第20話 彩(いろどり)の花園
アンジェリカことブランカ・ロペスの誘拐未遂事件から二日後、彼女の退任が学園長が招集した全校集会で生徒たちに伝えられ、生育の授業は当面臨時に前任の教師が復帰して教える事に決まった。もちろん退任の本当の理由は伏せられ、生徒達には「急遽実家に戻る必要があったため」とだけ伝えられた。
その日の放課後、シャルロットはクラリッサとテレーゼの二人を自室でのお茶会に誘った。アンジェリカの情報集めに二人の力を借りたのでそのお礼という形であるが、急な退任劇の後だけに、二人ともこの一件にシャルロットが絡んでいる事は何となく察していた。
「実際のところ、姫様はどのくらい関わったんですか?」
そういうことをあけすけに聞いてくるのは、やはり物おじしないテレーゼの方である。
「ちょっと、テレーゼ……」
止めようとするクラリッサ。シャルロットは苦笑しつつ答えた。
「その件については殿下から口止めされておりますので」
かなり深々と関与した事、退任に明かせない裏事情がある事を告白してしまっているようなものだが、詳細は教えていないし、二人にならこのくらいなら言ってもいいだろうとシャルロットは信頼していた。
「ところで……お二人にお聞きしたい事が」
話題がアンジェリカの事になったため、シャルロットは思い出した事を二人に聞く事にした。
「どうしました?」
「私たちに答えられる事なら何でも答えますよ」
口々に言う二人に、シャルロットはブランカから最後に教わった事を聞いた。
「アンジェリカ先生にツェルラッハ工房というお店が良いと教えられたのですが、お二人はご存知ですか?」
クラリッサとテレーゼは顔を見合わせた。
「知ってるというか、実は私はひいきにしてますけど……」
答えたのはテレーゼだった。現在は放課後という事で全員制服ではなく私服であるが、テレーゼのドレスは彼女らしく襟ぐりを広く開けて、豊かな胸を強調させるようなデザインになっている。
(……こういうのはわたしやクラリッサさんには似合わないのでは……)
とシャルロットが考えた時、テレーゼが首を横に振って言った。
「いえ、この服はツェルラッハ工房のじゃないですよ」
なんだ違うのか、とシャルロットが少し安心していると、クラリッサがテレーゼに言った。
「私もツェルラッハ工房はちょっと気になってたんだけど……名前は聞いてはいたけど行った事ないし」
クラリッサも興味を持つという事は、テレーゼのような少し派手目な女性だけを相手にしている工房ではないらしい、とシャルロットが納得していると、テレーゼが良い事を思いついたというように手を打った。
「それじゃ、今度私が案内するから、姫様も一緒に行きませんか? クラリッサも」
それを聞いて、少し慌てたのはクラリッサだった。
「え、ちょっと……私はともかく、シャルロット様を案内して大丈夫なの?」
立場的にクラリッサとしては万が一シャルロットに何か危害でも加わるような事があっては困るという事だろう。
「大丈夫よ。一応外れの方とは言え、貴族街にある店だし、私みたいに貴族の客も多い店だから」
テレーゼがそう言っても、まだクラリッサはちょっと躊躇しているようだったが、そんな彼女の逡巡を破ったのはシャルロットだった。
「お友達と買い物、ですか……」
シャルロットとしては、シャルルだった頃に城下への微行をしていた経験もあるので、それほど心配はしていない。庶民の店で買い物をした事もあるし、何なら屋台で買ったものを食べたこともある。
