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第12話 公女と公世子

 学園の授業が始まってから二週間が経ち、シャルロットは選択した授業を一通り履修していた。いったいどんな事を学べるのか……という期待と不安をもって授業に臨んだシャルロットであるが、その感想としては

(思ってたのとちょっと違う)

 と言うものだった。

 例えば、女子生徒が履修する必須科目として「家政」がある。この言葉はしばしば家事を含め、主に家庭の衣食住を管理する事だと認識されるが、実のところそれは全体のほんの一部に過ぎない。「政」と言う言葉が入っているのを見てもわかる通り、本来は政治、あるいは経営の要素を多く含む分野だ。

 貴族が有する広大な領地、そこに住まう領民、自らが住む屋敷、多くの使用人、もちろん金銭的資産に至るまで、それらの財産を管理し、子孫に受け継がせる事。これが家政の目的である。

 つまり、決して家政とは「女性だけのもの」ではない。男性にとっても非常に重要な分野である。ただ、男性貴族は国政や軍事などをより重視しているため、家政を単独で学ぶ事をしていない。国政について学ぶうちに家政についても知識技能が身に付くはずだから、というのが学園の教育方針だった。

 その方針が正しいかどうかはともかく、シャルロットが王太子として経験してきた事が家政の授業に大いに生かせたのは確かである。もう少し授業に苦労するかと思っていたシャルロットとしては、若干拍子抜けであった。

(まぁ、授業に苦労しないのは助かるけれど。しかし……)

 シャルロットが考えながら目をやったのは、同じ授業を受けているヴィルヘルミーネであった。彼女は今のところ授業についていくのにかなり苦労している様子だった。

「……調査の結果、燭台の紛失は実際にはメイドによる窃盗であったことが発覚しました。このような場合、どのような措置を取るのが適切だと考えられますか。はい、エリーサさん」

 家政の担当教師であるマイヤーハイム伯爵夫人が指名したのは、男爵家の令嬢である女生徒だった。

「は、はい……そうですね……情状酌量の余地があるか、事情を聴取したうえでその旨一筆認め、警吏に引き渡します」

 マイヤーハイム伯爵夫人はそうですね、頷くとヴィルヘルミーネを指名した。

「ヴィルヘルミーネさん、貴女ならどうしますか?」

 当てられるとは思っていなかったのか、ヴィルヘルミーネは一瞬キョトンとした表情になった。

「え……同じように処置すれば良いのではありませんか?」

 そのヴィルヘルミーネの答えに、マイヤーハイムは首を横に振って、シャルロットを指名した。

「いいえ、違います。シャルロットさん、貴女はどうですか?」

 シャルロットはこれはヴィルヘルミーネにとってはひっかけ問題に近いな、と答えを間違えた事に同情しつつ、正解を口にした。

「はい。使用人の筆頭に然るべく処置するよう指示します」

 マイヤーハイムは頷いた。

「その通りです。この問題は、家格によって答えが違うのです」

 最初に当てられたエリーサ……男爵家の場合、使用人の数は少なく、彼らは雇用主である男爵やその夫人から直接指揮監督を受ける事が多い。従って、使用人に問題がある場合、その対応は雇用主が直接行わなくてはならない。

 一方、シャルロットやヴィルヘルミーネのような高位貴族、王族の場合、最終的な雇用主の地位にはあっても、末端の使用人まで直接指揮監督する事はない。執事頭やメイド頭、場合によってはそのさらに上にいる家令や家宰――王室の場合は宮宰――と言った筆頭使用人を通じてそれを行う事になる。

 実のところ、能力の面でも忠誠の面でも、十分に信頼できる筆頭使用人がいれば、シャルロットやヴィルヘルミーネのような立場にある女性が、自ら家政を切り盛りする必要性は無かったりする。彼らに大まかな指示を出せばそれで済んでしまうからだ。しかし、そうした優れた筆頭使用人にはなかなかお目にかかれるものではない。

 歴史を紐解けば、家令や家宰の中には忠誠心はあっても能力が不足していて家を傾けてしまう者、逆に能力は高いが忠誠心は不十分な者の場合は不正蓄財に励む程度なら可愛いもので、中には反乱を起こしたり、あまつさえ国を乗っ取り新たな国を興した例も存在する。主人には筆頭使用人に任せきりにするのではなく、彼らの仕事ぶりを見抜く目と、忠誠を受けるに値する器量も求められるのだ。家政の授業を受ける意味がそこにある。

