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第21話 理と情の迷宮

 書きあがった書類のインクが乾いたことを確認すると、シャルロットは紙を揃えて近くにいた内務委員に手渡した。

「こちら、お願いします」

「かしこまりました」

 内務委員が頷いて書類を受け取ると、自分の机に戻って大きな針で書類に穴を開けて紐を通し始めた。

「ふう……やっと終わりましたね」

 独り言のように言うと、同じように書類を書いていたユースタスが顔を上げ、シャルロットを労うように声をかけてきた。

「ご苦労様でした、シャルロット殿下」

 その口調は一緒に仕事を始めた一月前に比べると親しみが増していた。小宮廷での仕事を決めるにあたっての「お試し期間」となる内務卿の補佐がこの日終わったのだが、どうやらユースタスはシャルロットを共に仕事をするに足る相手だと認めてくれたようだった。死線を共に潜った……と言ってしまっては大げさなのだが、共に戦った仲というのも大きい。その辺はベルンハルトも同じで、彼もシャルロットを見る目は以前より好意的になってきていた。

「ありがとうございます、シーラッハ卿」

 シャルロットも笑顔で返すと、先ほどの内務委員が綴じ終わった書類を持ってきてくれた。この一月でシャルロットが解決に関わった問題についての報告書で、これをコルネリウスに渡して今後の判断材料としてもらうのである。

「では参りましょうか」

 自分の報告書も書きあがったユースタスに促され、シャルロットは立ち上がった。会議室に入ると、既にコルネリウス、ベルンハルトとモーリッツ、ヴィルヘルミーネが着席していた。

「申し訳ありません、お待たせしてしまったでしょうか?」

 シャルロットが訊くと、コルネリウスは笑顔で首を横に振った。

「いや、我々も来たばかりだよ。では今月の定例会を始めよう……まず司法卿から頼む」

「はっ」

 ベルンハルトが手元のレジュメを読み上げ始める。コルネリウスには後で完全版の報告書を提出するが、そこから特に重要なものを抜粋しまとめたもので、これは全員に配布されている。

「この件については処罰が甘過ぎるのではないか?」

「いえ、事情聴取の結果斟酌すべき事情があり、その裏付けも取れております」

 と言った質疑が交わされ、情報交換が進められる。司法卿の報告の後は内務卿の順番になり、まずはユースタスが報告を始める。

「今期は二百三十二通の投書及び相談があり、うち二十七件を基準に沿って受理、処理しております」

 改めて聞いてみると多いなぁ、と思うシャルロット。学園の生徒は三百人ほどだから、単純に計算すれば八割ほどの生徒が何らかの形で投書を行っている事になる。シャルロットが担当した女子の分では、投書だけでも九十七通あったし、直接相談も三件あったので、女子分はちょうど百件と言う事になる。

 もっとも、中にはアンジェリカ事件の偽投書五通が混じっていたり、恋の悩み相談のような内容だったりと無意味なものが相当数混じっているうえ、どうやら投書が趣味みたいな常連的生徒がいるらしく、実際に問題への対処を求めて投書をしている生徒数は全件数の一割くらいではないか、というのがシャルロットの見立てだった。こうした常連生徒の相談は大した内容がない……というより相談の体を為していない、小宮廷に自分をアピールするような内容のものが多く、筆跡を見ただけで不受理ボックスに入れてしまうほどだった。そんな事を考えていると、ユースタスが自分の受け持ち分の報告を終えた。

「五件は補佐官の対応案件ですので、彼女から説明していただきます」

 ユースタスに促され、シャルロットは頷くと自分の担当した案件を説明した後、一つ付け加えた。

「実は、女子からと思われる案件について、本来であればもう五件ほど受理せねばならない案件がありました」

 その言葉に、コルネリウスがやや身を乗り出して聞く。

「ほう。なぜその案件については受理しなかったのかな」

「人手不足が理由ですね。一緒に解決のために動いてくれる女子の委員が必要です。友人にお手伝いをお願いするのにも限度がありますし、できれば増員をお願いいたします」

 シャルロットの答えに、コルネリウスはふむ、と頷いた。

「貴女の言うとおりだな。その件については一考しておこう」

 先送りにするような答えだが、コルネリウスならおそらく迅速に動いてくれるだろう、という信頼感はある。シャルロットは反応を引き出せたことに安心すると、レジュメとは別に今回は対応を見送ったその五件を簡単にまとめたメモを取り出した。

