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紅茶は美味しい喫茶店

紅茶は美味しい喫茶店

作者: 瀬嵐しるん

幼馴染のケイスケは喫茶店店主だ。

ちゃんと必要な免許資格等も持っている。


だが、奴には料理の才能が無い。

料理どころか、珈琲を淹れる才能も無い。

才能が無くても頑張れば、せめて普通の味と評される珈琲は淹れられるのではなかろうか。

ところが、奴の作ったものは、総じて不味い。


幸いにも喫茶店業界は、現代ではすさまじく進化している。

業務用の冷凍庫と電子レンジがあれば、メニュー数の確保は簡単だ。

だが珈琲一杯ちゃんと淹れる気のないケイスケが、冷食の取説とまともに向き合うはずもない。

その結果、食品メーカーの皆さんの努力の結晶である素晴らしい冷凍食品が不味く調理されていく。


ケイスケの喫茶店は、親から継いだものではない。

突然、ポンと出現した店だ。

宣伝もしなければ、客引きもしないから客はほとんど来ない。

来るのは暇を持て余した、近所のおっちゃん、おばちゃん、じいちゃん、ばあちゃん(順不同)である。


だが、近所の顔見知りとはいえ、立派なお客さんだ。

お金を払ってくださる。

ケイスケは失敗すると、タダでいいよなんて言う。

だが、タダでも不味いものは食べたくないだろう。


そこで、店主に代わって客が立ち上がった。


タナカのじいちゃんの孫のソウタは高校生。

両親が共働きで、結構家事をやっている。

期待の新人として、アルバイトのソウタが(客の厚意により)投入された。


なかなか几帳面なソウタのお陰で、常連さんも安心。

何を頼んでも、まあまあの喫茶店に様変わりした。


そうなると、店主たるケイスケのやる気を削ぐんじゃないかと多少心配されたようだ。

だが、心配は不要だった。

元よりやる気なんて、無かったのだ。


なんとケイスケは、ソウタが来られる放課後や休日のみ、店を開けることにした。


だが、ケイスケの淹れる紅茶だけは美味いのだ。


その秘密は、いい茶葉を使っているからだ。

何か知らんけど、原価率無視で仕入れ、淹れ方もきちんと調べ、温度と時間を計っているらしい。

って、他のものもきっちりとそうやって作れば、普通の味になるんじゃないかと思う。

まあ、奴の店なので、あまり口出しはしない。


ちなみに私は紅茶派だ。


喫茶店はビルの一階にある。

ビルは新しく、まあまあ洒落ている。

二階はオーナーの住居。

三階から五階は、賃貸アパートだ。


ビルが建つ前、ここには私の実家があった。


両親が病で相次いで先立ち、私はすでに働いていたが大して貯金も無かった。

土地は広かったが、持ち家は古くて売るにも取り壊しが必要。

高額の生命保険金が降って湧くこともなく、腹を括って、多少損しても更地にし、売ってしまおうかと考えていた。


ところがケイスケが土地を借りると言ってきた。

しかも、建物も何とかしてくれると言う。


それは助かるので、貸すことにした。

実家はあっさり取り壊され、見る間に立派な五階建てのビルが建った。


上の階はアパートにするから、そこに住めばいいよと言われて、工事の間はケイスケの実家にお世話になった。

昔から、よく面倒を見てもらった彼の両親は、久しぶりに会った私にとても優しくしてくれた。


ビルが建って「リホの部屋はここだから」と示されたのは二階のオーナー用の一室。

ん? と思った。

確かに土地を貸しているからオーナーの端くれではあるけれど、二階はケイスケの住まいではないのか?


二階は、賃貸のアパートとは入り口も違う。

店舗の奥にある階段から上るのだ。


二階には寝室が三つ、ダイニングキッチンと広いお風呂、シアタールームって感じの堂々としたリビングがあった。

ちなみにトイレは二つあるので、それぞれ別のを使えばいいと言われた。


とりあえず、これは同棲?

ケイスケに問いただすと、三階から五階のアパートの賃貸料を示された。

え、そんな高級アパート? というような額だった。

私の給料では、とても住めない。


後から考えたら、別の安いアパートを探してもよかったのだ。

なぜか、その時は二択しかないような気がしてしまった。

ケイスケに嵌められたのだ。


「リホに一人暮らしはさせたくないんだ。女一人は何かと物騒だろう?」


もう既に三十手前である。

そんなことまで言われたら、絆されてしまうのが人情だ。


「それに、ここに住めばオーナーとして家賃は無料。

店と食材をシェアするから、食費も無料。

水道料や光熱費も無料だ」

次々と、たたみかけられた。

つまりそれって、お給料丸儲けってこと!?


