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交流


 よく眠った。


「……」


 そう。

 文字通り、よく眠った。


 隣を見るとベールをかけたまま静かに眠り続ける男の姿。

 彼の息に合わせて薄いベールがほのかに舞い、息は苦しくならないのかと心配になる。

 クラルテは初めて枕を共にした男の顔を真正面から観察する。

 観察といっても、顔も何も隠されて分からないのだから言葉としては相応しくないかもしれない。

 が、クラルテは初めて彼に興味を示した。


 日も高くなり、朝日が奥の間に差し込んできた。


 部屋の外には信頼のおける侍女と近衛が控えている。

 自分たちが部屋を去った後、ここを確認する彼女が情事の跡がなかったと知ったら何を思うだろう。


 クラルテは昨夜、確かに彼の手を取った。

 そしてアネモスがクラルテの身体を支えながらかける力により、真っ白なベッドに倒れ込み、彼に抱き締められながら眠った。


 そう。

 眠ってしまったのだ。


 リーン騎士隊を率いている隊長だという彼の肉付きは逞しく、魅力的ではあった。

 彼の腕に抱き締められ、今まで無遠慮に触れてきた男たちと比べてはならないと思うのに、比較対象にならない程、紳士的であった。

 だから、そのまま流されてしまった。

 身体にかかる腕の重さが心地よく、額に当たる息が温かく、気付けばそのまま共に夢の世界へ落ちてしまった。


 頭の中が一瞬、何をすべきか戸惑う。

 侍女たちは、仕える主人がいつか身籠ってくれることを望んでいる。

 だから、情事の跡がないなんて事になれば、城から何を言われるか分かったものではない。


 クラルテは寝ている彼の足元に潜り込んだ。


 痕跡さえあればいいのだ。

 二人が繋がったという痕跡が。


 クラルテは彼の猛りに触れようと、もぞもぞ動き、探し当て、そうして止めた。

「……」

 そういう夜もあってもいいだろう。

 何もせずに眠った夜も。

 クラルテは一旦入り込んだシーツの中から顔を出し、再び彼の隣に身体を横たえた。


 いつもの様にしてしまえばいいだけなのに、身体が動かない。

 今までそうして自分で自分を守ってきた。

 そうしないと自分を守れなかった。


 あの夜の侵入者と同じ。

 この人の瞳も隠されている。


 瞳を隠されていると安心する。

 視なくていいから。


 けれど、隠されると余計に知りたくなる。


 あなたが見ているもの。

 あなたが見てきたもの。

 あなたが見たいもの。

 あなたがこれから見るもの。


 彼のベールに手が伸びている事に気付いたクラルテは、急いで手を引っ込めた。

 今、わざわざ知らなくても、近い内に見なければならないのだから、焦る必要はない。


 ただ今だけは、彼と同じ夢を見れたらいいと思いながら、再び瞼を閉じた。



 ***



 目覚めると隣に彼女が小さく丸まって眠っていた。

 こんなに広くて大きなベッドがあるのだから、縮こまる必要なんてないのに。

 彼はクラルテの頭に手を伸ばし、そっと頭を撫でる。


「助けてやれなくてごめんな」

 ずっと触れたくて堪らなかった彼女が、ここにいる。

「もう絶対失敗しないから」


 彼はベール越しに額に軽く唇を寄せ、まだ夢の中にいる彼女を起こさぬ様、頭を撫で続ける。


 彼女の見る夢が幸せであって欲しいと願いを込めて。



 ***



 二人がベッドの上から出たのは、もう日も高くなってからだった。


 一緒に湯浴みをしませんか。と、クラルテが当然のことの様に聞いてくるので、アネモスは首を横に振り答えた。

 寝汗を酷くかいている訳ではないので、汗を流す必要もないと感じていたが、かつて彼女の肌にその身を沈めた男たちは、その様にしながら一ヶ月という期間を過ごしていたらしい。という事をその言葉尻から感じ取る事ができた。