「こちらに引き継ぎ事項を書いておきましたので、よろしくお願いします」

 そう言って、シャルロットはメモをヴィルヘルミーネに差し出した。ヴィルヘルミーネは驚いた表情でシャルロットを見上げ、それから今度は呆れの表情を浮かべた。

「貴女……いい子なのね」

 言葉では褒めているが、揶揄するような口調である。それはそうだろう。競い合う関係という事を考えればシャルロットのした事は敵に贈り物をするのと同じだ。ヴィルヘルミーネはさぞ嘲笑っている事だろうと思う。馬鹿なお人好しだと。

「わたしは困った人を助けたいだけです。それが貴女の力を借りる事でも」

 それが分かっていても、信念を込めてシャルロットは答えた。誰も見捨てない。弱いものの味方であり続けたい。それはヴィルヘルミーネとの競い合いに勝つこと以上に大事な彼女の原点だ。

「まぁいいわ。これは貰っておきましょう」

 ヴィルヘルミーネは処置無し、というように肩をすくめて見せると、シャルロットから受け取ったメモをノートの端に挟み込んだ。

「では、財務卿。よろしく頼む」

 そのやり取りを面白がるような表情で見守っていたコルネリウスが言った。

「はい、こちらを」

 モーリッツがそう言ってレジュメを配り始めるが、司法と内務に比べると……

「なんか分厚いな」

 ユースタスが受け取って首を傾げた。財務報告のレジュメは通常の報告書と同じくらいの分量があった。それを聞いたモーリッツは得意げな表情で答えた。

「ヴィルヘルミーネ殿下のおかげで、今年の予算策定は全て終わったよ」

 一瞬会議室に沈黙が訪れる。それを破ったのはユースタスの疑わしげな声だった。

「は? 予算の策定が全部終わった?」

 信じ難い報告だった。本来予算策定は三か月近くかかる作業である。それをたった一か月で全て終わらせてしまったというのだ。

「それが確かなら大したものだが……確認させてもらって良いか?」

 コルネリウスも若干疑わしげな表情をしているが、とりあえずレジュメをめくって目を通し始めた。シャルロットも黙ってレジュメに目を通す。今後の主な行事についてそれぞれに計算の根拠となる必要物資の見積もり、計算式などがびっしりと書き連ねられており、最後に一年分の予算のまとめが記されている。確かに今年分の予算が全てまとまっていた。

「この計算式は今までと違うようだが、正しいかどうかは確認済みなのか?」

「はい。試しに今回の式で過去三年分の予算を算出してみましたが、補正予算まで含めた実際の結果と一致しました」

 コルネリウスの問いに、モーリッツは自信をもって答えるとヴィルヘルミーネの方を向いた。

「ですが、これらの計算方法の多くはヴィルヘルミーネ殿下が導かれたものです」

 全員の視線がヴィルヘルミーネに集中した。彼女は表情も変えず、しかしどこか隠し切れない得意げな雰囲気を滲ませつつ、謙遜の言葉を口にした。

「そんな事はありませんよ。トラウトマン卿の手助けをした程度です」

「いえいえ、私は殿下の式を検証しただけに過ぎません」

 功績を譲るヴィルヘルミーネの言葉にそう答えるモーリッツの目はヴィルヘルミーネに対する敬意で溢れていた。思わず顔を見合わせるシャルロットとユースタス、それにベルンハルトである。一か月前、小宮廷にシャルロットとヴィルヘルミーネが招かれた時、モーリッツの態度は二人に対する不信感を隠しきれないものだった。他の場で同じ事をしたら、不敬罪で投獄されても文句が言えないレベルの。それがこの変わりようである。

(確かに、トラウトマン卿は能力には素直に敬意を払いそうな人ではあるけど……)

 そう考えるが、それならモーリッツは既にコルネリウスや同僚のユースタス、ベルンハルトにももう少し敬意をもって接しそうなものだ。しかし三人に対するモーリッツの態度はシャルロット達に対してと同様、下手すれば慇懃無礼と取られてもおかしくないものだ。ただ単に能力だけでは彼にとっては敬意に値しないのだろう。

(つまり、人格面でもヴィルヘルミーネ殿下はトラウトマン卿の敬意を勝ち得たと言う事?)

