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第5話 二つの再会

 シャルロットが覚醒して、三か月近くが経とうとしていた。季節は秋を過ぎ、冬の盛りに差し掛かっていた。

 その間、シャルロットのリハビリは順調に進んでいた。覚悟を決めた心に身体が追い付こうとするのか、体力も順調に回復し、車椅子や杖による補助がなくても、ほぼ日常生活が送れる程度にはなり、痩せて骨と皮だけに近かった体型も、肉がついて年頃の女性らしさを見せるようになった。

 これならそろそろ帝国への旅も問題ないだろう、とベルナール医師が太鼓判を押したある日のこと、離宮に数週間ぶりにルイがやってきた。

「お久しぶりです、お父様」

 ドレスのスカートのすそをつまみ、一分の隙も無い跪礼(カーテシー)で父を出迎えたシャルロットに、ルイは目を細めてその所作を褒めた。

「ほう……しばらく見ぬ間に、だいぶ姫君らしくなったではないか。よくぞここまで仕込んだ」

 褒める対象はシャルロットではなくロザリーであったが。しかし、ロザリーは首を横に振った。

「いえ、これも姫様の努力の賜物です」

 主を立てるのも侍女の仕事ではあるが、ロザリーはシャルロットの努力を本気で褒めていた。何年教えても、なかなか所作礼法が身につかない人も多い中、シャルロットの上達の速さは目覚ましいものがあった。

「そうか。まぁよい。これならば男を惹きつけるにも十分であろうよ。まぁ、多少胸は寂しいようだが」

 女性らしい身体つきになってきたとはいえ、シャルロットの胸は相変わらず、15歳前後という見た目の年代の女性としてはかなり小さいほうだった。ルイのその言葉に、シャルロットはやや頬を赤らめ、ごくわずかに怒りを示した口調で答えた。

「お父様、そのような事をほかの女性には言っておられないでしょうね。もちろん父と娘の間柄でも言ってはならない事ですが」

 ルイはにやりと笑って娘の怒りを受け流した。

「よろしい。咄嗟に今のような娘らしい恥じらいと怒りを出せるようであれば、そうそうボロも出んだろう。一応仮合格としよう」

「……仮合格?」

 首を傾げた娘に、ルイは庭のほうを指して言った。

「春に花の園遊会をやるのを覚えておるだろう?」

「はい。もう備えなくてはならない時期ですね」

 シャルロットは頷いた。園遊会は春と秋の二回、王家と各貴族の親睦を深めるため、王家主催で行われるガーデンパーティの事だ。城の中庭や森で春は花、秋は紅葉を楽しみ、夜には舞踏会が開かれ、文字通り華やかな宴となる。暦の上ではあと三か月ほどで春の園遊会の時期だった。

「そこを、お前のデビュタントの場にする」

 ルイは言った。デビュタントは上流階級の子女が初めて社交界の場に出ることを意味し、これを経て初めて一人前の女性と認められることになる、大事な儀式である。

「そこで大勢の貴族たち相手に、一切正体について疑念を抱かれないようであれば、お前の淑女修行を合格として、ヘルシャー入学の手続きを進める。不合格だった時はわかっておるだろうな?」

 ルイの念押しに、シャルロットは気分の悪さを我慢しつつ頷いた。

「はい、承知しております」

 失敗すれば父の「妻」にされてしまう。そんな事には絶対にならない、とシャルロットは心中に固く誓った。

「ロザリー、デビュタントの準備を進めてくれ。必要なものの手配はそなたの裁量に任せる。金に糸目をつける必要はない」

「承知いたしました」

 ルイの指示にロザリーが頷く。仮の身分とはいえ大公家の姫であり、実際には王国の長子であるシャルロットの、新たな人生を文字通り生き直すための門出。それにふさわしいドレスやアクセサリを誂えなくてはならない。

