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隠しごと



「まだ子は出来ぬのか」



 クラルテの姿のない一室で、国王の側近がアービに詰め寄っている。


 男をアヴニール宮へ招き、伽を終えてから三週間が経った頃。

 彼はきっかりタイミングを見計らって宮を訪れる。

 目の前に出されたお茶は口を付けられる事なく熱を失い、端的に発した言葉と視線で答えだけを求め続ける。


「はい」


 アービは手を前に重ねたまま、頭を下げた。

「まだにございます」

 毎回繰り返される同じ言葉。

 分かりきっていたその返答を聞いたインディゴは、不満を隠すこともせず眉間に皺を寄せる。

 参謀を務める彼は、ここに足を踏み入れる時ばかりは、その感情を隠さず表情に現す。それは、この空間では己を偽る為にわざわざ作り笑顔をする必要もない、という意思表示にみてとれる。

 アービはそれを視界に捉えているが、見て見ぬ振りで無表情のまま。


 この安全な宮に匿われ、ただただ贅沢に日がな一日を過ごす事を許された存在。


 この王の側近は彼女にいい印象を持ち合わせてはいない。


 アヴニールが、国の未来を左右する重要な力であると頭では分かってはいる。

 だが、彼女の告げる言葉が鍵となり、そのたった一言が、国を動かす力となってしまう事が彼はとても気に食わないでいた。

 国を思い、能力を最大限に活かす努力を積み続け、その地位を手にした人間にとって、苦労する事なく贅を尽くした生活を送るだけのアヴニールは煙たい存在。

 だがそれにより国が大きくなり、窮地を救われた事実も少なからずあるので、表立ってその存在を否定する事は出来ないでいた。


 秘匿として何代も前に史実の中に記されていたアヴニール(先見)の血を継いだ少女。


 それが、今、この国が所有しているクラルテなのだ。


 インディゴも国政に携わる人間故、かつて存在していたらしいその存在を知識として知っていた。

 記録として残されてはいるものの、俄には信じていなかったその力を持つ人間と出会ったのは偶然。


 修道院で下女として働いていた少女クラルテを、何故か見て見ぬ振り出来ず、城へ連れてきてしまった事実は、誤魔化しようもない。

 他国にその存在を知られる前に少女の力を手に入れなくてはならない、と、王にアヴニールの血の人間を見つけたかもしれないという旨を伝え、彼は少女を手に入れる為の策を講じた。

 それからすぐ、目に止まった貧しそうな子どもに声をかけ、それは自らの境遇故にすぐ買収されてくれた。修道院に直接金を支払うよりも安価に彼女を手に入れる事ができ、加えて修道院に恩を売ることもなく、秘密裏にアヴニールの少女を手にする事が出来た。今まで修道院に居てくれたお陰で誰の手に渡るでもなく、無防備に生活してくれていた事は奇跡に近かった。


 元々の色素が薄いのだろうか。

 一年を通して温暖な気候のアッシャムス国の住人は、色素の濃い人間が多い。

 港があり、貿易も盛んに行われているので、色んな人種の行き交う国ではあるが、それでもなお、彼女の澄んだ白銀の髪色は、それだけで視線を集めてしまう。

 初めて出会った頃は周りと同じ様に褐色だった肌が、アヴニール宮で囲われる様になってから次第に色が抜け、恐らく彼女本来の色へ戻っていった。

 ヘーゼル色をした瞳は不思議なもので、見る角度によりその色を変えていく。


 そういった珍しく麗しい容姿故、現アッシャムス国の王カーラーが身綺麗になった彼女を見初める事は想像に容易かった。

 