 余談であるが、政治面で王や皇帝を補佐する筆頭閣僚を指す「宰相」は、宮宰が国政や外交問題についても主君の信頼を得て相談を受けるようになり、やがて使用人より政治家としての立場が強くなり、独立した地位を得るようになったのが始まりとされる。

 

 やや話が脱線したが、貴族・王族とその使用人の関係が一様のものではない事は確かであり、それは平民として暮らしてきたヴィルヘルミーネには中々感覚的に分かり辛い事だろうとシャルロットは思う。家政に限らず、ダンスや礼法など、貴族が嗜みとして学んできた事や、感覚が必要とされる事については、どうしても苦手なようだった。

 とはいえ、皇女らしい威厳を数日で身に着けて見せたのがヴィルヘルミーネである。上級貴族としての感覚も短時日で身に着けるかもしれず、そうなれば成績の面で彼女に隙はなくなるかもしれなかった。

 というのも、ヴィルヘルミーネは算法や歴史、文学と言った一般教養系の科目全てで首位を取っていたのである。それが分かった日――入学者の実力判定試験の成績が貼り出された時の出来事を、シャルロットもはっきり覚えていた。

 

 その日、一階ホールに職員の手で成績上位者の一覧が貼り出されると、集まっていた生徒たちの間にどよめきの声が上がった。各科目のうち、一般教養の首位の名前が全てヴィルヘルミーネであるという事実に。


「皇女殿下が……!?」

「凄いな……」


 ざわめく生徒たちの、口には出さない本音をシャルロットも感じ取っていた。「本当に?」「信じられない」という声なき声をである。

 帝国では貴族の子女はこうして学園に通うのが一般的ではあるが、それまで勉強をしていないわけではない。実家にいる間に学園で学ぶ知識を受け入れるための基礎学力をつけていく期間がある。この場合、教師役は両親か上の兄弟が務めるのが一般的だった。彼らも在学経験があるからだ。

 余裕のある家では、成績上位を狙い優秀な家庭教師を雇う事もある。そのため学園が本来持っている「均質な教育機会の提供」という目的が揺らぎがちな事から、帝国では「初等学園」とでもいうべき、幼少期から教育を施す学校を設立する事を検討している。

 成績上位を狙うというのはそれだけ余裕がある家の子女だけに持てる目標であり、平民としてそうした目標を持った教育を受ける事無く暮らしてきたであろうヴィルヘルミーネが最上位の成績を出したというのは驚異的な事だ。

 おそらくは優秀な頭脳の持ち主だろう、というのはシャルロットとしても予想していた事ではあるが、流石にここまでの成績とは予想外だった。やや呆れすら混じった驚きと共に成績表を見上げていたその時、それまではまた別のざわめきが起こり、人垣が割れた。その先にいたのはヴィルヘルミーネだった。側近たちを連れてその間を進んだ彼女は、成績表の前に立つとそれを軽く一瞥した。その顔に特に気負いや満足感のようなものは見られない。

「流石です、ヴィルヘルミーネ様」

 側近の一人が賞賛の言葉を発し、それに数人が追従するが、ヴィルヘルミーネは特に言葉を返す事もなく、再び彼らを連れて歩き始めた。自分がその成績を取るのは当然の事だ、とでも言いたげなその様子に、シャルロットは首を傾げた。

(自分が首位だという自信があったようだな……いったい、いつそれだけの知識を学んだのだろう……)

 父親は皇族でこの学校の卒業者なのだから、ヴィルヘルミーネにある程度教育を施せる環境にはあっただろうが、それでもこれだけ首位を取れるほどに育て上げるのは、常識的に考えれば無理だとしか思えない。まして、アウグストには病に倒れるまで娘を貴族社会に戻す意志も動機もなかったはずだ。

(あるいは、才能と言う事なのか?)

 シャルロットの脳裏に、再びアリアの姿が浮かんだ。彼女も平民としてはかなり博識だったのを思い出す。本来平民が持っていなさそうな分野にも詳しく、例えば侍女として城に上がったばかりの頃、特に指示したわけでもないのに側近たちとの話し合いの席で、それに相応しい格式の茶葉や菓子を厨房から持ってきたりしていた。

(今考えると、彼女は何故そんな事を知っていたのだろう?)

