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ベール



 アネモス・リーンはベールで顔を覆ったまま、自身の歓迎会に出席していた。



 高い位置に座るクラルテの隣はいつも客人の指定席である。

 白いドレスを身に纏い、胸元と両耳に真珠を飾るクラルテの隣には、未だ自身の顔を露にしないアネモスが座る。この地に暮らす者たちの肌はほとんどが褐色をしており、衣服から覗く肌を見るに彼も例外ではないらしい。

 故にその隣に座るクラルテの肌は更に艶やかで白磁のように映える。


「……」


 アネモスは彼女の視線を感じながらも、決して視線を交わすことなく、演劇に集中している。

 クラルテも彼が何を考えているのか。どこか落ち着かない雰囲気で、時折ちらちらと隣に視線をやる。



 すん。

 再び鼻が刺激される。


 今日はなかなか風が入ってこないのだろう。

 二人の周囲を侍女たちが囲み、扇子で風を送ってくれている。

 彼女たちの作る風で時折ふわっと彼の方から香る匂い。クラルテは、何処かで嗅いだ事のあるそれが思い出せずにいた。

 決してベールの内側が気になるわけではない。

 それについては、アヴニール宮へ客人として来る男性は総じて顔が整っているので、恐らく彼もそうなのであろうと想像はついている。


「戦いで傷付けた醜い傷を見せてしまい、貴女を怖がらせてしまうわけにはいきませんから」


 初めて挨拶を交わした後、そう先制攻撃を受けてしまった彼女は、それ以上深い部分を追及する訳にもいかない。

 まして、仕える侍女たちがその理由を知りたくて耳をそば立てても、彼女らは軽々しく聞ける身分ではない。


 グラスに注がれたワインを口にしながら、目の前に置かれた料理に手をつけていく際に、チラリと彼の口元が見えるくらいだ。

 楽士たちの演奏も、その場にいる者たちの胸を躍らせ、二人は出される料理に舌鼓を打つ。気付けば短い劇は終わっていたらしい。


 クラルテが彼を気にしてしまうのには他にも理由があった。


 かつての客人たちは、宴会中でも構わずにその手でクラルテの肌に触れ、スキンシップをしてきた。

 彼にはそれがない。

 会話すらない。


 新しく月が始まるからと、気を張っていたので、少し肩透かしをくった部分もなくはないが、クラルテは今の方が心身共に助かる。


 一月は短い様でいて長い。


 なるようにしかならない。

 と、クラルテは彼から意識を離し、目の前の料理や音楽に集中した。


 夜はまだ長い。



 ***



 先に彼に湯浴をするよう提案したのは、長旅で身体が疲れているのではないかと考えてのことだ。


 閨を共にする時、身体を清めずに触れてくる者もいたが、クラルテはそれはあまり好きではなかった。

 相手の内部に触れてくるのであるから、いくら期限付きの付き合いとはいえ、そういう配慮はして欲しい。相手にしてみれば、ただの欲の吐き出し口としかみていないのだから、関係ないと言われてしまえばそうなのかもしれないが、アネモスは、そういった点では素直に応じてくれたので、好感は悪くはない。

