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徳島に雪が降る

作者: 山谷麻也
掲載日:2021/12/23

 盆に帰省し、何年かぶりに高校のクラスメートに会った。

 近藤は千葉の大学に進学し、東京で大手メーカーに勤めている。

 浅井は北海道の大学を出て海外留学、帰国後は、北海道の離島の役人となっていた。

 山谷は京都の大学を経て、大阪の出版社に職を得ていた。

 ともに独身だった。


 高校は徳島市内にあった。ベビーブームのピークは過ぎていたが、まだ一学年十一クラスのマンモス校だった。

 高校二年の時、三人は同じクラスだった。高校で一番楽しい時期だった。三年は別々のクラスになり、卒業して三者三様の道に進んだ。

 例によって、近況報告。ウケたのは浅井の留学先での話だった。

 南アジアのとある国に留学した。少年期に少し武道をかじったこともあってか、彼の挙措は

「日本から忍者が来ている」

 と、地域の話題になった。

 ある日、諸国を行脚しているという武道家が、彼の部屋をノックした。

「一手、お手合わせ願いたい」

 庭に出て、武道家は激しい気合と共に、電信柱に向かって正拳を突き出した。電信柱には拳の後がくっきり残っていた、とか。

 事情を説明して、事なきを得たが、話を聞いた近藤のコメントが振るっていた。ちなみに、近藤は大学四年間、部活は武道に打ち込んだ猛者である。

「お前は修行が足りん。そういう時は『わが流派では他流試合は禁じられております』と言えばええんじゃ」


 三人の話は盛り上がった。遠来の級友の再会となれば、ホストの近藤家は、下にも置かないおもてなし。父親が部屋にあいさつに訪れた。

「山谷君と浅井君か」

 近藤の父親は、二人をよく知っているかのような口ぶりだった。

「スキーに行って大騒ぎになったことがあったなあ」

 三人は口を半ば開けたまま、顔を見合わせた。同時に

「あっ」

 という声が漏れた。

「あれは確か四人だった気が」

 と、近藤の父親。

 この記憶は正しかった。

「誰だったかなあ」

 三人は、共に辛酸をなめた親友の一人をなかなか思い出せなかった。

「あっ。大川君だ!」


 人間には自分に都合の悪いこと、愉快でない記憶は忘れ去ろうとする習性があるのかもしれない。

 少なくとも、この時の三人にはそれは当たっていた。長く忘れたがっていた記憶が、近藤の父親によって呼び起こされてしまったのだった。


 高校二年の冬だった。

 麻也は県西部の実家を離れて下宿していた。南国とは言え、冬には雪が降る。山間部では積り、スキー場さえある。

「腕山のスキー場に行かんか」

 麻也の提案に、遊び盛りの三人が易々と乗って来たのは無理もなかった。

 四人は徳島駅で待ち合わせた。阿波池田行の各駅停車に乗り込んで、途中の辻駅に向かった。

 徳島本線(現徳島線)は、吉野川南岸に沿い、徳島県を東西に結んでいる。佃駅を起点とし、佐古駅を終点とする。路線距離六十七・五キロ。全線単線で、非電化は今にいたる。駅数は二十四。

 汽車は通過列車を待ちながら、のんびりと西進した。

 市街地を抜けた頃から、北側に吉野川の景観が姿をあらわす。川の中ほどに岩山が突き出し、砂州には竹林が茂る。大河の恵みを象徴するような一幅の絵だった。

 実家に帰るたびに経験する、感動の汽車の旅だったが、その日の麻也は気もそぞろだった。

 四人は辻駅に降り立った。服装はふだんのまま。変わった点と言えば、わずかにマフラーを巻き、ゴム長靴を履いたくらいだった。

 小雪が舞っていた。

「スキー場に果たして雪があるかどうか」

 このことだけが心配だった。


 腕山でスキーができる、というのは、中学の教員から一度聞いた話だった。実は、麻也は腕山に行ったことがなかった。

 ガイドブックなどによれば、腕山は標高千三百メートルあまり。剣山系に属し、晴れた日には、眼下に徳島平野、さらに遠く瀬戸内海の島々が見える。絶景のスキー場として知られていたらしい。しかし、麻也が生まれ育った村の最寄り駅は土讃線の祖谷口駅。ここと腕山とは縁もゆかりもなかった。まして、スキーと言えば、竹スキーの経験だけだった。

