した。……この人が笑うのも珍しい。
「……そんなに、鬼じゃないよ?」
「そうかな?」
いたいけな十歳の、子供扱いを、された記憶がほとんどない。
「教えないのにも、ヒデロウだけに意地悪なのにも、きっと理由があるからだよ」
「……」
『すべての物事には、理由があるんだよ?』
まだずっと幼かった頃、イズルに言われた言葉を思い出した。
理由…―――
イズルが英朗の事を教えない理由があるとしたら、一体何なんだろう?
これは悪までもゲームで、ボクが生きる理由をかけたモノだから?
ボク自身で答えを見つけないと意味がないモノだからなのか?
結局、いつも頭の中でぐるぐる考えて答えを見つけられないでいるんだ。
「魔法の言葉……」
えっ?
「魔法の、言葉?」
「うん、……兄さんはいつも俺に、不思議な言葉をくれる」
忍は静かに唇の端だけで笑うと、ボクの顔を覗き込んで言った。
「いつか出会う人のため、パルシィになるように、と」
「パルシィ?」
「【道しるべ 】と言う意味だと、兄さんが言っていた」
道しるべ……。
「一香さんと英朗さんしか知らない、言葉を捜してみたら? それが一香さんにとって、ヒデロウが英朗さんだ、と信じることが出来る、魔法の言葉になる」
「……」
どうやって探せばいいのか、思いつかない、けど……。少しだけ、ボクの心の中が、軽くなってくれたような気がした。
「それを探せたら英朗だと、思ってもらえるかな?」
「うん、俺はそう思うよ?」
忍は、めったに見せない、やわらかい笑顔を見せて言った。