しかし、それはいつも一人でやっていた事だ。流石に側近たちは連れていけなかったし、婚約者と行くのは論外。アリアと出会ってからは彼女と城下を歩くことも多かったが、それもやはり「友人」と呼べる関係ではない。そんなシャルロットにとっては、友人とお出かけする、という事自体が……
「いいですね、それ」
と言う憧れのシチュエーションなのであった。加えて言えば、入学してから学園の外に出た事と言えば、ヴィルヘルミーネのお披露目式に出席した時と、ブランカの一件で狩猟場に行った時くらいである。そう意識してみると外出したいという想いが強くなるのをシャルロットは感じた。
「では次の休みの日に行きませんか? 私が案内しますから。クラリッサも一緒にどう?」
シャルロットが乗り気なのを見て、テレーゼが嬉しそうに言う。クラリッサも納得したらしく頷いたので、週末は三人でツェルラッハ工房に行く事になったのだった。
週末が来て、三人はテレーゼの家の馬車で帝都に向かった。何気ない雑談で盛り上がっている間に馬車は賑やかな大通りを外れ、堀を渡って貴族の住む街区へ入った。クラリッサとテレーゼの実家も含め、大方の貴族はこの辺りに帝都滞在中の居宅となる上屋敷を構えている。
「この辺りに店を出しているという事は、ツェルラッハ工房は貴族向けのお店なのですか?」
シャルロットはテレーゼに尋ねた。あまり貴族と関わりの無さそうだったブランカが貴族向けの店を知っているのはちょっと意外な感がある。一応彼女も貴族に準じた地位の持ち主ではあるのだが。
「いえ、お店のオーナーが貴族なんですよ。それもあってこっちの店は貴族向けですが、庶民向けの店も持ってますよ」
答えるテレーゼ。彼女の説明によれば、ツェルラッハ工房のオーナーは「男爵夫人」の位を持っているのだという。爵位としての「夫人」は、貴族の配偶者としての女性ではなく、自身が爵位を持つ女性である事を意味している。
「それはつまり、一代貴族として、という事になりますか?」
シャルロットは尋ねた。貴族の地位を金で買う形式の一代貴族の制度は帝国にも存在する。もしオーナーがそうなら、女性でありながらそれだけの事業の成功を収めた、素晴らしい才覚の持ち主という事になる。
「ええ。庶民向けの店も持っているというか、そっちが本業だったそうです」
テレーゼが説明する。ツェルラッハ工房のオーナー、クラーラ・フォン・ツェルラッハは、何の変哲もない普通の工房だった実家をある商品を売り出す事で急成長させ、その商品を貴族にも売り込むために自ら一代貴族になったというやり手、と言うよりは「女傑」の域に達している人物なのだそうである。
「その生き様が私としては憧れの対象なんですよね。それで実際に工房に行ってみたら、男爵夫人はもちろん商品も気に入ってしまって……今ではツェルラッハ製品以外は考えられないくらいですよ」
テレーゼが言う。帝国でも若手の貴族子女たちの間で人気のあるテレーゼが贔屓にしているという事もあり、今ではツェルラッハを愛用している女性貴族は多いらしい。
「それはまた……わたしも会うのが楽しみに……」
シャルロットはそう言って、途中である疑問に突き当たり言葉を切る。テレーゼは「ツェルラッハ製品以外は考えられない」とまで言ったが、先日の彼女のドレスはツェルラッハ製品では無かったはずでは?