 シャルロットはそう考えたが、それにしてもモーリッツの視線に熱量がありすぎるように思える。そう、あの視線は……まるで……

(いや、まさかね)

 脳裏に浮かんだ可能性を打ち消す。それよりもシャルロットには問題にしなくてはいけない事があった。

(それにしても、年間予算を全て作るとはね。私に絶対に功績を与えないつもりか)

 一応、明日からは財務卿の補佐官として働くことになっているのだが、これでは何も仕事が無い事になってしまう。もちろん予算を作ったからと言って仕事が終わるわけではなく、普段の小宮廷の職務に係る入出金の管理や、何らかのイベントが終わった後の経理報告作成と言った業務もあるが、そうしたものは財務委員たちに任せれば十分で、財務卿が最終確認をして承認するだけなので補佐官の出る幕はない。

(何かしら、トラウトマン卿やヴィルヘルミーネ殿下の見落とした観点を探す必要がある)

 シャルロットはそう考えながら、レジュメを小物袋(レティキュール)に入れた。ここでは読むのに時間が足りない。持って帰ってじっくりと目を通す必要があった。

 


 翌朝、最初の授業の教室に現れたシャルロットを見て、同じ授業を取っていたクラリッサが心配そうに声をかけてきた。

「姫様、どうしたんですか、その目は」

 クラリッサの心配も無理のない事で、この日のシャルロットの目は赤く充血し、目の下には隈ができていた。答えようとして出掛けたあくびを手で隠し、シャルロットは疲労の滲んだ声で答えた。

「ちょっと理由あってほとんど寝て無くて……」

 昨夜、シャルロットは持ち帰った財務卿のレジュメを隅々まで読み込み、何とか自分の意見を通せそうな項目がないかと考え込んでいたのである。気が付くと夜が明けており、もちろんロザリーには激しく叱責されたが、それを宥めて濃いお茶を淹れてもらい、何とか眠気を抑え込んでいる状況である。

「大丈夫ですか? 今日はお休みにした方が良いのでは……」

 シャルロットの身体があまり丈夫な方ではない事を知っているクラリッサはそう勧めたが、シャルロットは首を横に振った。

「いえ……今日から小宮廷の担当業務も変わりますし、何とか乗り切ろうと思います」

 幸い、徹夜のおかげで突破口は見つかった。あとは今日のモーリッツとの初会合でその事を伝えればいい。そう思っていたシャルロットだったが、流石にお昼近くになると眠気が限界に近付きつつあった。

(いかん……頭が働かん……)

 目を開けているのが精いっぱいで、授業の内容が全く頭に入ってこない。やっぱり授業を休んで仮眠をとるべきだったか、と選択の誤りを後悔していると、耳元で囁くような声がした。

(姫様、起きていられる薬があるんですけど、いります?)

 ロベールの秘話だった。シャルロットは辺りを見回し、他の学生たちが授業に集中しているのを確認すると、教科書で口元を隠して囁いた。

(それは助かりますけど、わたしが飲んでも大丈夫ですか?)

 何しろ影が使う薬である。ロベールが勧めてくると言う事は一応安全性は確保されているのだろうが、イメージ的にはやはり怖さがある。

(使い過ぎなければ問題ありませんよ)

 ロベールが答える。影の者たちが不眠不休で任務にあたるような時は、これを使って数日間起きているような事もあり、その後十分に睡眠を取る必要はあるものの、習慣性や中毒性はなく安全な薬だという。

(……それなら良いですけど、もう少し早く勧めてくれても良かったのに)

 シャルロットが言うと、ロベールはどこかへらへらとした雰囲気が伝わるような口調で答えた。

(飲めばわかりますよ)

 印象が薄いくせに、その時だけははっきりと小馬鹿にされた印象だけは残るロベールの薄ら笑いを思い出して、シャルロットは不機嫌になった。とはいえ助け舟を出してくれたことには感謝しておく。

(わかりました。お昼休みに水場で合流しましょう)

(御意。空腹な方が効きが良いので、食事前に来てください)

 シャルロットの提案に答えて、いったいどこに潜んでいるのかはわからないのだが彼女だけに感じられるロベールの気配が消えて行く。あの男もたまには役に立つな、と思いつつシャルロットは残る気力を眠気の抑え込みに費やした。