「姫様、二日ほどいただけますか? 姫様の門出にふさわしい、素晴らしいドレスを仕立てられるだけの職人を探してまいります」

 張り切って言うロザリーに、シャルロットは全幅の信頼を込めて頷いた。

「ロザリーに任せます。貴女なら失敗はしないでしょうから」

 そこへルイが口をはさんできた。

「そうとも。ロザリーは心配いらない。心配はお前だ、シャルロット。ダンスの女性のステップは覚えておるのだろうな?」

 シャルロットは夜の舞踏会では主役として注目を浴びることになる。ダンスを申し込んでくる参列者も多いだろう。そこで大失敗でもやらかした日には、シャルロットの人生は即終了が告げられることになる。

「練習は積んでいますが……」

 シャルロットは自信なさげに答えた。もちろん女性としてのダンスのステップは体力がついてから懸命に練習してきた。一曲や二曲であれば踊りこなすこともできるだろうが、五曲、六曲となれば下手をすれば倒れかねない。

「ふむ……仕方あるまいな。まぁ、キャヴァリエはアルベールだ。気の利いた男だから大丈夫だろう」

 ルイは言った。キャヴァリエはデビュタントで女性のエスコートを務める男性の事で、婚約者がいない場合は親族の男性の誰かがそれを引き受けることになる。シャルロット……シャルル自身、マリーのデビュタントでは婚約者としてキャヴァリエの役を務めた。

 アルベールことロワール大公アルベール・ド・ロワール=ブリガンドはシャルロットの名目上の父親という事になる人物だ。亡くなった王妃ディアーヌの兄、つまりルイの義兄にしてシャルロットとは実際には叔父という事にもなる。

 国のはずれにある領地を治めており、経済的に豊かな家ではなく、また国政に積極的に関与する姿勢も見せていないが、五代前の王弟を祖とする王家の分家であり、この国ではルイに次ぐ格式と貫目を持つ貴族で、無視できる存在ではない。

 もちろん、シャルロットを形式的に大公家の娘だったことにする件については、アルベールも了解している。ルイ自身を除けばシャルロットのキャヴァリエを引き受ける事ができる人物は他にいないと言えた。

「アルベール殿下なら、わたしの事情はご存じですし、お任せできますね」

 シャルロットは頷いた。アルベールは普段領地にいることが多く、あまり登城してくる事はないが、その少ない出会いでも悪い印象を受けたことはない。まず頼って大丈夫な人だろう。

「あやつは別の意味で心配はあるがな……」

 ルイがぼそっと言う。

「お父様? 何か仰いましたか?」

「いや、何でもない。来週にはアルベールが新年の挨拶に上都してくるから、そこで顔合わせとしよう。では、当日までにしっかり準備を進めるように」

 娘の追及をかわし、ルイは城へ帰っていった。

「……お父様は何を言いかけたのでしょう。ロベール、聞き取れましたか?」

 影として聴力を鍛えているであろうロベールにシャルロットは尋ねたが、ロベールは首を横に振った。

「いえ、俺にもはっきりとは。ただ、陛下は大公殿下に何か懸念がおありのようです」

「……懸念?」

 シャルロットは首を傾げる。ルイとアルベールの仲は義兄弟という事もあり悪くはない。ディアーヌが亡くなった時に一時期疎遠になったこともあったようだが、今はそんな事はないはずだ。

(……まぁ、アルベール殿下に会ってみないとわからないか……)

 シャルロット自身が三年ほどアルベールとは会っていないし、今は何が問題なのかわかりそうもなかった。

 

 二日後、ロザリーが珍しく浮かない顔で登城してきた。

「ロザリー、何かあったのですか?」

 何かを悩んでいるようなその表情を見て、シャルロットは尋ねた。

「実は……姫様のドレスを作らせるのに相応しい、素晴らしい技量を持った工房が見つかりました」

 ロザリーの答えに怪訝な表情になるシャルロット。それなら特に顔を曇らせる理由にはならないどころか、喜ばしい事のはずである。

「それのどこに問題が?」

 さらに聞くと、ロザリーは思い切ったように事情を話した。

「その工房なのですが、デザイナーがフランソワ様なのです」

 シャルロットが事情を理解するのに呼吸数回分時間が必要だった。

「フランソワ? もしかして、アスティア侯子のフランソワですか?」

 かつて、側近の一人としてシャルルを支え、この国の改革を誓った同志でもある青年の名を聞いて、シャルロットは驚きに目を見開いた。

「はい……そのフランソワ様です。今は廃嫡とともに貴族籍からも離れておいでですが」

 ロザリーは頷いた。シャルロットは天井を仰ぎ、呟くように言った。

「そう……ですか。フランソワ……無事で生きていたのですね」

 シャルロットはかつての側近たちの現状を知らされていない。父から「廃嫡や更迭は免れなかったが、死んだ者はいない」と聞かされただけである。ロベールなら調べることはできるかと聞いてみたが、ロベールには「その調査については禁止されています」とすげなく断られていた。