 一体、この宮へ閉じ込めてから何年が過ぎたのだろう。


 彼女の身体がまだ少女であった頃は、彼女の能力がどの程度なのか知る為だけに外交の場へ付き従わせているだけだった。

 だが次第に、彼女の視るものの信憑性が増すにつれ、その力を国政の為に用いる機会が増え、大事な外交に付き添わせる事も出てきた。

 それに伴い、位の上の人間たちと顔を合わせる事が多くなり、空いた時間には礼儀作法や言語、歴史など、無知なクラルテに様々な事を叩き込んでいった。

 幸いにも、彼女は何も吸い込んでいないスポンジの様に吸収力はとてつもなく、教師陣が予定していた日数よりもかなり短縮して課題をこなしていった。


 しかしクラルテが心身共に成熟し、色香を放つ様になると、それだけでは終わらなかった。


 毎夜、王が寝所へ通う様になり、伽の相手として身を捧げる事を強要される様になったのだ。



 全てはその血を繋ぐ為に。



 アヴニールはその血に受け継がれるという。


 故に、その血を王家に取り入れる為、という名目で、カーラー王は若くて美しい少女を自らの物として抱き続けた。

 しかし、幾ら時が経とうとクラルテの中に新たな命が宿る事はなく、彼女は国王の息子たちにまで身を預ける事を強要された。

 だがそこでも同じ様に命は生まれず、王は次の手を打った。


 それは、口の堅く、自身の地位を脅かさない血筋の人間に種を仕込んでもらう事。

 ただ、誰の血が入り込んだのかを掌握しておきたかった王は、見込んだ男を一定の期間を設けて宮に招き、そして一度その体温に触れた人間は二度とそこには足を踏み入れさせない様に、厳重な警備体制をしいていた。


 アヴニール宮は、ただ一人の女性を閉じ込める為の空間。


 逃さぬ為なら財政は幾らでも工面されてしまう。


 例え、その人物が望まなくとも。


 


 インディゴは、不満を意図するため息をひとつ吐き、アービを睨んだ。


「毎日、閨事はしていたんだろうな」

「はい。もちろんでございます」

「ならなぜ受胎しない」

「存じ上げません。天からの授かりものですので、まだその時ではないのではありませんか」

「もう七年もこの宮にいるというのにか?」

 彼の言う通り、クラルテは王に見初められてから何年もの間、このアヴニール宮へ幽閉されている。

 初めの三年間は無知すぎる彼女の基礎教育を叩き込みつつ、時折、外交の場へ引きずり出す為に必要だった年月。


 彼女の初めて異国との交流の場。

 普段の彼女を、知るわけでもないが、借りてきた猫の様におどおどしているのが、その場に居たインディゴからでも良く分かった。

 そんな彼女が、ここまでふてぶてしく成長するとは。

 彼はそれを思い出し鼻で笑う。


 その数年後。

 自分の仕える主から「クラルテを抱いてみるか?」と笑いながら提案された。

 王族一同皆、彼女との子を成せなかった。

 だから、彼に話が回ってきたのだ。

 彼女の血を誰とでも混ぜ合わせる訳にはいかない。

 なら、一番信用できる人物に。という人選故だ。

 

