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第11話 入学式

 入学式の会場となる大講堂は、全校生徒を入れるだけの規模がある唯一の教室だ。この学園が出城として使われていた時代には、駐屯する将兵のために数年分の食料を蓄えておくための巨大な倉庫だったという。

 その大講堂へ向かう廊下は、入寮以来初めて見る大勢の生徒たちで賑わっていた。

「こんなに人がいたんですね」

 感心するシャルロット。上級の貴族たちしかいない寮の上層階は静かで、まるで他に人がいないのではないかと錯覚させるほどだが、実際には三百人近い生徒がいて、そのうち今年の新入生は百人ほどになるという。

「全生徒のうち、平民の生徒は二十人ほどで、一番数が多いのは、下級貴族……特に男爵の子女。これがだいたい二百人くらいになります」

 と説明するのはクラリッサだ。フランディアではロザリーの兄ジャン=ジャックやバラティエ大使がそうであるように、男爵でも要職に就いたり、自前の領地をもって統治している事は珍しくないが、帝国では男爵は下級官僚の他、天領やより上級の爵位を持つ貴族の下で、一つの町や村を領地として預けられて統治する代官の役割を担う者が大半を占める。

 そうした他国では平民や一代貴族が就く事が多い地位であっても正式な貴族階級とする事で、彼らのより強い忠誠心を期待すると共に、同じ職務同士なら帝国側の方が階級で上という状況を作る事で国威を示し、外交上の優位を作るのが帝国の統治方針なのだ。それだけ多くの貴族を抱える事ができる、という帝国の豊かさを示してもいる。

 そのためか、帝国では他の国に比べると貴族階級における男爵の比率が非常に大きい。クラリッサの説明一つにも、お国柄の違いを感じるシャルロットである。

「そうすると……こうした制服が必要になるのも、わからないではないですね」

 シャルロットは周囲の生徒たちを見ながら言う。服装で階層が分かってしまうようだと、今頃周囲の生徒たちのほとんどは、平伏するか跪いて自分が去るのを見送らなくてはならないだろう。

「そうですね。うちの領地で代官をしてもらっている男爵の子供が同級生だったりするんですけど、平等の建前が無いとすれ違うのもひと騒ぎですから」

 テレーゼが言う。父親同士の社会的地位の差を子供の間にも持ち込む、というのは貴族社会では良く見られる光景だが、彼女はそれをよしとしないのだろう。

(いい子だ。帝国貴族がみんなこういう気概ある者たちなら良いのだが、そうはいかないだろうな)

 シャルロットは思った。そして、大講堂に入ったところで彼女はその考えが正しかった事を知った。

「……制服を着てないあの方たちは……一応確認しますが、父兄ではないのですよね?」

 シャルロットが指すのは生徒たちの最前列席に陣取る正装の一団だった。制服を着た生徒たちは彼らに近づかないように三列ほど距離を置いている。

「あの方々は、貴族の権威を重んじて制服を着用する事に反対している派閥の皆さんですね」

 クラリッサが答え、やや渋い表情になる。

「例年いらっしゃる方々ですが……今年は多いですね」

「あー、悪い方向に転んじゃったか」

 テレーゼも頷く。二人の反応、その原因となる人物をシャルロットも見つけていた。

(そっちに行ってしまうのか……)

 最前列の中央、ひときわ豪奢なドレスを纏って、権威主義者たちの上に君臨しているのはヴィルヘルミーネだった。本人の資質はもちろんまだ見切れてはいないが、後見人であるアウスラの意向を汲み、権威主義、血統主義の派閥をまとめていく道を選んだのだろう、とシャルロットは判断した。

 それにしても、その振る舞いは実に堂々としたもので、生まれながらの皇族にしか見えない。

(いや、生まれながらの皇族には違いないか……しかし、平民として暮らしていたのが本当なら、そんな物腰をどうやって身に着けたのだろう?)

