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第14話 彼と彼女の理由

「ふぅむ……」

 ロベールの収集した情報や、クラリッサから聞き取った話を元にまとめた情勢を箇条書きにしながら、シャルロットは独り言ちた。

「まったくわからんな、これは」

 思わず男口調に戻ってしまうくらい彼女を悩ませているのは、目下の課題であるミリセント、エッカルト、マルグリットの関係をどうにか円満に解決するための基礎資料だった。シャルロットが着目したのが、子爵家の嫡男と伯爵家の娘が婚約しているという関係である。

 基本的に男性優位であるこの世において、ディートリッヒ侯爵家がそうなっているように、上位貴族の娘を下位貴族が迎える事で実家の権勢を背景にした嫁に主導権を握られてしまう、というのは特に体面にこだわる貴族ならば避けたい事態の一つだ。

 それでもなおこうした関係が結ばれるにはのっぴきならない事情があるもので、ありがちなのが経済問題である。家政が破綻寸前になっているのを解決するため、敢えて他家の傘下に入る事も辞さず、より豊かな家から嫁を迎える。あるいは上位貴族の側が下位貴族の側に何らかの利用価値を認め、強引に主導権を奪うために子女を婚姻関係で送り込む。エッカルトとマルグリットの関係もそうしたものだろうとシャルロットは思っていたのだ。

 しかし、エッカルトの実家ルハウネン子爵ザームエル家は、子爵領としてはそこそこ繫栄している方で、特に財政危機などの噂はなかった。そしてマルグリットの実家シュウェリン伯ギュンター家は無難に領地を治めており、他家を強引に傘下に収めるような家風でもなければそこまでの実力もない。

 また、両家の領地はそこそこ離れており、それほど経済関係が深いわけでもなかった。要するにどちらの家にも結婚という形で強い関係を結ぶ動機が全くなさそうなのである。

「姫様、お言葉遣いがはしたないですよ」

 ロザリーに注意され、シャルロットは資料から顔を上げた。

「ごめんなさい。でも、全く手掛かりになるような情報が無くて……」

 ロザリーはシャルロットの肩越しに資料を覗き込んだが、早々に分析は手に余ると判断したのか、別の切り口を提案した。

「実際に、お二人に会って話を聞いてみるしかないのでは?」

「やはりそれしかないでしょうね……マルグリット嬢の方はちょっと難しいでしょうが」

 マルグリットがヴィルヘルミーネ派の中でどの程度の地位があるかわからないが、伯爵令嬢ともなればそこそこ政治的立ち位置が高い可能性が高く、うかつに会っては面倒な事が起きかねない。

「ロザリー、まずザームエル卿と会見する手筈をお願いします」

 とりあえずシャルロットはエッカルトから話を聞くのが無難だろうと判断した。指示されたロザリーが受命して退出するのを見送り、シャルロットは資料を机の引き出しにしまうと、軽く手を叩いた。

「ロベール、いますか?」

「御前に」

 いつの間にかシャルロットのそばに、跪いた姿勢でロベールが控えていた。

「マルグリット嬢が参加しそうな夜会や茶会が近々ないか、調べてください」

 シャルロットも慣れたもので、特に動揺する事もなく命じる。ふと彼女が思いついたことがそれであった。直接面会は難しくとも、同じ夜会などで偶然を装って出会う事なら可能ではないかと考えたのだ。

「承知しました」

 その一言だけを残してロベールは一瞬で姿を消した。

「……慣れはしましたけど、あれはやはり妖怪の類なのでは?」

 影の身のこなしの意味不明さに呆れたようにつぶやくと、シャルロットは二人に会った時に何を聞くかについて考えを巡らし始めたが、しばらくして戻ってきたロザリーの顔に微かに渋みがあるのを見て取って、首を傾げた。

「どうしました、ロザリー。不首尾だったのですか?」

 シャルロットの問いにロザリーは頷いたが、彼女が報告したエッカルトとの会見をセッティングできなかった理由は不可解なものだった。

「女性との会見はお断りさせてほしい? どういう事ですか、それは?」

 シャルロットは眉をひそめた。既に婚約者が定まっている貴族が異性との接触を避けるというのは、女性には良くある事だが男性では珍しい。

「いえ、そこまではわかりません。ただ……相手の従者の方が言うには、事情あって主が女性と会う事自体、問題になりかねないためお断りさせていただきたいと」

 ロザリーの説明はシャルロットをますます困惑させた。下世話な言い方をすればエッカルトはミリセントに対して言い寄っているわけで、そういう婚約者に義理を立てるような振る舞いをするはずがない。