 シャルロットの心中に疑問が湧く。菓子類の格式に詳しい……それくらいなら平民であっても有り得なくはない。だが、彼女は明らかに「知っているはずがない事」を知っていた。

 城から逃げる際に、教えた事がない隠し通路を使った事もそうだし、それ以前にもクローヴィスをシャルルに推薦した事がある。まさか王立図書館の司書という閑職についている者があれほど博識だとは思わず、有望な側近を得られたことが喜ばしかったので追求しなかったが……なぜ平民の少女がクローヴィスの事を知っていたのか。

 ヴィルヘルミーネもその類ではないのか。知っているはずがない知識を知る者――分野は違えども、シャルロットの前に現れた二人の謎めいた少女はそんな共通点を持っている。

(いや、考え過ぎだ……アリアはともかく、ヴィルヘルミーネ殿下については有り得ないとまでは言えまい)

 シャルロットは頭を軽く振り、脳裏に浮かんだ考えを追い払った。ヴィルヘルミーネが何故そんな知識を持っているのか、それを考えても意味はない。それと競い合う自分はどうすべきか、その方がずっと重要だ。


 そんな事を考えていると、クラリッサとテレーゼが近づいてきた。

「シャルロット様も素晴らしい成績ですね」

 クラリッサが言う。彼女が言うように、シャルロットも決して悪い成績ではなかった。少なくとも全科目二十位以内には入っていたのだから。とはいえ、それは彼女がシャルルとして他の生徒達より積み上げてきた知識が多いからであって、それを軽々と追い抜いて行ったヴィルヘルミーネに改めて追いつこうとすれば、相当な努力が必要だろう。

「ありがとうございます、クラリッサ様。とは言え、皇女殿下の前ではわたしなど霞んでしまいますが……」

 シャルロットがそう答えると、テレーゼが恨めしそうな表情と声音で言う。

「またご謙遜を。シャルロット様が霞なら、私たちなんて空気ですよ?」

 テレーゼもクラリッサも成績上位者の中には入っていなかった。

「少なくとも、教養科目では私が殿下のお世話をする必要はありませんね。むしろお世話される側になってしまいそうです」

 そう言ってため息をつくクラリッサに、シャルロットは首を傾げた。

「クラリッサ様の留学生へのお世話の仕事には、勉強を見る事も含まれるのですか?」

 クラリッサは慌てたように首を横に振った。

「とんでもない。私自身はここに名前が載らない程度の成績ですし……そうではなく、必要であれば個人教授を引き受けてくれる方にお引き合わせする仲立ちをさせていただいております」

 なるほど、とシャルロットは納得した。確かにこの学園に来ることが決まっていて、事前にいろいろと準備ができる帝国貴族とは違い、留学生は基礎学力の面で劣る事も多いのだろう。クラリッサのようにそれを補う役目は必要なのだ。

「それでは、わたしにも個人教授の斡旋をお願いしてもよろしいでしょうか?」

 シャルロットが言うと、クラリッサは目を丸くした。

「え、シャルロット様それ必要ですか?」

 テレーゼが遠慮のない口調で言う。彼女たちから見たらシャルロットの順位は十分高いものだし、女生徒の多くの目的――将来の伴侶探し――を考えれば、わざわざ高価な個人教授を付けて一般教養でより上位を目指す必要はないと思うのは当然だろう。実際、この成績を維持するだけでも実力のアピールとしては十分で、無理をしてヴィルヘルミーネに負けないでいようとする事はない、と本来ならシャルロットだってそう思う。

 思うのだが、初めからかなわないと思って勝負をしない、という事はシャルロットの矜持が許さなかった。

 彼女の成績は実際にはほかの生徒達より数年長く生きていて、かつ王太子という恵まれた環境にあった事によるものが大きい。それでも「悪くない成績」レベルであり、シャルロットより成績の良い生徒たちがいると言う事は、アドバンテージがない素の実力ではシャルロットは劣っていると言う事になる。

「……これがわたしの本当の実力だとは思っていませんから」

 シャルロットは答えた。本来年上でありながら、年下の生徒たちに負けている。たとえ成績上位になる必要がなくとも、そんな状態を放置しておくのはシャルロットの自尊心が許さない。それを踏まえての答えだったのだが……

