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第10話 皇女ヴィルヘルミーネ

 帝都の中心部にあるプロヴィンシェン皇帝の居城、シュトラール・レジデンツ。その名は帝国語で「輝く宮殿」を意味する。慣例的にどこの国でも「光輝宮」と訳される言葉で表現される、まさに帝国の栄光を体現したような壮麗なる建造物であった。

 白大理石を外壁に、薄く切り出した黒大理石を屋根に用い、華麗な彫刻で彩られたその建築様式は、この時代の王宮としては珍しく城塞としての機能を持っておらず、堀と鉄柵で囲まれただけの簡素な守りしか持たない。

 しかし、そうであるために光輝宮は帝都のどこからでもその姿を見る事ができた。朝日を浴びてまぶしいほどに白く輝き、夕日には赤く染まる美しい宮殿は、帝都の民にとって我が事のように誇らしい存在であり、皇帝の権力を臣民たちに存分に示していた。守りより人に見せつける事を意識したその様式は、帝都に手をかけるに足る敵なし、という帝国の自信の表れでもあった。

 光輝宮にはいくつかの門が存在するが、そのうちの一つに特別な客の出入りだけに使われる「白の門」があった。その名の通り白亜に塗装された扉を持つ門で、ここを使う事ができるのは来訪者の中でも特に身分の高い人々だけである。

 その白の門前に馬車が止まった時、周囲の人々は物珍しさに足を止め、いったいどのような賓客が訪れたのかと視線を向けた。

 そして、馬車から降り立った少女の麗姿は、彼ら物見高い帝都の民たちにも賛嘆の溜息をつかせるには十分だったのである。目の肥えた帝都の民にも斬新かつ可憐なデザインのドレスを纏い、かつそれを見事に着こなすに足るだけの美しい容姿を持つ、異国の姫君。

 シャルロットが帝都の噂スズメたちの口に登る、その第一歩となる瞬間だった。


「噂には聞いていましたが……実際に見ると途方もないものですね」

 大使館差し回しの馬車から、バラティエ大使のエスコートで降り立ったシャルロットは、光輝宮の感覚がおかしくなりそうな壮大さに圧倒されつつ感想を口にした。こうして見ると、住んでいた頃は十分に巨大と感じていたフランディアの王城が哀れにさえ思える。

「左様ですね。私も謁見のために何度も訪れていますが、一向に慣れる気がしません」

 バラティエも言う。

「……いつまでも見とれているわけにもいきませんね。願います、大使」

「はい」

 気を取り直して言うシャルロットに頷き、バラティエは手にした槍を交差させて門をまもっている衛兵たちに向けて朗々と口上を述べた。

「開門! こちらにおわすはフランディア王国、ロワール大公家ご息女シャルロット殿下なり。陛下のお招きにより皇女殿下のお披露目式に参上いたした」

 口上を聞いた衛兵は無言のまま、左右に分かれて槍柵を解き、石突きを地面に打ち付けて直立した。鉄琴を鳴らすような音が響き渡り、それに応じて門が内側から開き始めた。そこに立っていたのは、シャルロットにとっては久しぶりに見る初対面の相手だった。