 嫉妬して「なら俺も」と欲を押し留める事の出来た自分を褒めてあげたい。と、アネモスは部屋に残り、一人でさっさと身支度を整える。

 奥の間は無駄に広過ぎて居心地が悪い。

 どこもかしこもあの香りが充満している気がして、彼は開けられる窓という窓を開け放っていった。

 まさかこんな時間まで寝てしまうとは不覚。

 今までずっと眠れない日々が続いていたから、気が抜けてしまったからかもしれない。


「おはよう」

 豪勢な扉を引き、そこに待機していた侍女たちに声を掛けた。見えはしないがベールの下は一応笑顔だ。

「今、窓開けてるから外から誰か入ってこないように気をつけてね」

「は。はい」

 アヴニール宮で働く者は、己の立場が侍女であろうと近衛であろうと、ただ一人の主人を護る為に身体を張る。

「君は……。エレ?だっけ」

 近衛の名を呼ぶと、驚いた様に目を見開かれた。

「肩、怪我してる?早く医師に診てもらえ。治るまでクラルテの警護、他の人間と変わった方がいい」

「え?」

「素振り。上まで上がってなかったぞ」

 いつ見られていたのか。

 エレは図星をさされ、背筋を伸ばす。

「取り返しつかなくなる前にな」

「はい。ありがとうございます」

 騎士隊隊長という肩書きは伊達ではないらしい。

 不穏因子は気付いた時に対処すべきだ。

 アネモスは敬礼する彼女に視線を送ると、再び歩みを進める。


 次は何処へ向かうべきか。

 頭の中でパズルを嵌め込んでいく。


 失敗は許されない。



 アネモスは足早にアヴニール宮の中を歩き始めた。



 ***



「みつけた」



 ふいにそう言われてアネモスは振り返った。

 そこには平然としているように見えながらも、少し息の乱れているクラルテの姿。


「私は探されていたのですか?」

 初めての夜を奥の間で共にしてから、彼はひたすらに宮の中を歩き回っていた。

 目についた侍女に声を掛けては、時にその仕事に手を貸す、という事を繰り返していただけであるが、目的は少しずつ達成できそうだ。と、希望を持ち始めていた頃だった。

「かくれんぼ?」

 何故クラルテが必死になって自分を探していたか皆目検討もつかないアネモスは、真面目に聞く。

 確かに広い宮の中、毎日同じ事の繰り返しは流石に飽きてしまうだろう。

 いつの間にか子どもの遊びに付き合わされていたのかもしれない。


 だが、彼の言葉は彼女にとって正解ではなかったらしい。

 聞いた彼女は、何故か怒った様子で近付いてくる。

「湯浴みをして部屋に戻ったらいらっしゃらないので探し回りました」

「?」

 言っている意味が分からない、という表情のアネモスに、クラルテは頬を膨らませる。

「一夜を共にしたというのに、ずっと側にいてくださらないのですか?」

「?」

 他の殿方は、昼夜問わずクラルテの肌に夢中で触れようとしてきた。

 というのに、彼女が身体を清めて部屋に戻ったら、彼の姿はなく、侍女たちが奥の間の掃除をしていたので驚いた。

 アネモスも他の男たちと同じように、種付けに来たのではないのだろうか。なのに、昨夜はそのような行為も無く互いに寝てしまっただけでなく、夜になかったので、いつ触れられても良い様にクラルテ自身が身を綺麗にして来たというのに、当の本人が部屋にいないという衝撃。

 その侍女に聞けば、特に目的も言わず部屋から出て行ってしまったというので、クラルテは仕方なしに彼の姿を探し回ることになってしまったという訳だ。


 無駄にある客間の扉を一つ一つ開けて回り、廊下で会う侍女たちに彼の行方を聞いた。

 