その疑問を口にする前に、馬車が軽い振動と共に停車した。
「テレーゼお嬢様、つきました」
御者が扉を開けて報告してくる。テレーゼは笑顔を浮かべて頷いた。
「ご苦労様、ハンス。いつものように二刻ほどしたら迎えに来てくれる?」
「承知しました」
テレーゼの指示に、どこか安心したような表情で受令する御者。シャルロットは首を傾げた。
「お店の前で待っていてもらわなくて良いのですか?」
二刻は長いにしても、馬車とその御者は普通主が戻ってくるまではそこで待機しているものだ。馬車を使うような客が来る店なら、そのための待機場所が用意されている事も珍しくはない。しかしテレーゼは何でもない事のように頷いた。
「はい。ちょっと……男の人が前で待っているのは憚られるお店ですから」
なんだそれは、と思ったシャルロットだったが、すぐ答えはわかった。彼女がドレスを作ったフランディアのシャルバン工房同様、ここにも製品を展示するショーウィンドウが用意されているが、そこに飾られていたのは……
「下着のお店だったのですか……」
シャルロットは呟くように言った。それは男性を前に待たせたくないはずである。しかも、彼女が持っていないアヴァンギャルドの専門店だった。そういえば、ブランカの為人を確かめるために診察を受けた時に、ブランカはシャルロットの下着がクラシックスタイルなのを見て、アヴァンギャルドも揃える事を進めてくれていたな、と思い出す。そのために最後の教えとして、お勧めの店を紹介してくれたのだろう。
「ええ。姫様こういうのお持ちでないでしょう?」
うきうきと言うテレーゼに、クラリッサがため息交じりで言った。
「貴女が着けてるようなの勧めちゃだめよ、テレーゼ」
シャルロットはクラリッサの言葉にもう一度ショーウィンドウを見る。マネキンを飾る、今自分が着けているものより格段に布地の少ない下着。これでもシャルロットにとってはかなり刺激の強い代物なのだが、マネキンが成熟した女性の体形を模したものなので余計にそう感じる。
「……わたしが……これを……その」
言葉が見つからないシャルロット。最近ようやく自分の下着姿が平気になって来たのに、これらアヴァンギャルドを身に着ける事を考えたらその「慣れ」が元の場所よりもさらに後退しそうな気がする。
「うーん……こういうのじゃない、もう少し大人しめのデザインもありますから」
テレーゼがシャルロットの言いたい事を悟ってかそう答えたので、少しだけ安心する。クラリッサはああ言っているが、テレーゼがシャルロットが嫌がるようなデザインの下着を勧めてくる事は無いだろう。しかしテレーゼは別にシャルロットの下着を選びたいわけではなかった。
「それに、姫様なら私やクラリッサではなく、男爵夫人が自ら接客されると思うので」
シャルロットとしては納得するしかない指摘である。偉ぶる気はないが、流石に大公息女相手ともなると普通の店員は近づいても来ないだろう。
「とりあえず入りましょうか……いつまでも前でお話しているのもお店に迷惑でしょうし」
クラリッサに促され、三人は店内に入った。
「これはウルム令嬢。お越しくださりありがとうございます」
店員が挨拶してくる。テレーゼは挨拶を返すと、シャルロットとクラリッサの方を手で指した。
「今日は新しいお客さんを連れてきたの。男爵夫人を呼んでくださるかしら?」
上客のテレーゼが連れてきたとなると、最低でも同格の高位貴族の娘だろうしこれは大きな商談の機会だ、と判断した店員は丁寧にシャルロットとクラリッサに頭を下げた。
「承知いたしました。応接室へご案内しますので、そちらでお待ちください」
そう言って、店員は三人を商談用の応接室へ案内した。そこはちょっとしたサロンのような上品な内装で、ソファやティーテーブルが設えてある。ゆっくりと商談ができそうな雰囲気だ。少し不思議なのは、横の壁に幾つも扉がついている事だった。
何の扉だろう? とシャルロットが考えていると、店員がお茶を用意し、三人の前に軽い茶菓子と共に並べていく。その手際の良さは上級メイドくらいは軽く勤まりそうだ。
「では、オーナーがくるまでしばしお待ちください」
