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第15話 闇に射し込む光

 談話室の中には沈黙が流れていた。

 言いたい事を吐き出してしまえ、とは言ったものの、それが簡単に出来るようなら、そもそも最初からここまで人間関係がこじれたりはしない。黙ってエッカルトとマルグリットの様子を見守っていたシャルロットだったが、沈黙のまま香茶のカップから湯気が立たなくなってきた辺りで口を開いた。

「お二人とも……」

 シャルロットの声に、ぴくっと体を震わせて反応する二人。構わずシャルロットは言葉を続けた。

「うまくお話しできないようなら、わたしが場を仕切らせていただきますが……よろしいですか?」

 その提案に二人は一瞬戸惑ったような表情を浮かべたが、エッカルトが先に頷いた。

「はい……申し訳ありませんが」

 マルグリットは返事を口にしなかったが、特に反論も無いようなので了承と見做す事にして、シャルロットはでは、と前置きしてマルグリットの方を向いた。

「マルグリット様に確認しますが、この婚約は貴女の方が希望して成立した、と聞いています。間違いありませんね?」

「はい」

 マルグリットが頷くのを確認して、シャルロットは聴いた。

「ザームエル卿のどこが良くてそんなに積極的に?」

 実はこれがシャルロットの一番理解できない事だった。エッカルトはシャルロットから見てもなかなかの美形ではあるが、だからと言って魅力的な男性かと言われるとそうでもない。エッカルトにはコルネリウスのような、同性にも通じるような強烈な魅力や存在感はないからだ。しかし、それはシャルロットの中身が男性だからであって、生粋の女性から見たらまた違うかもしれないと思ったのである。

 しかし、シャルロットはこの質問がまずかった事にすぐ気付かざるをえなかった。マルグリットの表情が仮面のようになったのだ。

「お判りに……ならないんですか……?」

 聞き返す口調も平板だ。怒りのために逆に感情が表情や声に乗らなくなっているのだろう。

(うわあ……面倒だなこの子)

 シャルロットは頭を抱えたくなった。エッカルトを独占したい一方で、他人が彼の良さを認めない事も許さないらしい。ちらりと横を見ると、エッカルトも恐怖で若干腰が浮いていた。流石にこれはちょっと同情したくなる光景だ。

「すみません、質問を変えます。ザームエル卿の良い所を教えていただけますか?」

 言い方を変えただけだが、人間好きなもの、愛するものについて語る事には積極的になるものだ。マルグリットの顔に表情が戻り、楽しげな口調で話し始める。

「そうですね。あれは……」

 その言葉はとめどなく続き、途中でロザリーが淹れ直した香茶が冷めてもまだ終わらない。たまりかねてシャルロットは手を挙げてマルグリットの言葉を制した。

「すみません、良くわかりました。もう結構です」

 まだ語り足りない、と言う表情のマルグリットだったが、話し続けるのは止めてくれた。シャルロットは困惑気味のエッカルトの方を向いて聞いた。

「ザームエル卿、今の話にお心当たりは?」

 それは、そもそもの二人が初めて出会った時の話である。マルグリットの情熱にあふれた、悪く言えばとりとめのない話をまとめれば、次のようになる。

 

 十年近く前、まだ二人が子供だった時の話だ。初めて領地から帝都へ出てきたマルグリットだったが、遊びに出た際にうっかりお付きの者たちとはぐれて迷子になってしまった。途方に暮れている彼女を助けてくれたのがエッカルトだったのだという。

 マルグリットは彼に手を引かれて上屋敷に戻る事が出来たが、うっかり名前を聞くのを忘れてしまい、その後長らく再会する事はかなわなかった。だが、彼の面影は彼女の胸に残り続け、名も知らぬ恩人にもう一度逢いたいという想いを忘れる事はなかった。

 しかし一年ほど前、学園入学を控えて事前見学のために上都してきたマルグリットは、偶然そこでエッカルトに再会したのである。あれから長い時が経っていたが、彼女はすぐにそれがあの時の恩人だとわかった。同時にそれまで胸の中に暖めてきた想いは一気に恋慕となって燃え上がったのである。