 シャルロットがそう疑問に思った時、クラリッサが尋ねてきた。

「シャルロット様、席はどうしましょう?」

「え? あ、そうですね……」

 言われて気付いたが、シャルロットが考え事をしている間に大講堂の席はほとんど埋まっていた。唯一、非制服派閥と制服派の緩衝地帯と化した三列を除いて。

「まぁ……あそこに座るしかないでしょうね」

 そう言ってシャルロットが選んだのは、緩衝地帯の中央列、その真ん中付近の席だった。制服を着ている側ではあるが、とりあえずここではどちらに付くとは明確にしないでおく。事情に疎いはずの留学生なのだから、そういう空気の読めないふりをする事も許されるだろう。

「お二人はわたしを気にせず、好きなところに座ってください」

 ただ、友人二人を巻き込むわけにもいかないので、シャルロットはそう言ってクラリッサとテレーゼに離れる事を薦めた。しかし、クラリッサは首を横に振った。

「いえ、シャルロット様を孤立させるわけには……」

「気にしないで良いですよ。どうせ前列の子たちと仲良くする気はないんで」

 テレーゼも同調する。

「ありがとう。一緒にいてくれるのでしたら心強いです」

 シャルロットは礼を言い、三人は視線を浴びながら緩衝地帯の真ん中に陣取った。前列の生徒たちもシャルロットに視線を向け、ひそひそと会話をしているが、どう見ても好意的ではないな、とシャルロットは感じ取った。

(……結局こうなるんだな)

 シャルロットは諦めと共に現状を受け入れた。どのみち、ヴィルヘルミーネが現れた時点で、派閥対立のど真ん中に放り込まれる事は運命だったのだろう。

(それにしても、半分平民の彼女が権威主義、血統主義側に担がれて、私がそれに反対する側に担がれそうだとはね。事前の想定とは逆になったが……まぁいい。その方が気持ちがいいか)

 現状を受け入れてしまうと、なんとなく覚悟が決まった気がして、シャルロットは自分の置かれた立場に苦笑する余裕も出てきた。その時だった。

「生徒諸君、静粛に!」

 凛とした声が大講堂に響き渡り、生徒たちの私語がやんだ。いつの間にか教壇の上に制服を着た男子生徒が立っていた。

「小宮廷の司法卿、ベルンハルト様です」

 クラリッサが耳打ちしてくる。その名前はシャルロットも把握していた。ベルンハルト・フォン・カレンベルク。父親のマグヌスは帝国全軍の総指揮官である帝国元帥。加えてアンハルト侯爵家というディートリッヒ家に次ぐ勢力を持つ大貴族の継承者で、コルネリウスに次ぐ「侯補者」……つまり、シャルロットが篭絡すべき相手の一人だ。

 シャルル時代の側近者サークルの中ではオスカルに相当する位置づけの、コルネリウスの腹心というべき側近の一人でもあり、未来の帝国元帥侯補でもある。

(父上がアンハルト侯の軍才を絶賛されていたが、息子の方はどうなんだろうな)

 シャルロットは考えたが、コルネリウスに重用され、小宮廷の要職を任されているくらいだから、凡人とは程遠いのは間違いない。なお、小宮廷における「司法卿」は生徒間の風紀を維持する責任者である。

「……いささか風紀に問題はあるようだが、是正は今後の課題として、これより本年度の入学式を開催する。まず学長よりお言葉をいただく。謹聴!」

 最前列の集団を一瞥し、ベルンハルトが開会宣言を行う。この場で服装違反を咎めるつもりはないらしい。彼と入れ替わりにタネンベルク学長が教壇に立つ。

「新入生諸君、まずは入学おめでとう。私は諸君を心から歓迎する」

 新入生が座っている辺りを見渡し、タネンベルクは威厳のある声で話し始めた。

「このヘルシャー帝国学園は、帝国に留まらず、オルラントに住む全ての人々が長年積み上げてきた知識と文化の殿堂であり、我々教師陣はそれを諸君らに伝える事を責務としている。諸君らが何を学びたいと願おうと、その全てに我々は応え、持てる知識を教えることを約束しよう」