店員は頭を下げ、応接室を出ていく。茶に口をつけてその味にもシャルロットが感心していると、扉が開いて一人の女性が入ってきた。三人が立つと女性は丁寧な跪礼で挨拶をした。
「当工房へようこそいらっしゃいました。オーナーのクラーラ・フォン・ツェルラッハでございます」
ツェルラッハ男爵夫人は、一代貴族かつ元は職人という事でシャルロットが想像していたのとは異なり、貴族として恥ずかしくない洗練された物腰を備えた、三十代程と思われる女性だった。顔立ちもなかなかの美人である。
「お久しぶりです、男爵夫人」
まずテレーゼが挨拶を返す。一代貴族に対するものとは思えない敬意の籠った声に、シャルロットはテレーゼが本当にツェルラッハ男爵夫人を尊敬してるんだな、と思って感心した。前から感じていた事だが、身分よりも人の内面を見抜いて尊敬する事ができるテレーゼの姿勢は、本当に素晴らしいと思う。
(一応、テレーゼには親しくしてもらっているけど……彼女に見限られるようなことがないようにしないとな)
テレーゼの友人でいられるうちは自分は大丈夫だ。そんな事を考えている間に、そのテレーゼはツェルラッハ男爵夫人に連れを紹介し始めていた。
「こちらは私の親友で、コルベルク伯家のクラリッサ」
呼ばれたクラリッサがツェルラッハ男爵夫人と挨拶を交わす。続いてテレーゼはシャルロットを紹介した。
「こちらがフランディアの大公息女、シャルロット様です」
それを聞いたツェルラッハ男爵夫人が驚きに目を見開くので、シャルロットは相手を落ち着かせるように笑顔を浮かべて跪礼した。
「ご紹介に与りました、シャルロット・ド・ロワール=ブリガンドです。男爵夫人の御高名はかねてより伺っております。お会いできて嬉しく思います」
「いえ、こちらこそ……噂に名高いシャルロット姫様のお越しを賜り、光栄至極に存じます」
額に汗を浮かべて再度頭を下げるツェルラッハ男爵夫人。流石に王族・準王族がくることは予想外だったらしい。しかし驚きながらもその振る舞いは礼儀にかなったもので、生まれを考えればこれほどの貴族らしさを身に着けているのは、シャルロットの方こそ驚きに値する。
「今日は客として参りましたので、固くならずとも大丈夫ですよ」
改めて緊張を解くように言うと、客であると強調した事が良かったのか、ツェルラッハ男爵夫人は嬉しそうな笑顔を浮かべで答えた。
「それはますます光栄です。姫様にお似合いの品を必ず見立てさせていただきます」
「はい、よろしくお願いしますね、男爵夫人」
シャルロットが返事をすると、ツェルラッハ男爵夫人は再度頭を下げた。
「私の事は、気楽にクラーラとお呼びください」
今でこそ貴族だが、元庶民なら爵位で呼ばれるのは肩が凝るところもあるのだろう。シャルロットは了承し、ふと気になった事を尋ねた。
「ところで、わたしが噂に名高い、とは? そんなに目立つ事をしているつもりはないのですが……」
学園の中ではそこそこ功績をあげていても、そんな事は帝都では知られていないはずである。しかしクラーラの答えはシャルロットの想像の外にある事だった。
「シャルロット姫様が光輝宮を訪れられた時に、見事なデザインのドレスをお召しになっていたことは帝都の住民たちにはしばらく噂でしたよ。それだけの方をお迎えできるのは、服飾に携わる身としては光栄な事です」
「そう言う事でしたか」
自分の事よりドレス、ひいてはフランソワの腕が認められていたことをシャルロットは嬉しく思った。
「それではあちらの試着室へどうぞ。見立てる前に、まずお身体のサイズを測らせていただきます」
クラーラは壁際の扉の一つを指した。なるほど、横の扉は試着室のものだったらしい。クラーラは店員を呼んでテレーゼとクラリッサの相手を任せ、シャルロットと共に試着室の一つに入った。
「では、お召し物を脱がさせていただきますね」
服に手をかけるクラーラを制し、シャルロットは裾に手をかけた。
「あ、大丈夫です。これは自分で脱げるものなので」
着替えが多いだろうと思い、シャルロットは制服を着て来ていた。着替えも人に手伝ってもらうのが当たり前の身分である彼女が自分で服を脱いだことに、クラーラは驚いた表情で聞いた。
