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第16話 小宮廷への誘い

 その日、授業を終えたシャルロットは、小宮廷に行く前に一度自室に戻ると、服を下着まで含めて全て着替えた。一応学生同士と言う建前なので、ドレスではなく制服のままだが、それもロザリーが念入りに洗濯し、しわを綺麗に伸ばしたものにする。

 髪の毛もきれいに梳かし直し、軽くメイクをして、華美になり過ぎない程度に装飾品もつける。こうして皇子と面会するのに失礼がない程度に身だしなみを整えると、シャルロットはロザリーに礼を言った。

「ありがとう、ロザリー。これで殿下に会う覚悟が整いました」

「ご武運を、と言うのもおかしいですが……どんな話であれ、姫様に実り多いものである事をお祈りしています」

 そう答えて頭を下げるロザリーに見送られ、シャルロットはロベールを従えて部屋を後にした。すると、途中で事情を知っているクラリッサとテレーゼが待っていた。

「どうかお気をつけて、姫様」

 心配そうなクラリッサと対照的に、テレーゼは明るい口調で激励してくれた。

「まぁ大丈夫ですよ。姫様に何も後ろ暗い事がないのは、私たちは知っていますから」

 シャルロットはにこりと笑って見せた。

「ありがとう、二人とも」

 どんな用事かわからず不安なのはシャルロットも同じだが、それを見せるわけにはいかなかった。

(心当たりも無いのに呼ばれるのは確かに不安だが……悪い事ばかり考えても仕方がない)

 そう自分に言い聞かせ、シャルロットは歩き出す。そうするとロベールが小声で言った。

「ま、この学園で姫様より後ろ暗い奴なんていないと思いますけどね。何しろ元おと……」

「お黙りなさい。誰が聞いてるともわからないのに」

 シャルロットは叱責したが、ロベールは悪びれなかった。

「誰もいない事くらい確認してから言ってますよ」

「まったく……」

 シャルロットは呆れたように返したが、今のやり取りのせいか、少し緊張がほぐれたような気がした。案外、この影の男なりに激励してくれたのかもしれないと思うが……

(礼は言いませんけどね)

 褒めたら調子に乗りそうなので、シャルロットはわずかに緩んだ表情を引き締め、廊下を歩いて行った。小宮廷の扉の前では、正規の騎士が二人、扉の前をふさぐようにして周囲に目を光らせていた。流石に皇族が在籍となると、護衛をつけずにいる事は許されない。

「誰か」

 誰何の声を発する護衛の騎士に、ロベールが本職の騎士も顔負けの朗々とした声で答える。

「控えよ。こちらにおわすはフランディア王国ロワール大公息女、シャルロット姫である」

 シャルロットも書状を取り出し、騎士の目の前に広げて見せた。

「コルネリウス殿下のお召しにより参りました。お確かめください」

 騎士は書状を一瞥し、胸に手を当てて敬礼した。

「失礼しました。どうぞお通りください」

 そう言って彼らは小宮廷の扉を開けた。シャルロットは頷くと、振り向いてロベールに命じた。

「では、ロベール卿はしばらくここで待っていてください」

 さすがに、護衛とは言え武装した騎士を連れて入室はできない。ロベールもそれはわかっているので騎士らしい演技を続けたまま答えた。

「承知いたしました」

 ロベールの敬礼に見送られて小宮廷に入室したシャルロットを、気さくな挨拶が出迎えた。

「良く来てくれたね、シャルロット嬢」

 それを聞いて、ここでは生徒同士の気楽な礼儀で良いと判断し、シャルロットは声の主に挨拶を返した。

「いえ、今日はお招きいただきまして、ありがとうございます。総代」

 総代――コルネリウスは執務机から立ち上がると、部屋の奥にある応接セットの方を指した。

「硬くならなくてもいい。今お茶を用意させよう。好きな銘柄はあるかな?」

「では……」

 銘柄を答えようとして、シャルロットは硬直した。応接セットのところに先客がいたのだ。それも、シャルロットが今一番気にしている人物が。

「ヴィルヘルミーネ殿下……?」

 シャルロットの口から相手の名前が漏れる。ここでも自分を貫き、豪奢なドレスに身を包んでいるヴィルヘルミーネは、不快そうな口調で言った。

「……もう一人の客と言うのは貴女だったのですか」

 それを聞いて、シャルロットは慌てて跪礼した。

「失礼しました。皇女殿下にご挨拶申し上げます」

 ヴィルヘルミーネは答礼することなく、ふんと鼻を鳴らしてシャルロットから顔を背けた。気まずい雰囲気が漂う中、コルネリウスがそれを気にも留めないような平然とした口調で言った。