 だが、と前置きしてタネンベルクは言葉を続けた。

「逆に、諸君ら自身に何かを学び、吸収していこうという意欲が無いのであれば、その時は我々は何も与える事はできない。ただこの学園に在籍し、卒業したというだけで自らに箔を付けようと望むのであれば、それもまたよし。そうした者も我々は放逐したりはしない」

 そういう卒業生もいるのか、とシャルロットは思った。しかし考えてみれば、ここでの成績が卒業後の出世に直結する帝国貴族はともかく、入学金を払って在籍する留学生や、平民の生徒の中には「在籍するだけ、卒業しただけで意味がある」という面もあるのだろう。一代貴族の称号みたいなものだ。

「しかし、我々は諸君らが与えられた三年という時間を、自らを高めるために使うものと確信している。そして、それは諸君ら生徒自身が自らを律し、自らの足で立つ気概を持ってこそ可能になるであろう。そのため、学園では我々教師陣が諸君らの生活を管理監督する事を最小限に留めている」

 タネンベルクがそこまで言うと、一人の生徒が教壇に上がった。その銀色の髪は見間違いようがない。コルネリウス皇子だった。生徒たちの間にどよめきが上がる。やはり彼の影響力は大きいようだ。

「生徒自身の自治……それを担う者を紹介しよう。生徒総代、君からも挨拶を」

「承知しました、学長」

 タネンベルクが場所を譲り、コルネリウスは教壇の真ん中に立った。すっと右手を上げる。その動作だけで生徒たちのどよめきが収まっていくのを確認し、彼は口を開いた。

「ただいま紹介にあずかりました、生徒総代のコルネリウス・フォン・プロヴィンシェンです」

 生徒は平等である、という建前を遵守するためか、コルネリウスは丁寧な言葉遣いで新入生に呼び掛けた。

「新入生の皆さん、ご入学おめでとう。在校生を代表して皆さんを歓迎します」

 そう言いながら、まるで新入生一人一人に視線を送るかのように、右から左へと席を見渡していく。シャルロットも一瞬視線が合ったような気がした。

(いや、まさかね? しかし、そう錯覚させるだけの何かを持っているな)

 あるいは人を惹きつけるための何かの技術を使っているのか、と考えるシャルロット。しかしそういう風に考えているのは彼女だけで、ふと横を見ればクラリッサもテレーゼも上気した表情でコルネリウスを見ていた。

「学長が仰られたように、本学園では教師の方々は我々生徒の教育にのみ責任を持ち、様々な学園行事の多くは、我々生徒が主体となって企画、運営していく事になります。それによって、我々は将来国や自領の統治をおこなうための術を学ぶわけです……いわば、授業以外の学園生活の大半もまた、我々にとっての学びの場と言えましょう」

 生徒たちを魅了しつつ、コルネリウスの話は続いていく。

「今まで二年間、総代としてこうした学生自治に携わってきた身として、正直に言いましょう……これは非常に大変な仕事です」

 ややおどけた口調に、生徒たちの間に忍び笑いが漏れた。こうやって隙を見せるのも、親しみを持たせる方法としては有効なのだな、とシャルロットは思った。

「しかしやりがいもあります。皆さんもぜひ、私と共に学園生活をより良くする方策を探していただきたい。そして、卒業後はその経験を国のために活かすよう励んでいただきたい。私からは以上です」

 歓声と拍手が湧いた。拍手をしながら、シャルロットはクラリッサとテレーゼに聞いた。

「殿下の事をどう思いましたか? お二人は」

 まずクラリッサが答えた。

「素晴らしいお方だと思います。皇太子のリヒャルト様も大変優秀な成績を残されたと聞いていますし、リヒャルト様をコルネリウス様が補佐して政治を動かして行けば、きっと帝国の未来はより明るいものになると思います」