「驚きました。姫様はいつもご自分で着替えを?」
「え? そういうわけではないですが、学園にはメイドを一人しか連れてきていませんし、身の回りの事でできる事は自分でできるようにしよう、とは思っています」
脱いだ制服をハンガーにかけながらシャルロットは答えた。貴族が着替えすらも他人にやらせるのは、使用人たちに仕事を与えるためでもあるから、単なる虚栄というわけでは無くちゃんと意味はあるのだが、目覚めてからしばらく自分で自分の事を何一つできなかった時期のあるシャルロットは、何でもいいから自分にできる事を少しずつ増やす事を好んでいた。
「そうですか……」
クラーラは感慨深そうに呟いた。シャルロットの姿勢になにやら感銘を受けたらしい。気を取り直したようにサイズを測りはじめながら言葉を続ける。
「そういうことであれば、私どもの製品はきっと姫様のお気に召すものと思います」
そう言って、クラーラは測った数値をメモに落とすと、いったん店内に戻って、サイズの合う下着を何セットか持ってきた。
「姫様のお身体とお歳、雰囲気に合わせて似合いそうなものをいくつか見繕ってまいりました。アヴァンギャルドの着け方はご存知ですか?」
クラーラの言葉に、シャルロットは首を横に振った。実際のところ今着けているクラシックの下着のつけ方も彼女は知らない。正確には何となくわかってはいるのだが、身体の脇や背中まで設けられた無数の結び目を調節して身体に合わせるので、ロザリーにやってもらわないとどうしようもできないのである。
「承知しました。これらは慣れればすべて自分一人で着けられるものですので、やり方をお教えしましょう」
クラーラは頷いて、シャルロットの下着を脱がせ始めた。ビスチェの背中の紐を解きながら、彼女は感嘆したように言う。
「まぁ……絹のように滑らかで美しいお肌ですね。それに抜けるように白いですし、これなら濃い目の色柄物でも似合うかも……」
褒められた事にくすぐったい気持ちになりつつ、シャルロットは試着用に用意された下着を見た。濃い目の赤や紫もあれば、淡い黄色や水色など、色を付けたものが多い。普段着けているクラシックの下着は白一色が基本だ。
「普通の服は様々な色があるのに、下着は白しかないというのもつまらないと思いまして」
シャルロットの視線に気づいたのか、クラーラが言う。確かに下着だけ白でなければならない、という事も無いだろうが、シャルロットは疑問に思った。
「別に他人に見せるわけでもないのに?」
よく見れば、用意された下着は色付きなだけでなく、ドレスのように繊細なレースや刺繡などの装飾が施してある。相当高価なものになるのではないだろうか。それだけの工夫、細工が施されたものを服の下に隠れて見えない部分に使うのはもったいないような気がする。
「そのような事はありませんよ」
ビスチェを脱がせながらクラーラは答えた。
「見えない所にも気を使う、拘る、という事は身に着けた女性に自信を与えるものですよ。そうですね……」
少し言葉を吟味し、クラーラは続けた。
「戦士や騎士様が、懐にダガーなどを忍ばせていくようなものでしょうか」
シャルロットにはそれは良く理解できる感覚だった。自分は無防備ではない。戦う術を持ち、備えているという自信。だからクラーラの言わんとするところを察する事ができた。
「それと同じようなものが、下着をお洒落にする事なのですか?」
「はい。私どもの商品を着けた時、見えない所にも気を配っている自分、という事が女性に自信を与えてくれるような、そんなものを作ろうと日々努力しております」
意図が伝わった事に嬉しそうに答えるクラーラ。
(……そんなものかな?)
言いたい事はわかるが、微妙にまだ違う気がする。そうしてる間にクラーラはビスチェを脱がし終えると持ってきた下着の一つを手にした。布地は赤く染めたシルクで、光沢のある白やピンクの糸で花を象った刺繍がつけてある。
「まずはこのブラジャーから試していきましょう」
華麗ではあるがビスチェより格段に布地の少ないそれを見て、シャルロットは不安になった。本当にそんなもので安心感が得られるのだろうか?