「シャルロット嬢、ヴィルヘルミーネと言う茶はないので、他のものを指定してくれるかな」

「え? あ……はい」

 コルネリウスのとぼけた発言に、シャルロットはやや呆れを感じつつも、ヴィルヘルミーネが現れた事への緊張感が薄れるのを感じていた。

(気を遣ってくれたのだろうか?)

 シャルロットは茶の銘柄を答えながらコルネリウスの顔を見たが、表面的な穏やかな笑みの奥の感情を読み取ることはできなかった。



「さて、貴女たち二人を呼んだ理由について話そうか」

 小宮廷付きのメイドたちによって新しいお茶が用意され、その香りが漂う中で、コルネリウスは話を切り出した。

「貴女たちも知っていると思うが、この小宮廷はその名の通り、我が帝国の宮廷を模した組織構成を持っている」

 シャルロットは頷いた。学園を一つの国家と捉え、その自治組織も国家のものを模する事で、生徒たちに将来国政を担うための経験を積ませる。これも学園の理念だ。それはシャルロットはもちろん、ヴィルヘルミーネも知っている。頷く二人に、コルネリウスは少し身を乗り出して言った。

「模擬国家としての学園と、その統治機関である小宮廷。だが、私はここに一つ足りない要素があると考えている。何かわかるかな?」

 シャルロットは考えこんだ。プロヴィンシェン帝国の宮廷は皇帝の他、宰相(ただし皇太子兼任の場合は摂政と称する)を筆頭とし、財務、内務、司法、外務、元帥の六人の閣僚を含めた、計七人を国家の最高意思決定機関としている。小宮廷ではこのうち、宰相、元帥と外務の三席が存在しない。

 いくら国家を模しているとは言え、学校には宰相を置くほどの業務は無く、軍事と外交が存在しないからだ。外交と言う面においては、自分やセドリック王子のような外国出身生徒がいるから、全く存在しない側面と言うわけではない。しかしそれもクラリッサのような役目を持った生徒が数人いればよく、わざわざ小宮廷に外務卿を設ける必要は無い。

 考え込むシャルロットをよそに、先にあっさりと答えを出したのはヴィルヘルミーネだった。

「後宮ですわね?」

 その答えに、コルネリウスは我が意を得たりとばかりに頷いた。

「まさにその通り。当初男子だけが入学を許されていた時代と異なり、ヘルシャーも今では女子生徒が大幅に増えた。にもかかわらず、今も小宮廷への参加は男子しか許されていない。それ故の弊害も出てきている」

 そう言って、コルネリウスはちらりとシャルロットの方を見た。

(この前の事を言ってるのか)

 シャルロットはコルネリウスの視線をそう解釈した。確かに女生徒同士の派閥争いの一環とは言え、ミリセントを倉庫に連れ込んで吊るし上げた、などと言うのは本来シャルロットが対処すべき事ではない。司法卿の権限で対処すべき事だ。しかし、司法卿のベルンハルトはもちろん、その部下となる司法委員たちも全員男性であり、なかなか女子生徒の事情には踏み込めない。

 実際の宮廷社会においても、女性貴族間の問題に対処し、調整・解決を図るのは後宮を統べる皇后、王妃の役目だ。その機能を小宮廷にも持たせる事で、女子生徒間の問題に対応しようというコルネリウスの着眼点は理に適っている。適ってはいるが、社会全体が男性優位の原則で動いている事を考えると、そう考え実現に向けて動いているコルネリウスは確かにただ者ではない。

(恥ずかしい事だが……私は祖国でそういう事に目がいかなかったからな)

 シャルロットは己の過去を振り返って、内心赤面したくなる思いだった。王妃不在のフランディアにおける社交界では、おそらくラガティア侯夫人などの有力貴族の夫人が秩序を主導していたのだろうが、当時はそんな事は意識の外だった。アリアに男女平等の尊さを説かれていたにもかかわらずだ。