 確かに、かつて国を傾ける謀議を行った仲間同士を再接近させるわけにはいかないだろうから、シャルロットが側近の現状を調べるのを禁じられるのは無理もない話だが、それだけにシャルロットは彼らの近況についてはずっと気にかかっていた。

 その一人の行方がようやくわかったわけだが、それにしても……

「デザイナーというのは意外……いえ、そうでもないですね。フランソワは芸術的な事が得意でしたし」

 シャルロットはフランソワの事を思い出す。彼はアスティア侯爵家の長子であり、王太子の側近に選ばれるくらいだから、もちろん政務についても優秀な人材だったが、それ以上に芸術的な才能の持ち主だった。絵画、音楽、詩作などどれも玄人顔負けの実力で、冗談半分ではあるが「大臣をやるより、宮廷画家や楽士になりたいですね」などと言っていたものだ。

「お父様は、そのことを?」

 シャルロットが聞くと、ロザリーは頷いた。

「陛下はフランソワ様の工房でドレスを作るのにお咎めはないと仰せでした。ですから、姫様のお気持ち次第となりますが……」

 ロザリーが浮かない顔なのは、咎人の修道院でマリーと再会した後、罪悪感で吐血するほどに苦しんだシャルロットの事を案じての事だった。フランソワと再会しても同じような事になるかもしれないと思うと、シャルロットのために最高のドレスを誂えたいという気持ちとの間で葛藤があった。

 しかし、シャルロットの気持ちは決まっていた。

「行きましょう、その工房へ」

 マリーと再会してから、シャルロットは自分の罪から逃げないことを誓っていた。フランソワが今どうしているのか、それを見届けるのも罪に向き合う事のはず。

「わかりました。明日にでも工房へ行くことにしましょう」

 主のその決意を見て取り、ロザリーは頷いた。


 翌日、シャルロットはロザリーと共に工房を訪れた。工房自体は王都に店を構えてから百年近くになる老舗だが、今までは特に大きく評判になるような店ではなかったらしい。

 しかし、半年ほど前……まだシャルロットが眠り続けていた頃に雇われたフランソワがデザインを手掛けるようになると、たちまちその評判はうなぎのぼりとなり、今は数か月先まで予約待ちという盛況であるという。フランソワのデザイナーとしての実力がうかがえた。

「これもフランソワ様が手掛けたドレスだそうですよ」

 ロザリーが言う。店頭のショーウィンドウに、マネキンに着せられたドレスが何着か飾ってあるが、こういったものに疎いシャルロットの目から見ても、それは素晴らしい出来のものに見えた。

(……舞踏会でマリーが着ていたドレスがあったが……あれも良いもののはずだが、こっちを見てしまうとやぼったく感じるな)

 シャルロットは記憶の中のドレス姿の女性を思い出しながら、そう考えた。ただ、何か飾られているドレスに違和感がある。

「全部青色系統のドレスなのですね」

 その違和感の正体に気づき、シャルロットは言った。今はまだ冬だが、これからドレスを誂えたとしても着るのは春。ドレスのモチーフにも花を用いることが多い。色合いもピンクや赤など暖色系も用いる多彩なものが主流となる季節だが、フランソワのデザインしたドレスは全て青などの寒色系統で、モチーフも花などを使わず抽象的な模様が主体だった。

「それが新しいデザインだと喜ばれているのかもしれませんが、確かにそうですね」

 ロザリーが頷いたその時、表に貴族の馬車が止まった事に気づいたのか、工房の主が揉み手をしながら出てきた。あまり上品とは言えない印象の男性だった。

「これはこれは……ようこそ当工房へ。ドレスのお仕立てですか?」

 愛想のいい笑顔を見せながらも、店主は上客かどうかを見定めるように目をシャルロットに向けている。その値踏みするような視線をさすがにシャルロットも不愉快に思った時、視線を遮るようにロザリーが前に進み出て言った。