 それはシャルロットの感覚的には、どちらかと言えば平凡な、マルグリットの熱量から感じるほどの劇的さを感じさせない話に思えた。そして、エッカルトもそう思ったらしい。

「……マルグリット嬢、申し訳ない。私は……その時の事は覚えていない。そういう事があったかどうかも」

 エッカルトはそう答えた。その答えを聞いた瞬間、マルグリットの表情が再び仮面のようになった。同時に室内の温度が下がったような錯覚をシャルロットとエッカルトは覚えた。

「覚えて……いない……?」

 マルグリットの平板な口調に、再び恐怖で腰が浮きそうになるエッカルト。しかし、シャルロットはそんな彼を睨むようにして、視線で意思を伝える。逃げるな、逃げたら許さない。それを感じ取ったのか、顔を青くしながらも、エッカルトは頷く。

「あ、ああ……その……貴女にとっては大事な思い出だというのは、理解したが……」

 微かにマルグリットからの圧力が弱まる。シャルロットはそのやり取りを見ながら、どうしてここまでマルグリットがエッカルトに固執するのか、十年近く前のありきたりな思い出に拘るのか、ますます理解できないでいた。これではまるで……

(それ以外、彼女には何も無いようじゃないか)

 思い出を、エッカルトとの絆を否定されたら、マルグリット自身が消えてしまうような……そこまで考えた時、シャルロットの中で一つの考えが浮かんだ。

「マルグリット様、もう一つ聞いてもよろしいですか?」

 シャルロットはマルグリットに声をかけた。

「え……? あ、はい……何でしょうか」

 虚を突かれたのか、素に戻るマルグリット。

「答えにくい質問ならば答えなくても構いませんが……ご家族との関係についてです」

 シャルロットはそう尋ねた。事前の調査ではマルグリットの家族構成についての情報はあったが、個性など踏み込んだところまでは調べていない。両親と祖父、それにまだ学園入りしていない妹が三人。さらに幼い末っ子の弟がいる、くらいだ。

 実のところ、シャルロットは今までマルグリットの家庭環境を重視していなかった。爵位で格下、しかも大して家門に利益の無い家に嫁ぎたい、という娘の願いを叶えているところを見て、両親がちゃんと子供を愛している家庭なのではと漠然と考えていたくらいだ。

 しかし、それは思い違いなのではないか。マルグリットの願いを叶えてやっているのではなく……嫁ぎ先などどこでも良いと思っているのではないか?

 彼女はもしかしたら家族に愛されておらず、エッカルトとのささやかな想い出を心の拠り所にしなくてはならないような、そんな育ち方をしてきたのではないか?

 自らも両親の愛情を十分に受けて育って来たとは言い難いシャルロットだからこそ、思いつけたことかもしれない。そして、シャルロットは自分の想像が正しかった事を悟った。マルグリットの表情が再び仮面のようになっていた。しかし、さっきのような見る者に恐怖を与える表情ではない。まるで感情ごと自分を押し込めて消し去ってしまいたいかのような……存在感を消そうとするが故の無表情だ。

(きっと、彼女は実家ではこうやって生きてきたのだろう)

 シャルロットが思った時、エッカルトがそう言えば、と前置きして口を開いた。

「父が……不思議がっていたのを覚えています。婚約が成立したのに、ギュンター家は家門同士の交流に積極的ではないと……」

 貴族の婚姻と言うのは個人以上に家門同士の繋がりが重視される。政治の場で所属する派閥の提案を通し、利益を得るために婚姻関係のある他家を引き込もうとする事は多いし、対立関係を手打ちにするための婚姻関係は政略結婚の基本形だ。

 まして、明確にディートリッヒ派であるギュンター家は、派閥の繋がりが薄いザームエル家を取り込む事に積極的であってもおかしくないのだが、両家の当主同士が出会ったのは、婚約を結んだ時の一回だけで、その後ギュンター家がザームエル家と積極的な交流を望む事はなかった。

 それは、マルグリットの父であるギュンター伯が娘の嫁ぎ先に関心を持っていない事の現れなのだろう。その事にエッカルトも気付いたようだった。彼とシャルロットが見守る中、しばらく沈黙を守っていたマルグリットは、虚ろさを感じさせる声で答えた。

「……初めてなのです」

 シャルロットはそれを聞いてしばらく沈黙した後、確認するように聞いた。

「お父上に、願いを叶えてもらった事がですか?」

 マルグリットは頷いた。それからぼつぼつと彼女は家庭の事情を語り始めた。

 

