(三)反乱寸前
私が出仕した当時の劉備陣営はまだ形式的に整った組織ではなく、厳密に定められた位・役職を持つ人物は少なかった。たいていの者は臨機応変に異なる仕事を兼ねていた。ただ大雑把ではあるが、内部の事務政務を担う部署、軍略を担う部署、戦場で戦う将軍と兵士たちの兵部……等々と最低限の部署には分かれていた。
だが前も書いた通り当初、私はどの部署にも属していなかった。主人が言うには私は総合的な“相談役”であって、役割は戦場での戦いを除く“全て”の指南だった。
後に世間の人々が想像するような“軍師(戦略家)”として始めから雇われたわけではなかったのだ。私は孫臏〔※59〕のように幼少期から兵法を専門に学んできた者ではないのだから。
孫子、呉子、六韜、三略……等々。〔※60〕
世に名高い兵法書は一通り読んできたが、ただ書物を読むだけで実戦ができるほど軍事は甘いものではない。だからこの当時は実戦経験を積んだ先輩方に教えを乞うて随分と学んだ。
私の猛烈な勉強ぶりには先輩方も舌を巻いていた。それまで抑制していた学習欲が堰を切って溢れ出したようだ。寝食を忘れて勉学に励んだので体を壊すのではないかと心配されるほどだった。
だがそのおかげでたちまち私の軍事知識は専門家の域に達したらしい、先輩方に言わせれば。
「長年この道で後輩を育ててきたが、ここまで優秀な後輩は他にいなかったよ」
そんな先輩方の言葉に私は恐縮しながら答えた。
「もともと学問は得意です。でも知識を身に着けることと実戦は違いますから」
すると先輩方は口を揃えてこう返したのだった。
「いやあ君なら、実戦でも優れた才能を示すことができるだろうよ。行く末は名軍師として名を馳せることになるのでは?」
この時の私はそうはならないだろうと考えていた。軍事の知識を身に着けるのはあくまでも主人を支えるため、独裁者から漢土を守るためだった。戦う必要がなくなれば軍事の知識も無用となる。この時の自分が学んでいた知識が、完全に無意味となる未来こそ本心からの私の望みだった。
実は当初、主人は私が軍師の道を邁進することをあまり良く思っていなかった。
後の世間の人々には意外に思われるだろうが、始め主人は私を“軍師”に据えるつもりはなかったのだ。
「お前のような優しい男に軍略などできるはずがない。お前は平然と人を殺せないだろう? 戦場で敵兵を殺すことにさえ苦しむはずだ」
と主人は言っていたのである。振り返れば主人が正しかった。
「いずれ孔明には、折衝(外交)の仕事を任せたいと思っている。自分の印象を相手に残し、言葉に説得力を持つお前は卓越した折衝になる素質がある。だからお前には将来ぜひ外部との交渉を担当する窓口となってもらいたい。ただ今のお前では使者として若過ぎるし、折衝専門の部署というものはまだないから所属させることができないのだ。だが俺はいずれ折衝専門の部署をつくり、お前に担当してもらいたいと考えている」
主人は所属を切望する私の気持ちを理解して仕方なさそうに告白した。
私は平和な未来を思わせる主人の計画がとても嬉しく、外交官に見込まれたことを光栄に思った。そして外交部署がつくられた暁には必ずその部署を担当することを約束した。
しかし実現は遠い先のことだ。それまでは兵法でお役に立つしかないと主人に訴え、軍学に励むことを許された。
勉学の日々のなかで、私は相変わらず精鋭部隊の人々から冷たい待遇を受けていた。彼らは私に聞こえるような声で私をこう呼んでいた。
「お高くとまった儒生(インテリ)野郎」
「女みたいな軟弱野郎」
儒生はともかく“女みたいな男”は漢代では最大の侮辱だった。私はそう呼ばれても仕方のない容姿をしていたから諦めていたが、関将軍(関羽)は由々しき問題と考えていたようだ。
ある日、廊下で関将軍に呼び止められこう言われた。
「おい、孔明。髭を生やせ」
あまりに唐突な命令に私が驚いていると、関将軍は怖い顔で言った。
「孔明は何故に髭を生やしておらんのだ? 宦官に間違えられたらどうする。少年ではないのだから髭を生やしなさい」