「こちらはロワール大公家のシャルロット姫様です。デビュタントのドレスをこちらで仕立てていただきたいとのご要望です」

「なんと……かしこまりました。中へどうぞ」

 大公家の姫、それもデビュタントのためと聞いて、間違いなく上客と判断したのだろう。店主の案内で二人は応接室へ通された。

「それで、どのようなドレスをお仕立ていたしましょうか?」

 尋ねる店主に、ロザリーが答えた。

「条件はデザイナーとしてフランソワ氏を起用すること。それだけです。あとはフランソワ氏と相談させていただきます」

 それを聞いて、店主は苦笑いを浮かべながら答えた。

「お目が高い。フランソワは当工房で一番の売れっ子ですからな。ですがそれだけに抱えている仕事も多く……」

「予算に糸目はつけません」

 値上げ交渉に入ろうとした店主の言葉をぴしゃりと遮り、ロザリーは断言した。

「は、かしこまりました。今フランソワを呼んで参りましょう」

 店主はニコニコしながら応接室を出て行った。

「フランソワはこんなところで働いているのですか……」

 その間黙っていたシャルロットは、応接室の中を見ながら言った。お世辞にも趣味が良いとは言えない内装だ。ありていに言えば成金趣味である。

「経営方針には口を出されていないのかもしれませんね」

 ロザリーが言う。シャルロットも同意見だった。フランソワが応接室の内装に口を出せるなら、こんな有様を放ってはおかないだろう。

 そこまで思った時、応接室のドアが開き、店主に続いて長身の男性が入室してきた。

「連れてまいりました。デザイナーのフランソワです」

 店主がそう言って、連れてきた人物を紹介する。その顔を見て、シャルロットは懐かしさで胸がいっぱいになった。

(フランソワ……!)

 紛れもなく、かつて側近の筆頭として自分に仕えていた、アスティア侯子フランソワの姿がそこにあった。しかし。

(ずいぶんやつれたな……)

 シャルロットはその顔を見て思う。忙しくてあまり寝ていないのか、目の下には隈ができ、スモック型の作業衣もよれよれになっている。それでも、育ちからくる気品そのものは失っていなかった。

「ありがとうございます。では、後はフランソワ氏とお話をさせていただきますので」

 ロザリーが言うと、店主は少し不満そうな表情をしたものの、では、と頭を下げて応接室を出て行った。

「ただいま紹介にあずかりました、当店デザイナーのフランソワでございます。この度はご指名をいただき、恐悦至極に存じます」

 残されたフランソワは貴人に対する一礼を示し、顔を上げて……シャルロットと目が合った。

「……!?」

 その顔に驚愕の表情が現れ、シャルロットは心臓が跳ねるのを感じた。まるで自分がシャルルだと気づかれたかのように思えたのだ。

「……どうかしましたか?」

 それでもできるだけ平静を保って尋ねると、フランソワも硬直が解け、慌てて再度一礼した。

「失礼しました。以前肖像画でそっくりな女性を見たことがありましたので……」

 その答えに、シャルロットはなるほどと頷く。彼女は母のディアーヌに酷似しているからだ。母の肖像画は城の玄関ホールに飾ってあり、登城したことのある人間なら誰でも見たことがあるはずのものだった。

「ではこちらも改めましてご挨拶を。わたしはロワール大公家のシャルロットと申します。この度はわたしのデビュタントのドレスを手掛けていただけるとのこと。どうかよろしくお願いいたします」

 そう言ってシャルロットが手を差し伸べると、フランソワは彼女の前に跪き、手を取ってその甲にキスをするような仕草を見せた。キスハントと呼ばれ、貴族の男性が女性へ示す敬意を表す挨拶である。

「まだ若輩の身ではございますが、貴女様の一生の晴れ舞台を飾る一着でありますれば、誠心誠意魂を込めて作らせていただきます」

 その決意の言葉に、シャルロットはフランソワと出会ったばかりの事を思い出した。側近衆の一人として父親であるアスティア侯から引き合わされたフランソワは、たどたどしい言葉遣いで忠誠の誓いを立てた。