「ようこそおいでくださいました、シャルロット殿下。帝国副外務卿のアウグスト・フォン・クラーゼンと申します。式場まで殿下をご案内するよう仰せつかっております」

 自分の死を看取った相手にして、帝国に来て初めての友人の父親であるコルベルク伯だった。もちろん、久しぶりなどと呼び掛けてボロを出すほどシャルロットは愚かではない。

「丁寧にありがとうございます。シャルロット・ド・ロワール=ブリガンドにございます。本日のお招きに心より感謝いたします」

 そして、一歩踏み出してコルベルク伯に招待状を手渡しつつ微笑んで見せた。

「もう一つ、素晴らしい友人と出会わせてくれた事にも」

 それを聞いて、それまで真剣だったコルベルク伯の顔に笑みが浮かんだ。

「もったいなきお言葉。さあ、こちらへどうぞ」

 奥を指すコルベルク伯に頷くと、シャルロットはバラティエ大使の方を向いて言った。

「では、また後でお願いいたします」

「承知いたしました」

 頷くバラティエ。彼自身は招待客ではないので、随身としてもシャルロットに同行はできない。ここから先へ入れるのはシャルロットだけだった。


 門からの道を歩きながら、コルベルク伯はシャルロットに話しかけた。

「クラリッサとはもうお会いになりましたか。粗相などしていなければよいのですが」

「いえ、わたしは事情あって同世代の友人が少なかったものですから、クラリッサ様、テレーゼ様と出会えて本当に良かったと思っています」

 シャルロットは本心から答える。

「それを聞いて、親としても安心しました。不束な娘ではありますが、どうかよろしくお願いします」

 コルベルク伯が頭を下げる。外交官には相手を論破し国益を押し通そうとするタイプと、誠実さを押し出して相手との信頼関係を結ぶタイプがいるが、彼は後者なのだろう。なるほど、クラリッサは父の薫陶が良く行き届いた娘なのだろうな、とシャルロットは二人の親子関係に納得した。

 そんな会話をしているうちに、コルベルク伯がシャルロットを連れてきたのは、光輝宮の本棟ではなく、隣接して建てられているこれもまた巨大な建造物だった。見た目は大聖堂を連想させるが、シャルロットは建物の玄関に掲げられた額を読み取っていた。

「皇帝劇場……これが」

 長い歴史を持つだけに、プロヴィンシェン帝国は文化と芸術の面でも先進国である。国立の各種楽団、劇団にとって皇帝は名誉総裁でもあり、年に数度、御前にて日々の稽古の成果を披露するのが彼らにとっての最高の名誉とされている。

 皇帝劇場はその名の通り皇帝専用の劇場として、百年ほど前の皇帝リヒャルト二世が建設させたもので、光輝宮と合わせた様式で建てられた、それ自体が芸術品と言って良い建造物だった。

 皇帝専用とはいっても、千席を超える観客席を持ち、皇帝臨席の天覧公演時には貴族や要人たちもまた観客として招待される。それだけの規模を持つだけに、こうして皇族に関係するさまざまな式典の会場としても、皇帝劇場は活用されていた。

「殿下には特別席をご用意しておりますので、そちらまで案内しましょう」

 コルベルク伯はそう言うと、衛兵に玄関の扉を開けさせた。中に入り、シャルロットはその華麗さに圧倒された。美術館という側面もあるのか、玄関ホールには皇帝のコレクションであろう名画や彫刻が飾られており、それも決して押しつけがましくないよう見る者の視線を計算した配置が為されていた。加えて内装もまた芸術的ですらある。

「こちらです」

 先導するコルベルク伯の言葉に我に返り、シャルロットは慌てて、でも見苦しくないよう心掛けて後に続く。しかしそのせいか、玄関ホールのあちこちで談笑していた帝国貴族たちが彼女にどのような視線を投げかけていたかは、意識する余裕が無かった。


 シャルロットが案内されたのは、「ロジェ」と呼ばれる、ステージを見下ろす二階のバルコニー席だった。皇帝以外の皇族または来賓専用の最高級の座席であり、民間の劇場であれば運営に多大な貢献をしているパトロンの専用席として割り当てられるような席である。シャルロットは思わずコルベルク伯の方を振り向いて尋ねた。

「あの……わたしが本当にこの席でよろしいのでしょうか?」

 皇帝の招待による来賓とは言え、従属国の大公家の娘が座るにはあまりにも分不相応な席に思える。しかし、コルベルク伯は間違いございません、と答えた。

「自信をもってお座りください。殿下がご自身をどう思われているかはともかく、皇帝陛下はフランディアとの絆を重んじておられますゆえ」

 そう答えると、コルベルク伯は一礼して扉の向こうに消えた。シャルロットは戸惑いつつも、とりあえずボックス内に四つ設けられた椅子の一つを選んで腰かけた。

(あ……凄い眺め)

 広いステージが端から端まで見渡せる。ここで演劇を見る事ができれば素晴らしい体験ができるだろうな、と普段はそれほど芸術・芸能に興味を持たないシャルロットが思うほどの場所だった。しかし、次の瞬間シャルロットの内心からは劇場の素晴らしさに対する思いは霧散していた。どこからか、強い視線が自分に注がれているのを感じたのだ。

(誰? どこから……?)