 自分で言うのもなんだが、蝶よ花よと世話を焼かれてはいるが、「何故私を一番に考えてくれないのよ」などと空気が読めない程、鼻は高くなっていないと思う。

 というのに、彼はこの身体に興味がないのだという。


「もう一度かくれんぼしますか?」


 彼自身も何故クラルテの機嫌が悪くなっているのか分からず、不貞腐れている彼女の顔を覗き込む。


「懐かしい遊びですよね。私も昔よくやりました」

 過去を思う彼の声はとても柔らかい。

 ベールの向こうは今、どんな表情をしているだろう。


「やりません。その為に探したのではありませんから」

「そう?残念」

 ベールの向こうで、「クッ」と笑う声が漏れたのを聞き逃さず、揶揄われたのかと、クラルテは頬を膨らませる。

「あなたはすましているよりも、そうやって表情豊かな方が可愛い。またそうやっていろんな顔を見せてほしい」

 そう言いながら頬に伸びる手は、彼女の熱に触れる前に止まり、再び定位置に戻る。


「何故触れてくれないのですか?あなたも私を抱きに来た一人ですよね」

 何故そのまま触れてくれないのか。

 あなたの温もりが触れてくれるのを待っていたのに。


 本来の目的は、クラルテを懐妊させることの筈である。だというのに、いつまで経っても触れてくれないので、前の客人たちの様に誤魔化すこともできない。


 クラルテはどうすれば彼をそういう気分にさせられるか考え、彼に擦り寄った。


「どうして顔を隠しているのですか?」


 彼の顔を覆うベールを手の甲でそっと触れる。


「ずっとこのままだと、キス、できないじゃない」

「……」

 アネモスが自分を見ていると確信はしている。上目遣いで彼を見つめてみるが、はたしてこの男をこれで誘惑出来ているのかは分からない。

「あなたは私と口付けがしたいのですか?」

「なっ。違うわよ」

 グイッと腕を掴まれたせいで、互いの息でベールが揺れる距離まで近付く。黒いベールを一枚隔てた彼は、きっと澄ました顔して言っているに違いない。

 一方、仕掛けた筈のクラルテの心臓の方が、鷲掴みされた様に痛くなり、耳から頬にかけてが赤くなる。

「あなたは不思議だ」

 手首を掴まれていた力が弱まる。

「いろいろな男と夜を共にしていると聞くのに、何故その様な初心な反応をみせる?」

「……」

 問われたクラルテはその質問には答えられない。

「答えたらベールを取って下さいますか?」

「……」

 互いに様子を伺いながらの攻防。

 口を噤むと言うことは、彼もベール(そこ)には触れてほしくないという事か。

「じゃあ、こうしませんか」

「はい?」

「三十分」

「三十分?」

「俺があなたに見つからずに隠れられたら、互いに固っ苦しい言葉遣いはやめませんか。そこから距離を詰めて仲良くなりましょう?」

「はい?」

 突然の提案に言葉を失う。

 そんな呑気な。

 ここへは愛を求めに来た訳ではない。

 愛を深めに来た訳ではない。

 アヴニール宮では心は不要。

 そんな事をしていれば、長い一ヶ月はあっという間に過ぎてしまう。


 だが、こんなおかしな事を言い出す客人は、初めてであり、興味をそそられる。

 理屈ではない。


「分かりました」

 クラルテは退屈な日々の中に舞い込んだ突然の刺激に心が傾く。

「その代わり、私が勝ったらそのベールの中を見せて下さい」

 地の利はクラルテにある。

 この勝負アネモスにとって完全に不利ではある。なのに、何処か余裕そうにも見えるのはクラルテの気のせいだろうか。

「さて。どちらが隠れようか」

 勝負に乗ってきたアネモスは楽しそうに言う。


「私はどちらでも構いません」


 笑っていられるのも今のうち。

 私が勝ってあなたの顔を見てあげる。


「そう?」

「ええ」

「じゃあ、さっき俺があなたに見つけられたから、今度は俺があなたをみつけるよ」

「あら?あなたにわたしが見つけられるかしら?」

「できるよ」

「あら。余裕ですわね」

「何処にいても見つけてみせるから」


 真剣にそう言われ、再びクラルテの心が跳ねた。

 しかし、いつまでも惑わされる訳にはいかない。


「じゃあいくわよ」

 赤く染まる頬を見られぬ様に彼から顔を晒す。

「そうね十五分経ったら探しに来て。そこから一時間以内に探し出せたらあなたの勝ち」

「一時間?」

 自分の提案した倍の時間を指示され、アネモスは思わず単語を繰り返す。

「だってここはとても広いですから。そしてわたしの方がアヴニール宮についてとても詳しい。地の利は確実に私の方にあります」

 自慢げにいう彼女は、本人は気付いていないがとても可愛い顔を見せる。「だから、この時間設定は妥当です。それでも負けませんから」などと既にもう勝ちを確信しているかのようだ。