 彼を侍女に任せた後、クラルテも自ら湯殿へ向かった。


 クレールは既に待機し、立ち上る蒸気の中に甘い香りが舞うのを感じ、眉を顰める。

「クレール。少し香り強くない?」

「そうですか?初めての殿方にはいつもこの香りですが」

 侍女は身体を洗う為に泡を作りながら、優しくクラルテの肌に触れていく。

 首筋、肩、腋。

 壊れ物を扱うかのように、丁寧に。

 清める時間にクラルテは身体にこの香りを染み込ませる。「花の中の花」と呼ばれる甘くて少し刺激的な香り。

 逞しい腕の中で、この白い花を愛でてもらう為。


 温かい湯に浸かり、クラルテはほんの少しだけ力を抜いた。

 二の腕から指先に洗う手が移動し、主人の手のひらや指先を丁寧に押していく。

 クレールのマッサージは最高級だとクラルテは思う。

 鎖骨、胸、お腹……と、徐々にその手が下っていく頃には、クラルテの意識は湯に沈んでいってしまった。



 まだ夜は始まったばかり。

 クラルテは今宵、何が起きてもいいように、束の間の休息に抗わず身を委ねた。



 ***



「アネモス卿」



 彼は呼ばれてそちらの方を向いた。

 細い身体のラインを少しも隠そうとしないネグリジェをその身に纏い、ソファに腰掛けている彼の名を呼び、自らもその隣に座る。

「ワインでも召し上がりますか?」

 既に侍女が部屋の中に準備してあるカートから、グラスと赤ワインの入った瓶を持ち彼の目の前に置いた。

「ありがとう」

 アネモスは自然な流れでクラルテから瓶を受け取ると、それぞれのグラスにワインを注ぎ、彼女の目の前に捧げる。今までの相手なら、そのままワインがグラスを満たすのを待ち、それから味わった。

 もてなされる筈の彼がホスト役をするという、予想外の行動にクラルテは少しだけ目を丸くするが、アネモスが自分の分まで注ぎ終わったことを確認し、互いにグラスを傾ける。

 

 情事の前のアルコールは必需品。

 身体中をワインで満たし、浮き足立たねば我を忘れて夜は楽しめない。

 アネモスはベールに隠されたのを幸いにと、そちらに視線を送る。

 まだ乱れていない白いシーツがこれから起こる閨の妄想を生々しくかりたてる。

 

 アネモスは湯上がりで喉が渇いていたのか。それを一気にあおり、更に手酌でグラスに注いでいく。

 一方クラルテは潤す程度にちびちびと。


 二度三度。

 自ら並々と注いだグラスを空にし、四度目になろうとした時、クラルテは彼からグラスを奪い取った。

「いくらなんでも飲み過ぎじゃありませんか?」

 男の人は飲み過ぎると夜が長くなる事がある。

 そうなられては困る。と、クラルテは彼から元凶を取り除いた。

 婚約者がいると聞いている為、もしかしたら、その彼女に悪いと、男ながらに操を立てているのかもしれない。と、思うと、少しだけ胸が痛む。


「私の事、放っておかないで下さいな」


 だが、アヴニール宮に来たからにはそうなる事を覚悟して来たのではないのか。

 クラルテは不自然に離れていた距離を縮め、アネモスに密着する。

 彼女もここにいるからには、そういう行動をとらなければならない。


 二人の熱が重なった瞬間、彼の身体がビクリと跳ね、そうして何を思ったか、彼女の首筋に顔を寄せてきた。


「甘い匂いがする」

「え?」


 まるで動物の様にくんくんと匂いを嗅がれ、今度はクラルテの身体が小さく跳ねた。

 男の顔を隠しているベールが首筋を撫で、くすぐったい。


「イランイランの香りのことですか?」

「イランイラン?」

「はい。湯に数滴垂らして浸かっておりました。なので身体にその香りがうつったのかと」

「俺の方はそんな匂いはしなかったが」

 とても真剣な声で不思議そうに聞いてくる彼の真面目さが面白い。

 誘惑される側の男がその香りを身に纏っても仕方ないだろう。

 クラルテは何を想像したのか堪えきれず「ふっ」と笑ってしまった。

「なんだ?そんなに変なことか?」

「いいえ?とても楽しい方だと思いまして、つい」

 ベールで隠されてはいても、少し不機嫌そうにしているのが隣から伝わってくる。それがまた子供っぽくて可愛らしいと思った事は黙っておく。

「アネモス卿はこの香りはお嫌いですか?」

「そうだな」

 機嫌が悪いのは続行中なのか、彼はクラルテから視線を逸らして続けた。


「俺は何もつけていない方が好きだ」


「……」


 それは本心か。

 お世辞か。

 そして照れているのか。

 

 アネモスは素っ気なく言うと、そのまま立ち上がり皺ひとつなくベッドメークされたそこに向かうと、ドシリと座った。


「クラルテも来るか?」

「……」


 何の迷いもなく伸ばされたその手は、彼女が必ず自分の手を取ると知っているからだ。

 誘われては断れる立場にない。


 クラルテは静かにソファを後にすると、差し出された彼の手を取り、共にベッドに沈んだ。



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