 その視線を感じる先を追って、シャルロットは目を見張った。視線の主は向かいのロジェに座る一人の青年――実は横にも別の青年が座っていたのだが、そのもう一人が感じられないくらいの鮮烈な印象を発する人物だった。

 俗に「皇帝の銀」と称される、プロヴィンシェン皇族に特有の美しい銀髪を持ったその青年は、顔だちもまた美丈夫と呼ぶに相応しいものを持っていた。ただ単に容姿だけで言うなら、彼に匹敵するか、上回る人物はいなくもないだろう。シャルロット自身、シャルルだった頃には女性の憧れの視線を一身に受けるほどの美男子だったのだ。

 その青年が印象的なのは、ただの容姿に留まらない、説明のつかない魅力を感じさせるその雰囲気にあった。おそらくはカリスマと呼ぶしかない、見る者を心服させずにはおかない存在感。シャルロットはただ一人、そうした人物の噂を聞いていた。

(あれが……コルネリウス皇子)

 プロヴィンシェン帝国第二皇子として、皇帝と皇太子に次ぐ尊崇を受ける人物――コルネリウス・フォン・プロヴィンシェン。シャルロットがその身を賭して篭絡しなければならない者たちの筆頭候補に立つ存在だった。

 美形とは聞いていた。魅力的な人物だとも。しかしこうして向かい合ってみれば、所詮噂は噂でしかなく、実像の十分の一も捉えてはいないと良くわかる。元の男のシャルルとして向かい合ったとしても、ライバルと見做すよりは主君として跪きたいとさえ考えるかもしれない。それほどの人物だった。シャルロットは今にして国にいたころの自分が、いかに狭い世界でしか生きていなかったかを知った。

(世の中にはこんなにも凄い人がいる。でも……わたしは負けるわけにはいかない)

 それでも、シャルロットはじっとコルネリウスを見つめ返した。彼がなぜ自分を見ているのかはわからない。でも、ここで視線に負けて目をそらしてしまえば、コルネリウスの前に立つ資格がなくなるような気がした。

 有難い事に、二人の「にらみ合い」はそう長くは続かなかった。ステージに登壇した人物が舞台俳優もかくや、という良く通る声で叫んだためである。

「諸氏、ご静粛に!!」

 それまで満ちていた出席者たちの声がぴたりとやむ。シャルロットも、コルネリウスも、互いに向けていた視線を外して舞台に注目した。シャルロットは知らない人物だったが、それは侍従長のバッハマン伯爵だった。

「救世の後嗣にしてプロヴィンシェン諸領邦の統治者たる皇帝、テオバルト三世陛下、ご来臨!!」

 バッハマン侍従長の言葉と共に、全員が起立してステージに注目する。舞台の向かって右側袖より、その人は現れた。

(あれが皇帝陛下……)

 シャルロットは父が忠誠を誓う相手を始めて見た。アルベールから聞いた話では、兄アウグストと比べて母の生家の身分が低く、継承権争いでもその事がネックになったが、それでもなお彼を皇帝にと推す人々が一大勢力を為したというのだから、その有能さが窺えるというものである。今もその全身から放たれる雰囲気は威厳に溢れていた。

「皇帝陛下、万歳! プロヴィンシェン帝国、万歳!!」

 貴族たちの歓呼の唱和に応え、テオバルトはステージの真ん中に設えられた玉座の傍まで進み出ると、さっと右手を挙げた。貴族たちが唱和をやめて静まり返る。

「楽にして良い」

 テオバルトはそう言うと、玉座に腰かけた。それに合わせ、貴族たちも着席する。シャルロットも腰かけ、皇帝の次の言葉を待った。

「急な話にもかかわらず、多くの者たちが参集してくれた事に感謝する」

 テオバルトはそう口火を切った。

「知る者も多いかと思うが、余の兄であったアウグストは皇位継承権を返上し、市井に降られていた。残念ながら、先日兄の死が確認された」

 そう話すテオバルトの表情には、演技とは思えない沈痛さが浮かんでいる。兄を敬慕していたというのは本当のようだ、とシャルロットは思った。

「しかしながら……兄は我が皇室の血を引く一子をこの世に残されていた。兄の死を余に伝えてくれたのもその子であり、余は我が子を案じる兄の最期の願いに応え、その子を我が皇室に迎え入れる事を決意した」