「やっぱり、皇族ともなると私たちとは見てるところが違いますねぇ」

 テレーゼも言う。とはいえ観点が違うのは当たり前で、学園に入る前から恐らくは厳しく帝王学を叩きこまれ、国を統治するという事と向き合い続けてきたコルネリウスと、いずれ結婚して他家に嫁ぎ、その家政を取り仕切る事を教育されている伯爵令嬢の二人では、前提が違い過ぎて比較にならない。

(うん……そうすると、学長も殿下も、あいさつの中で語ってない観点があるよな)

 二人の反応を見て、シャルロットがそう思った時だった。コルネリウスが爆弾を投げつけたのは。

「では、新入生を代表して誰かに挨拶してもらいましょう。そうですね……フランディアからの留学生で大公息女でもあられる、シャルロット・ド・ロワール=ブリガンド嬢」

「……え?」

 自分の名が呼ばれた、とシャルロットが理解するのと、やはり虚を突かれた会場にどよめきが上がるのはほぼ同時だった。

「シャルロット・ド・ロワール=ブリガンド嬢、おられますか?」

 言いつつも、コルネリウスはシャルロットの方をしっかりと見ている。その視線の向け先を追って、会場の視線がシャルロットに集中した。

「は、はい……ここにおります」

 シャルロットが手を挙げると、コルネリウスは笑みを浮かべて手招きした。

「ああ、おられたようですね。新入生代表として挨拶を……」

「異議あり!」

 コルネリウスの言葉を遮って手を挙げたのは、最前列にいた一人の女子生徒だった。当然彼女も華やかなドレスを纏っている。

「ほう、そこの貴女……失礼だが名前を聞いても?」

 特に言葉を遮られた事に怒る様子も無く、コルネリウスが挙手者の名前を問う。怒りを滲ませたのは挙手者の方だった。

「ボーフム伯家のカトリーナ・フォン・アッヘンバッハにございます。宮中で何度かお会いした事がありますが、お忘れですか?」

「……ああ。では異議について伺いましょうか」

 覚えているかどうかには答えず、コルネリウスは先を促す。もちろん覚えているはずだ、とシャルロットは思った。自分も帝王学の一環として人の顔を覚える訓練はしている。コルネリウスがそれをやっていないはずはない。

 にもかかわらず、忘れているような事を言うのは「お前など取るに足らない」と言っているのと同じ。貴族社会では相当に強烈な侮辱である。

「新入生代表は、最も位階の高いお方が務めるのが習わし。つまり、ヴィルヘルミーネ殿下こそが代表に相応しいはずです」

 顔を赤くしながら言うカトリーナ。流石に皇子相手では暴発できない。一方コルネリウスは涼しい顔で言った。

「確かに、そう言う習わしはありますが……流石に入学式からそれ以外の習わしを守らない方に代表になってもらうわけにはいきません」

 一瞬言葉に詰まるカトリーナ。コルネリウスが制服の事を言っているのは明白だった。しかし、彼女としても異議を唱えてしまった以上後には引けない。

「皇女殿下にもあのような粗末なものを着ろと仰るのですか! そのような……」

 そこまで彼女が口にした時、静かな、しかし断固たる口調でそれを制したのはヴィルヘルミーネだった。

「およしなさい、カトリーナさん」

 口ごもったカトリーナに、ヴィルヘルミーネは言葉を続ける。

「わたくしの威厳を気にしてくださるのは嬉しいですが……それ以上口にしては、いろいろ差しさわりがありましょう。コルネリウス殿下、わたくしとしてはそちらの方が代表をされる事に異存はありません」

 そう言って、ヴィルヘルミーネはシャルロットの方をちらりと振り向く。しかし、その視線を受けてシャルロットは思わず身体が硬直するのを感じた。

 ヴィルヘルミーネがシャルロットに向ける視線はまるで氷のように冷たく、同時に汚物を見るかのような嫌悪に満ちていた。これに比べればあの大失敗を犯した時の自分に向けられた父の視線の方が、まだ温かみがあったとさえ思える。

(どうして、私をそんな視線で見るんだ?)