しかし、クラーラの指導を受けながらブラをつけてみると、シャルロットはその着心地に驚いた。何と言っても軽い。布地が少ないから当たり前なのだが、それよりも締め付けの少ない事がとても快適だ。
(そうか、全身鎧と胸当てだけの違いみたいなものか……)
男だった頃、鎧を着けた時の事を思い出してシャルロットはそう考えた。胸当てだけだと防御力に不安があるように見えるが、実は動きやすく敵の攻撃をかわしやすくなるので、それほど安心感は変わらない、という感覚だ。
「いかがですか?」
クラーラに聞かれて、シャルロットは動きやすさに加えてもう一つ気付いた事を話した。
「心なしか、胸が大きくなっているように見えるのですが……」
健康を取り戻してからは少しづつ肉がついて、女性らしい丸みを帯びてきたシャルロットだが、胸だけは男だった頃からの好みとは程遠い慎ましやかなものから成長していなかった。しかし、ツェルラッハ工房のブラをつけてみると、豊満とは言わないまでもある程度膨らみができているように見える。
「はい、胸を収めるところの内側に、少しだけ中綿を入れたパッドというものを付けてあります」
クラーラが答える。
「姫様くらいの年頃の女性は、成長に伴って胸が痛くなることもありますので、保護のために入れるものですが、このように胸を大きく見せる事も出来ます」
頷きながら、シャルロットはブラの上から自分の胸に手を当ててみる。実際に成長しているわけではなくとも、密かに不満に思っている自分の胸の小ささが解消された気がして、すこし堂々と胸を張れる気がする。
(そうか……夫人が言っているのはこういう感覚なのか)
確かに、目に見えない所に自信の源を持っているというのは懐刀のそれに通じるところがある。シャルロットが満足していると見て取ったのか、クラーラはブラと揃いになっているショーツを手に取った。
「次にこちらもお試しください」
渡されたシャルロットは困惑した。明らかにサイズが小さすぎるように思える。何しろ片手の手のひらに乗る程度の大きさしかないのだ。
「わたしは自分でも身体が小さい方かなとは思ってはいますが、流石にこれは穿けないのでは……?」
シャルロットが言うと、クラーラは自信ありげに笑った。
「大丈夫です。ちょっと力を入れて広げてみてください」
「こう……ですか? わ……」
言われた通りにしてシャルロットは驚いた。布地が大きく引き伸ばされたのだ。これなら穿く事ができる。
「布の素材や織り方を工夫し、伸縮性を持たせました。腰回りには溶岩地竜の皮を加工した紐を入れてありますので、ずり落ちる心配はありません」
クラーラが説明する。溶岩地竜はその名の通り、火山地帯に生息する地竜の一種だ。高熱に耐えるその外皮は非常に強靭で、特殊な薬品で煮込んでからなめしてやると伸縮性に富んだ性質に変化する。皮を細く輪切りにしたものは、様々なものを纏めて保管しておくのによく使われる。
それを服の裾に使ってやるというのは新しい発想だった。今穿いているドロワーズを脱ぎ、そっとショーツに足を通すと、それはぴったりとシャルロットの腰と尻を覆い、全くずれる様子がない。動きやすさという点でも着用しやすさという点でも、ブラ同様文句のつけようがなかった。
「これは本当に素晴らしいものですね……それに、身体に熱がこもらないのが良いですね」
シャルロットは絶賛した。クラシックスタイルは体を覆う面積が大きいので、次第に暖かい季節になりつつある最近では、体の熱や汗が籠り不快に感じる時がある。クラーラは頷いた。
「そうですね。元々、アヴァンギャルドは平民の女性向けに作られたものですから」
着替えにも多くの人手を使える貴族と違い、平民は一人で着替えなくてはならない。家事のために忙しく動き回る必要もある。だから元々こうしたアヴァンギャルドに近い簡素な下着が普通だった。それを様々な工夫でさらに実用性を上げているのが今のアヴァンギャルドに繋がっている。
シャルロットはある記憶を思い出す。アリアと床を共にした時の事だ。彼女も平民なので、アヴァンギャルドとは言えないまでもやはり簡素な下着を身に着けていた。その露出度の高さに興奮した事まで思い出す。
「では、一度姿見で確認していただきましょう」