 テオバルトは立ち上がり、舞台袖を右腕で指した。

「紹介しよう。兄アウグストの一子にして、我が養女たるヴィルヘルミーネ・フォン・プロヴィンシェンである」

 その声に応じ、舞台袖から現れたのは二人の女性だった。一人がヴィルヘルミーネと思しき少女である。皇族である事を証明するように「皇帝の銀」を持つ、気品ある美しさを備えた少女であった。

 もう一人は、ややきつめな印象を与えるが、絶世のと付けても良い美女だった。貴族たちの間にアウスラ様、という声が上がる。

 アウスラ・フォン・ディートリッヒ侯爵夫人。アウグスト、テオバルトと共に先帝の子で、アウグストと母を同じくしている。生まれの順では二人の皇子の間に入るため、アウグストの妹、テオバルトの姉という事になる。二人の皇位継承争いでは明確にアウグストの支持者として……と言うより、彼女こそがアウグスト派の中核だったという。帝国有数の大貴族、ディートリッヒ侯爵家へ降嫁した後は、夫を差し置いて婚家の実権を握り、しばしば国政にも介入しているという、苛烈な性格の女傑だった。

「ディートリッヒ侯爵夫人にはヴィルヘルミーネの後見人をしていただくことになった」

 皇室の血を引くとは言え、半分は平民の血も引く子を一足飛びに皇帝の養女にするのは難しいため、ヴィルヘルミーネはまずディートリッヒ侯爵家の養女となり、そこから皇帝の養女になる、という手順を踏んでいた。身分の差というのは、かように面倒な手続きを踏ませる事を余儀なくさせるものなのだった。

 しかし、そうした説明のほとんどは、シャルロットの頭には入っていなかった。シャルロットの視線はヴィルヘルミーネに釘付けだった。

(……嘘、だろう……?)

 シャルロットにとって、ヴィルヘルミーネは初めて見る顔ではなかった。むしろ、誰よりも知る顔だった。無数の甘美な思い出とともにある顔だった。

(アリア……アリア……なぜ、君がそこにいる?)

 そう、シャルロットが見つめるヴィルヘルミーネ皇女は……シャルルとしての最愛の女性、アリアにあまりにも酷似していたのだ。髪色が銀ではなく濃い栗色だったなら、アリアその人と言えるほどに。

「ヴィルヘルミーネよ、挨拶を」

 テオバルトの言葉に頷き、ヴィルヘルミーネは会場を見渡した。貴族たちも静かにその第一声を待っている。とは言え、数日前まで平民だった少女だ。アウスラなどが知恵を付けたとしても、どうせ大したことは言うまいとたかを括っていた彼らは、度肝を抜かれる事になった。

「敬いなさい」

 ただ一言。ヴィルヘルミーネの挨拶はその一言で終わった。主語が省かれているとはいえ、この状況で誰を指すのかは明白な言葉。

 私を敬え。ヴィルヘルミーネはそう言ったのである。静まり返る劇場だったが、その沈黙を打ち破り、一人の貴族が立ち上がった。

「ヴィ……ヴィルヘルミーネ皇女殿下、万歳!!」

 それを皮切りに、数人の貴族が立ち上がり、万歳を唱和する。彼らはディートリッヒ一門の者であり、要するに露骨なサクラなのだが、それでもその行動は平土間席の貴族全員に伝染し、彼らは「帝国万歳、皇帝万歳、皇女万歳」を繰り返した。それに加わらないのは、四人の皇族と、コルネリウスの横に座る青年。そして、シャルロットだけだった。



 ヴィルヘルミーネ皇女のお披露目式はその万歳をクライマックスとして終わり、出席者たちは劇場を後にしていた。そのうちの一人が、光輝宮内の自室に客を連れて戻っていた。

「我が友コルネリウスよ、なかなかに面白い見世物だったじゃないか」

 部屋の主――コルネリウスに声をかけたのは、劇場では隣席にいた青年――帝国の数少ない「同盟国」であるレディング王国の第二王子、セドリックだった。レディングはフランディアの南、ロメリア海に浮かぶ島国で、強力な海軍力と商船団を有する海運大国だ。陸の覇者プロヴィンシェンに対する海の覇者であり、両者は対等の軍事同盟を結んでいる。