「はあ……しかし私は情けない髭しか生えないものですから剃っているのです」
漢代の男の全員が髭を生やしていたわけではない。かつては髭を剃る男も多くいた。だが袁紹が宦官を虐殺した際、髭を生やしていない普通の男も宦官と見なされ殺された。以降、宦官と間違えられないように髭をたくわえることが一般的となったのだった。ただその事件からも二十年近く過ぎて、私の世代では髭を剃る男も増えていた。関将軍の世代から見れば非常識に感じられたことだろう。その関将軍は豊かで艶やかな髭を持つ武将として有名で、本人も美髯を誇りとしていた。
新しい習慣にこだわる若者の口答えと受け取られたのだろうか、関将軍はさらに怖い表情となり
「つべこべ言わずに髭を生やせ。いいな」
と怒って立ち去ってしまった。
訳が分からなかったが仕方がないので彼の指導に従った。それから数日後、うっすらと生え始めた私の髭を見て主人が言った。
「なんだ、めずらしい。髭を生やすことにしたのか」
「……はい。関将軍のご指導です」
私の言葉に主人は驚いて、その場にいた関将軍に訊いた。
「何のつもりだ? いつから孔明の生活指導までするようになった?」
関将軍は顔をこちらに向けずに答えた。
「生活指導ではありません。常識を教えたまでです」
すると横で聞いていた張飛将軍が笑い出した。
「違うんだよ。雲長兄貴は例の噂を心配しているんだ」
「例の噂? なんのことだ」
主人が尋ねると張将軍はさらに可笑しそうに笑いながら答えた。
「知らないのか。長兄(劉備)が男色ではないかって噂だよ」
「なんだってえ!?」
たちまち主人と張将軍が腹を抱えて笑い始めた。私は呆れて何も言えなかった。
「だいたい孔明の奴、見るからに女みたいな顔してるだろう。その孔明に長兄が夢中になってるもんだから、あれはどう考えたって男色に違いないって皆が噂してるんだよ。……おい、孔明、真相はどうなんだ?」
それは悪意のない張将軍なりの冗談だと分かっていたが、私は多少気分を害して言った。
「そんなわけないでしょう」
「悪い悪い。冗談だよ。けどな、だいたい、お前の顔がまずいんだぞ。軟弱なその顔、なんとかなんないのか?」
「はあ、なりませんね。生まれつきですから」
少し落ち込んでいる私に主人が追い打ちをかけるようなことを言った。
「孔明! なんだったら皆の前でそれらしく振る舞ってみるか? 期待されているなら応えてやらないと申し訳ないもんなあ」
それからまた笑い出した二人を、ついに関将軍が叱りつけた。関将軍は主人よりも少し年上だったため、私的な場ではこのような態度を取ることがあった。
「二人とも悪ふざけもいい加減にしろ。だいいち長兄、もし皆の前でそんな態度をとったら、その時こそ本当に反乱が起こる。絶対にやめてくれ」
「何、本気にしてんだよ。ったくお前はくそ真面目な奴だなあ」
主人はそう言って張将軍と顔を見合わせ、また笑い出した。私と関将軍は呆れて、少年のように笑い転げる同郷の兄弟を眺めているしかなかった。
笑いの合間にふと張将軍が言った。
「でも孔明、お前の髭って本当に情けねえのな」
すると主人も顔を上げ、私を見た。
「本当だ。俺も髭が薄くてずいぶん悩んだけど、ここまでひどくないよな」
それからまた二人は腹を抱えて笑い出すのだった。関将軍は疲れたようにため息をつき、私に向かってぶっきらぼうに呟いた。
「その髭で充分だ。……よく、似合っている」
精鋭部隊の人々が声高に叫ぶ悪口を私は多少気にしていたが、不快に思うことはなかった。女性的な容姿を揶揄されることは慣れていたし、儒生を彼らが嫌うのも仕方のないことだと思った。
精鋭部隊はたいていが貧しい家柄の出身者で、文字が読めない人も多かった。書物に頼らず身一つで厳しい乱世を生き抜いてきた人々なのだから、私のような“甘やかされて育った金持ちのぼっちゃん”は疎外されて当然と思った。