「小宮廷に女子を参加させる……とお考えなのでしたら、大変結構な事かとは思いますが」

 その恥ずかしさを振り払おうとシャルロットは口を開いた。

「お呼びになったという事は、ヴィルヘルミーネ殿下とわたしに小宮廷に参加して欲しいという事なのでしょうか?」

 その問いにコルネリウスは頷いた。

「その通りだ。家格や能力はもちろん、生徒たちからの信望を見ても、まず君たち二人に参加して欲しいと思ってね」

 そう言うと、彼は手を二回叩いた。それに応じるように、隣室への扉が開く。姿を現したのは内務卿のユースタスと、財務卿のモーリッツだった。二人はコルネリウスの左右に分かれて立ち、シャルロットとヴィルヘルミーネに一礼した。

(生徒同士であれば、学年が上で役職持ちの二人の方が格上だから、礼儀としては間違ってはいないが、ヴィルヘルミーネ殿下は腹を立てないだろうか?)

 シャルロットはちらりとヴィルヘルミーネに目をやったが、貴族同士の儀礼と考えれば非礼にあたるユースタスとモーリッツの振る舞いに気分を害した様子はなさそうだった。意外の感を抱いていると、視線に気づいたのかヴィルヘルミーネが怒りの籠った視線を送ってきたので、シャルロットはそっと視線を外した。

「君たちに任せたい仕事については、この二人から説明しよう」

 そうした女子二人の牽制し合いを気にも留めない様子で言うコルネリウスに促され、まずユースタスが進み出た。

「内務卿としてお願いしたいのは、女子生徒からの陳情についての窓口となって欲しいという事です」

 内務卿は小宮廷においては陳情の受付をはじめ、生徒たちの意見を広く取りまとめ、学生自治に活かしていく役割であるが、ユースタスの説明では女子からの陳情件数は男子からの三割もなく、たいていは投書によるものだという。

「男子である自分には相談しにくい事も、同性のお二人であれば話しやすいかと思います。どうかお願いします」

 続いて、財務卿のモーリッツは二人に数枚組の資料を差し出した。どうやら去年の予算に関するものらしい。

「私からは、予算作成に関する補助をお願いしたいと思っています。詳しくは資料をご覧いただきたい」

 シャルロットとヴィルヘルミーネは資料を手に取って読み始めた。すぐに気付く事は、当初予算案に対する組み換え項目の多さだ。例えば服飾費の余剰分を不足気味な設備費に組み替える、といった事が頻繁に行われている。

(トラウトマン卿が何度も計算をやり直すような無能には見えないが……)

 シャルロットは内心で首を傾げる。学園は帝国政府直轄の機関なので予算自体は国から支給されるが、事前に小宮廷で算出した予算案に基づいて支給されるため、組み換えを行う事は事前計算の誤りを意味する。しかしシャルロットはすぐにそれらの共通点に気が付いた。

「なるほど、基本的に全ての生徒が同じように予算を必要とする、と言う前提で予算案を組んでいるのですね」

「左様です」

 シャルロットの確認の言葉に頷くモーリッツ。例えば服飾費などは男子が制服をきっちり着用する事が多いのに対し、女子は制服を拒否して持ち込みのドレスで通したりする傾向があり、全生徒が制服を発注するという前提では余剰が生じる。

 一方、かつて出城だったために、兵士向け――つまり男性が使うことを前提として建設された学園の建物は、今も女性が使うには不便な部分が残っていたりする。そのための設備費は毎年不足気味と言うわけだ。

「何となく、女子生徒特有の予算の使い方については経験に基づく法則のようなものが見えてはいるのですが……誤差が多くなかなか一致しません」

 モーリッツはやや口調に悔しさを滲ませて言う。能力には自信があるだけに、予算の事前計算に誤りが生じる事を受け入れがたいのだろう。とは言え予算の組み換えのみで対応し、赤字を発生させていないのは十分有能だ。