「まだ未熟者ではありますが、誠心誠意、殿下のために微力を尽くします」

 あれからもう十年になる。その間、フランソワはシャルルのために、その誓い通り忠誠を尽くしてくれた。彼にかけた期待が裏切られた事はない。

(裏切ったのは私だ……私がフランソワの進む道を捻じ曲げてしまった……)

 シャルロットの表情が沈み、身体が微かに震え始める。湧き上がる罪悪感と後悔が彼女の心を黒く塗り潰していく。その異変に気付き、フランソワは声をかけた。

「……姫様? どうかなさいましたか?」

 シャルロットは何も答えられない。答えようとすれば、マリーの時と同じように発作を起こして倒れるだろう。

「失礼ですがフランソワ様……姫様は少々お身体の弱い方なのです。少し休めば治りますので……ソファをお借りします」

 ロザリーもシャルロットが発作を起こしかけていることに気づき、シャルロットを優しく抱くようにしてソファに座らせる。

「そうでしたか。では私も席を少し外しましょう」

 そう言って、部屋を出ようとするフランソワだったが、それをロザリーが呼び止めた。

「お待ちください。男手が必要になる可能性もありますので、しばらくいていただけますか?」

「え? あ、ああ……私でよければ」

 やや不審そうな表情になりつつも、フランソワが立ち止まる。シャルロットを落ち着かせるように背中をさすりながら、ロザリーはフランソワに聞いた。

「フランソワ様は貴族の出とお見受けしましたが……」

 ディアーヌの肖像画を知っているのも、キスハントをするのも、貴族出身者の証明である。フランソワは頷いた。

「まぁ、そうですね。詳しくは言えませんが、その通りです。理由あって今はこうしてデザイナーなどをしておりますが」

 ロザリーはさらに質問を重ねた。

「貴族のご子息がこのようなお店で働いているのは珍しいですね。大変ではありませんか?」

 フランソワはええまぁ、と頷きつつ、それでも笑顔を浮かべて答えた。

「ですが、やりがいはありますね。思えば、私は本来こういう仕事がしたかったのでしょう」

 その言葉に、シャルロットの身体の震えがやや弱くなる。フランソワはその様子に気づくことなく、言葉を続けた。

「貴族として、領地経営や国政に携わるために学びましたが……それよりも、絵を描いたり、楽器を奏でたり……そういう事が楽しかった。貴族として生きるよりも、そうした芸術の道を歩みたかった」

 しかし、そこでフランソワの顔からは笑顔が消えた。

「そういう意味では、今の私は天職に巡り合えたとは言えます。ですが、それと引き換えに本来お仕えしていた方を失う事になってしまった……その事を私は一生後悔して生きていくのでしょうね」

 フランソワは芸術の道に進みたかった。その事に嘘はない。しかし、それよりもなお優先したいものが、シャルルを支え、その家臣として仕える事だったのだ。主を失う事で今の道に進めた事に、フランソワは罪悪感を抱き続けている。

「……ないでください」

 その時、そんな細い声がフランソワの耳を打った。

「え? 今のは……シャルロット様ですか?」

 思わず聞き返すフランソワに、うつむいていたシャルロットが顔を上げて言った。

「悲しまないでください……フランソワ様」

 シャルロットの身体の震えは止まっていた。

「その……きっと、貴方がお仕えしていた方も、貴方がそうして今も忘れないでいてくれることを、喜んでいると思います」

 実際、シャルロットはフランソワがシャルルの死を悼んでくれていることが嬉しかった。恨まれても仕方ないと、そう思っていたのに。

 同時に理解できたことがある。あの青色のドレス。あれは喪服なのだ。青はシャルルが好んで身に着ける物に用いていた色だ。フランソワはこうしてドレスデザイナーになっても、まだシャルルとの思い出に縛られている。