 セドリックは留学生としてヘルシャーに入学して以来、コルネリウスと対等に話の出来る唯一の人物として、そして何よりもウマの合う親友同士として付き合ってきた仲である。コルネリウスに気を取られたシャルロットには認識されないという仕打ちを受けている人物だが、容姿も学園での成績も、大国の王子に相応しいものは持っている。

「伯母上の入れ知恵なのだろうが、なかなかの役者だな、従妹殿は」

 コルネリウスは笑う。皇帝の座を正しき血の持ち主……つまり、アウグストの血統を引く者の手に戻さねばならない、と公言し、父や自分を敵視するアウスラは、もちろんコルネリウスにとってはできれば関わり合いになりたくない相手の筆頭である。

「アウグスト様の血を引いているなら、半分平民でも構わないか。あのお方にしては思い切った事をされたものだな」

 セドリックは言う。アウスラがテオバルトを嫌い、皇帝に相応しくないとしているのは、彼女が血統至上主義者だからである。

「それだけ伯父上への愛が深かったのだろうさ」

 とコルネリウス。アウスラのアウグストへの想いは、実の兄妹の枠を超えたものだったのではないか、と当時から囁かれていたほどである。今の夫であるディートリッヒ侯爵との間に子供がいないのも、その噂に拍車をかけていた。

 いずれアウグスト系で皇位を奪還しようと考えるなら、同じ血を引く自分が産んだ子を皇位に付けようとするのが自然な流れだろうが、そうせずにたまたま見つかったアウグストの遺児を担ぐ動きを見せているというのは、よほどアウグストの存在に拘りがあるのだろう。

「聞けば聞くほど爆発物にしか思えないんだが……良いのか、皇族に入れてしまって」

 セドリックの問いに、首を横に振るコルネリウス。

「兄上も俺も反対はしたよ。しかし、父上がな」

 テオバルトは自分が皇位を継いだことに、今も負い目を抱いている。政治の才は平凡でも、人を引き付ける魅力を持つアウグストを、自分が補佐していく――それが理想だったと、コルネリウスは父から聞いていた。

 兄の遺児を引き立てる事で、少しでも兄への罪悪感を解消したい、叶わなかった理想の代わりにしたいと思わずにいられない。政治的に不味いと頭では分かっていても、感情が納得しないのだ。その思いを息子たちも否定はできなかった。

「無理もないか……で、どうするんだ、これから」

 セドリックはさらに質問を重ねた。ヴィルヘルミーネという駒を手に入れたアウスラの次の一手を、誰もまだ読んではいない。

「実は、既にディートリッヒに近い家の連中から、それとなくヴィルヘルミーネとの結婚を勧められている」

 コルネリウスは答えた。ちなみに帝国ではいとこ同士の結婚は禁じられていない。

「動きが早いな……だが、その連中の独断だな?」

 セドリックは感心するが、裏事情も読んでいた。アウスラが嫌っているテオバルトの子たちとの結婚を進めるとは思えない。

「恐らくな……だから、こっちに近い連中が彼女を反対側席に案内したんだろうが……」

「ああ、フランディアの姫様か」

 コルネリウスの言葉に頷くセドリック。彼らも、今年の入学生の中にヴィルヘルミーネに対抗しうる相手が一人だけいる事を知っていた。向かいのロジェに現れた姫君――シャルロット。従属国ながら、近年帝国と関係の深いフランディア。その有力家系の姫であり、ヴィルヘルミーネよりもコルネリウスに相応しい相手だと考える者もまた多い。シャルロットをコルネリウスの目に留まりやすい場所へ案内したのもそうした派閥の動きだろう。