 昼休みになり、シャルロットは昼食の誘いを断って水場に急いだ。一番近い水場に着くと、既にロベールは待機していた。

「薬をお願いできますか?」

 シャルロットが言うと、ロベールは頷いて袖から小さな紙包みを取り出した。

「姫様に適量になるように分けておきました。これを舌に乗せてから、水で一気に流し込んでください」

 ロベールがそう言って紙包みを渡してくる。開いてみると小指の爪の先に乗る程度の、白い顆粒状の薬が包まれていた。

「これだけで効くのですか?」

 あまりの量の少なさに怪訝な表情になるシャルロットに、ロベールは頷いて水の入ったコップを差し出しながら言った。

「姫様は身体も小さいですからね。夕方まで持つくらいの量ならこんなもんでしょう」

「そうですか……わかりました」

 量が少なくとも、それだけ効力の強い薬なのかもしれない、とシャルロットは納得し、コップを受け取ると薬を舌の先に乗せて、水で飲みこんだ。

「効き始めるのに、だいたいどれくらい……」

 と聞こうとして、シャルロットは次の瞬間口を押えた。最初は意識しなかったが、この薬……

「に……苦っ……!?」

 あの量でとは信じられないくらいの苦みと渋みが口の中に広がり、シャルロットは悶絶しそうになった。

「あー、水が足りませんでしたね。もっと飲んで」

 ロベールの言葉に、シャルロットは涙目になりながらコップに残った水を全て口に含み、舌を洗おうとしたが、痺れさえ伴う強烈な渋さのために上手くいかず、口の端から水がこぼれ、それを止めようとすると今度は吸い込んで咳き込んでしまう。

「けほっ……こほっ……ろ、ロベール……なんなんですか……これは……」

 息も絶え絶えに抗議するシャルロットに、ロベールはすまし顔で答えた。

「いやなかなか酷い味でしょう。でも目は覚めたはずですよ」

 確かに目も覚めるほど酷い味だったが、そういう意味を求めていたわけではない、と怒ろうとして、シャルロットはさっきまで感じていた眠気がすっと消えて行くのを感じた。それどころか、夢も見ず熟睡した後の寝起きのように頭がすっきりとしている。少女の身体になってから少しばかり寝起きが悪くなった彼女にとって、久しぶりに感じる爽快感だ。思わずシャルロットは言った。

「……凄いものですね、これは」

「ええ。ですが、身体に無理させていることには変わりないので、今日は早く寝てくださいよ」

 ロベールが言う。

「わかりました。ありがとう、ロベール」

 シャルロットは礼を言うと、数刻後に迫ったモーリッツとの話し合いに向けて思考を切り替える。薬のおかげで意識がはっきりしたせいか、見落としていた観点も見えてきた。

(私の考え自体は特に問題はないはず……あるとすれば……)

 昨日の会議で見た、モーリッツがヴィルヘルミーネに向けていた視線を思い出す。あの時は自分で思いついて否定した可能性だが、もし問題があるとすればそれだろう。

(あれは、()()()()()()()()()()だった)

 どんな理性的な人間でも変えてしまうもの。それが恋という情熱的な感情だ。モーリッツがヴィルヘルミーネに恋しているとすれば、それが彼の判断を狂わせるかもしれない。ヴィルヘルミーネの助けになりたいがために、シャルロットの足を引っ張ろうとするかもしれない。

 考え過ぎかもしれないが、シャルロットは自分自身が恋に狂って道を誤った事のある人間だけに、モーリッツの視線の意味を思わずにはいられなかった。

(まぁ、本当にトラウトマン卿が恋に盲目になっているなら、それはそれでやりようはある)

 自分の経験に照らしてそう結論すると、シャルロットは小宮廷の入っている建物を見上げた。とにかく勝負は放課後だ。

 

 授業が全て終わり、シャルロットは急いで小宮廷に向かった。いつも通り騎士にブローチを見せて入廷すると、そこには珍しい光景が広がっていた。モーリッツとベルンハルト、ユースタスの三人が談笑していた。ここ一か月ほど小宮廷に通っているが、モーリッツは身分の差を感じているのか、それともそういう性格だからなのか、他のメンバーたちとあまり触れ合っておらず、何か用があっても事務的な会話だけで終わらせるのが常だったのだが。

(何を話してるんだろう?)