 自分の血が彼女との交わりにより、これから先も国に利益をもたらす存在になるのであれば。と、打算がなかったと言ってしまえば、嘘になる。

 その一瞬の迷いを国王カーラーは、どうとっただろう。

 自分の実力で這い上がってここまで漕ぎつけた側近が、そんな誘いに乗るはずないと思ってくれただろうか。

 いや。

 それなら、話を回してくる筈もない。


 アッシャムス国が、諸外国から脅威と思われているのを知っている。

 それは多少強引に物事を進めてしまうカーラー王の話術と、豪快で人懐こい彼の性格故に、他国はやり込まれてしまうのだ。

 時には武力を利用し、力で制圧する事も少なくない。

 だが、クラルテの存在を手に入れてからは、無為な争いを回避できるようになり、そちらの方に労力を割かなくなった分、国としては落ち着いてきた。


「取っ替え引っ替え男と寝ておいて子を為せぬとは。彼女の身体が欠陥なのではないのか?」


 頭の中では彼女の能力を認めつつも、その全てを受け入れたくない自分がいる。

 なので、いつもこうして捻くれた物言いになってしまう。


「失礼なのを承知で申し上げますが」

 今まで普段と比べると大人しめに口を噤んでいたアービが、我慢の限界と言わんばかりに声を振るわせて口を開く。

 クラルテの最も近くいる侍女であり、また、インディゴ自身も彼女の事を一番に信用している。

 国王カーラーと比べ、愛想のない彼は周りから距離を置かれる事が多い。

 だが、彼女だけは違った。

 自分の仕える主を護ろうと、自分とクラルテの前に進んで立ちはだかる。

「女性の身体を道具の様に扱わないで下さい」

 その青色の瞳に真っ直ぐ睨まれてしまえば、彼は身動きを取る事ができなくなってしまう。

「殿方に身体を委ねるという事は、本来であれば心も伴っていなければならないものだと私は考えております。それなのに、夜伽の月は男性の欲望のまま、クラルテ様は拒否する事は決してせず、その身を捧げられております。そんなクラルテ様の様子を知りもしないで、蔑む言葉を吐かないで下さい」

「それは」

 インディゴはどんな返答をすべきか頭の中で考える。

 理由は、自分が易々と己の非を認めていい立場ではない事を知っているから。

 それをしてしまえば、相手に自分の弱味を握られるという事に繋がり、最悪、寝首をとられてしまう。

 権力のある者が、白い物を黒と言えば、それは黒なのだ。

 側近として働くインディゴは、国王の言葉に従いもするが、自分の言葉で人を従わせる事も出来る立場にいる。


「それは申し訳ない事を口にした」


 そんな彼が、ただの宮仕えの侍女に対し、素直に頭を下げる。

 彼がそうするなど、滅多にあり得ない事ではあるが、幸いにも、この部屋には二人しかいない。


 彼自身も、素直にそう感じたから頭を下げたに過ぎないのだが、自分が言い過ぎてしまったと、言い終えてから気付いたアービは彼の頭頂部をキョトンと見つめる。

「インディゴ様は、目下の人間にも怒鳴る事をせず、非を認める事が出来るのですね」

 気の抜けた彼女の口から、つい感じた事が零れ出る。

「……お前」

 言ってしまった。

 と、両手で口を押さえる彼女の動きが可愛らしいと感じたのは、言葉にしないまま、インディゴはひとつ息を吐く。

「主人に忠誠を誓うのは悪い事ではないが、あまり突っ走った真似はしない方が賢明だぞ」

 言いながら彼は冷え切ったカップに口を付け、お茶を飲み干すと、すっくと立ち上がった。


「三日後」


 そのまま扉まで歩いて行ったインディゴは、扉の方につま先を向けたまま、用事を言い放つ。


「クラルテが必要になる」


 自分が国を支えられるだけの力があれば、彼女の能力に頼る必要なんてないのに。

 

「しっかり食べさせろ」


 ここへ来るまでにちらりと見えたクラルテの姿を思い出す。


「あんなに色白で細くては、魅力も何もあったものではない」


 見る度に細くなっているのは、目に見えて明らかだ。


「ドレスの仕立ても頻度が多い」


 あんな少女の身体を張らせてまで、この国を繁栄させる必要はあるのだろうか。


「しっかり管理するように」


 インディゴは自分の脳裏を掠める思いを掻き消す為に、次々と言葉を放つ。


「勝手にクラルテ様を閉じ込めて、こんな場所で娼婦みたいな事をさせている人たちが何を……。か細くさせてしまっているのは、国王様たちじゃない」

 彼の本心を知らないアービは、言葉のままそれを受け取り、インディゴの背に向けて言葉を放つ。

 国王を侮辱する侍女の発言に、眉が一瞬反応するが、彼女からは見える筈もなく、彼もあえて振り向こうとはしない。

「アヴニール宮に当てられた管理費の中でまかなっているのですから、余計な口は出さないで下さいませ」

 クラルテを護るのは、こうして国王の側近という立場を前にしても臆する事なく発言してしまうこの侍女しか居ないと知っているので、彼も言われるがまま、その言葉を受け止める。


「アービと言ったな」

 