「わかりました。シャルロット様の妥協せず上を目指そうという姿勢、ご立派だと思います。良い個人教授を探させていただきますね」

 シャルロットの言葉に何か感銘を受けたのか、妙にやる気に満ちた表情でクラリッサが言った。

「あ、はい……よろしくお願いします」

 シャルロットは友に何か誤解させたことを悟ったが、説明しようのない動機だけに、特に何も訂正しようとはしなかった。

 

 

 個人教授を引き受けてくれそうな人が見つかった、とクラリッサが言ってきたのは、それから三日後の事だった。

「喜ばしい事ですが……浮かない顔ですね?」

 部屋を訪れたクラリッサにシャルロットは言った。その通り、本来なら個人教授が見つかったのは良い事のはずだが、クラリッサの表情は何故か曇っていた。

「実は……当初予定していた方ではないのです。父と相談して、最初はナーゴルト男爵のマントイフェル卿に個人教授をお願いしようと交渉したのですが……」

 クラリッサの答えを聞いて、シャルロットは首を傾げた。

「ナーゴルト男爵? ナーゴルト領と言えば子爵格では……いえ、もしかして先代ですか?」

 途中で答えに気付いたシャルロットに、クラリッサは頷いた。

「はい。財務卿のトラウトマン様の師匠に当たるお方です」

 ナーゴルトは帝都から少し離れた宿場町で、子爵であるマントイフェル家が統治している。にもかかわらず男爵と言ったのは、帝国では引退、隠居した先代当主を現役時代より一つ下の爵位で遇するという慣習があるためだ。

 その先代ナーゴルト領主であるフリッツ・フォン・マントイフェルは現役時代このヘルシャーで教鞭を取った事もある人物で、教育者が性に合っていたのか、現役中も他の貴族から依頼を受けて個人教授を引き受ける他、引退後は自領で私塾を開き、格安で領内の青少年に教育を施している。現小宮廷の財務卿、モーリッツ・トラウトマンを見出しこの学園に推薦入学させたのもフリッツだった。

 元学園教師と言えば、能力でも家格でもシャルロットの個人教授を引き受けるに相応しい人物だが……

「お断りされたと言う事ですね。なにかわたしに問題でもありましたでしょうか……」

 考え込むシャルロットに、クラリッサは慌てたように言う。

「いえ、そういうわけではなく、シャルロット様の個人教授を引き受けるのであれば、それに専念する必要があり、私塾の方を閉めなくてはならないからと……」

 半ば道楽でやっているとはいえ、だからこそ今私塾に通っている生徒たちを放り出してシャルロットの個人教授を引き受ける、というのは確かに無責任に過ぎる。見方によっては貴族社会の秩序を無視して位階の高いシャルロットを蔑ろにした、とも取れるフリッツの行為だが、シャルロットはむしろ彼に誠実な人物だという印象を抱いた。

「それでは致し方ありませんね。ですが、思うに男爵は代わりの方を推薦してくれたのではありませんか?」

 そういう人がただ断るだけでは話を終わらせまい、と考えてシャルロットが聞くと、クラリッサは頷いた。ただ、より浮かない表情になって。

「ご明察です。もう紹介状まで書いていただきまして……ただ、その相手というのが……二号生のゴータ公世子ヨハン様なんです」

 それを聞いて、シャルロットは一瞬沈黙した。

「なるほど……それはまた、色々問題がありそうですね」

 ゴータ公世子ヨハンはその肩書通り、ゴータ公爵家の跡継ぎである。ゴータ家は爵位を見てもわかる通り帝室に連なる名門貴族で、当主の現ゴータ公コンラートは皇位継承権五位の大物。その息子であるヨハンは本来なら小宮廷のメンバー同様、シャルロットの婿候補に上がってもおかしくない。

 そうなっていないのは、公世子であり家を継がなくてはならない身で、外国への婿入りが出来ないからである。また帝国屈指の名門との繋がりを持ちたい諸外国から複数の縁談が持ち込まれるという面倒な状況に置かれている人物だ。ある意味ではシャルロットの立場とよく似ている。

 存在自体が政治的武器と言う事もあり、まだこれと言って纏まる方向にある縁談はないそうだが、それだけに個人教授を受けるなどと言う事になれば、シャルロットがそれを口実にヨハンとの距離を詰め、縁談レースに割り込むつもりだと取られても不思議ではない。