 ヴィルヘルミーネは自分の想い人では、アリアではないと割り切っていたつもりだったが、それでも同じ顔の人間から向けられるその視線は、シャルロットの身体を縛り付ける。

(でも、私は負けるわけにはいかないんだ……!)

 シャルロットは目を閉じ、視界からヴィルヘルミーネの姿を遮断する。そして、自分の愚かさに巻き込み、不幸にしてしまった人々の事を考える。彼らへの償いのために、自分はこんなところでは立ち止まっていられない。そう言い聞かせる。

 気合を入れ直し、シャルロットは目を開けて立ち上がった。背筋を伸ばし、堂々と見えるように心がけながら教壇へ向けて歩き始める。コルネリウスが無言で場所を開けるのに一礼し、彼女は教壇の真ん中に立った。

「シャルロット・ド・ロワール=ブリガンドと申します。突然のご指名ではありますが、新入生代表としてご挨拶させていただきます」

 一息吸って、シャルロットは話し始めた。そこまで言うとタネンベルクの方を向いて一礼する。

「まず、わたしたちの入学を許可していただいたこと、こうして盛大に祝ってくださったことに対し、学長をはじめとする先生方にお礼を申し上げます」

 そして、学生たちの方へ向き直る。多くの視線が降り注ぐが、シャルロットも元は王太子として大勢の貴族や民衆たちの前に立ったこともあり、それほどの怯みや緊張は無かった。

「先ほどは、学長と総代のお二人に挨拶を賜りましたが、大変感銘を受ける内容でした。自ら考え、自ら学び、自らの足で立ち、自らを律していく。卒業後は人の上に立つ事になるわたしたちにとって、それはとても大事な事です」

 それは、シャルロット自身にとってもシャルルとして実践しようと努めて来た事である。しかし、今の彼女はそれだけでは足りないという事も知っている。

「ですが……一つ注意しなくてはならない事があります。それが独り善がりな思いに拠って立つものであってはならない、という事です」

 シャルロットはかつての自分が犯した過ちを思い起こす。自分の一方的な思い込みと正義感で暴走し、側近たちを巻き込み、婚約者を不幸に追いやり、国を内戦の一歩手前にまで落とし込んだ。

「独善を元に物事を考えてしまうと、どうしても過ちが生じます。それを防いでくれるのは……対等の立場に立って、一緒に考えてくれる人の存在です」

 シャルルは孤独だった。側近たちの事は信頼していたが、それでも彼らは対等の友人ではなかった。もしかしたら、彼らにもシャルルの行いを危ういと感じる事はあったのかもしれないが、それを言い出さなかったのは、やはり身分や地位を超えるだけのものが無かったからだろう。

 マリーは違った。彼女は側近たちにはできない諫言をしてくれていた。それは彼女に身分差を超える動機があったからで、その動機はやはり親愛の情だったとシャルロットは思う。残念ながら、自分にそれを受け入れる度量も、マリーへの親愛も無かった事が致命的な結果を産んでしまったわけだが……もし、あの時の自分たちに身分や立場の差を超えて、互いを思いやる心情があったら、あの破局は避けられたのかもしれない。

 もちろん、今更そんな事に気付いても、過去は変えられない。起きてしまった事は取り返しがつかない。でも、未来は変えられるはずだ。

「そういう人の事を、わたしは友人と言うのだと思っています。ですから……」

 シャルロットは頭を下げた。

「皆さん、わたしの友達になってください。わたしを、皆さんの友達にさせてください」

 言いなりになるのでも、させるのでもない。立場を、地位を超えて、言うべき事は言える関係を作る事。それが、生徒たちは平等であるという意味。

「それを為す事ができる場が、この学園だとわたしは思っています。以上を持って挨拶とさせていただきます」

 シャルロットは挨拶を終えた。思いも寄らない内容だったのか、静まり返る大講堂。しかし、その静寂を一つの拍手が破った。教壇の脇に下がっていたコルネリウスのものだった。それを機に、生徒たちの間からも拍手が湧き始め、やがて大講堂全体を包む大きな拍手となった。