本来なら初めに、土地の賃借料がいくらで、何年の契約で…ときちんとやるべきだ。

だが、いいから任せておけというケイスケの口車に乗せられ、丸投げしてしまっていた。


かくして、私は洒落たビルに住む、ちょっとしたオーナーになった。

給料は貯まる一方で、とはいえリッチと言うほどでもない不思議な身分のアラサー独身OLだ。


私が勤めるのは、そこそこ安定した中規模の会社。

入社以来、事務方ひとすじだが、どちらかというと書類仕事より他の部署に呼び出されて、設備や備品なんかの相談を受けたり、リース機器の簡単なメンテナンスをしたり、隅っこの掃除をしたり、という日々だ。


呼び出した側がたまたま機嫌が悪いと悲惨だ。

権限のないヒラの女子社員なんて、何を言っても構わないと思ってる奴がいる。

お得意先にぶつけられない気持ちを、社内の目下にぶつけてくる。

若い時は、よく泣いた。

同じ経験を共有できる先輩女子社員が慰めてくれて、なんとか仕事を続けられた。


気付けば先輩と呼べる女子社員はおらず、ヒラで一番年齢が上なのが私だ。

一般的な事務は派遣になってしまい、面倒を見るべき後輩もいない。


この会社で働き続けるために、資格を取ろうという気も起きなかった。

お金が貯まるのは、無気力なせいだ。

気力があれば、こういう時、自分に投資したりするものなんじゃないかな?



私が帰るころになると、ケイスケはたいてい店にいる。

帰り着くのは八時近い。

お客はおらず、ソウタも帰った後。

なのに入り口は開いているし、クローズの札も掛けていない。

まさしく開店休業状態だ。


窓から漏れる灯りは薄暗い。営業中だと誤解されることはなさそうだ。

中では気のない店主が、客席に陣取りパソコンのキーボードを叩いている。


「リホ、おかえり」

「ただいま。ケイスケ」

「腹減った、なんか作って」

「はいよ」


会社から帰るたび、毎日こんなやり取りだ。

二階に上がって私が着替えている間に、ケイスケは店を閉める。


ここに住むときに、食材は店とシェアするって言われたけど、それは嘘だった。

シェアしたら毎日、冷凍食品になるはずだ。

広いキッチンの大きな冷蔵庫を開くと、高級スーパーで見繕われた食材がうなっている。

ケイスケが散歩と称して仕入れてくるのだ。

奴は、モノを見定める能力はある。


新鮮で、いい食材が揃っている。

だから手抜き調理でも美味しいものが食べられる。


「リホが料理上手だからだ」とケイスケは持ち上げる。

そんなことは無いと思うが、ケイスケから見たら、そうなのかもしれない。


週末はちょっとワインを飲む。

そして私はちょっと会社の愚痴を言う。

ケイスケはちょっと困った顔で黙って聞いてくれる。

申し訳ないと言う気持ちのせいか、休日は、ちょっとだけ手の込んだものを作る。


毎日一緒に食事をしながらも、ケイスケと私は幼馴染で、住まいをシェアするだけの関係だった。



そんなある日のことだ。

会社が吸収合併とやらをすることになった。

私の勤め先は吸収する側だが、再編前の人員整理ということで早期退職者が募られた。

あ、なんか潮時? な気がした。


その週末、ケイスケとリビングで映画を観ていた。

何度も観た、二人が好きなスパイ映画だ。

美しい映像と、スリリングな展開と、スカッとさせてくれる後味で、何度も何度も観ている。


エンドロールが流れ始めて、ふと、早期退職の話を思い出した。

今、私の家族と呼べる人がいるとしたら、ケイスケだけだ。

私は切り出した。


「会社でさ」

「うん」

「吸収合併前に早期退職者を募集するんだって」

「へー」

「私が早期退職したら、次の仕事見つかるまで、ここに居ていい?」

「リホ、ここ、お前の家。居ていいに決まってるだろ」

「でも、昼間、ずっとここに私がいたら、ケイスケの邪魔じゃない?」

「え? むしろ居て? そんで居る時は昼飯作って?」

「ケイスケ…」


笑うしかない。

普通、こういう人生の選択みたいなのって、深刻な話でしょ?

とりあえず、深刻そうに聞くもんじゃないの?


「次の就職って、何かしたいことあるの?」

「いや、特には。何でもいいんだ。働かせてもらえれば」


ケイスケは少し考えた。

そして、ちょっと決心したように言った。


「じゃあ、一階の喫茶店で働けば?」

「は?」


一階の、ご近所の常連客しか来ない喫茶店で働く?

レンチンするだけの厨房で?

仕事に貴賤はないが、正直、ファーストフードのアルバイトより、やりがいがなさそうなんですけど。


「ソウタの部下?」

「なんでよ!?」

「え? 実質、ここの店長ソウタでしょ?」

「それはそうかもしれないが」


認めた! ケイスケ、店内ではソウタのほうが上なこと、認めた!