「さて……男爵はどういう意図で人選されたのでしょうか」

 シャルロットは首を傾げた。元学園教員なら、彼女のような女生徒が通う理由や意味を知らないはずがない。政治的な意味を持ってヨハンとシャルロットを近づけようと図っているというのが妥当ではないだろうか。

「男爵というか、マントイフェル家は政治的にはどのような立ち位置なのでしょう?」

 クラリッサはシャルロットの問いに対し、首を横に振った。知らないと言う事か、これは後でロベールに調べさせよう、とシャルロットは考え、質問を変える。

「では、ヨハン様ご自身はどういうお方なのでしょうか」

 これも重要な事である。政治的なあれこれを別にして、個人教授を依頼するに足る優秀な人物なのだとしても、まず個人として信頼できる人物でない事には話にならない。

「私たちは身分差もあってあまり親しくお話しする機会もないですからね。ただ男子からは悪いうわさは聞かないですね」

 答えたのはクラリッサと一緒に来ていたテレーゼだった。派手目の美人で、社交界でも注目される彼女は、この年代の令嬢としては男性とのコネが多い。男子生徒に関する情報はクラリッサよりも豊富だ。

「私も人望のある方だとは聞いております。小宮廷には入っていませんが、コルネリウス殿下とも親しいとか」

 友人の情報を補強するようにクラリッサも言う。

「なるほど……では、能力的には?」

 シャルロットは質問を続けた。

「入学前にナーゴルト男爵が個人教授をされていたそうですが、そのためもあってか、成績は大変優秀でいらっしゃいます。二号生の首席ですから」

 クラリッサが答える。つまり、政治的にはともかく、人格と能力においては全く問題がない人物だと言う事だ。その政治面が大問題なわけだが。しかし、家格、能力、将来性を考えると、篭絡するかどうかはともかくコネを作っておくに越したことはないと思われる相手である。ナーゴルト男爵の政治的意図はともかく、一度は会っておくべきかもしれない。

「お断りする形にはなるかと思いますが、紹介された方に会わないのも失礼でしょう。とりあえず、一度会ってお話をしてみましょう。ロザリー、ゴータ公世子との会見の手筈を整えていただけますか?」

「承知しました」

 頷くロザリー。流石にほぼ同格の、しかも異性の大貴族の子弟との会見ともなれば、クラリッサ達にやったようにアポイントなしで突然訪問は有り得ない。ロザリーが一礼して下がるのを見送り、シャルロットはクラリッサに頭を下げた。

「では、引き続き個人教授を引き受けてくれそうな方を探していただけますか?」

「かしこまりました」

 頷くクラリッサ。こうしてこの日の個人教授についての話は終わり、シャルロットはロベールにゴータ家とマントイフェル家の政治的姿勢に関する調査を命じた。


 それから、ロザリーがバラティエ大使を通じてゴータ公爵家にアポイントを取り、三日後、シャルロットは大使館の馬車で帝都のゴータ公爵家上屋敷に向かっていた。当たり前な話だが、ヨハンも寮には入っておらず、上屋敷から通学する組だった。そのため会見は上屋敷で行われる事になったのである。

(それは良いんだが……)

 シャルロットは小物袋(レティキュール)から一通の封筒を取り出した。今日の招待状だが、署名がヨハンではなくその父である現ゴータ公、コンラートのものになっている。

(ゴータ公が在都されているとは思わなかった。これはいろいろ釘を刺されるかもしれないな)

 ゴータ公も今回の一件を、シャルロットがヨハンの結婚問題に割り込むものと見做し、快く思わないかもしれない。ヨハンとのコネを持とうとしたことはいささか軽率な振る舞いだっただろうか、とシャルロットは招待状を戻しながら考えた。

 逆に、公自身が招待状を用意したと言う事は、シャルロットの来訪を歓迎するものとも考えられる。ロベールに調査させたところ、ゴータ公はそれほど政治に熱心な方ではなく、現在の帝国政府においても重要な役職に就いてはいない。フランディアにおけるロワール大公家と同じで、「帝室に何か起きた時のスペア」というのが家の存在意義、という面が強い。

 こういう家は下手に力を持つと自分自身が帝室に取って代わろうと思ってしまったり、自分が帝国を操るための傀儡を欲する野心家に利用されて国の乱れの元になってしまう事が多く、家柄の割には財力も権力も持とうとしない事を処世術としている。そのため、ゴータ家は自ら派閥を構成する事はもちろん、他の派閥に与する事も慎重に避けてきた、とロベールがこの三日間で収集しまとめた情報にもあった。