(私の言った事は皆に通じたのか。それとも、殿下に迎合しているだけなのか……)

 拍手に包まれながらシャルロットは思った。ただ、拍手をしている中には好意的な笑顔を見せている者もかなりの数見られる。そうした人々には想いが通じたと、シャルロットは思いたかった。

 同時に、強い悪意も目の前から感じられる。シャルロットは真正面に座るヴィルヘルミーネの顔を見た。彼女を含め、最前列に座る者たちは一様に拍手に加わらず、シャルロットを悪意の篭もった視線で見ている。軽侮、嫌悪、呆れ……貴種らしからぬ挨拶をした事で、シャルロットは彼らに敵と認定されたのだ。

(それでも構わないか……どのみち、彼らと私の道は相いれない)

 弱い者の味方で居続けると、そう決意して旅立ったシャルロットである。それがたとえどんな強大な敵を自分の前に呼び込もうとも戦うと、今彼女は覚悟を決めたのだった。さっきまでは耐えられなかったヴィルヘルミーネの視線を真っ向から受け止めながら、シャルロットは思いを込めて相手を見返した。

(ヴィルヘルミーネ殿下、貴女が何故私をそこまで嫌っているのか、それはわからない。でも、いつか必ずそれを聞かせてもらう)

 拍手の中、二人の少女の視線が絡み合う。それはこのヘルシャーで繰り返されてきた多くの戦いの歴史、その新たな1ページめの開幕を告げる狼煙だった。



 入学式が終わり、コルネリウスは側近たちと「小宮廷」の執務室へ引き上げて来ていた。

「いやはや……まさかあんな話をするとは思わなかったな。可愛い顔でなかなか大胆な事をされるな、シャルロット姫は」

 コルネリウスは笑みを浮かべ、自分の席に腰かける。

「一歩間違えば革命主義者の声明ですよね、あれは」

 そう応じたのは、小宮廷において内務卿を務めるユースタス・フォン・シーラッハ。父親は国政の方で内務卿を務めているブラウエン侯爵である。ベルンハルトと並びコルネリウスの側近衆における双璧と言うべき逸材だ。国政における内務卿が内政全般を監督する役割であるように、小宮廷における内務卿は生徒たちの要望を把握し、学園生活の改善に反映させる役割を持っている。

「君にとっては好ましいタイプじゃないか? モーリッツ」

 コルネリウスが呼びかけたのは、側近衆の一人で財務卿のモーリッツ・トラウトマン。貴族号の「フォン」を名に持たないのを見てもわかるように、平民出の特待生である。元々は引退した貴族が道楽で塾長をしている私塾の塾生だったが、その才能に感嘆した塾長の推薦により、ヘルシャーへの入学が認められたという切れ者だ。小宮廷の運営費をはじめとする学生自治の予算を一手に預かっている。

「身分差を重んじない方である、と言う印象は受けましたが、それ以上は控えさせていただきます」

 今も資料に目を通し、計算尺を弾きながらモーリッツは答えた。無礼にも見える態度だが、入学式からしばらくは様々なイベントが続くため、財務卿の彼は今が多忙な時期だ。こうして仕事をしながら答える事をコルネリウスは許していた。

 しかし、貴族がみんなコルネリウスのような度量の持ち主ではない。モーリッツは平民の癖に小宮廷入りした、という陰口を常に叩かれている立場にあるため、簡単に貴族を信用してはならないという態度が染みついている。