「訳が分かりませんね……そうすると、同じ作戦で行った方がいいでしょうか」

 独り言ちるように言うシャルロットに、今度はロザリーが首を傾げる。

「同じ作戦?」

「マルグリット嬢には夜会などで偶然を装って接触しようかと思っていたのですけどね。正面切っての面会が断られたとなると、ザームエル卿にも同じ手を使ってみようかと」

 シャルロットの説明に、ロザリーは疑問を呈した。

「夜会に出たら女性との接触は避けられませんから、出席されていない可能性もあると思いますが」

「そこが問題なんですよね……」

 シャルロットは溜息をついた。その溜息がさらに深くなったのは、翌日ロベールが「マルグリットが夜会に出る予定は当分ない」という報告を持ち帰って来た事だった。

 こうなったら大して話す時間は取れないが授業の合間に直接接触するか、と考え始めたシャルロットだったが、それを実行に移す前に事態は大きく動く事になる。



 その日、午前の一コマ目の授業を終えたシャルロットは、次のコマで使う教室に向かうため、廊下を歩いていた。

(さて次の授業は……ん?)

 ふと、シャルロットは視界の端を横切ったものに意識と足を止めた。数人の女子生徒が教室ではなく、倉庫区画に続く廊下に入っていく。それだけならシャルロットも気に留めなかったかもしれないが……

(ドレスと制服の混じった集団……妙だな)

 ドレスを着ているのは血統至上主義者たちで、基本的に制服を着ている生徒と一緒にいる事はない。嫌な予感を覚えてシャルロットは彼女たちの後を追って倉庫区画に踏み込んだ。窓やランプが無く薄暗い通路を少し進むと、倉庫の一つの扉が開いているのが見えた。

(……ミリセントさん!)

 そっと覗きこみ、シャルロットは嫌な予感が当たった事を悟った。三人の血統至上主義者の女生徒たちが、ミリセントを壁際に追い込んでいた。

「……呼ばれた理由は分かっているでしょうね」

 一人が話を切り出した。ミリセントが怯えた表情になるが、それでも気丈に説明をしようとする。

「心当たりはあります……ありますが……」

 その言葉をぴしゃりと断ち切るように、リーダー格の女生徒が言った。

「ではこちらの言いたい事もわかるでしょう。ザームエル卿に付きまとうのはおやめなさい」

 それを聞いたミリセントの表情が唖然としたものになる。次いで浮かぶのは怒りと困惑がないまぜになった表情だ。

「なっ……」

 あまりの事に反論しようとして舌がもつれたのか、上手く話せないでいるミリセントに、女生徒のリーダーはさらに言葉を続ける。

「ザームエル卿はマルグリット様の婚約者。貴女ごとき下賤の者が親しくして良いお方ではありません。分を弁えなさい」

 冷水を浴びせるような冷たい声。それはミリセントの怒りを冷まし、再び怯えを表に出させた。

「そんな……私から親しくしようとした事はありません」

 弱々しく言うミリセントに、女生徒はさらに口調をきつくして言葉を覆いかぶせる。

「黙りなさい。ならば平民風情をザームエル卿の方から構っていると? 思い上がりも甚だしい」

 シャルロットはそのやり取りを聞いて無茶苦茶だ、と思った。論理も何もなく、相手が平民であるという一点でその発言や主張を全て否定し、強者の言い分を押し付けようというのだ。

 流石にこれ以上放ってはおけない。シャルロットは扉を開けて倉庫の中に足を踏み入れた。突然上がった物音に倉庫の中の四人の視線が集中し、ミリセントの表情が明るくなった。