「彼女の事をどう思った? 随分長く見つめ合っていたようだが……脈ありか?」

 少しからかうようなセドリックの言葉に、コルネリウスは顎に手を当てて考え込んだ。

「うむ……いや、どうなんだろうな。可愛らしい方だとは思ったが……」

 あの時、自分を見つめ返してきたシャルロットの視線。あれは今まで女性から感じた事の無いものだった。今までコルネリウスに女性が向けてくる視線と言えば、ほとんどが好意のそれだった。思慕、恋情……露骨な肉欲を感じた事もある。

 それは構わない。自分の容姿が整っている事は自覚しているし、それを武器に使う事も帝王学の一環として学んだことだ。そんな視線を向けられることに、今更動揺などない。

 しかし、今日のシャルロットの視線は違っていた。悪意や害意はなかったが、好意的というだけでもない。そう、あれは……

「なんだ、お前にしてははっきりしない物言いだな」

 笑う友人の顔を見て、コルネリウスは思い出した。そう、あれと同じ視線を向けてきた者が一人だけいた。出会った頃のセドリックだ。自分を値踏みし、競う相手として相応しいか量るような視線……

(俺もまた、彼女に見定められているという事か)

 コルネリウスは笑った。覇権を担う大国の皇子という地位に生まれ、容姿、能力、いずれも非の打ち所がない完璧超人と賞される彼も、それ故の孤独を抱えている。周囲にいるのは能力や身分の面で彼に遠慮せざるを得ない者たちばかりで、セドリックを除けば対等と呼べる友人はいない。そのセドリックもいずれは帰国する身だ。

(シャルロット姫は、俺の孤独を埋める存在になってくれるだろうか)

 それは、願望にも似たコルネリウスの期待だった。しかし、シャルロットについては気にかかる事があった。

「帰り際、ずいぶんとシャルロット姫は気疲れされた様子だったな」

「ん? そうだな。なんだか呆然としていたようにも見えた」

 独り言のようなコルネリウスの言葉に頷くセドリック。コルベルク伯に声を掛けられるまで、椅子に座り込んで心ここにあらず、という状態だったシャルロットの姿を、二人の貴公子は記憶していた。なぜ皇女のお披露目式でシャルロットがそこまで疲弊するのか、二人にはわからなかった。



 その頃、シャルロットも寮へ戻っていた。

「姫様……どうなさったのですか?」

 玄関まで迎えに出たロザリーの前に降り立ったシャルロットは、まだ虚ろな表情で、呼びかけの声にも生返事をするだけだった。

「私にもわからんのだ。かなりお疲れな様子なのはわかるんだが、お帰りの間ずっとこの調子で……」

 送迎したバラティエも困惑顔だった。

「ともかく、もう入学式も近い。良くお休みになっていただいて欲しい。お願いしますぞ」

 バラティエはロザリーに念を押し、大使館へ戻っていった。ロザリーはシャルロットの手を引いて自室へ戻ると、もう一度同じことを聞いた。

「姫様……どうなさったのですか? お披露目式で何かあったのですか?」

 それまで黙っていたシャルロットが、ようやく口を開いたのはその時だった。

「……アリアが。アリアがいたんだ……ヴィルヘルミーネ皇女がアリアだったんだ」

「……は?」

 ロザリーは彼女にしては珍しい、戸惑った声を上げた。シャルロットが男口調に戻っているのを注意する事すら忘れている。

「良くわかりませんが……詳しく聞かせてください」

 とにかく、お披露目式で異常な事があったのは理解したロザリーは、シャルロットを落ち着かせながら、少しづつ事情を聴きだしていった。そして、ヴィルヘルミーネ皇女がかつてのシャルルの想い人であったアリアに酷似していた事を知る事ができた。