 しかし、当代のコンラートに野心がないとは言い切れない。シャルロットを利用して家の威勢を高めようと考えていてもおかしくはないのだ。そしてヨハンを推薦したナーゴルト男爵のマントイフェル家はヴィルヘルミーネの実家、ディートリッヒ侯爵家に近い立場であるらしい。

 個人教授の依頼という単純な話でさえ、帝国内の政争に使われるかもしれない。相手の本音を見極め、良いように利用されないよう気を引き締めねばならない。シャルロットがそう気合を入れ直した時、彼女を載せた馬車はゴータ公家上屋敷の門を潜っていた。

 

 出迎えの家宰に案内され、シャルロットは邸内に入った。外見は公爵家の屋敷としては質素なものだったが、内部の調度品は落ち着いた趣味の良いものが揃えられており、地位に相応しい品格が感じられた。

(学園の豪華絢爛ぶりを見慣れてると、こういうのが落ち着くな)

 シャルロットが調度に感心していると、家宰が一つの扉の前で立ち止まった。

「こちらでヨハン様がお待ちです」

「はい、ご案内ありがとうございます」

 家宰に礼を言って、ふとシャルロットはある事に気が付いた。

「公世子殿下……だけですか? 招待状は公爵閣下からいただいていますが……」

「いえ。公爵閣下は火急の用がありお出かけになられました。お帰りまでヨハン様がシャルロット殿下のお相手を務められますゆえ、御寛恕賜りたく」

 てっきりコンラートとヨハンの二人と会見する事になると思っていたのだが、家宰は首を横に振って答えた。公爵ほどの人物が来賓を放り出して出掛けねばならないという用事とは何だろうと思うが、聞いても教えてはもらえないだろう。シャルロットは頷いた。

「いえ、そう言う事であれば謝罪には及びません」

 どのみち、本当に話したい相手はヨハンである。家宰は深々と一礼した。

「殿下のご寛容に主に成り代わりお礼を申し上げます。では少々お待ちを」

 姿勢を正すと、家宰は扉をノックした。

「ヨハン様、シャルロット殿下がおいでになりました」

「通してくれ」

 扉の向こうから返事があったが、その声にシャルロットは違和感を持った。

(あれ? 今の声……)

 子供のような甲高い声。しかし、その違和感について考える間もなく、家宰によって扉が開かれた。

「どうぞ、姫殿下」

「あ、はい。案内ありがとうございました」

 促されてシャルロットは入室すると、まずは跪礼(カーテシー)しながら挨拶を述べた。

「シャルロット・ド・ロワール=ブリガンドでございます。本日はお招きいただきありがとうございます」

 本来、相手が答礼するまでシャルロットは顔を上げてはいけない。しかし、なかなかその答礼が返ってこないまま、呼吸数回分の時間が過ぎた。意を決してシャルロットは先に顔を上げた。

「どうかなさいましたか?」

 そう聞くと、呆然とした様子で立っていた相手は、我に返ったのか慌てて答礼した。

「し、失礼しました……ゴータ公世子、ヨハン・フォン・ゴータ=プロヴィンシェンと申します。お会いできて光栄です」

 そう答えるヨハンは、シャルロットが事前に想像していたのとはずいぶん違う容姿の持ち主だった。貴族の子弟らしく、顔立ちは整ってはいる。しかし、あまり手入れに気を遣っていないのか、艶のない赤毛に加えて頬には多くのそばかすがあった。そして何よりも想像と違うのは、今の十五歳と言う事になっているシャルロットよりなお幾つか幼いであろう年頃――おそらくピピンと同年代の少年だと言う事だった。

(実際に子供だったのか……)

 声に抱いた違和感の理由に納得するシャルロット。ヨハンはやや緊張した様子で応接セットを指した。

「ま、まずはお座りください……今茶など運ばせましょう」

 礼儀にはかなっているものの、言葉遣いなどは幼い子供が背伸びしているようで微笑ましくもあり、シャルロットは緊張をほぐそうと笑い掛けながら答えた。

「では、お言葉に甘えさせていただきます」

 しかし、ヨハンは赤くなってうつむいてしまい、会話にはなかなか移る事ができなかった。


 メイドがお茶を用意して下がり、対談の準備はできたものの、ヨハンの表情にはまだ緊張が見られ、なかなか会話を切り出さない。こういう時は女性から会話を始めるのははしたない行為とされる事が多いのだが……