「姫様……!」

 シャルロットはミリセントを安心させるように微笑んで見せ、何事もないように言った。

「行きましょう、ミリセントさん。もう次の授業が始まってしまいますよ」

「は、はい!」

 ミリセントがシャルロットの方に歩み寄ろうとするが、その前に女生徒たちが立ちはだかってそれを防ぐ。

「お待ちなさい。誰だか知りませんが、今この方は私たちと話しているのです」

 リーダーが言う。どうやら、制服を着ているシャルロットが誰だかわかっていないようである。一応自分はそこそこ有名なはずでは? とシャルロットは思ったが、すぐに思い直す。相手は自分たちが理解できる価値観に属さない相手には徹底して興味がなく、冷淡なだけなのだろう。もしシャルロットがドレスを着ていたら、ちゃんと貴族であり大公息女であると認識できたに違いない。

(マルグリット嬢の取り巻きがこれか……本人はどうなのやら)

 ややうんざりした気分になりつつ、シャルロットはにこやかな笑みを表面上は保ったまま、冷たい声で言った。

「わたしも、貴女方が誰だか知りませんし、そのお話とやらを尊重するつもりはありませんよ」

 それを聞いて、リーダー以外の二人がいきり立った。

「何を無礼な……!」

「貴女、私たちが誰だと……」

 しかし、リーダー格は流石に他の二人とは違っていたようで、途中で二人の言葉を手を上げて遮った。まじまじとシャルロットの顔を見て、はっとした表情になる。

「しゃ……シャルロット姫様!? ご、ご無礼を」

 慌てて頭を下げる三人。いかに帝国貴族以外を軽視している血統至上派とは言え、伯爵令嬢の取り巻きとなれば彼女たちも男爵級の家柄だろう。流石に他国の準王族に対して居丈高に出るほど愚かではなかった。内心はどうかわからないが。

「そちらのミリセントさんとは、最近親しくお付き合いをさせていただいておりますので、授業に遅れないよう呼びに参りました。特にお話に続きがないようでしたら、わたしたちはもうお暇させていただきますが、よろしいですか?」

 シャルロットは確認の形を取った、しかし実際には命令に他ならない口調で言った。これ以上ミリセントに手を出すなら相応の措置を取らせてもらう、という脅しも込めている。

「いえ……」

 リーダーは出来るだけ冷静な口調で答えたが、その表情には屈辱が滲んでいた。ミリセントと並んで出口に向かいながら、シャルロットは何気ない口調で忘れていた、とでも言うように聞いた。

「ところで、この事はマルグリット嬢もご存知なのですか?」

「え……? は、いえ」

 一瞬慌てつつも、関与は否定するリーダー。どうやらマルグリット嬢はそれなりに派閥の者には慕われているらしい、とシャルロットは分析した。倉庫区画を出て廊下に戻ってきたところで、ミリセントは緊張の糸が切れたように座り込んだ。

「だ、大丈夫ですか?」

 慌てて一緒に屈みこみ、身体を支えるシャルロットに、ミリセントは強張った笑顔を向けた。

「こ、怖かったです……ありがとうございます、シャルロット姫様……なんとお礼を言えばいいか」

 やはり平民の彼女には、貴族三人から難癖をつけられるという体験は恐ろしいものだったようだ。

「これで、貴女の側にわたしがいる事が向こうにも知れましたから、こういう直接的な行動は当分ないとは思います」

 シャルロットは安心させるように言ったが、こういう事があった以上は無理にでもエッカルトとマルグリットに接触する必要があるだろう。

(巻き込むのは気が進みませんが、あの方にお願いしてみますか)

 ミリセントを立たせて歩き出しながら、シャルロットは次の行動についての算段を立て始めた。

 

 

 二日後、シャルロットは談話室でロザリーの淹れたお茶で喉を湿らせつつ、客が来るのを待っていた。一杯目のお茶が無くなったその時、談話室のドアがノックされた。

「どうぞ」

 シャルロットが返事をすると、ドアが開いて一人の男子生徒が入って来た。

「本日はお招きにあずかり、光栄のいた……り?」

 その男子生徒は談話室の様子がおかしいのに気づいた。自分を呼んだのではない相手がそこにいるのに気が付いたのだ。

「失礼、部屋を間違えたようで……」

 が、彼がそう言って談話室を出ようとした瞬間、背後のドアが閉められ、どこからともなく現れた騎士――ロベールがその退路を断っていた。相手が逃げられなくなったことを確認し、シャルロットは立ち上がって微笑んだ。