「口だけではないという証言もあったな。なぁベルンハルト」

 コルネリウスに話を振られたベルンハルトは頷いた。

「はい。シャルロット姫が学園に到着された日に、護衛の者たちに祝福のキスを授けていた……それも騎士だけでなく、従者たちにも、と言う目撃者が多くおります」

 ほう、とユースタスが感心したような声を上げる。文官寄りとは言え、彼も帝国貴族だ。姫君が騎士に祝福のキスを授ける事の意味は知りぬいている。

「献身に対して報いる事を知っておられるようではある」

 ベルンハルトが言う。家臣の献身に対し、何かをもって報いる事。それは上に立つ者の務めであるが、遺憾ながら献身を受ける事を当然の権利ととらえ、報いる事の少ない者は帝国貴族の中にも存在する。相手の身分が低ければなおの事だ。

「シャルロット姫か……先年賜死を受けた王太子は愚物だったと聞いているが、フランディア王家にもまだ見るべき人材は残っていたようだな」

 ユースタスは真実を知ったら彼自身はもちろんシャルロットも羞恥のあまり悶死しそうな事を言った。知らないとは幸いな事である。

「ふむ。もう少し様子を見させてもらおうか。気にすべき存在は彼女だけではない事だし」

 コルネリウスがそう言って場を纏めたその時、別の場所でもシャルロットについて語る者がいた。



「……気に入らないわね」

 光輝宮の自室でそう言ったのは、ヴィルヘルミーネだった。その口調は皇族らしい威厳を見せていた公の場でのそれとは違い、庶民のようなものになっている。

「シャルロット姫の事ですか。従属国の者がコルネリウス殿下のご指名とは言え、ヴィルヘルミーネ様を差し置いての僭越なる振る舞い。許しがたき事です」

 カトリーナが頷く。しかし、ヴィルヘルミーネは首を横に振り、口調を戻して言った。

「そんな事はどうでもよい事です。わたくしはあの小娘の存在自体が気に入らないのです」

 ヴィルヘルミーネは十八歳。三歳しか年の変わらない相手を「小娘」とまで呼んで敵意を露わにするその姿に、カトリーナは戸惑いを交えつつ尋ねる。

「紛れもなく殿下の敵となる相手にはございましょうが……何がそこまでお気に召さないのですか?」

 実質今日が初対面に近い相手にそこまで憎しみを向けること自体が尋常ではない。いかに忠実な臣たらんとしているカトリーナと言えど、それは気にかかって仕方がない事であった。

「何が? 全てです。あの容姿も、話し方も、態度も……絵物語の主人公(ヒロイン)じみた存在ではありませんか。あんな気持ちの悪い存在に学園の主役としての地位を奪われてなるものですか」

「はぁ……」

 ヴィルヘルミーネの返事に、カトリーナは戸惑いを大きくする。派閥の中にはヴィルヘルミーネに平民の血が流れている事に反感を抱きつつ、アウスラとディートリッヒ家の意向を重んじて従っている者も多いが、カトリーナはヴィルヘルミーネに対し、ごく自然に皇族に相応しい威厳を示すその姿に加え、おそらくは父君から受け継いだのであろう見識は、主君として仕えるに足るものと感じ、本心から忠誠を捧げている。

 しかし、今の答えは皇女らしからぬ、感情的で支離滅裂なものに聞こえた。

(要は生理的に受け付けない相手だ、と言う事でしょうか……)

 カトリーナはそう解釈する事にした。それならわからないでもない。彼女自身もシャルロットのようないかにも穢れなく無垢な印象を受ける相手は苦手だった。

「そういうわけでカトリーナさん」

「はい?」

 唐突に名を呼ばれ、物思いから我に返るカトリーナに、ヴィルヘルミーネは命じた。

「あの小娘の身辺、特に実家のロワール大公家を探りなさい。必ず何か弱みがあるはずです」

「承知しました」

 頷くカトリーナ。彼女の家、ボーフム伯爵家はディートリッヒ一門の有力家門の一つであるが、もう一つの顔として、ディートリッヒ家に仕える「影」を統括する役目を担っている。彼女自身、ある程度自由に使役できる影のメンバーを抱えており、様々な貴族社会の暗部にも触れている。カトリーナがヴィルヘルミーネの側近に抜擢された理由の一つがこれだった。