「失礼ですが、他人の空似ではないのですか? 髪の色も違っているのでしょう?」

 確認するロザリーに、シャルロットは首を横に振った。

「それはない。私が彼女を見間違えたりするものか。あれは確かにアリアだった」

 口調はショックを脱して平常に戻ってきているが、まだ男口調のままである。しかし、今はロザリーも咎めなかった。

「わかりました。私にはにわかに信じられませんが、少なくとも殿下にとっては確信が持てるレベルでお二人は似ているのでしょう」

 ロザリーは頷くと、パンパンと手を叩いてもう一人の関係者を呼んだ。

「ロベール、いたら出てきてください」

「了解」

 今まで何もなかったように見えた場所に、忽然と姿を現すロベール。面妖な光景だが、もう慣れっこなのでロザリーもいちいち驚いたりはしない。

「殿下の影守だった貴方は、アリアという女性の事をご存知なのでしょう? 皇女殿下と同一人物であるか、見て判断できますか?」

 ロザリーの問いに、ロベールは首を横に振る。

「いやまぁ、確かにアリアという娘の事は知ってますがね。殿下ほどは無理ですよ。何しろ……いや、これは淑女の前で言える事じゃないですが」

 珍しく男性としての良識として口ごもったロベールだが、ロザリーとてそこまで初心ではない。平然と受け流して問いを続ける。

「ああ、体の隅々まで知るほどの仲ではないと……それは仕方が無いですが、顔だけで判断できませんか?」

 ロベールはしばし考え込んだ。

「まぁ……皇女本人を見る機会があればどの程度そっくりかは言えますよ。学院に通うようになれば、報告できると思います」

「今はそれでいいでしょう……さて、殿下」

 ロベールの請負に頷いて、ロザリーはシャルロットに向き直った。

「この際、ヴィルヘルミーネ殿下がアリアという女性であるかどうか、その事はどうでもよろしいです。殿下自身はどうなさるおつもりなのですか?」

 その問いに、シャルロットはすぐには答えなかった。ただ、虚ろだった表情に次第に生気が戻っていく。目にも光が、力が戻りはじめ、やがて彼女は口を開いた。

「あんな結末があっても、わたしにとってアリアの事は大事な思い出で、特別な人には変わりありません」

 口調が女性のものに変わっていた。

「でも……それに捉われてしまっては、未来を向いて生きて欲しい、とフランソワ達に言った事が嘘になってしまいますね。心配かけてごめんなさい、ロザリー」

 シャルロットが微笑を浮かべ、ロザリーに頭を下げる。主が完全に精神の平衡を取り戻したと判断し、ロザリーは安堵の息をつくと共に、シャルロットの前にひざまずいた。

「いえ、こちらこそ出過ぎたことを申しました。お許しください」

「許すも許さないもありません。主を諫める。貴女の行いは臣下として当然の事でしょう」

 シャルロットは言うと、窓に近寄り、帝都の方を見た。ここからでは城壁に邪魔されて、光輝宮は尖塔など一部しか見えない。でも、そのどこかにかつて愛した人かもしれない女性がいる、と考えると、どうしても胸はざわつく。

(でも……あれは……あの方(ヴィルヘルミーネ)の振る舞いは……アリアのものではなかった……いや、本当に?)

 シャルロットの知るアリアは、いつも優しげな笑みを浮かべ、シャルルが声をかけるまではじっと見守っていてくれるだけの控えめな、それでいて必要とあればシャルルが欲しいと思う言葉をかけてくれる。そんな少女だ。

 そんな彼女が、居並ぶ貴族を前に「自分を敬え」などと言い放てるものだろうか。どれほど確信をもって同一人物のはずだと言えるほどに似ていたとしても、やはりアリアとヴィルヘルミーネは別人ではないのか。

 しかし、アリアにはシャルルの破滅と共に一国の敷いた包囲網さえかいくぐって逃げおおせただけの強かさな女性という面もまた存在する。彼女の中に、あの女帝のような振る舞いを為せる一面が無いと言い切れるだろうか?

 だいたい、シャルロットは咎人の修道院での再会まで、十数年を決して薄くない密度で過ごしたマリーの心情を知る事すらできなかった。主を失ってなお、あがき前に進もうとしている側近たちの気持ちも……

「見定めるしかない……そう言う事なのでしょうね」

 シャルロットは独り言のように言った。自分にはアリアのように相手の心情を察する力はない。相手を見て、相手と話して、相手の言葉を聞いて、少しでも理解するしかできない。ヴィルヘルミーネとも、コルネリウスとも、少しでも多く交流の機会をもつ事で、その為人を見極めていくしかないのだろう。それが、今後の学園生活でシャルロットが自分の為すべき事と思い定めた事だった。