「間違いではありませんよ。貴方を呼んだのはわたしです」

 そう言って跪礼(カーテシー)する。

「初めまして、ザームエル卿。シャルロット・ド・ロワール=ブリガンド、あなたにどうしても聞きたい事があり、こうしてお呼び立てさせていただきました」

 男子生徒――エッカルトは、憮然とした表情で言った。

「これが招待? 騙し討ちではありませんか。ヨハン様の名を騙るなど」

 そう、エッカルトを呼び出すためにシャルロットはヨハンに手助けを依頼していたのである。

「いえ、ヨハン様にはちゃんと事情をお話しして、名を借りる事を承諾していただきました。ですからご安心を。今日ここでわたしと貴方が会ったという記録は残りませんから」

 記録上、今日この談話室を使っているのはヨハンとエッカルトである。エッカルトはため息をつくと、シャルロットの対面に座った。

「参りました。そこまでされたのでは逃げる事もなりますまい」

 シャルロットはようやく釣り出したエッカルトの顔を見た。こうして見ると、事前の評判で聞いた通りなかなかの……いや、相当な美少年だ。帝国人の理想とされる碧眼と金髪の組み合わせで、やや短く切りそろえられたヘアスタイルには下品にならない程度の野性味を感じる。袖から覗く手は日焼けしていて、剣ダコが見られる辺りかなり鍛えているようだ。将来は騎士を目指しているのかもしれない。先入観抜きに考えれば十分男性的な魅力はある。

 これであまり女子の間で話題にならないのは、やはり婚約者の存在があるからだろうな、と思いつつ、シャルロットは切り出した。

「時間もありませんし、単刀直入に申し上げましょう。ザームエル卿には婚約者がいらっしゃると聞いていますが、それなのになぜミリセントさんに交際を申し出たりしたのですか?」

 その質問に、エッカルトは苦虫を噛み潰したような表情になった。

「やはりその件でしたか……最近ミリセント嬢が貴女様に近しい方々と話しているとは聞いておりましたので、そんな気はしていましたが」

 それだけ答えると、エッカルトは黙り込んでしまったが、どう話すべきか迷っての事らしい。眉間に手を当てて考え込んでいるのを見て、シャルロットも答えを促さずに待つ。しばし沈黙が流れた後、エッカルトはようやく話を切り出した。

「まず最初に申し上げておきますが……ミリセント嬢に好意を抱いており、できれば交際したい、と思っている事は本心です」

 それを聞いて、シャルロットは違和感を覚えた。

「本心……それを強調するという事は、ミリセントさんへの好意は婚約を破棄したいがための口実ではないと?」

 確認するように聞くと、エッカルトの表情に微かに怒りが浮かんだ。

「それを疑われるのは不本意です。いや……疑われても仕方がないのは事実ですが」

 その怒りも途中でしぼんでいく。ここが核心だろうと思い、シャルロットは尋ねた。

「ミリセントさんへの好意が本物である事とは別に、どうやら婚約に不満があるようですが、いったい何が?」

 一息ついて続ける。

「軽く調べた範囲では、婚約が無理強いされたものである、と言った不満を抱きそうな事情の有無はわかりませんでした」

 シャルロットが続ける言葉にも、エッカルトは反応せず無言だ。仕方なく、シャルロットは言質を与える事にした。

「何か余人にわからないものであっても、それがはっきりすれば、この事態を解決するお手伝いができるかと思いますが」

 そのシャルロットの言葉に、エッカルトは深々と溜息をついて俯いた。呼吸数回分の時間をおいて顔を上げた彼は、真剣な表情でシャルロットに聞き返した。

「……笑わないとお約束していただけますか?」

「ええ、お約束します」

 シャルロットは頷いた。よほど家の、あるいは自分にとっての恥となる事情があるのか……と真剣な表情でエッカルトの語る事情に耳を傾けて行ったシャルロットだったが、聴き終わる頃には彼女の顔は無表情になっていた。

(笑えない……傍から聞けば冗談みたいな話だが、確かに彼にとっては真剣な悩みなのだろう。それに確かに男の沽券にはかかわる話。誰にも相談できないのも無理はない)

