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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

真似声の間 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 ふう、暖かくなると、のどが痛くなる日が少なくなっていいね。

 どうも、近年になって鼻の通りが悪くなってさ。寝て目覚めると、のどがカラカラに痛みを発して、つば飲み込むのさえ、相当な覚悟がいる日が多かった。

 マスクをよくつけるようになってから、湿り気を帯びる時間が増したためか、以前よりはましに感じるときが増えたように思えるけど、そのぶん、実際に来たときのショックは大きいものだ。

 

 けれども、これでもまだ声を出せなくなるよりは、いいかもしれない。

 コミュニケーションが取れない不便はあるし、いざ息を通すだけで不快さを覚える。原因は万病のもとたるストレスから、声帯の腫れや衰え、がんの恐れまで様々な原因が考えられるらしい。

 そして中には、レアケースも転がっていたりしてね。友達から聞いた話なんだけど、耳に入れてみない?


 むかしむかし。

 物真似で生計を立てられる力を持った、役者がいたのだとか。

 彼が特に得意とするのが声帯模写。いちど、誰かが文を読み上げるのを耳にしたならば、即興でその声を真似してみせたのだとか。

 精度はかなりのもので、目隠しして聞き比べてみたのなら、たとえ対象者の身内であったとしても、判断を間違うことさえあったとか。

 さすがに長々としたセリフを読み上げるとなれば、微細なずれが出てくるらしいけれど、あくまで役者の自己申告。素人の耳には、どこがどう乱れたのかがわからないほどの出来ばえだったのだってさ。


 そのことが広まったためか。

 あるとき、かの役者は地域をおさめるお殿様から、城へお招きされたらしいのさ。

 はじめ、役者はお殿様の前で芸を披露することになるのかと思っていた。それが、先導する家来に従って長々と歩かされる城内は、奥へ向かうどころか塀に沿って延々と足を動かすことになったとか。

 いくつもの矢倉や倉庫の前を通り抜け、いかような場所に連れてこられるかと思うと、ほぼ城の真後ろにあたる場所で、地下へつながる下り階段を踏むことになったんだ。


 すえた臭いに、石造り独特の湿り気が体中にまとわりついて、出迎えてくる。

 降りた先に待つのは、槍を携えた兵が数人。奥には格子がはまり、いくつも行儀よく並べられた、いくつもの個室。

 まぎれもなく、牢屋だった。


 まさか入牢させられるのかと、役者はおののく。

 確かに多くの人の模写をしてきたが、その中で真似てはならない者の声が混じっていた恐れもある。それをとがめられるのかと。

 そのような懸念を悟ったか、先導してくれる兵は首を横に振る。


「声真似を得意とするお主にしてもらいたいのは、ここにいる者の声の聞きとり、そして再現だ。その御仁は喉を致命的にやられていてな、この水気に富んだ場でなくては、かすかな声を出すにもひどく苦労する。

 それをそなたの健やかな喉を持って、地上へ運んでほしいのだ」


 聞いて、まずは胸をなでおろす役者。

 しかし、通された最奥の牢にいた人を見て、ううむと喉を鳴らさざるを得なかった。


 金色の毛髪に、日焼けしたにしては黒すぎる肌。

 後ろ手に縛られたその男は、役者を二回りは越す大柄で、敷かれたござの上にあぐらをかきながら、うつむいたままだった。

近づいてくる自分たちの足音は聞こえているはずなのに、格子の前まで来ても身じろぎひとつ見せなかったそうな。

格子をつかみ、顔を寄せながら兵が何やら早口で声をかけると、彼はゆったりと顔をあげた。

目から鼻の頭にかけて掛けられた手拭いの表面には、牢屋の薄暗がりでも判別できる朱色の花がそこかしこに咲いている。それが血によるものか、元からついていたものなのかはわからない。

兵が横へのき、自分が立っていた場所へ手を差し出す。ここで聞け、ということだろう。

役者は促された通りにそこへ立ち、牢の中の男の顔を真正面から見やった。

口の動かし、喉の震えさえも見逃すまいと神経を集中する。



 やがて紡がれる言葉は、役者の頭の中で意味を成さない。ただひたすら音が羅列していくんだ。

 異国の言葉か、と思いつつも役者は、目の前の異人の所作を頭に取り入れていく。

 音域、音程、空気の震わせ具合、それらを耳だけでなく肌全体で感じられる。役者が持つ特殊な体質のひとつだった。

 こうと声を定めれば、それに外れる力の籠め方をすると、直ちに筋肉が張り詰めて、その挙動に待ったをかける。

 こうして体の「否」に瞬時に従い、正しい音を調整していくこと。これこそが役者の声帯模写を支え続けていたんだ。

 しかし、理解及ばぬ異国の言葉らしきものを、相手にするのははじめてのこと。聞き取りながらも、自分の体のうちで再現するべく、声を出す一歩の段階まで力を入れ続けていた。