 不思議に思うシャルロットだったが、良く見ればベルンハルトとユースタスもどこか困惑したような雰囲気を浮かべていた。二人もモーリッツにこうして親しげに話しかけられるとは思っていなかったらしい。どういう状況なのかには興味があるが、あまり長い時間待つわけにもいかないので、シャルロットは三人に声をかけた。

「ごきげんよう、皆さん」

 彼女からの挨拶に、ベルンハルトとユースタスは少しほっとしたような笑顔を浮かべて挨拶を返してきた。

「お疲れ様です、姫様」

 そう言って胸に手を当て、騎士らしく腰を折る二人に対し、モーリッツはどこか面倒そうな表情で答えた。

「ああ、いらっしゃいましたか、姫殿下」

 この慇懃無礼な、いつも通りの態度を見せるモーリッツに逆にシャルロットは安心し、彼に笑顔を向けて言った。

「はい。お仕事の話をいたしましょう、トラウトマン卿」

 しかし、モーリッツはやはり面倒そうな表情を崩さずに答えた。

「ですが姫殿下、昨日報告した通り、今年の予算は策定し終わりました。貴女に手伝っていただくようなことはもはや残っておりません」

 そう答えが返ってくるのはわかっていた。シャルロットは小物袋(レティキュール)から昨日の財務のレジュメを取り出し、予算の人事の部分を見せた。

「それについて疑問があるのですが、こちらの人事予算、現在の人員数で策定されていますね?」

 シャルロットが気付いたのはそれだった。予算の細目は書いていないが、額から見て昨日彼女が提案した、女性の委員を増員するという観点はないはずなのである。その部分の予算を作る事ができればシャルロットの功績になるのだ。

「ああ、その件ですか」

 モーリッツが何でもないように言う。シャルロットは一瞬不安を覚えた。もしかして、すでにその辺も織り込み済みで予算が策定してあり、自分の方が見落としていたのかもしれないと思ったからだ。しかし、次のモーリッツの言葉はシャルロットにとって意外であると同時に信じられないものだった。

「ヴィルヘルミーネ殿下は、そこはご友人方に頼れるから不要だと仰っていました」

「……え?」

 思わず唖然とするシャルロット。彼女だけでなく、ベルンハルトとユースタスも目を丸くしていた。

(いやちょっと待て。ヴィルヘルミーネ殿下は学園で一番位階の高い女生徒だぞ。友人と言っても実質臣下だぞ)

 シャルロットは軽い頭痛を覚えて額を押さえたくなった。ヴィルヘルミーネが言っているのは、要するに友情を言い訳に臣下をタダ働きさせようという、上に立つ者としてあってはならない発想だ。財産の少ないシャルロットでさえ、協力を依頼した時にはクラリッサやテレーゼに何がしかの礼はしている。

そして、こうした貴族の横暴ともいうべき発想にモーリッツが待ったをかけていないというのは深刻だ。本来彼の立場からすれば絶対に止めなければいけない事のはずだ。

(やっぱり、トラウトマン卿はヴィルヘルミーネ殿下に対する個人的感情で判断が狂っているのだろうか……?)

 シャルロットは考えた。そうだとすると、理を説いても逆効果になってしまうだろう。そう、アリアへの恋情に狂っていた自分が、マリーの理を尽くした言葉を受け入れられなかったように。

「……承知しました。ですが、今後ヴィルヘルミーネ殿下のようなお立場の方ばかりが役職に就くとは限らないと思います。現にわたしもこの学園にそれほど友人が多いわけではありませんし」

 シャルロットは搦手から自分の主張を通す方向で行こうと決め、モーリッツに正面から正論をぶつけないよう言葉を選びながら話し始めた。

「来年以降の事を考えて、予め女性委員向けの予算の策定方針を検討したいのですが、そちらを任せていただけないでしょうか」

 こうしておけば、今年急に女子の委員を小宮廷に入れる事になった場合でも対応しやすい。そして、シャルロットがそうやって下手に出る形で提案した事が奏功したのか、それとも興味が無かったのか、モーリッツは拒否はしなかった。

「……まぁいいでしょう。姫殿下は来年も小宮廷におられるかもしれませんし」

 モーリッツも含め、現在小宮廷の役職者は三号生だ。来年は卒業済みで学園にはいないはずなので、彼が来年の事まで考える責任と必要がないのは確かであるが、気が付けば自分でやってしまいそうな性格だけに、やはり反応がおかしいなとシャルロットは思った。