 影に指示を出すため、カトリーナが退出していくと、ヴィルヘルミーネは学園の方を向いて苦々しげにつぶやいた。

「苦労してここまで来たのに、あんなお邪魔虫が出てくるなんて……それもフランディア? なんて腹の立つ……!」

 


 その頃、シャルロットもまた寮の自室で光輝宮の方を見ていた。主の物憂げな様子に遠慮してか、ロザリーも何も言わず近くに控えている。

(明日から授業が始まる……きっと、ヴィルヘルミーネ殿下と同じ授業で顔を合わせる事になると思うが……)

 ヘルシャーの授業は全生徒が受ける共通科目の他に、生徒が自分の得意分野、出身階級などを考慮して選ぶ事ができる選択科目がある。シャルロットは一般教養の他に、家政などの将来妻として夫を支える事を目指す女子が受ける選択科目を中心に選んでいた。

 それは間違いなくヴィルヘルミーネも受けるであろう授業であり、彼女とは派閥勢力だけでなく成績でも競わなくてはならない。そして見たところヴィルヘルミーネは間違いなく優秀であろうという予感がある。

(いや……それはアリアに似ているからそうだという先入観のせいかな)

 シャルロットはそう考えるが、すぐにその考えを打ち消した。平民の娘から一夜にして皇族になったに近い彼女だが、あれだけ皇族として威厳ある振る舞いができているのだ。適応力は間違いなく高い。それに、彼女の後見人であるアウスラは学園外でも優秀な家庭教師をつけ、ヴィルヘルミーネを皇女に相応しい存在に育て上げようとしてくるだろう。

 幸いシャルロットにもロザリーと言う優秀な家庭教師がいる。条件は五分五分とみるべきか。後は自分の努力次第である。

 実は今日校長が言った通り、ヘルシャーでは授業を一切受けず三年間暖衣飽食していても、または受けていて最低の成績しかとる事ができなかったとしても、一切の制限なく卒業する事はできる。

 これも学園に存在する建前の一つで、ヘルシャーへの入学が認められるほどの人材なら、必ず勤勉に授業に励むはずだし、それなりの成績を出せるとされているからだ。それに本当の評価は卒業後に下される事になる。周囲で共に働く人々はだいたい学園の卒業生だからだ。誰が劣等生や怠慢な者と働きたいと思うだろうか?

 そんなわけで、「在学するだけで意味がある」ような出身の生徒であっても、世間体が悪くない程度には授業を受けたり行事に参加したりはするらしい。

(私の目的は婿探しのはずなんだがな……やる事が増えていくな)

 シャルロットは内心苦笑したが、まぁ自分が男の側でも、頭の悪い怠惰な女性を娶りたいとは思わないから、良い成績を取るための努力を惜しんではならないだろう。どうせ身を預けなければならないなら、そういう努力をちゃんと評価してくれる男性の方が納得できる。

「さて、そうなると……ロザリー、少し出かけてきます」

 立ち上がるシャルロットに、ロザリーは問いかけた。

「どちらへ行かれるのですか?」

 歩き出しながらシャルロットは答えた。

「クラリッサ様とテレーゼのところです。誰を味方につけるべきか、誰を警戒すべきか、今のところ聞けるのはあの二人だけですから」

 シャルロットはまだ帝国貴族の動向に詳しくないし、ヴィルヘルミーネのように巨大な実家の影響力を行使できる立場でもない。身近なところを頼りに少しづつ繋がる事の出来る相手を増やしていくしかない。

「ある程度目星をつけたところで、お茶会を開いて親交を深めていきたいですね。その時は手助けをお願いしますね、ロザリー」

「はい、姫様」

 頷くロザリー。まずは自分の与党を作り、固めていく。主がそう方針を定めたのならば、全力で補佐していくまでだ。ロザリーも決意を新たにしていた。

 

 こうして、この年のヘルシャーにおいて状況を作り、動かしていくキープレイヤーとなった少女たちは本格的に動き出したのである。



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