 竹を縦に割り、板状に削って、先端を熱で曲げて作った。これで、村の道を滑った。道はテカテカに凍り、村人からよく怒られた。夕闇が迫る中、鍬をかついで掘り起こしに行かされたものだった。


 ともあれ、四人は、はやる気持ちを押さえながら、黙々と歩いた。

 谷川沿いに延びるゆるやかな登りカーブから脇に入る。道は狭くなり、左右に木々が迫って来る。

 雪がはげしくなってきた。まわりは見えない。一行を歓迎しているかのような降りようだった。

 それにしても、相当歩いたはずだった。しかし、道を確認しようにも、途中、出会う人はいなかった。新しく降り積もった雪道には、四人の足跡があるだけだった。

(この道をひたすら行けば、スキー場に着くはず)

 という確信が、麻也にはあった。

「かなり高いところまで登って来とるから、もうすぐやと思うんやけどなあ」

 麻也はなんとか、集団に希望の灯をともそうと試みる。

 降りしきる雪は、膝まで達しようとしていた。とうとう、近藤と浅井、大川の誰からともなく

「ほんまにスキー場に行けるの」

 と、弱音が漏れた。

 堰を切ったかのように、四人の胸の内で不安が無限増殖しはじめた。

「帰ろか」

 麻也のその言葉を、三人は待ち望んでいたにちがいない。

 緊張がゆるみ、急に小便を催してきた。

 横並びになり、雪に向かって、勢いよく放尿を始めた。

「好きな娘の名前、書こうか」

 誰の名を書いたのか、麻也はもう覚えていない。


 下山は速かった。転がるように、と言っても、足取りの形容としては、あながち大げさではなかった。

 駅舎が見えてきた時は、全員の顔に笑みがこぼれていた。

 ところが、駅の事務室があわただしい。改札係が事務室に何か知らせた。

「入れ」

 中から合図があった。

「あんたたちか。大雪になったので、徳島の自宅から心配して電話があり、自衛隊に救助を要請しようか、という騒ぎになっとったんやで」

 間一髪だった。

「山間部が大雪」というニースを見て、近藤の父親が沿線の駅に、片っ端から電話をかけた。たまたま電話を受けた辻駅の駅員に、思い当たるところがあった。改札係に確認すると

「そういえば、高校生らしい四人組が山の方へ歩いて行った」

 とのことだった。

 以後の駅員さんたちのご苦労は察して余りある。


 仮に、あのまま山を登って行ったとして、スキー場が営業していたかどうか、オープンしていたとしても、貸しスキーがあったかどうか。もし、営業していなかったら、本当に自衛隊が出動する事態になっていたかも。

「あそこで引き返したのは。山育ちの自分の『英断』だったのだ」

 麻也は、駅員に怒られながら、首謀者である哀れな自分を慰めていた。

 その一方で、親はありがたいものだ、と感謝していた。父親の心配性が子供たちを雪山遭難から救ったのだ。


 おそらく、この事件の記憶は、近藤と浅井から再びフェードアウトしてしまっただろう。

 麻也も忘れていたが、あることがきっかけで思い出した。


 麻也は三十を前に、大阪から東京に転勤になった。

 いつまでも身を固めずにブラブラしている息子が、麻也の母親は心配でならなかった。知り合いに相談したところ

「うちの嫁の妹に年ごろなのがおる」

 ということだったらしい。その嫁の出は、スキー場のふもとの村だった。


 結婚式を目前にしたある日、義父の墓参りをした。墓は峠にあった。

 車を降りて、なんだか懐かしい風景を見た気がした。

 遠くを望むと腕山が見える。ふだんは牛が放牧され、草を食んでいるが、冬場はスキー場となる。

「あの時、ここまで来ていたんだ!」

 前にも、後にも、あんな無鉄砲なスキー客はいなかっただろう。自衛隊が出動していようものなら

「村はじまって以来の騒ぎを起こした男に、うちの娘はやれんわ。それに、村の衆から、石投げられるで」

 と、破談は免れなかっただろう。


 いろいろなことを経験してきた。還暦を過ぎ、故郷にUターンした麻也にとって、大切に仕舞っておきたい出来事のひとつになっている。

                               (完)


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