 ギュンター家は帝国草創期から続く、血筋ではなかなか名門と言って良い家柄である。重臣を出した事こそないが、長年にわたり皇帝に忠実であり続けた事を誇りとしてきた。と言うより、帝国への大きな貢献ができてこなかったが故に忠誠心の篤さを表看板にしなければならなかった、と言うのが正確かもしれない。

 今の当主であるマルグリットの父も、領地を守るのが精いっぱいで、帝国の中央に近づくほどの才覚はない人物だった。その彼を焦らせたのが、生まれてくる子供が三人続けて娘だった事だ。

 なかなか跡取り息子が生まれない事に彼は焦り、先代であるマルグリットの祖父から責められる事がその焦りにさらに拍車をかけた。何とかして男児を、と言う彼の焦りは娘たちへの冷遇に繋がった。シャルロットの予想通り、マルグリットは伯爵家の長女として形式的な体裁こそ整えられていたものの、両親から何ら期待をかけられることなく育ってきた人間だったのである。

 

「お父様もお母様も、お祖父さまも私を愛してはくださらなかった……あの方たちが私に向けた言葉で一番多かったのが何だったのか、お判りになりますか?」

 虚ろな笑いを浮かべて言うマルグリットに、シャルロットもエッカルトも首を横に振った。だが、あまり聞きたいと思える言葉ではあるまいとシャルロットは考え……その想像以上に残酷な答えを聞くことになった。

「お前が男なら良かった……それが私の一番聞かされた言葉です」

 そうマルグリットが言うと、エッカルトは顔を真っ青にした。男である彼にとっても、その言葉の無惨さは良くわかったのだろう。シャルロットもマルグリットへの親たちへの怒りを覚えずにはいられなかった。

「……弟さんがお産まれになった事も、その分ではあまり良い事ではないようですね」

 シャルロットが言うと、マルグリットはいいえ、と首を横に振った。

「いえ、弟には感謝しています。あの子のお陰で、エッカルト様に嫁ぎたいと言い出せる雰囲気になりましたから……」

 マルグリットが十四歳の時に弟が生まれると、ようやく父親の焦燥感は解消されたが、娘たちへの無関心・冷淡さの原因が息子への溺愛に取って代わっただけだった。それでも、おそらく弟が生まれなければ、マルグリットはエッカルトではない他の誰かを婿養子として結婚しなくてはならなかっただろう。親からの愛を得られなかった彼女にとって、幼い日のエッカルトとの出会いに続く二番目の幸運だった。そう呼ぶにはあまりにも残酷だが。

「事情は分かりました。辛い事をお聞きしてしまった事をお詫びします」

 シャルロットはそう言ってマルグリットに一礼して、エッカルトの方を見た。彼の手はきつく握られ、顔は苦渋に満ちていた。

「知らなかった……そんな事があったとは……」

 絞り出すように言うエッカルト。それは仕方のない事だとシャルロットは思う。マルグリットだって、今日のきっかけがなければこんな事を口にする事は出来なかっただろう。

 だが、これでもうマルグリットは狂気のような激情を発する事は無くなったはずだ。ずっと心の内に抱え込んできたその原因を明かしてしまったのだから。あと彼女に必要なのはただ一つ。シャルロットは言った。

「マルグリット様を救えるのは貴方しかいませんよ、ザームエル卿」

 シャルロットの言葉に、エッカルトが顔を上げ、マルグリットは驚いたような表情を見せた。

「姫様、それは……」

 エッカルトの言葉を、シャルロットは手を上げて制し、彼の顔をまっすぐ見据えて言葉を続けた。

「わたしが貴方に期待する事はひとつです。騎士として恥じぬ振る舞いをされん事を」

 今は未熟でも、騎士たらんとして日々研鑽に励む彼になら、こう言えば通じるはずだとシャルロットは思っていた。エッカルトは一瞬目を見開き、首を垂れた。そのまま沈思黙考する事しばし。再び顔を上げたエッカルトは、それまでまっすぐ見られなかったマルグリットの顔をしっかりと見ながら言った。