私のほうでは彼らのことを好いていた。確かに粗野な人々だったが知識にしがみついている学者より、よほど高尚な精神性を持っていると感じたからだ。実際、彼らのように自分で考えて動いてきた人々こそ、この世で真に大切なことが何であるか熟知しているものだ。
だから私はどれほど嫌われてもひどいことを言われても、決して彼らを悪く思うことはなかった。いつの日にか分かってくれる時が来る、私は心からそう信じて疑わなかった。そしてその日が訪れるのを気長に待つことに決めていた。
ところがそんな悠長なことを言っていられない事態が発生した。
主人が私を「魚にとっての水(なくてはならない存在)」と呼んだことへの怒りが尾を引いて、いよいよ堪え切れなくなった精鋭部隊の何人かが武器を手に取り主人のもとへ迫った……。
関将軍と張将軍は二人で協力し、なんとか反乱を鎮めることに成功した。しかしもうこれ以上放置するわけにはいかないと感じた関将軍は、精鋭部隊の三十名を引き連れて主人の前へ進み出た。
「長兄。どうか、ここにいる者たちの意見を聞いてやってください」
この日広間にずらりと並んだ怒りに燃える精鋭部隊を前にして、主人はいつもと変わらぬ態度でこう答えた。
「うむ。いいだろう。何でも聴こう」
三十名は先を争って主人に尋ねた。
「ひとつ、ここではっきりさせておっきたい。いったいこの諸葛という男を迎えた理由は何なのですか」
「そうです。それがいまいち釈然としない。聞けばこの男はまだ軍師の経験もない素人だという。そんな男を採用し、あげく側近として控えさせるとは、いったいどういうおつもりか!?」
今にも掴みかかりそうな猛然とした訴えに、主人の後ろに立っていた私は生きた心地がしなかった。自分は今日ここで命を失うのではと思い、その覚悟まで決めていた。
ところが主人はいたって平静だった。そして一言、
「顔だ」
と言ったのだ!
関将軍の顔がみるみる青ざめるのが分かった。張将軍はあっけにとられたように、ぽかんと口を開けた。
「なんと、仰られたか?」
「だから、この男の見た目で採用したと言っているのだ」
「なにっ……!」
三十名の精鋭部隊は一様に憤慨した。
「ふ、ふざけておられるのか。見た目で重用するなど、そんな馬鹿な話がどこにある!」
「何を言っているのだ。俺はいつだって人の顔を一瞬見ただけで判断している。それで間違ったことは一度もない」
冷たく気まずい空気が漂った。三十名全員の敵意が自分の身に注がれるのを感じた。
関将軍は明らかに手のほどこしようがないくらい怒っていて、無言で主人を睨みつけていた。関将軍たちがこれほどまでに努力したのに、主人が一気に台無しにしただけではなく、なおさらかき混ぜてしまったからだ。
「……悪いが、俺は降りる」
一人がそう言うと、続けてもう一人が
「そうだ。やってられねえよ。あんな奴がここにいるなら、俺たちは抜ける」
と吐き捨てるように言った。
その時突然、主人が大声で怒鳴った。
「馬鹿野郎!」
いつにない剣幕なので、広間が水を打ったように静まり返った。
「俺の好きな奴が気に入らないと言うのか」
精鋭部隊の三十名は主人を見つめ黙りこくっている。
「孔明は、俺の好きな奴だ。にも関わらず貴様らは、その孔明が気に入らねえって言うのか!」
あまりの気迫に誰も何も言えなかった。そんな全員を主人はぞっとするほど冷たい目で眺め、やがて冷ややかに言った。
「結局お前たちは俺の家臣でも何でもないんだな。自分のことしか考えていない。――そんな奴らなど、俺には必要ない」
この瞬間、広間には張り詰めた空気が流れた。誰もが凍り付いてしまったように動かなかった。
ひどく長く感じられる時間が過ぎた時。ふと、一人が黙って主人に背中を向けた。それに導かれるように、一人また一人と、ゆっくり歩きだして広間を出て行った。気付くと三十名全員が広間を出て行き、やがて関将軍と張将軍も出て行った。
広間に二人きりとなってしばらく後、声をかけた。
「……主公……」
しかし返事はなかった。なすすべがないので、私はしばらく黙って傍に立っていた。そのままだいぶ経った時、主人がぽつりと言った。