 そしてその日は暮れて……入学式の日がやってきた。

「どうでしょう、ロザリー、ロベール。おかしいところはありませんか?」

 姿見の前で、そう言いながらセルフチェックするシャルロットに、ロベールは答えた。

「いやーお似合いですよ、姫様」

「……もう少し、心がこもっている演技をしようとは思わないのですか、あなたは」

 口調が完全に棒読みなロベールに、そう言って呆れるロザリーだったが、口に出す感想はほぼ同じだった。

「とてもお似合いです、姫様。自信を持ってください」

 それを聞いて、シャルロットはようやく笑みを浮かべた。

「ありがとう。それにしても、こういうものがあるとは、学園というのも良くわからないところがありますね」

 そう感想を口にするシャルロットが着ているのは、ヘルシャーの女子生徒用制服である。

 繰り返し述べる事であるが、ヘルシャーにおいては建前上「在学中の学生の身分は平等」という事になっている。制服の着用はその建前を形にするための施策の一つで、生徒たちに一律同デザインの服を着せる事で、互いを尊重する意識の醸成を図っているという。

 制服は着付け役のメイドや従者がいなくとも生徒たちが自分で着る事ができるようなデザインが採用され、女子の制服は頭から被るだけで着替えられるワンピースドレスになっていた。色は清楚さを表す白がメインだが、袖や襟、縁取りなどは黒が使われ、胸元を飾るスカーフは赤。上級貴族の生徒たちには平民や使用人の服のようだと反発が大きいという話だが、シャルロットは動きやすさと自分一人で着られるという機能性が気に入った。それに男子目線で見れば女性が着る服としては十分可愛いと思える。

 ちなみに、男子は騎士服をモデルとしたデザインらしい。男子の授業では実際乗馬や護身のための武術も教えるそうなので、騎士服を使うというのは妥当な発想だろうとシャルロットは思った。

 さてこの学園の建前、皇族だろうが、大公家だろうが、平民であろうが、少なくとも成績においては身分による忖度が働く事は無く、平等に同じカリキュラムで授業が行われ、成績も公平に採点される。その点では「身分の差がない」事は間違いではない。

 しかし、寮の部屋にはグレードを付けざるを得ないように、学園生活のプライベートな面では身分・階級の差は厳然と存在する。授業中でも、完全に異なる階級の生徒に平等の建前を押し通せる者などほとんどいないだろう。シャルロットだって、コルネリウスやヴィルヘルミーネと対等に話せるとは思っていない。

 そうした中で、見かけで階級を表す事を無くしてしまうのは事故の元のような気もする。例えば下級貴族や平民出身の生徒が、上級貴族や王族の生徒相手に対等の口をきいてしまったら……その場では何ともなくても、後難が恐ろしいと言わざるを得ない。

(あるいは、それもまた学びの内なのか。見た目に惑わされる事なく、相手を見極めるための)

 シャルロットはそう考えた。そのような眼力を養う事は、シャルロットにとっての目標でもある。それならやはりこの制服の存在は……

「悪くない、ですね」

 結論を口にする主に、戸惑ったような視線を向けるロザリーとロベール。シャルロットは何でもありません、と言って二人に微笑んだ。

「では、行ってまいりますね」

 入学式会場へは使用人の二人は入れない。

「はい。お気をつけて」

「まぁ、頑張ってくださいよ」

 ロザリーは真摯に、ロベールも適当ながらそれなりに激励の思いを込めて見送る。二人に手を振って戸を開けると、そこにはクラリッサとテレーゼの二人がシャルロットを待っていた。二人も今日は制服姿だ。シャルロットは挨拶した。

「おはようございます。お待たせしてしまいましたか?」

 二人はおはようございます、と挨拶を返し、首を横に振った。

「いえ、大丈夫です。制服、お似合いです。殿下」

 とクラリッサ。

「可愛いですよ、シャルロット様。それじゃ行きますか」

 テレーゼも親友の感想にかぶせてシャルロットの制服の着こなしを誉める。シャルロットは笑顔を浮かべ、二人の友に頷いた。

「はい。参りましょう」

 シャルロットは歩き出す。運命の始まる入学式の会場へ向けて。その運命がどんな方向へ向かっているのか、神ならぬ身の彼女はまだ知らない。

 

やっとシャルロットのライバルとなるキャラが登場しました。


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