「ありがとうございます。もし臨時に予算が必要になった場合は対処してもいいですか?」

 許可を得た上で、さらにもう一歩踏み込んで言質を取りに行ってみる。

「それは構いませんよ」

 モーリッツは頷いた。シャルロットとヴィルヘルミーネが任命されている補佐官と言う役割は、女子生徒の問題に対処する場合に上役が許可する範囲でならその権限を代行できるものだ。しかし、ここでシャルロットは敢えて問題を限定せずに「臨時に予算が必要になった場合」と曖昧な条件を付けてみた。つまり、場合によっては女子生徒の問題に限らず財務卿の権限を代行してもいいかという質問なのである。

 しかし、モーリッツはそこに気付かなかった。本来なら気付いていいはずだ。シャルロットはモーリッツに再度礼を言うと、ベルンハルトとユースタスにそっと目配せをした。二人もそれに気づき、腰を上げる。

「すまん、ちょっと用事を思い出した」

「俺もだ。またな、モーリッツ」

 そう口々に言うと、二人は小宮廷を出て行った。シャルロットもレジュメを小物袋にしまい込み、モーリッツに頭を下げた。

「では、明日から本格的に業務にかかります。今日は調べ物があるので失礼しますね」

 そう言うとシャルロットは小宮廷を出た。途中、少し前にヴィルヘルミーネと雑談した辺りでベルンハルトとユースタスが待っていた。

「どこか適当な空き教室を使わせてもらいましょう」

 シャルロットの提案に二人は頷き、ベルンハルトが近くの教室を開けた。ドアを閉めて早々、前置きなしにシャルロットは二人に尋ねた。

「どう思いましたか?」

 何がとは言わない。二人もわかっていたからだ。

「昨日もそうでしたが、今日のあいつは明らかにちょっとおかしいですね」

 ベルンハルトがまず答えた。

「普段なら絶対に言わない事を言ってましたし……どうしたんだろうか」

 ユースタスも首を傾げる。やはり二人ともモーリッツの様子に違和感は持っていたのだろう。シャルロットは疑惑を確信に変えつつ聞いた。

「先ほど三人で話されていましたけど、あれはどういった話題を?」

「それは大した話ではないですね。世間話と言うか……」

 ユースタスが答える。

「ですが、そんな話をする事自体、あいつにはありえない話です」

 ベルンハルトが続ける。シャルロットは少し考え、気になっていた事を尋ねた。

「ヴィルヘルミーネ殿下の事は、何か話していましたか?」

 その問いに、二人は顔を見合わせた。しばらくして、ベルンハルトが答えた。

「そういえば……今日珍しくあいつから話しかけられたので、どういう風の吹き回しだと聞いたんですが……ある人に勧められたからだと。もっと仲間と仲良くしろと」

「そう言えば言ってたな。その"ある人"がもしかしたらヴィルヘルミーネ殿下なのかもしれませんね」

 ユースタスが後を引き取り、後半をシャルロットに向けて話す。

「そうですか……」

 頷きながら、シャルロットは王太子(シャルル)時代の事を思い出していた。シャルルの側近衆も、初めから一枚岩だったわけではない。特にモーリッツと似た立場のマティアスは気に入らないと見れば誰にでも噛みつく男で、和を大いに乱してくれたものだ。

 思い返せばオスカルとフランソワも最初は反目していた。武人と芸術家だ。気が合うわけがない。クローヴィスも最初は本を読む事ばかり夢中で、人の話を聞いておらず皆を苛立たせるところがあった。そうした面々をまとめていく事ができたのは、もちろんシャルル自身の努力もあったが……

(アリアの力も大きかった。彼女が潤滑油になってくれたから……)

 人当たりの良い彼女が間に入って対立を緩和してくれたから、側近衆は次第に団結できるようになっていったのだ。ヴィルヘルミーネも同じ事をしようとしているのだろうか? だが仮にそうだとしてもその狙いは……

(私を孤立させ、排除する事……だろうな)

 そう考えながら、シャルロットはユースタスを見上げた。ヴィルヘルミーネの目的に対する推測が正しければ、彼女の次の狙いはこれから一月一緒に仕事をするユースタスだろう。

「どうしました?」

 視線を感じたのか、尋ねてくるユースタス。シャルロットは答えた。

「ちょっとお願いがあるんです」

 ヴィルヘルミーネの思い通りにはさせない。そう思いながら、シャルロットはユースタスにある頼みごとをしたのだった。

 

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