(一応年上だし、私がリードした方が良いか)

 シャルロットはお茶で軽くのどを湿らせると、気になっていた事を尋ねた。

「失礼ですが、公世子殿下はお幾つでいらっしゃいますか?」

「十一……今年十二になります」

 ヨハンがもじもじと答える。なるほど見た目が幼いだけというわけではなかったか、とシャルロットは納得する。

(クラリッサ様はヨハン様がコルネリウス殿下と親しいと言っていたが……弟分として可愛がってるだけじゃないかな)

 いかに能力があっても、こう年が離れていては閣僚として小宮廷に入れる事も難しいだろう。いずれヨハンが年齢を重ねれば、次代の宮廷で重きをなす地位に就く事もあるだろうが、それは少なくとも十数年は未来の話だ。

 また、年齢を聞けば別の疑問も生まれる。

「学園への入学は、十二歳にならなければ許可されなかったと記憶していますが……」

 シャルロットが事前に聞いた制度では、入学が認められるのは十二歳から十八歳まで、在学が認められるのは三年間である。

「はい、本来はそうですね。ですが、然るべき人の推薦があれば十二歳になる前でも入学が認められるんです」

 ヨハンは答えた。つまり師匠であるナーゴルト男爵の推薦があったと言う事だろう。

「そう言う事でしたか。公世子殿下がそのお歳で学院に入る事ができたと言う事は、素晴らしい先生に恵まれたのですね」

 シャルロットが言うと、ヨハンは笑顔を浮かべて頷いた。

「はい、フリッツ先生に教えていただいたことは一生の宝です」

 ヨハンが本心から恩師を尊敬しているのが良くわかる反応だった。

「そうですね……直接教えを受ける事ができないのは本当に残念です」

 シャルロットは言った。これは彼女の本心だ。現財務卿のモーリッツと言い、ヨハンと言い、ナーゴルト男爵の人材を見出し、育てる手腕は実に見事としか言いようがない。彼女がシャルルだった時代も含め、これまで教えを受けてきたどの教師にも勝るだろう。

「それは……そのかわりに先生にシャルロット姫様を教える事を頼まれた以上、僕、いえ、私が精一杯務めさせていただきます」

 恩師の決断を庇うように、いや、それ以上の熱意を込めた口調で言うヨハン。しかし、シャルロットは首を横に振った。そもそも、今日はそれを伝えるのが用件の半分のようなものだ。

「いえ……そう言ってくださるのは嬉しいのですが、公世子殿下に個人教授をお願いするのはお断りしようと思っています」

 そう言った途端に、ヨハンの顔が曇り、今度は怒りで再び赤くなる。

「なぜですか? 私では教師としてご不満でしょうか? それは確かに私は貴女よりは年下ですが……」

 口調にも不満が滲んでいるのが分かった。言い方がまずかったかな、とシャルロットは反省した。年下でも男性なのだから、ちゃんと相手の面目が立つように考えてやらねばならない。男心が分かっている自分には、それが出来るはずだ。

「申し訳ありません。決して殿下の能力を疑っているわけではありません」

 シャルロットはそう言うと、理由について話し始めた。

「わたしも、殿下が置かれている立場については理解しています。将来のご結婚相手をどうするかが帝国にとっての重要事項と言う事も……そこにわたしが割り込む事で、殿下や公爵家にご迷惑をおかけすることは本意ではありません」

 シャルロットはヨハンの反応を見ながら話を続ける。今のところ、怒りは薄らいできているようだ。

「ですが、ナーゴルト男爵が既に殿下にお話をされたと聞いたので、直接お会いして、わたしの口からお断りをさせていただくのが誠意と思い、本日こうしてまかり越した次第です」

 そこまで話して、シャルロットはいったん言葉を切った。ヨハンの反応が気になったからだ。何というか、どう感情を表して良いのかわからないような複雑な雰囲気を漂わせている。まだ怒っているようでもあるし、悲しんでいるようでもある。そして何を話したらいいのか迷っているように口がもごもご動いているのもわかる。

(……なんだろう、まだ言葉選びが上手くいかなかったかな……)