「お話は分かりました」

 資料に一通り目を通して、シャルロットは言った。

「それで……どの仕事を誰に任せる、と言った事はお考えなのですか?」

 聞いた相手はコルネリウスである。彼は首を横に振った。

「いや、私としては交互に仕事を担当してもらって、適性を見せてもらおうと思っているよ」

 まぁ妥当な考え方か、とシャルロットが思った時、すっとヴィルヘルミーネが手を挙げた。

「では、私はまず財務卿のお手伝いをさせていただきます」

 それを聞いて、シャルロットはしまった、先を越されたと内心舌打ちした。女子生徒特有の予算の使い方を計算する方法を導き出せれば、それはノウハウとして共有できるものとなる。つまり先んじて予算案に手を付けて成功すれば、その担当者は先駆者として確固たる功績を手にする事が出来るのだ。コルネリウスは交互にと言ったが、この部門で後攻になるのは確実に不利である。

(ヴィルヘルミーネ殿下ならやり遂げてしまいそうだからな……)

 先手を打たれた事に憮然としつつ、それを表情に出さないようにしながら、シャルロットは頷いた。

「では……わたしが内務卿のお手伝いをする事になりますね」

 そう確認しつつ、シャルロットはこれはこれで悪くないかもしれない、と気持ちを切り替える事にした。先日のような厄介事が持ち込まれる可能性もあるが、解決すれば小宮廷公認の功績となるし、陳情に来た女子生徒とのコネを作る役にも立つ。帝国に知人が少ないシャルロットにとっては、むしろ財務卿側の依頼より重要かもしれない要素だ。

「よし、ではひとまず一月を目途にそれぞれの仕事をこなしてもらいたい」

 パンと手を打ち合わせてコルネリウスは話をまとめに入った。

「とはいえ、本格的に仕事に着手するのは明日からで構わない。今日の内に机などを用意させておくので、明日また来てくれ」

 そう言うと、コルネリウスはベルンハルトの方を見た。ベルンハルトは頷くと自分の執務机の上にあった二つの小箱を手に取り、シャルロットたちの前に置くと蓋を開けた。中に入っていたのは、盾に本と剣を組み合わせたデザイン―学園の紋章を象ったブローチだった。

「これは小宮廷の一員である事の証です。明日以降、必ず身に着けてお越しください。そうすれば、門番の騎士たちは黙って通してくれます」

「わかりました」

 シャルロットは頷いて小箱を受け取った。良く見ると、確かにベルンハルトたちもブローチを胸の部分につけている。コルネリウスはつけていないが、それは彼が別格である事の証だろう。

「では、今日は解散しよう。明日からよろしく、シャルロット嬢、ヴィルヘルミーネ」

 従姉妹に対しては敬称をつけず、親しげに呼ぶコルネリウス。ヴィルヘルミーネも身内に対する気安さをもって挨拶を返した。

「ええ。ではまた明日」

 シャルロットはもう少し丁寧に挨拶した。

「それでは、わたしも下がらせていただきます。ごきげんよう、皆様」

 その挨拶を受けたコルネリウスは苦笑と共に答えた。

「最初にも言った通り、そんな畏まった挨拶は不要だよ。普通にしてくれていい」

「承知しました」

 頷くシャルロット。これでヴィルヘルミーネがいる傍でも、先輩と後輩としての礼儀を守れば良いという言質は取れた。この辺をはっきりさせておかないと、後で不敬があったと難癖をつけられかねない。ヴィルヘルミーネに少しでも隙を見せるわけにはいかなかった。

 

「貴女に聞きたい事があるの。少し時間を貰えるかしら?」

 ブローチを小物袋に納め、小宮廷を出たところでそう声をかけてきたのは、先に出たはずのヴィルヘルミーネだった。

「聞きたい事……ですか? 少しでしたら……」

 戸惑いつつもシャルロットは頷いた。一対一でヴィルヘルミーネと話せる事など滅多にない機会だ。

「……そう。ここじゃない所がいいわね」

 時間を貰った事に礼を言うでもなく、ヴィルヘルミーネはちらりと護衛の騎士に目をやって言った。どうやら、あまり人には聞かれたくない話をするらしい。

「立ち話でも良いのでしたら、向こうの廊下の方で良いのでは?」

 シャルロットは言った。小宮廷に通じる廊下は、放課後は使われる事がない実習に使う教室が並んでいて人気がない。ヴィルヘルミーネは頷くとさっと歩き出した。

(……こうして間近で見ると、本当にアリアに似ている)