「マルグリット嬢……知らなかったとは言え、貴女に対する私の振る舞いは、騎士としても貴族としても恥ずべきものでした……誠に申し訳ありませんでした」

 そう言って頭を下げるエッカルトに、マルグリットは驚きの表情で立ち上がり、彼の肩に手をかけた。

「いえ、エッカルト様、そんな……! 頭を上げてください。悪いのは私です。私こそ、淑女とは言えない振る舞いを……」

 そう言う彼女の手を、エッカルトはそっと離して立ち上がり、今度は跪いた。

「貴女のせいではありません。私はまだ未熟者ですが、それでも良ければ……私の謝罪を受け入れてくださるなら、どうか私に貴女を支えさせてください」

 それは、形式的な婚約の席でのそれとは違う、真摯な誓いの言葉。マルグリットの目から辛い過去を洗い流すように涙が溢れだした。

「ああ……ああ……! エッカルト様……!!」

 愛しい人の名を呼びながら、マルグリットは泣き続けた。立ち上がったエッカルトが彼女の身体をそっと抱きしめる。その光景を見ながら、シャルロットはふうと一息つくと、香茶のカップを取り上げた。

(なんとか……なったかな?)

 淹れ直そうとするロザリーを手を上げて止め、すっかり冷めてしまったそれで、緊張で乾いた唇を湿らせる。しばらくすると、落ち着いたマルグリットが泣き腫らした目で、それでもそこに喜びをたたえてシャルロットに頭を下げた。

「姫様、みっともないところをお見せして申し訳ありませんでした……ですが、本当にありがとうございます」

「いえ、お役に立ててわたしも嬉しいです」

 シャルロットは答えた。ミリセントもほっとするだろう。しかし、マルグリットの話は終わっていなかった。

「一つ質問をお許しいただけますか? 姫様」

 シャルロットは頷いた。

「ええ。構いませんが」

 許可を得たが、マルグリットは一瞬躊躇うように間をおいてから口を開いた。

「私の事を調べられたのであれば、我が家がディートリッヒ侯爵家の派閥に属している事、私自身もヴィルヘルミーネ様の派閥に属している事はご存知だと思います」

 それを聞いて何を質問されるのか大体はわかったが、シャルロットは先を促すように無言で頷いた。

「シャルロット姫様にとっては、はっきり言えば私は敵対陣営の者です……何故、私を助けるような事をされたのですか?」

 この問題が持ち上がった時、マルグリットは解決のためにヴィルヘルミーネに助力を求める嘆願書を出していたが、他にも様々な案件を抱えているためか動きは鈍く、何も手を打ってはくれなかった。

 手をこまねいている間にシャルロットが問題に介入してきた時は、ミリセントの味方として、エッカルトとの関係を破談に持っていくような動きをするのではないかとも考えたが、冷静になってみればわかる。自分のした事はそれだけでもエッカルトに婚約破棄を申し出られてもおかしくない事だったし、事実そうなりかけたのだ。そこから二人の仲を修復してくれたことには感謝しかない。

 マルグリットがそう考えている事を、シャルロットも理解していた。彼女はできるだけ邪気が無いように見えるような笑みを浮かべた。

「わたしはあくまでもミリセントさんの味方です。ミリセントさんがザームエル卿との関係を望まれない以上、わたしはできる限りそうするつもりでした。ですから、貴女を助ける事になったのは……正直に言えば成り行きです」

 成り行きと言われてあっけにとられたような表情になるマルグリット。シャルロットは真面目な表情を作って言葉を続けた。

「成り行きでも、貴女が助けを必要としている事が分かった以上、それを見捨てるつもりはありません。そこに派閥やその他のしがらみを持ち込むつもりも。困っている人を見捨てるのは、わたしの流儀ではありませんから」

 その答えを聞くと、マルグリットは姿勢を正し、シャルロットに対してまるで皇帝に対してするように一部の隙も無い跪礼(カーテシー)を捧げた。

「お志、確かに承りました。我が家門はともかく、私はシャルロット姫様に対する感謝と敬意を決して忘れません」

 エッカルトも跪いた姿勢で胸に手を当てて敬礼する。

「私もです。姫様のお陰で、私は騎士としての道を踏み外さずに済みました。このご恩に必ずや報いると誓いましょう」

 シャルロットは頷いて答礼し、二人の手を握った。

「ありがとうございます、マルグリット様、ザームエル卿。貴方たちと友人になれた事を心から嬉しく思います」

 そう言って、シャルロットはロザリーの方を向いた。

「ロザリー、とっておきのお茶を出してください。今日はそれに相応しい日だと思います」

 成り行きを見守っていたロザリーも笑顔で頷き、新しいお茶を用意するために準備室に向かって行った。


 翌日、エッカルトはマルグリットと共にミリセントに会い、迷惑をかけた事を謝罪した。ミリセントもすっかり落ち着いた二人の様子に驚きつつも、それを受け入れる事でこの問題は完全に片が付いた形となった。