「でも……その事に囚われていて欲しくはない……そう言っていると……わたしは思います」

 本来歩むはずだった道を外れ、貴族としての将来を失ったが、それでもフランソワは天職と言えるものに巡り合った。だから、それを大事にして欲しいとシャルロットは思った。愚かな主の事など忘れて、今のこの道を堂々と歩んでほしい。そこで得られる幸せを大事にしてほしい。思い出で今の仕事に縛りを入れてほしくない……と。

 姿形が変わっても、シャルルであるシャルロットがそれを言うのは、偽善かもしれない。本当はこの場で両手両膝をついてでも、フランソワに謝りたい。しかし、それはできないから、彼女には「死者の代弁」という形でしか思いを伝えることはできなかった。

 しばらくフランソワは黙っていたが、やがてふっと笑みを浮かべた。

「お優しいのですね、シャルロット様は」

 フランソワはもう一度跪き、主君に忠誠を捧げる時のように、胸に手を当ててシャルロットに一礼した。

「貴女のお言葉は嬉しく思いますが、それでも私は後悔を忘れる事はできないでしょう。ですが、それに囚われ足を止めてしまうことはないと、そうお誓い申し上げます」

 そう誓うフランソワの目には、力強い輝きが宿っていた。

 

 

 それから二週間、採寸や仮縫いなどで時々フランソワのいる工房に通いながら、シャルロットは新年を迎えた。と言っても、彼女はまだ公的には認知されていない身なので、離宮にこもったままである。ただ、今回は名目上の父であるロワール大公アルベールを迎えるという重要なイベントが待っていた。

「……どうぞ、ロザリー、ロベール」

 新年二日目の朝、シャルロットは手ずから淹れた香茶を二人のお付きに振舞っていた。ロザリーは主の一挙手一投足に目を配り、淹れられたお茶の色と香りを確かめ、それからゆっくりと最初の一口を味わう……間に、ロベールはさっさと飲み干していた。

「うん、美味いんじゃないですか、姫様」

 遠慮なく言うロベールを横目で軽くにらみ、ロザリーは採点を出した。

「結構なお点前と存じます。これなら大公殿下にもご満足いただけるでしょう……本当に、上達なさいましたね。姫様」

 そう言って微笑むロザリーに、シャルロットも笑顔を返す。

「ありがとう。そう言って貰えると自信がつきます」

 貴族の女性にとって、茶会は社交の場であり戦場。席亭として茶を淹れる腕前は、そこでの重要な武器になる。シャルロットもようやく茶会で戦える腕前に達したのだった。

 いったん茶葉を変え、お湯を沸かし直した時、その人はやってきた。

「あけましておめでとう、シャルロット」

 まずやってきたルイが挨拶する。昨日は年賀の挨拶にやってきた貴族たちへの応対に終始し、やや気疲れしている様子が見えた。

「あけましておめでとうございます、お父様」

 シャルロットも挨拶を返す。昨年は父が戦地で新年を迎えたので、年賀の挨拶は王太子として受けていただけに、その大変さはよくわかる。

「前から言っていた通り、アルベールを連れて来た。なかなか顔を合わす機会もないからな、良く話して互いの認識を合わせておけ」

「はい」

 ルイの言葉に頷くシャルロット。会うのは数年ぶり、もちろんこの姿では初めての事だけにやや緊張があった。

「うむ……アルベール、もう良いぞ」

「おう、邪魔をするぞ」

 ルイの呼びかけに応じ、ぬうっという感じでロワール大公アルベールが部屋に入ってきた。彼は今年四十になる。ルイとは一歳違いの年長で、大柄で恰幅のいい、雄大と言っても良い体格の持ち主だ。どちらかと言えばルイよりもアルベールのほうが武人らしく見える。

 しかし、実際にはまるで戦に興味がなく、性格的には温厚篤実という言葉が良く似合う人物だ。家族を愛する常識人で、父親としてはルイよりよほど全うとさえ言える。そのアルベールに、シャルロットは内心の緊張を抑えつつ挨拶した。

「お久しぶりです、アルベール様。あけましておめでとうございます」

 言ってから、はじめましてのほうが正確だったかな、などと思ったシャルロットだったが、アルベールの顔を見てそれどころではなくなった。

(目が点になるって……こういうことを言うのかな……)