「でも、ソウタも大学生になったら、今みたいにはバイト出来ないかもしれないし。

もっと、バイト料のいいとこで働くかもしれないし」


ああ、それはそうだ。


「だいたい、ここの喫茶店作ったのって、リホがいつかやりたいんじゃないかと思ってさ」

「え? 私が喫茶店をやりたがった? いつの話?」


飲み過ぎたことはないが、週末ワインの与太話で、そんなこと言ったのか?


「昔、言ってたじゃない」


昔?


「ままごとするとき、夫婦じゃなくて喫茶店のマスターとママがいいって…」


いつの話だよ…

確かに子供の頃、借金をテーマにしたドラマを見た私は、どうせ料理するならお金を稼げる方がいいと考えた覚えがある。

旦那に料理を作っても金は出ていくだけだが、お客さんからはお金が取れる。


子供だから、店舗を構える手間とか、お金をもらうまでにかかるコストとか、そんなことは全然わかってなかった。


「それで、お店作ったの?」

「うん」

「…呆れた」

「ははは」


笑うな。なんつう気の長い男だ。包容力の塊か。

もしかしたら、私に対してだけか?


「じゃあ、ケイスケは夫婦じゃなくて喫茶店経営のパートナーとして私を迎えてもいい、と?」

「あ、いや、夫婦も込みでいいです!」


ナニそれ!?

ついでなの? どっちが?


「考えてみる」

「うん」


ケイスケは、また笑う。

そんなに嬉しいことか?

でも、私も嬉しいよ。ケイスケが笑うのは。

私の家族は、今、ケイスケだけだ。


私は早期退職を希望し、ちょっといい退職金をもらった。



そして今は隣町のカフェで働いている。

あまり大きい店ではないが、その分、厨房も接客も経験できる。

この店は、週末は学生アルバイトが入る。

だから週末、私はケイスケの喫茶店で料理をする。


ケイスケの喫茶店は、日によってメニューが変わる。

平日はソウタがレンチンする、まあまあ美味しいレトルトや冷凍食品が出る。

週末は私が作る、そこそこ美味しい料理が出る。


「リホちゃん、早くここで毎日料理してくれよ」


ご近所の常連さんは言ってくれるが、なかなかむずかしい。

今のところ、ここで出す料理の材料は、ケイスケが適当に買ってきた高級食材だから、美味しいのは当たり前。

コスパ最悪なんだから。


食後には、美味しい紅茶が出る。

オーナーのケイスケが唯一、まともに出せる一品だ。


私が店に出ると、ケイスケも必ず出てくる。


高校時代からネットを利用して試行錯誤し、流行りに乗って成功したり失敗したり。

いろいろ手を出して経験を積んだケイスケは、実は結構、金持ちだ。

ソウタが手伝いに来てから、昼間の時間を空けて株などやって、また資産を増やしたらしい。

本人曰く、金が無ければ失敗も出来ないそうだ。

私には、よくわからない。


幼馴染だから意識しないけど、まあまあ男前だ。

背も高い。高校までは同じ学校だったけど、女子のファンは多かった。

でも、誰とも付き合っていなかった。

ネットで忙しかったしね。


要するに、要するに…

ケイスケはいわゆるスパダリだ。

私のことが、ずっと好きだったらしい。

私が店に出ると、必ず一緒に出てくるのは、そういうことらしい。



私がこの店を切り盛りするようになったら、どんなものを出すのか悩んでいる。

今働かせてもらってるカフェみたいに、ちょっとお洒落な店にも憧れる。

パンケーキと紅茶のお店も素敵だ。


「リホちゃん、素うどん作ってもらえる?」

店に入って来るなり、トキワさんが言った。

「家でカミさんに頼んだら、リホちゃんのとこで食ってこいとさ」

「はい、すぐ出来ますよ」


でも、ご近所さん御用達の喫茶店も捨てがたい。

いや、素うどん出すって食堂か?


ちょっと家族なご近所さんと、すごく家族なケイスケと、元実家の土地に建つ喫茶店と。

私のまわりは今、そんな感じだ。


目下の悩みは贅沢で、ケイスケにプロポーズの返事をするタイミングが掴めないってことだ。


今夜はあの映画を観よう。

ちょっとロマンチックな、私の好きなやつ。

ケイスケは少し飽きて、いつも我慢しながら付き合うから、途中まででいい。

夕日の海岸を散歩する、あのシーン。

あのへんで、思い切って返事しよう。


今日こそは。




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― 新着の感想 ―
[良い点] ケイスケ、なんて優良物件な! 料理とコーヒーはだめだけど、夫婦で補っていけばいいね! シリーズみたいなので、他も読ませていただきますね。 ( *´艸`)
[一言] ケイスケくん今時の堅実な男子…! きっとネットの商売や株もたくさん勉強したんだろうな。ビルの経営実は自分でやってたりして。 イマドキのスパダリだ~かっこいいなぁ。
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