 その報告をミリセントから受けた後、シャルロットはクラリッサ、テレーゼの二人と自室でお茶を楽しんでいた。

「お見事な差配でした、シャルロット様」

「ありがとうございます、クラリッサ様」

 クラリッサがかける賞賛の言葉に礼を言いつつ、シャルロットは少し浮かない表情をしていた。

「どうかしたんですか? 姫様」

 それに気づいたテレーゼの疑問に、シャルロットは窓の外、光輝宮の方を見ながら答えた。

「ミリセントさんが倉庫に連れ込まれた件ですが……あれを指示したのはマルグリット様ではなかったそうです」

 それは三者会談のあと、お茶にした時にマルグリットから聞き出した事だった。もちろん嘘かもしれない。しかし、今のマルグリットは自分に嘘は言わないだろうとシャルロットは感じていた。であるなら……

「誰がやらせたかは、私たちの立場では言わない方がいいでしょうね」

 テレーゼが言う。もちろんシャルロットはそれがヴィルヘルミーネの手配した事だとは思っていた。しかし。

(皇女がやらせたにしては稚拙すぎるのではないか?)

 シャルロットはそう疑問を抱いていた。単純に平民出で権力闘争のやり方がわかっていないのだ、と考えてもいいが、仮にそうだとしても権力をもっと効率的に行使して平民を抹殺する手段を思いつく側近など、彼女にはいくらでもいるだろう。

 とすればあれはやはりマルグリットがやらせたか、それとも忖度した友人たちの暴走と考えるのが自然か。そう思った時、話題を変えようと考えたのかクラリッサが言った。

「それにしても、一つ気がかりなのかマルグリット様の妹達ですね」

 マルグリットがあの調子なのだから、妹たちも親の愛情をちゃんと受けているとは言い難い状態だろう。クラリッサの心配はそこにあった。

「その点については、ザームエル卿が親と相談してどうにかするとは言っていました」

 シャルロットは答えた。妹たちの問題はお茶の時にシャルロットも気付いて二人に話したのだが、エッカルトが力強く解決を請け負ったのだ。

「マルグリットの妹なら、私にとっても妹です。本人たちの意思は確認しますが、場合によっては我が家で引き取る事も考えています」

 そう言うと共に、急に娘が増えても養えないほど我が家は貧しくありませんよ、と彼は笑っていたし、その言葉に嘘はないのだろうが、シャルロットの心配は別のところにあった。

(妹たちがマルグリットと似たような気質じゃなければいいが……)

 自分を救ってくれたエッカルトに姉妹揃って恋愛感情を抱き骨肉の争いになる、などという展開を想像していやまさか、と首を振ってシャルロットはそれを追い払った。騎士として守らねばならないものを見出した事で人間として成長を遂げたエッカルトと、彼との関係が確定した事で精神的にも安定したマルグリット――今のあの二人なら、そんな事にはならずに事態を解決できるだろう。

「とにかく、何とか問題が解決して良かったです」

 シャルロットは言った。正直なところ、こういう神経の疲れる案件は多発して欲しくないものだ。そう思った時、扉がノックされた。

「姫様、お客様です」

 ロザリーの声。シャルロットは首を傾げた。今日はクラリッサとテレーゼ以外に会う約束のある人はいない。

 というのも、こうした「お客様」と言う場合は、用事がある本人が訪れた時なのである。学園に来た日にシャルロットがやって失敗したように、学園内でも貴族間ではいったん使者を立てて用向きを伝え、会談する日取りを決めると言う礼儀が必要なため、普段やってくるのは「使者の方」なのだ。