 若干の同情をエッカルトに抱きつつ、ひとまず、聞きたかったことは全て聞き出せたと判断して、シャルロットは立ち上がった。

「お話をありがとうございました、ザームエル卿。事情はよく分かりましたので、どう事態を着地させるか、こちらでも考えてみます」

 それを聞いて明るい表情を浮かべるエッカルト。しかし。

「ただし、わたしはあくまでミリセントさんの味方です。必ずしも貴方にとって都合の良い解決策を提示するとは限りませんので、それは心に留めておいてください」

 シャルロットはそう釘をさすように言うと、エッカルトが入って来たのとは反対方向のドアから談話室を出た。そこは使用人たちがお茶やお菓子を用意して待機するためのスペースで、ロザリーが控えていた。

「お話はお済みになりましたか? 姫様」

「ええ。おかげでマルグリット嬢に会う方法もわかりました」

 確認を求めるロザリーに頷き、シャルロットは部屋に戻ると、一筆認めてロベールに手渡して命じた。

「この手紙を他の誰にも気づかれないように、マルグリット嬢の部屋に置いてきてください。できますね?」

「了解です」

 ロベールは頷くと、一瞬でその場から姿を消した。これで仕掛けは良し。次はマルグリットに話を聞く番である。

 


 翌日、シャルロットはまた談話室でロザリーの淹れたお茶で喉を湿らせつつ、客が来るのを待っていた。一杯目のお茶が無くなったその時、談話室のドアがノックもなしに開かれた。入って来たのはヴィルヘルミーネ派閥らしく、制服ではなくドレスをまとった少女だった。

「身の程知らずの泥棒猫はここですか?」

 挨拶もなく殺気すら感じられる冷たい怒りを秘めた声をあげたその少女は、もちろんマルグリットだった。昨日、シャルロットはこの談話室と待ち時間を指定した上で「エッカルトとの事について話がある」とだけ書いた手紙をロベールに届けさせていたのである。

「何者か知りませんが……え?」

 マルグリットの怒りに満ちた声がしぼんでいく。部屋の中に予想外の人がいるのに気づいたのだ。

「初めましてですね、マルグリット様」

 シャルロットは優雅に挨拶したが、内心では

(……いけるとは思ってたけど本当に釣れたか……というか実際に泥棒猫という人を初めて見た)

 と妙なところに感心していた。

「しゃ、シャルロット姫様? 申し訳ありません、部屋を間違えたようです」

 素に戻って帰ろうとするマルグリットを、シャルロットは引き留めた。

「いいえ、貴女をお呼びしたのは間違いなくわたしです。落ち着いたところでザームエル卿との事についてお話ししましょう」

 エッカルトの事を出したのは効果絶大だった。マルグリットは再び怒りに満ちた表情で振り返った。

「どういう事です? いかに貴女様が相手でも、事と次第によってはただで済ませる気はありませんが」

 伯爵令嬢でありながら、位階で三つ上のシャルロットに一歩も引かないどころか、圧するほどの真剣さで向かってくるマルグリットに、シャルロットは本気さを感じ取った。

(本当に好きなんだなぁ……ザームエル卿の事が)

 エッカルトに話を聞き、かつ今日ここで直接会った事で、シャルロットはマルグリットのエッカルトへの想いが本物である事を確信していた。実を言うとエッカルトも彼女から寄せられる愛情に噓がない事は知っていた。問題は……

(ちょっと愛が重すぎる事だよなぁ……)