 シャルロットは後に続きながら思った。顔の造作や背格好も本当に似ている。それでも印象が違うのは、やはり髪の色が違う事と、今では頭一つ分に近い程シャルロットのほうが背が低いからだろう。

「この辺でいいかしら」

 十分に離れたところで、ヴィルヘルミーネが立ち止まって振り返る。辺りには誰もいない。微かに遠くの方から人の声が聞こえる程度だ。

「はい。それでお話とは何でしょう?」

 シャルロットの問いに、ヴィルヘルミーネは腕を組んでにらみつけるような表情で口を開いた。

「この前、貴女はギュンター家のマルグリット嬢と婚約者の事で仲立ちをしたそうね?」

「はい」

 シャルロットは頷く。マルグリットは彼女自身が言っていた通り、個人としても家門としてもヴィルヘルミーネの派閥に近い。彼女の事をヴィルヘルミーネが知らないはずはなかった。その事で差し出がましい事をしたと抗議されるのかと思いきや、質問はまだ続いていた。

「ザームエルとか言ったかしら……婚約者の彼が平民の娘に気持ちが寄っていたのを、マルグリット嬢の側に引き戻したと聞いているけど、それは確か?」

「……ええ」

 シャルロットは内心首を傾げつつ、確認の言葉に頷く。すると、ヴィルヘルミーネはさらに意図のわからない質問を投げかけてきた。

「何故そうしたの? ザームエル卿と平民の娘を結び合わせるべきだとは思わなかった?」

 シャルロットは困惑した。ヴィルヘルミーネが「エッカルトとミリセントが交際するのが最善だった」と言っているように聞こえるからだ。しかし、皇女として、貴族階層を代表する身として、そんなことを彼女が言うはずはない。

(いや……煽ってるのか? これは)

 シャルロットはふとこの質問の意図に気付いた。フランディアはつい最近王太子(じぶん)が平民と結婚しようとして大失敗した国ではないか。もちろんヴィルヘルミーネはシャルロットの正体など知る由もないだろうが、あの事件はフランディアと言う国の威信を大いに落としたものだ。フランディア、ひいてはシャルロットを嘲笑するには格好の話題である事は間違いない。

「いえ……ミリセントさん……相手の平民の女子がザームエル卿との交際を望んでいませんでしたし、ザームエル卿とマルグリット嬢の婚約関係を維持させるのが、関係者全員にとって最善と判断しました」

 少し考えた末に、シャルロットは正直に自分の判断を話した。ここで腹を立てても仕方がないし、自分にこう煽られたとしても怒る資格はない。ただ一言付け加えておく。

「殿下、我が国は過ちを自ら正しました。同じ事を繰り返す事で、皇帝陛下を失望させる事はないよう努めております」

 そう言って頭を下げる。しかし、シャルロットはそれでもわかるほどの強烈な怒気がヴィルヘルミーネから発せられるのを感じ取って、少したじろいだ。

「……あれが過ちだと? その程度の軽い言葉で済ませるの?」

 絞り出すように言うと、ヴィルヘルミーネは踵を返し、振り返る事無く言った。

「良くわかったわ。フランディアと言う国がいかに愚かしくふざけた国か。もう貴女と話す事はないようね」

 靴音が遠ざかっていく。それが完全に聞こえなくなったところで、シャルロットは顔を上げて溜息をついた。

(やはり、良くわからないお方だ)

 そう思いながらも、ヴィルヘルミーネについてはっきりわかった事もあった。彼女はシャルロット個人ではなく、フランディアと言う国を憎んでいる。シャルロットへの嫌悪感は、フランディアの人間だからというおまけのようなものだ。もちろん今はその理由はわからないが、ヴィルヘルミーネが「あれが過ちだと?」と言った時の強烈な感情の発露をシャルロットは覚えていた。

 今の会話の文脈で言えば「あれ」はシャルルとアリアの一件だろう。しかし、それだけだろうか。ヴィルヘルミーネは過去にフランディアで何かもっと強烈な、国そのものを憎み嫌うような経験をしたのかもしれない。

(殿下の過去について知る必要がある。公式に明らかになっている事以外の何かをあの方は持っている)

 シャルロットはそう判断した。それを知るのは、ヴィルヘルミーネと向き合っていく上で必要な事に違いない。ヴィルヘルミーネもまたシャルロットの過去を疑問に思い調べさせているのだが、ここへ来てシャルロットもライバルと同じ結論に達したのだった。