 と思わず考えてしまうほど、アルベールの表情は驚きに満ちたものだった。返礼することすら忘れている。ちょっと不安になったとき、アルベールは我に返ったように声を上げた。

「ほう……ほうほうほう。これは驚いたな! 事前に話を聞いてはいたが……お前、本当にシャルルか? ディアーヌの子供の頃そっくりじゃないか!」

 亡き母の兄でもあるアルベールはつかつかとシャルロットに歩み寄り、屈みこんで目を合わせながら、その頬に手を添えてきた。性格によらず野性味があり、それでいて粗野ではない、今も女性を惹きつける魅力を湛えた顔を近づけられ、シャルロットは何故か顔にさっと熱が籠るのを感じた。

「あの、アルベール様。顔が近いです」

 状況と、そんなことになった自分の反応、双方に戸惑いながらシャルロットが言うと、アルベールはすまんすまん、と笑いながらシャルロットから手を離した。

「では、立ち話もなんだ。茶でも飲みながらゆっくり話そうじゃないか」

「はい。ではお茶を淹れますね」

 アルベールの提案に頷き、シャルロットはティーテーブルに二人の客を誘った。


 シャルロットのお茶は、ルイは「まぁまぁだな」とぞんざいな感想だったが、アルベールは三杯お替りするほど喜んだ。その三杯目を飲み干した後で、アルベールはまじめな表情になってシャルロットを見た。

「さて……一応私はお前の事情については全部聞いている。為政者としては馬鹿な事をしたなぁ、という感想しかない」

「はい……」

 アルベールの言葉にうなだれるシャルロット。しかし。

「うちの子として扱う以上、その辺はちゃんと叱ろうと思っていたが……まぁ、今のお前の姿を見たら、その気もなくなった。どうやら十分報いは受けているようだからな」

 アルベールはそう言って、ニコニコと笑いながらとんでもないことを言い出した。

「なので、何なら本当に完全にうちの子になっても良いぞ。どうせこいつに理不尽な事言われまくってるんだろう? ダメだったらうちに逃げて来ると良い。こいつが文句言ってきても耳を貸さないでおいてやるから」

 そう言って横にいるルイの肩をバシバシ叩くアルベール。

「おい、アルベール、お前な……」

 文句を言おうとするルイだったが、その前にアルベールに制止された。

「良いだろう別に。どんなに悪い事をした人間でも、一人くらいは味方がいたって」

 それを聞いて、ルイはため息をついた。

「やっぱりお前にシャルロットの件を任せるべきじゃなかったよ。絶対に甘やかす気がしてたからな……」

 確かに、若くして亡くなった妹そっくりの少女がいれば、そういう気分になるものなのかもしれない。しかし、シャルロットはアルベールの気持ちを嬉しく思いつつも、自分の意思をはっきりと告げた。

「アルベール様のお気持ちはありがたく思いますが、わたしは自分の罪や義務から逃げるつもりはありません」

 それを聞いて、アルベールはそうか、と答え、温かい目でシャルロットを見つめた。

「立派な覚悟だ。だからこそ味方したくもなる。何でもいい。困った事があったら言って来ると良い。俺はいつでもお前の味方だよ」

 その好意は素直に受け止めておこうと、シャルロットは思った。事情を知ったうえでこう言ってくれる人など、他にそうそういるものではない。

「ありがとうございます……お父様」

 だからか、自然とシャルロットはアルベールを父と呼んでいた。一応書類上は正しい関係性なのだが、それを聞いたアルベールはぽかんとした表情になり、次の瞬間立ち上がると、シャルロットをがばと抱きしめた。

「ひゃっ!?」

 悲鳴を上げるシャルロットに、アルベールは頬ずりをしながら言った。

「ああもう、本当にかわいいなお前は! 絶対本当にうちの子にする!」

「いい加減にしろアルベール!」

 ルイの怒声もアルベールの暴走を止めることはできず、抱き潰すようなその抱擁はしばらく続いた。それでも、シャルロットは女性になって初めて、安心できる気持ちを味わっていた。


アルベール大公の外見はFateのイスカンダルをイメージしています。

イスカンダルとラティファの組み合わせ……普通に親子ですね。

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