 シャルロットは溜息をつく。そう、エッカルトがマルグリットの愛を知りながらそれを拒絶したかったのは、あまりにもその愛が直接的で重すぎる事にあった。



「……恐ろしいのです、彼女の事が」

 昨日、笑わないでくれと念を押したうえでエッカルトが最初に言ったのがこの言葉だった。

「恐ろしい?」

 聞き返すシャルロット。その口調に込められた疑わしさを感じ取ったのか、エッカルトが真剣味を増した口調で言う。

「嘘偽りを申しているのではありません。本当に……怖いのです」

 そう言いながら、エッカルトの額に脂汗が浮かんでいるのを見て、シャルロットもどうやら冗談ではなさそうだと姿勢を正した。

「続けてください」

 そう言って続きを促すと、エッカルトは絞り出すように言葉を続ける。

「彼女が……マルグリット嬢が、私の事を……真剣に想ってくださっているのはわかっているのです……しかし、あまりに行き過ぎというか……」

 彼が言うには、婚約はシャルロットも調べて知った通り、マルグリットのギュンター家から申し出てきたものだった。それまでギュンター家とエッカルトのザームエル家は特に深い付き合いがあったわけではなく、エッカルトの両親も何故と訝ったが、帝国最有力家門の一つであるディートリッヒ家、そことつながりがある伯爵家と婚姻関係を結べると言うのは悪い話ではない。

 また、エッカルトもマルグリットに対する第一印象は悪いものではなかった。目を引くほどの美少女ではないが、決して悪い顔立ちではない。それに爵位が上の娘が望んで自分のところに嫁いできてくれる、というのはエッカルトの自尊心を満足させるものでもある。数度の書簡と使者の往来、帝都での直接の対面を経て、エッカルトとマルグリットの婚約が正式に結ばれる事になった。

 ここまでは良かったのである。そう、ここまでは。



 エッカルトがマルグリットの異常さに気付いたのは、婚約から一カ月ほど経った頃の事だった。

 その日、在都していたエッカルトは隣人の挨拶を受けていた。隣の屋敷は父の元で領内の村の一つで代官をしてもらっている男爵が帝都に持っているもので、その娘のヒルダが上都してきたのである。彼女は二年後に学園入学を控えており、帝都の私塾でそれに備えた勉強をするために来たのだった。

 父親同士が仕事上付き合いが深いだけに、エッカルトとヒルダは幼馴染みの関係にあるが、もちろん恋愛関係があるわけではなく、お互い兄妹のような感情を抱いている相手だ。

(まぁ……マルグリット嬢との事が無ければ、ヒルダと結婚する可能性は高かっただろうな)

 そんな事を想いながら挨拶を終え、ヒルダが帰ろうとしたとき、門の前に馬車が止まった。車体に書いてある紋章はギュンター家のものだ。

「そういえば、今日はマルグリットが訪ねてくる日だった」

 エッカルトの言葉に、ヒルダが目を輝かせる。

「エッカルト様の婚約者の方ですよね? それはご挨拶しなくては」

 ヒルダの反応に、やはり女の子は恋愛沙汰が好きなのだな、と微笑ましい気持ちになったが、降りてきたマルグリットを見た瞬間、そんな気分は霧散した。

(な、なんだ?)

 思わず一歩下がってしまうエッカルト。彼をそうさせたマルグリットには普段の穏やかさはなく、激しい怒りの表情が浮かんでいた。優雅さを崩さない歩調であるにも関わらず、地響きが感じられるような錯覚と共に歩み寄ってきた彼女は、挨拶もなくエッカルトを詰問するように言った。

「エッカルト様、誰です? この女は」

 底冷えのするような殺気を孕んだ声に、エッカルトは無作法を咎める事すら思いつかず、反射的に答えていた。

「あ、ああ。我が家の代官の娘で、ヒルダというんだが」

 紹介されたヒルダも、マルグリットの異様な気配に気圧されつつ、それでも何とか礼儀を保って挨拶をしようとした。

「は、初めまして……私は……ひっ!」

 しかし、マルグリットがヒルダの方を向いた瞬間、ヒルダは小さな悲鳴を上げ、そのまま逃げるように走り去っていった。

「ひ、ヒルダ?」

 反射的に幼馴染を追おうとしたエッカルトの前に、マルグリットが立ちはだかった。

「どちらへ行かれるのです? エッカルト様。せっかく邪魔者が消えましたのに」

 先ほどまでの不気味な恐ろしさとは打って変わった、無垢な笑顔に明るい――朗らかとさえ言える口調で尋ねてくるマルグリットに、エッカルトは更なる恐怖を感じた。

「マルグリット、貴女は……いったい……」

 呻くように聞き返すエッカルトに、マルグリットは朗らかさを保ったまま歌うような口調で答えた。

「私は貴方の婚約者。私は貴方のもの。貴方は私のもの……そうでしょう?」

 エッカルトは頷くだけで、言葉で答える事は出来なかった。何かを口に出せば、恐怖の言葉が漏れそうで何も言えなかったのである。

 その後もこうした出来事はしばしばあり、エッカルトはマルグリットがその一見穏やかな佇まいの下に隠し持っている、狂気じみた嫉妬深さと激情を恐れるようになっていた。女性に少しでも関りを持てばその恐ろしい感情の爆発にさらされる。彼がなかなかの美形であるにもかかわらず、女生徒たちの口に評価が昇らないのは、エッカルトの方で女性との関りを避けていたからだった。