 その頃、小宮廷では側近たちがコルネリウスに懸念を表明していた。

「あの二人にお任せして良かったのですか?」

 口火を切ったのはユースタスだった。

「お二人は、何というか相性がよろしくないように見受けられますが」

 ベルンハルトも懸念を示し、モーリッツも眼鏡を持ち上げつつ言う。

「正直に申し上げれば、私はあの二人とうまく仕事を進める自信がありません」

 そうした声に、コルネリウスは微笑を浮かべつつ答えた。

「だからこそ見極めたいのさ」

 コルネリウスはその先の言葉を敢えて口には出さなかった。

(私の結婚相手にしたいと、周りが推してきている二人をね)

 未だ公式に婚約相手を定めていないコルネリウスには、国内外から多数の縁談が持ち込まれているが、現時点で最有力候補となっているのがシャルロットとヴィルヘルミーネ(帝国ではいとこ婚は合法)だ。皇族、為政者としてコルネリウスはどちらと結婚したとしても構わないと考えている。どちらも政略結婚であり、そこに個人の感情はない。政治的な利点、難点を考慮してより良い相手を選ぶだけの事だ。

 シャルロットは近年有力な従属国として存在感が高まりつつあるフランディアとの結びつきを、さらに強化する事ができる相手である。一方、ヴィルヘルミーネと結婚する事で、皇室を除く最有力家門であるディートリッヒ派を皇室の側に取り込む。これも十分な利益のある関係だ。しかし、ただでさえ強大なディートリッヒ家が帝国を主導する立場へ就く事への懸念も根強く、対抗派閥はシャルロットを密かに推し始めている。

 そして、コルネリウス自身は皇帝権力の強化を望む立場から、どちらかと言えば反ディートリッヒ派と利害の一致する関係にある。兄のリヒャルト皇太子も同様だ。皇帝である父テオバルトも本来はそう考えているはずだった。

(だが、ヴィルヘルミーネについては父上が乗り気になりつつあるんだよな……)

 困った事だ、と内心呟くコルネリウス。亡き兄アウグストに今も強い敬慕と罪悪感を抱いているテオバルトは、その遺児であるヴィルヘルミーネの将来について、彼女を通じて兄の血筋を皇室に戻したいと考えているらしい。

 既に結婚しているリヒャルトとは無理だが、コルネリウスとヴィルヘルミーネが結婚し、新たに大公家を創設する。それによりいずれ大公家の子孫が皇位を継承する可能性を作る。はっきりそうだとテオバルトは言っていないが、そういう考えが次第に強くなってきているらしいと、リヒャルトはコルネリウスに話していた。

(まぁ、私としては、別にヴィルヘルミーネを娶る事になっても構わないのだがな)

 確かに伯母アウスラは女傑ではあるし、ヴィルヘルミーネも平民暮らしをしていたとは思えない気品と威厳を身に付けてはいるが、それでも自分ならば御せない事もあるまい。彼女らの影響力を危惧する兄たちと異なり、コルネリウスは自分の器量をその程度には見積もっていた。

(だが、シャルロット姫を娶るというのもそれはそれで面白い)

 コルネリウスはそうも思っている。シャルロットと結ばれれば、自分が実質的にフランディアを治める立場に就く事もできる。兄の補佐役ではなく、一国の主となる。父をはじめとする帝国の要人たちが一目置かざるを得ない稀代の武人、ルイ王が鍛え上げたかの国の精鋭を率い、帝国の覇業に貢献する。それも男としての血を沸き立たせる生き方だ。

 帝国の一翼を内と外のどちらで担うか。どちらでも自分ならば完璧にこなせるし、やりがいも似たようなものなら、シャルロットとヴィルヘルミーネ、二人の美姫のどっちも容姿と言う点では最上級に魅力的だ。ならばどっちがより自分の期待に応えてくれるかで、己の生き方を選ぶのも一興。そう考えてコルネリウスは二人の競い合いをむしろ歓迎していた。

(さて、どちらが私に惚れたと言わせてくれるかな?)

 明日からの小宮廷を想像して笑みを浮かべるコルネリウス。そんな主の内心を想像できず、三人の側近は顔を見合わせるのだった。


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