「そうですか。なら余計に三十分以内に探し出したくなってしまいますね」

 アネモスは応戦する。

「一時間よ」

「そんなにかかりません」

 子どもじみた言い合いが暫く続き、どちらともなく口を閉じる。


「それでは始めますか」

「そうね」


 クラルテは一歩、踏み出して止まった。


「十五分後に探しに来るのよ」

「分かってますよ」


 その念押しにアネモスは「クッ」と笑う。

 一方、その反応に闘争心を煽られた彼女は、踵を返しドレスの裾をフワッと舞わせると、姿を消してしまった。


 確かにアヴニール宮はとても広い。


 けれど、それは大きな障害とはならないとアネモスは思っていた。

 あの()()()()は可愛かったな。などと今日見た表情の変化を思い出しながら、指示された十五分が過ぎるのをその場で待つ。


 たった十五分。


 長くはない。


 彼女もきっと楽しそうに隠れ場所を探して走り回っているに違いない。

 恐らく今日の今日まで、このアヴニール宮でそんな事などして時間を過ごす人間など居なかっただろう。走り回るクラルテと遭遇した侍女たちは、そんな主人を見てどう思うだろうか。「はしたないから走り回るな」と注意されたりしているだろうか。

 なんて想像するだけで時間が経つのが早い気がする。



 いつもああやって笑ってくれていたらいい。



 仮面の様な笑顔を作り続けなければならない世界に身を投じさせてしまったのは他でもない俺で。


 それは俺が彼女に課してしまった、回避出来た筈のさだめ。

 そして、俺の罪。


 だから俺は君が笑顔になってくれるなら、なんだってしてあげる。


 その手始めに、俺は君を探しに行こう。


 俺は他の誰よりも君を知っているから。


 隠れている君を見つけるのはお手の物だよ。



 ***



「みつけた」


 クラルテが隠れ始めてから三十五分後。

 アネモスは、奥の間のバルコニーから手摺りに立ち、壁の少しの凹凸に足の指を引っ掛けながら、近くにある出窓の屋根に乗り、高い場所から遠くを見ていた。

 そこからは見渡す限りの緑。

 そして遠くの方に街らしき建物が見える。あそこがアッシャムス国の中心部だろうか。


 城に戻りたい。などとは微塵も考えていない。アヴニール宮から出られるとも思っていない。


 けれど、久しぶりに胸が躍っている。


 恋に身を焦がす劇も。

 身体を突き抜ける音を宮中に響かせる演奏も。

 仕掛けの見破れない魔術も。

 胸に語りかける様な歌声も。


 何もかも琴線に響かなかった。


 男の人の愛の囁きも。

 肌を触れる温もりも。


 クラルテの胸を高鳴らせるものは何一つなかった。


 何年もの間、何人もの男性と夜を共にしたのに、誰一人として彼女の心を弾ませる者はいなかった。



「サーカスの人みたい」



 なのに、今。

 絶対に見つからないと思っていた場所に、彼は軽々やってきた。

 身のこなしはとてもスマートで無駄がなく、思わず見惚れてしまう程。

 


「この勝負は俺の勝ちだね」



「もー。悔しい。どうして?今度は絶対勝つわ。そうしてあなたの顔を見てあげる」

 その声は誰が聞いても弾んでいて、勝負に負けたのに何故か悔しくない。

「どうしてここが分かったの?」

「靴が脱ぎ捨ててあったから」

 奥の間を探しに来た時、バルコニーにクラルテの靴が無造作に置いてあった。

 ふ、と気になって上を見上げたら彼女が屋根に登って遠くを見ている姿を見つけた。というあらましである。

 勝負に負けたのでそれにしたがったのか、それとも()で話してくれているのかは分からないが、クラルテの身分も何も関係ない話し方がとても心地良い。



 ずっとこうして話したかった。



「次は負けないからね」


 そう言うクラルテは負けたというのにどこか晴れやかでとてもいい表情をしていた。




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