最初の一組目に着替え終えたところで、クラーラがカーテンを引いて姿見を用意する。そこに映った自分の姿を見て、シャルロットは息をのんだ。
着慣れたクラシックスタイルと比べれば裸同然の露出度、しかし大事な部分は華麗な装飾を施した下着で覆った今のシャルロットは、いつもと違ってほのかな色香を漂わせていた。といってただ煽情的なだけというわけでもなく、可憐さ、清楚さは損なわれてはいない。透けるような白い肌と、濃い赤の布地が互いを引き立て合っていて、よく似合うと感じる。
女性と化した自分を、今もシャルロットは自分自身と完全に認識できていない。自分とは違う別の少女のように思え、裸を見る事に抵抗があった。しかし、今の彼女は姿見の中の自分から目を離せなかった。もし、こんな姿の少女が、あの時のアリアのように自分の前に現れたなら……
(馬鹿だな。こんな時に何を考えてる……)
そう思いつつも、想像が止まらない。男の手で一つ一つドレスの結び目を解かれ、ボタンを外され、やがて素肌を露わにされた時、その身を包んでいるのは華麗な装飾の施された下着だけ。それを見られ、顔を赤らめ羞恥を示す想像の中の少女は……
アリアではなく、自分自身だった。
「えっ?」
シャルロットは思わず声を上げ、そして自分の声に驚いて想像の世界から現実に帰ってきた。
「どうしました?」
やはり驚いた様子のクラーラになんでもありません、と答え、シャルロットは大きく息を吸って自分を落ち着かせる。
(どうして……)
自分は脱がす側だったはずなのに、なぜ脱がされる側で想像してしまったのかわからない。だが、分かった事もある。想像の中で自分をベッドに組み敷いていた男……誰かは分からなかったが、間違いなく興奮していた。
(ただ身に着けるだけのものではない、女性にとっての武器……)
学園の貴公子を誘惑し、自らの伴侶として連れ帰らなければならない自分にとって、これはどんな剣よりも強力な武器なのではないだろうか。シャルロットはクラーラの言葉の意味を完全に理解できたと思った。
(……私でもわたしの誘惑に耐えられないかもしれない……でも……)
仮に自分が元からの女性であったとしても、見た目や身体だけで魅力的だとは思ってほしくない。できれば、自分の事を良く知った上で、それでも好きになってくれるような相手と結ばれたい。
しかし、シャルロットには不安がある。自分が元は男である事、そして自らの愚行で国を危機に陥れるような人間だった事、マリーとアリアの件でもわかるように、他人の内面を洞察できるほど賢明ではない事と言った、自分への自信の無さがどうしても拭えない。自分の事を良く知った相手には嫌われ、距離を取られてしまうのではないか。そう思ってしまうのだ。
(それなら、いっそ見た目だけで愛してくれる人が相手でも……)
父からは、最終手段として処女を捧げて責任を取ってもらえ、などと煽られているが、そうするしかないのではないかと弱気になる。その弱気が表に出ていたのか、クラーラが心配そうな声で尋ねてきた。
「姫様……何かこの品に気に入らない所でも?」
シャルロットが浮かない表情になったのを、品物が悪かったせいかと思ったらしい。シャルロットは慌てて笑顔を作った。
「いえ、そうではありません。この品がとても大人向けのデザインのように思えましたので、わたしのような子供が着ても大丈夫なのかと思いまして」
着心地には全く文句はないし、デザインも美しいが、これをドレスの柄と考えた場合少し大人向けに思えるのも事実である。シャルロットの答えに安心したのか、クラーラは提案した。
「とてもお似合いだとは思いますが、そういう事であればもう少し控えめなデザインもございますよ」
そう言ってクラーラが出してきたのは、レースや刺繍をあまり多用せず、模様を染め抜いたり、リボンやフリルを装飾のメインに据えてデザインされたものだった。色も白などの淡い色合いを中心にしている。試しに普段のクラシックと同じ白の上下セットを試着してみたが、こっちの方が自分には合うとシャルロットは感じた。
(この方が普段使いでは安心かな……生地もシルクじゃないみたいだし……)