「お客様? どなたですか?」

 シャルロットの質問にロザリーは答えた。

「イェーナ伯爵御令嬢ユディット様です」

 シャルロットは友人二人の方を向いた。すかさず答えたのはクラリッサだった。

「ユディット様なら存じ上げています。カレンベルク卿の従妹に当たる方で、アンハルト侯爵家の御一門です」

 カレンベルク――小宮廷の司法卿、ベルンハルト・フォン・カレンベルクの関係者という事だ。約束はないが無下に出来る相手ではない。シャルロットはロザリーに命じた。

「お通ししてください」

「承知しました」

 ロザリーが扉を開けると、続いて制服に身を包んだ少女が入室してきた。年の頃はクラリッサ達と同じ、十六か七と言ったところだろう。ただ胸につけているリボンの色から、学年では一年先輩――二号生だとわかる。貴族の女性にしては珍しく、髪を肩の長さで切りそろえた、凛々しい雰囲気の少女だ。

「シャルロット姫様に御挨拶と、突然の来訪のお詫びを申し上げます。イェーナ伯が娘にてユディット・フォン・ペクニッツと申します」

「ご丁寧な挨拶いたみいります。シャルロット・ド・ロワール=ブリガンドです」

 お互いに一礼し、シャルロットはにこりと笑いかけた。

「イェーナ伯御令嬢とは初めましてですね。ユディット様とお呼びしても?」

「光栄です」

 ユディットは真面目な表情を崩さず答える。十分綺麗な顔立ちなのだが、そのせいで逆にちょっと近寄りがたい雰囲気が出ていて、話しにくいなとシャルロットは思った。

「私たちは席を外した方がいいでしょうか?」

 クラリッサがユディットに尋ねる。しかし、ユディットはクラリッサとテレーゼの方を向いて首を横に振った。

「いえ、本日は使者として参りましたので、長居はご遠慮させていただきます。お二人はそのままで」

「貴女が使者……ですか?」

 シャルロットは首を傾げた。伯爵令嬢ほどの地位にある生徒が使者という事は……まさか……と思うシャルロットの前で、ユディットは手にした小物袋(レティキュール)からリボンの巻かれた書状を取り出した。そのリボンを見て、シャルロットは予想が当たった事で僅かに緊張する。銀色……帝国においては皇族のみが使える色である。

「生徒総代よりの親書になります」

 ユディットの言葉に、少しだけ安堵するシャルロット。ヴィルヘルミーネからの書状だったらどうしようかと思ったのだ。

「謹んで玉書を賜ります」

 そう言って、シャルロットはリボンを解くと書状を広げ、予想外の内容に微かに首を傾げた。

「わたしを……小宮廷に?」

 そこにはシャルロットを明日の放課後、小宮廷に招待すると書かれていた。呼ばれる事そのものはシャルロットにとっては望ましい事だ。コルネリウスをはじめとする小宮廷のメンバーたちは、いずれは親しくしなければならない相手だからだ。しかし学年の違いもあってなかなか接近する機会がなく、どうしたものかと考えていたところだった。

 だが、今の時点では向こうから呼び出される心当たりがない。もしかしたらゴータ家に近づいた事や、司法卿の職分を侵害した可能性もあるエッカルトとマルグリット、ミリセントの問題への介入などについて何らかの苦言を呈されるという事もあり得るかもしれない。

 とはいえ、断れる招待ではない。シャルロットは書状を再び丸めてロザリーに手渡し、ユディットに言った。

「感謝してお招きにあずかりますとお伝えください。返書は必要ですか?」

「いえ、確かにお返事を承りました。総代には違えず今のお返事をお伝えします。では、これで失礼させていただきます」

 ユディットは答えると退室して行った。ふうと軽くため息をつき、シャルロットは椅子に腰かけた。

「ちょっと緊張感のある方でしたね」

「でしょうね。ユディット様は後宮の女性護衛武官を目指されている方ですから。下手な騎士志望の男子よりも強いですよ」

 シャルロットの独り言のような感想に答えるテレーゼ。なるほど男子のような威圧感があるはずだとシャルロットは納得した。

(それにしても向こうから御招待とは……)

 いったいどんな用事なのかとまた考えてみる。しかし、今は判断材料がない。出たとこ勝負で行くしかないだろう。幸い小宮廷への招待という体裁をとっているからには、学生として行けば良いのでドレスコードなどに気を遣わなくて良く、準備は最低限で済む。

(不安はあるが、小宮廷の為人を知る良い機会と考えよう)

 そう考えながら、シャルロットはロザリーに明日の準備についての指示を出していった。


マルグリットさんが途中でどんどんヤンデレていくので如何すれば良いか困りました。


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