 首を傾げそうになったシャルロットだったが、それより前にヨハンは顔を上げた。先ほどまでの何を言うか迷っていた表情ではなく、決意と覚悟の感じられる表情だ。

「……そのように、私や我が家の事を考えていただけることは、嬉しく思います。ですが、そういう難しい問題とは無関係に、私が、私の気持ちで個人教授をお引き受けしたいと思っているのです」

 そう言って、ヨハンは身を乗り出しシャルロットの顔を見つめてきた。その視線に込められた熱に、シャルロットは自分の頬も熱くなるのを感じた。

(こうして見ると、意外と可愛い顔立ちだな、ヨハン様)

 そんな事を思い、次の瞬間そんな思いを抱いた事自体に驚く。

(ちょっと待て、今私何を考えた!? いくら年下でも、男を見て可愛いと思うなんて……)

 自分の思考を処理できず混乱するシャルロット。何とか心を落ち着けたいが、ヨハンに見つめられ続けているせいでうまくいかない。その間にもヨハンは言葉を続ける。

「入学式での貴女の言葉に、私は大変感銘を受けました。高き身分でありながら、それにこだわる事無く友を求めるというその姿勢に……できれば私も貴女の友になりたいと、そう思っているのです」

 言葉にも熱がこもる。やはり身分を問わず学問を伝える事を重んじる人物の弟子だけあり、ヨハンも身分に対するこだわりは薄いようだ。それを聞いて、シャルロットも少し落ち着きを取り戻した。

(落ち着いて……落ち着け、わたし……)

 胸に手を当てて深呼吸し、なんとか息を整えると、シャルロットはヨハンに答えた。

「わたしも、殿下とはぜひお友達になりたいと思っています」

 ヨハンの顔が明るく輝いた。

「それなら……」

 言葉を続けようとするヨハンに、シャルロットは自分の口の前に人差し指を立てることで、その続きを封じると自分の言葉を続けた。

「だからこそ、お友達とそのご家族に、確実に迷惑がかかる事をお願いするわけにはいかない。そうも思っています」

 ヨハンが黙り込む。何か言葉を探しているようだったが、それが口に出される事は無かった。ノックとそれに続いて家宰の言葉が聞こえてきたからだった。

「失礼します。公爵閣下がお帰りになりました」

「父上が?」

 ヨハンが問い返すと、扉が開いて恰幅の良い男性が入って来た。ゴータ公爵、コンラートに間違いない。シャルロットは立ち上がり、一礼した。

「お邪魔しております。シャルロット・ド・ロワール=ブリガンドでございます」

「これはご丁寧に。コンラート・フォン・ゴータ=プロヴィンシェンです。姫殿下にお会いできて光栄の至り」

 コンラートはそう言うと、シャルロットの前にひざまずいてキスハントをする。これはヨハンはやらなかった事で、やはり緊張していたのだろうな、とシャルロットは思った。

「おかえりなさいませ、父上」

 ヨハンも父に一礼する。コンラートは頷くと、思いがけないことを言った。

「ヨハン、私はシャルロット姫様とお話ししなければならない事がある。しばし席を外しなさい」

 帰って来たのに親子で一緒に話をするわけではないのか? と疑問に思うシャルロットだったが、ヨハンは素直にわかりました、と答えると家宰に伴われて部屋を出て行った。コンラートに促され、シャルロットは席に座り直し、ヨハンの座っていた場所に今度はコンラートが腰かける。メイドがお茶を淹れ直す間に、二~三言当たり障りのない話をした後、コンラートは本題を切り出した。

「さて……いかがでしたかな、ヨハンは」

 シャルロットは慎重に言葉を選びながら答えた。

「学年が違いますので、今日まで直接お話をした事はありませんでしたが……お歳の割にしっかりしたお方であると思います」

 少なくとも、同じ年頃の自分はヨハンほど出来の良い子ではなかった、とシャルロットは思っている。だからこの評価は世辞ではない。

「ははは、そうですか」

 コンラートは笑い、すっと目を細めて身を乗り出した。ここからが本題の本題らしい、とシャルロットも姿勢を正して待つ。しかし、コンラートの言葉は、シャルロットの予想を遥かに超える内容だった。

「単刀直入に申し上げましょう。我が家はヨハンをシャルロット姫様の婿として、フランディア王国と縁を結びたいと考えております」


 

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