貴族のステータスという事もあり、シャルロットもシルクの衣服は幾つか持っている。ロザリーに聞いたことがあるのだが、シルクは手入れが大変らしく、特に頻繁に着替える下着にシルクでないものをそろえ、自分で着替えができるようになれば彼女に少しは楽をさせてやれるだろう。そう考えて、シャルロットはクラーラの方を向いた。
「これと同じようなものを……そうですね、十日分ほどいただけますか?」
「かしこまりました」
頷いたクラーラが指示を出すために部屋を出ていく最中に、最初に着たような大人びたデザインのセットを持って行こうとする。
「あ、ちょっと待ってください……」
思わずシャルロットはクラーラを呼び止めていた。
「どうかなさいましたか?」
シャルロットは振り返るクラーラが手にしている、さっき試着した赤い下着のセットを見た。これを着る事、というよりは「着てからするべき事」にさっきは怯みがあったが、それでも目的のためなら覚悟を決めて武器を手に取るべきなのだ。誘惑すべき相手と戦うための武器を。言ってみれば……
「それも含めて、勝負下着を3セットほどいただきたいと思います」
そう言われたクラーラは一瞬きょとんとした表情になったが、シャルロットの言った「勝負下着」という言葉の意味を理解したようだった。
「なるほど……その言い方は露骨さがなくて良いですね。勝負下着という言葉、いただいてもよろしいですか? 宣伝に使いますので」
「はい。喜んで」
シャルロットが笑うと、クラーラはシャルロットの選んだ商品を包むよう店員に指示すると、入れ替わりに別の商品を持ってこさせた。
「言葉をいただいたお礼にこちらを差し上げます」
そう言ってクラーラが渡してきたのは、袖の無いワンピースをさらに薄くしたようなものだった。
「これは?」
シャルロットが聞くと、クラーラはそれを自分の体に当てながら答えた。
「こちらはスリップと言います。アヴァンギャルドは布地が少ない分、上着が身体に直接当たりますので、上着への汗染みやお肌の保護のために着るのですが……」
そこまで言って、クラーラはシャルロットの制服を指す。
「もうすぐ夏になり、学園の制服も夏のものに代わります。白で薄い生地になりますので、当工房で扱っているような下着は透けて見えてしまう場合があるんです。それを防ぐためにも必要ですよ」
納得するシャルロット。男性を誘惑するという最終手段のために手に入れた勝負下着だが、流石に普段の学園生活で公開してしまっては意味がないし、だいたい恥ずかしくて歩けない。シャルロットはクラーラに笑顔で言った。
「なるほど……ありがとうございます。これからもこちらの工房を贔屓にさせていただきますね」
最高の評価に満悦のクラーラに見送られ、シャルロットは工房を後にしたのだった。
「良い買い物ができたようですね、シャルロット様」
そう言ってくるクラリッサは、妙に疲れた表情だった。
「ええ……クラリッサさんは大丈夫ですか?」
気遣うようにシャルロットが聞くと、クラリッサはテレーゼの方を恨めしそうに見た。
「試着の途中でテレーゼが入ってきて、私が着そうも無いものを幾つも勧めてきたので……」
その視線を猫のような笑顔で受け流すテレーゼ。シャルロットはともかく、親友は弄らずにはいられなかったらしい。その仲の良さに思わずほっこりしたシャルロットだったが、ふとテレーゼが真顔になって聞いてきた。
「そういえば、洗濯の方法はちゃんと教えてもらえましたか?」
「え?」
戸惑うシャルロットに、これは聞いてないなと把握したテレーゼは言った。
「アヴァンギャルドって洗濯もクラシックと同じではだめなんです。うちのメイドは方法を知っていますから、あとで姫様のところのロザリーさんにお教えしますね」
洗濯方法を間違えると、たちまち色落ちしたりしわが寄ったりして駄目になる、という話を聞いてシャルロットは真顔になった。
「そうなんですか……結構いいお値段でしたし、大事に使わないと……」
こんな感想を持ってしまうあたり、食事以外でも清貧という家訓をなかなか忘れられないシャルロットである。なお、帰って聞いてみるとロザリーは既にアヴァンギャルドの手入れ法を完全にマスターしていることが分かり、彼女の底知れなさと頼り甲斐をさらに心に深く刻み込まれたのであった。
本編20話到達を記念し、趣味満載でお送りしております。TS娘をランジェリーショップに連れ込むのは基本ですよね(ゲス顔)。