 耳で聞いているだけでない、全身での集中と反応。異人と思しき牢の中の者が口にしたのはおよそ10拍ほどの間だったが、役者本人には1刻にも感じられる長い間だったんだ。


 話し終わると、異人はうめきつつ再びがくりと、首をうつむける。

 その顔から血が滴るのを見て、牢番たちが慌てて彼のもとへ集まり出した。人を呼びに、地下を出ていく者もいる。

 彼の手当てをしながら、先導した兵は役者を振り返る。「首尾は上々だったか?」と。

 役者はうなずき返した。疲れこそあるし、いつもよりも手こずったが、これだけの時間があるなら即興で真似るより、まだまだ余裕。

 その答えに、兵は今度こそ城内へ役者を案内し始めたんだ。


 しかし、そこもまた出し物をするという空気じゃない。

 通された大広間の両脇を固めるのは、いずれも裃を履いたお侍たちばかり。正座し、姿勢を正し、戸から入ってきた役者をじろりと一瞥すると、またそれぞれ正面を見やっていく。

 役者の寝泊まりしている部屋の、数倍はあろうかというその部屋に詰めるのは、数十名はくだらない。その彼らが一様に距離を離し、畳数枚をへだてた部屋の中央の布団へ横たわるのは、まだ齢10に至るかどうかという幼子だったんだ。

 役者は兵に、彼のそばであの牢で聞いた言葉を唱えるよう命じられる。何回も、何回もだ。

 事情を知りたいのはやまやまだったが、自分のごとき下賤のものが彼らの意向を詮索するなど、恐れ多きこと。

 この場はただ、言われたことに専念する。



 案内された枕もとから見る幼子の顔には、無数の赤々とした発疹が浮かんでいた。

 周囲の者に比べ、より近くへ腰を下ろした役者の存在にも、幼子は気づいた様子がない。目を閉じ、苦しげな表情を浮かべながら荒い息をつくばかりだ。

並大抵の病ではないと、門外漢にも察せられる。その自分がどれほどの役に立つか。

役者を促す声ももうない。先ほどの指示で事足りるということか。先導してくれた兵も、いまや幼子の布団の足元近くへ正座をし、じっと役者を見つめてくる。

 役者はすっと軽く息を吸い込み、あの空間で聞き取った声を思い返す。そうして今ここに、自分の喉をもって再現しようとしたんだ。



 それができなかった。というより、声が届いているように思えなかったんだ。

 自分としては十分な声量を紡いでいる。広間だからといって、音が拡散しすぎて小さく聞こえるなどという、次元の話じゃなかった。

 声が出ていない。確かに自分が感じる喉の震え、体の内側の振動は発声するときのそれに、変わりないというのに。

 周囲の侍たちも、案内した兵もぴくりと動かないままで固まっている。「本当にこれでいいのか」と、一度唱えたところで、役者は兵の方をちらりと見やってしまう。

 その手が、牢で立つ位置を指したときのように、すっとわずかに持ち上がった。

「続けろ」ということだろう。


 自分のしていることが、ちゃんと伝わっている。

 そう信じて、役者は2回目以降は声を合わせ、唱えることに注力していく。

 回数を重ねると、わずかな乱れがびきりと筋肉を痛ませる。手違いに体は敏感だ。声を出しながら、微調整を続けていく。

 変わらず声は響いた様子を見せず、周囲を固める侍たちも、苦しがる幼子も反応しない。

 あくびの一つもあれば、役者の沽券も傷ついたかもだが、こうも真逆に反応が見られず、かといって軽んじている様子も見えねば、どこで息を抜くべきかもわからなかった。

 あのとき聞いた声の節を繰り返し、ついに総計200を超えるかという時が過ぎたころ。


 自分が膝より、わずか先の畳。幼子を挟んで反対側の位置の畳。そこからいきなり飛び出す突起があったんだ。

 ふちに無数の歯をたたえるそれらは、何かしらの獣のあぎとに思える。


 それらが幼子の布団を隠すほど大きく開いたこと。

 布団をまるごと飲み込んで閉じ合わされたこと。

 閉じ合わされたままで、また畳の中へ引っ込んで消えてしまったこと。

 それらはほんの一瞬、ほぼ同時のできごとだった。

 

 思わず声を止めてしまう役者だけど、あぎとが出てきた畳には穴どころか、い草のほつれひとつない。

 中へ取り込まれたように思えた布団も、乱れることなくそこにある。

 ただひとつ異なるのは、先ほどまで苦しがっていた子供の姿だけが、髪の毛一本残さず消えてしまったということだ。

 

 多額の金子を渡されて、城を後にする役者。むろん、一部始終が済んだ後も問いただせる空気も資格もなく、家路につくことになった。

 

 それからほどなくして、お殿様の一族でお家騒動が起こり、長い戦いの末に外から介入した別の殿様に城を奪われるという事態が起こった。

 それは、病を患っていたとはいえ命を長らえていた嫡子が、急に姿を消したことで継承権が宙ぶらりんになってしまったことに、端を発するのだとか。


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