 インディゴから名を呼ばれた侍女は、「はい」と返事をする。

 言い過ぎたとは思うが、間違った事は言っていない。

 アービは姿勢を正したまま、投げられる言葉を待つ。

「先程、忠告したにも関わらず、それを受け入れないのはどうかと思う」

「はい。申し訳ありません」

 そこは素直に腰を折る。

「だが、主人をそこまで想えるのはいい事だ。お前にとっては、いい主なのだな」

 彼の顔は見えないままだが、口調は少し柔らかさを含んでいる様に感じる。

「はい」

 アービは背筋を伸ばし、彼に向けて返事をする。

「そうか。なら三日後の事、頼んだぞ」

「分かりました」

 再び彼女は部屋を出て行くインディゴに向けて礼をし、彼の背を見送る。



「アービ」


 一度閉まった扉が開き、明るい声が彼女の名を呼ぶ。


「行った?」

「はい。もう行かれました」

 出したお茶を片付けようとしていた所に、クラルテの姿がふわりと舞い込む。

「ふふ」

「何ですか?」

「いろいろありがとね」

「何ですか突然」

「何でもないわ。ただ、貴女とインディゴは似てるなぁって思って、聞いていただけ」

「え?嫌です」

「そういうところよ」

 聞き耳を立てていた事には何も反応せず、ただ、いつも嫌味を言って立ち去るあの男と同じ括りにされてしまうのは、納得いかない。

「アービも隠し事しないで、私にしっかり伝えてくれたら嬉しいわ」


 アヴニール宮に仕える者たちは、皆、クラルテの事が好きだ。


 この宮で働く者の中にも、彼女の役目故に、初めの内は汚らしいと思っている者は多数いた。

 だが、誰にでも分け隔てなく、しかも無邪気に笑うクラルテと接し、皆、その毒気を抜かれてしまう。


「彼も口ではあんな言い方しかできないみたいだけれど、本当はとても優しいのよ」

「そうは思えません」

 クラルテのフォローも虚しく、アービはそれを否定する。


「三日後」

「なぁに?」


 小さく呟く侍女の言葉にクラルテは首を傾げる。

「王宮から登城せよ。と、めいを受けました」

「そう。分かったわ」

 ゆっくり告げられるその言葉に、明るかったクラルテの声が少し落ち込む。


「私もお供してはなりませんか?」


 城から呼び出しがある日、クラルテは侍女も伴わず行動する。

 何の為にクラルテが城へ呼ばれるのかアービは知らないが、めいを受ける度に眩しい笑顔が曇ってしまうので、心配で仕方がない。


 彼女を筆頭に、このアヴニール宮で働く者は、クラルテが何故この場所に縛られているのか知らない。


 手を差し伸べたくとも、クラルテは「大丈夫よ」というだけでその場から去ってしまう。

 知ったところで自分たちは、恐らく何も出来ないのだと。

 出来ないというより、させてもらえない。

 だから、誰も何も動かない。


 ただ、仕える彼女がこれ以上深く傷付かぬ様にと振る舞うだけ。


「ありがとう」

 久しぶりのアービからの申し出にクラルテはにっこり微笑む。

「では」

「でも、私だけで大丈夫だから」

「……」


 ピシャリ。


 これ以上は、自分に踏み込ませない。


「分かりました」


 侍女は彼女に頭を下げ、引き下がる。


「片付けがありますので」


 侍女はクラルテの方を見ぬまま告げる。

 主人に対してそんな態度を取ってはいけない事くらい分かってはいる。

 けれど、少しの勇気を振り絞り言葉にした申し出を何度も優しく拒絶されるのは心に切り傷を作られるのと同じだ。


「……」

「……」


 いつまで経っても顔を上げてくれないので、クラルテは扉の方へ身を翻した。

 

 アービはいつも嬉しい言葉をくれる。

 けれど、それに甘える訳にはいかない。

 俯いた顔を見せてはいけない。

 アヴニール宮に仕える侍女たちには、宮に閉じ込められている理由を知られる訳にはいかないから。


「邪魔しちゃってごめんね」


 努めて明るい声でクラルテは扉を開き、アービを一人残し部屋を後にする。

 

「いつもありがとう」





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