 一方で、この恐ろしい婚約者から逃避したいという想いも彼にはあった。その前に現れたのが……



(ミリセントさんか……この婚約者があってそれでも声をかけたのだから、エッカルトの方も本気なんだろうが)

 マルグリットを向かいの席に座らせ、お茶で間合いを図りつつ、シャルロットはここまでに集めていた情報を整理していた。さて、この関係をどう処理すべきか。

「まず最初に申し上げておきますが……ミリセントさんにはザームエル卿との交際の意思はありません」

 考えをまとめるため、まず関係者の立場をはっきりさせておくべきだろうという判断からシャルロットは切り出した。

「これは当人に確認した事ですから間違いありません。ですが、身分の違い等からミリセントさんから直接貴女に話すのは難しいだろうと考え、わたしがお伝えする事にしました」

 そう言って、シャルロットはマルグリットの反応を見る。すると、一見穏やかそうながら、カップを持つ手が小刻みに震えているのがわかる。シャルロットは故郷の夏の嵐を思い出した。フランディアでは良く見られる天気で、それまで晴れていたのにたちまちのうちに全天を雲が覆い、激しい雨と落雷がやってくるのである。その直前の冷たい風が吹いてくる時のように、嵐の気配をシャルロットは感じていた。

「それを信じろと……?」

 マルグリットは平板な口調で言う。シャルロット相手に爆発できないと自制はしているのか、吹き出す激情を必死に抑えこんでいるために、声に感情を載せる事が出来なくなっているのだ。

「エッカルト様が私を捨てるはずがない……だから、あの平民の女がエッカルト様をたぶらかしているに違いないのです……」

 なるほど、とシャルロットは思った。マルグリットは自分に問題があると思っていない。そしてエッカルトの事を妄信している。だから、全ての悪の元凶をミリセントに押し付ける以外に現状を解釈する方法が分からない。

(私に直言できたマリーは、それだけでも公正な人だったんだな……)

 婚約者であった人、今の自分の指針となっている人の事を思い出し、シャルロットは腹をくくった。

「マルグリット様、貴女の言いたい事は理解しました。ですが、それを聞かせる相手はわたしではありませんね……ロベール!」

 シャルロットはそう言って手を叩いた。

「御前に」

 それに応えるようにロベールが現れる。シャルロットは命じた。

「ザームエル卿を今すぐここへ連れてきてください。手段は問いません。多少手荒になっても許します」

「御意」

 受令して立ち去るロベールとシャルロットを交互に見ながら、マルグリットは思わぬ成り行きに目を白黒させていた。数分後、ロベールに連れられてエッカルトが談話室にやって来た。

「姫様、私に一体何の……ま、マルグリット!?」

 ここ何日か避け続けていた婚約者の登場に、思わず逃げ腰になるエッカルトだったが、その逃げ道を素早くロベールが塞いだ。

「ザームエル卿、こちらにお座りください」

 シャルロットは有無を言わせぬ口調で指示し、それまで自分が座っていたマルグリットの対面の席をエッカルトに譲ると、二人を横から見る事のできる席に移った。

「あ、あの……シャルロット姫様? これはいったい」

 問いかけるマルグリットに、シャルロットは答えた。

「いまのあなた方お二人に必要なのは、もっと互いを良く知り、相手の本音を聞く事です。それが出来ずに酷い関係の終わり方をした二人を、わたしは知っていますから……」

 その(見た目の)年齢に見合わない重々しい言葉に、エッカルトとマルグリットは言葉を呑む。シャルロットは言葉を続けた。

「ですから、お互い言いたい事を我慢せずに言っておしまいなさい。わたしが見届け人になります」


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