「お前は、出て行かないんだな」
私が黙っていると彼はため息をついて、
「これで分かるだろう。結局、俺は一人だ」
と呟いた。
「彼らは、城を出て行くのでしょうか?」
私がおずおずと尋ねると「さあな」、冷たく言われた。
「しかし、私のせいで古参の方々が主公のもとを離れることになったら」
私がいたたまれない想いで言うと、主人はじろりと私を睨んだ。
「お前も馬鹿の一人だな。あいつらが出て行くとしたら自分たちの意志で出て行くのだ。お前など関係ない。……自惚れるな」
私は何も言葉を返すことができなかった。
その晩どうしても眠ることができなかった。明日になって誰もいなくなっていたらどうすればいいのかと考え、寝付けなかったのだ。
主人はあのように言っていたが、この事態はどう考えても私のせいだった。こんなことになるのならやはり私が先に城を出て行くべきだった。長年主人とともに戦ってきた仲間が離れて行くよりも、新参者の私が出て行くのが道理だ。私は一晩中そう思って後悔したり、悩んだりしていた。眠れぬ夜は更けていった。
一睡もしなかった私は翌朝早く、赤い目をして出仕した。すると廊下でばったり関将軍に出くわした。彼は何食わぬ顔で、「早いな」とだけ言った。そしてすれ違いざまに
「今日は朝から召集をかけるから、そのつもりで」
と言い残し自室の方へ歩いて行った。
それからしばらくして関将軍の言った通り朝礼の召集がかかった。私は緊張しながら外の広場へ向かった。
建物を出たとたん飛び上がるほど驚いた。眩しい朝陽のもと、昨日あの場にいた精鋭部隊三十名を含む全家臣が一人も欠けることなく集まっていたからだ。
呆然としている私に気付いた張将軍がこちらを見て、にやりと笑った。
少し後に主人が顔を出した。そしていつもと全く変わらぬ様子で、一言二言訓示を述べた後、さっさと引っ込んでしまった。
私はあっけに取られた。主人は家臣が誰も出て行かないことを知っていたのか。
力が抜けてしまった。なんということだろう、あれほど心配する必要はなかった……。
やがて解散となり、兵士たちがぞろぞろと建物へ入っていく。私はその様子を入口の傍に立って眺めていた。ふと、私の前で立ち止まる者がいた。見れば昨日あの場にいた精鋭部隊の一人だった。
彼は顔をうつむけたまま私に向かって呟くように言った。
「悪かった、な。俺たちはあんたのことを、ちょっとばかり誤解していたようだ。よく考えてみれば、俺たちの頭首があそこまで言う奴だ。悪い奴のはずがねぇ」
私が驚いていると、彼は私の腕を軽く叩いて建物へ入って行った。それから次々と私の前を精鋭部隊の三十名が通った。私と目を合わせる者、申し訳なさそうに目を伏せる者、人それぞれだったが、どうやら私は彼らにとって敵ではなくなったようだった。決してまだ本当に認められたわけではなかったが、私がここに居ることだけは許されたのだ。
――気付くと関将軍が横に立っていて私に耳打ちした。
「もう、髭を剃っていいぞ」
※59 孫臏は戦国時代に名を馳せた軍師。『孫子』という兵法書を書いた孫武の子孫とされる。一説によれば孫臏こそが『孫子』の真の執筆者であるとも。神のような戦略を駆使した彼を筆者も尊敬している。余談だがフィクションで孔明が常に車に乗せられた姿で描かれるのは、孫臏をモデルとしたからではないかと思う。孫臏は若い頃、彼の才能に嫉妬した友人の謀略によって両足を斬られる刑を受けた。このためどこへ行くにも車に乗って移動しなければならなかった。いっぽう史実の諸葛亮には車で移動しなければならない事情などなく、フィクション像に孫臏が投影されたことは明らか。
※60 「孫子、呉子、六韜、三略……」とは当時も有名だった兵法の基本書。これら兵法基本書は後に「武経七書」と呼ばれた。武経七書には他に『尉繚子』『司馬法』『李衛公問対』とある。(『李衛公問対』は後世の書で、諸葛亮を解説している箇所もあるらしい。筆者未読)