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第9話 新たな出会い

 護衛隊が去っていくと、シャルロットの心にも急に心細さがこみあげてきた。これから三年間異国の地で過ごすのだ。周囲に知っている人間と言えばロザリーだけ……

(あれ?)

 シャルロットは首を傾げた。そういえば、ここへ着いたらロベールが合流してくるのではなかったか。

「ところでシャルロット姫、同行はそちらの侍女だけかな?」

 タイミング良くタネンベルク学長が言う。シャルロットは首を横に振った。

「いえ、もう一人……護衛の騎士が来るはずなのですが、後で合流する事になっております」

 そう答えると、タネンベルク学長は不思議そうな表情をした。確かに普通は護衛隊の一員として同行してくるものだろう。しかし、そこを細かく聞く気まではなかったらしい。

「なるほど。その者の詳細については衛兵に伝えておこう」

 タネンベルクはそう言うと手を叩いた。それに応えるように、玄関のドアが再び開いて姿を現したのは、マティアスのところにいた代官邸執事のニコラに似た服装をした、しかし中年の女性だった。

「お呼びですか、学長」

 凛とした声で言う女性に、タネンベルクは指示を出した。

「うむ。こちらはフランディアのシャルロット姫だ。入学を許可したので、いつも通りに頼む」

「承知しました」

 女性は受令すると、シャルロットに丁重に一礼した。

「入学おめでとうございます。私は当学園の女子寮寮監を務めさせていただいております、マヌエラ・アーベントロートと申します。寮生活の一切については私にご用命ください」

「シャルロット・ド・ロワール=ブリガンドです。よろしくお願いいたしますね」

 シャルロットも自己紹介を返しつつ、マヌエラを観察する。名前に貴族号である「フォン」が入らないので、おそらく平民なのだろうと思われるが、身に着けた気品と威厳はなかなかのものだ。どれほど長くここに勤めているのかわからないが、多くの上流階級の子女を相手しているうちに磨かれた物腰なのだろう。今は化粧も薄く服装も実用的なものだが、しっかりと化粧をしてドレスにでも着替えれば、上級貴族の夫人で十分通るだけの貫禄がある。

「では、寮の方へご案内します。荷物は後で運ばせますので、そのままでどうぞ」

 マヌエラに促され、シャルロットとロザリーは彼女の後について校舎の中へ入った。タネンベルク学長も後から続く。

「これは……」

 校舎内に入ったシャルロットの第一声は、そんな驚きで始まった。

 戦を想定した出城として建設され、外見は良く言えば質実剛健、はっきり言えば素っ気ない様式のヘルシャーの建物であるが、内装は皇族すら含む上流階級の子弟たちが暮らし、学ぶに相応しい絢爛なものだった。

 外壁が灰色の石造りなのに対し、内壁は良く磨かれた白亜のタイルで覆われ、床には黄色の糸で細かい模様を織り込んだ深紅の絨毯が敷かれている。様式から見てタイルは帝国でも有数の磁器の名産地、エルベ窯のもの。絨毯は帝国の従属国の一つ、ネーデリアの名産であるガント織だ。どちらも非常に高価なもので、それを皇宮ではなく学園の内装に使うという所に帝国の国力を知る事が出来る。

「私としては、いささか派手過ぎないかとは思っているんだがね」

 シャルロットの内心を察してか、タネンベルク学長が言う。貴族と言うより学者肌の彼としては、この内装は学求の場としては派手過ぎて落ち着かないのかもしれない。

(正直なところ、それは同意)

 シャルロットは思った。食事に限らず質素を好むブリガンド家は王城もそれほど豪華に飾り立てていない。内装を豪華にしているのは来賓のための応接室や寝室くらいだろう。それでもエルベ窯やガント織など使うべくもない。

「こちらです」

 立ち止まって玄関ホールの内装を見ているシャルロットを促すように、既に階段を何段か登っていたマヌエラが声をかけてきた。シャルロットは慌てて彼女に続いて階段を上った。全てのステップにやはりガント織の絨毯が敷かれている。マヌエラについて登って行った四階の廊下もだ。まさか学生の部屋にも同じものが使われていないだろうな、とシャルロットは思った。

「こちらが貴女様のお部屋となります」

 マヌエラがそう言って連れてきたのは、四階の端、廊下の突き当りにある扉の前だった。外観を思い返すに、この向こうは建物の東の端にある塔状構造物、その最上階のはずだった。ここが出城だった頃は、その屋上が連弩や投石機などを据え付けた砲台となっており、塔内部は矢弾を保管する倉庫になっていたはずである。

 その広大な空間を改装して部屋にしたとなると、シャルロットとロザリーだけではもちろん、ロベールが合流しても持て余すほどの広さだろう。シャルロットはマヌエラの方を向いた。

「あの、この部屋は……」

「はい。女子寮では最上級の部屋です」

 マヌエラが答える。一応、建前としては在学中の学生たちは平等の立場と言う事になっているが、現実問題として身分の差を無視する事はできない。大公家と言う皇族、王族に次ぐ高位の貴族であるシャルロットを、他の学生と同じグレードの普通の部屋に住まわせる事は、警備の都合を考えても無理な話であった。シャルロットはロザリーとロベールしか連れてきていないが、生徒の身分によっては5~6人のお付きの者がいる事もあり、狭い部屋には入りきらない。

 さらに、普通の部屋は基本二人が住む構造になっている。かつてはこの学園でも「身分の差はない」という建前を現実にしようと、全ての生徒の居室を同格にした事があったらしいのだが、高位貴族の子女が同室の平民の生徒を使用人扱いして酷使したり虐待したり、それに耐えかねた相手が暴力沙汰に及んだ、などといった問題が多発したため、一年ももたずその方針は撤回されたという。無理に理想を追求すればろくなことにならない、というのはシャルロットとしても身につまされる話ではあった。

 しかし、問題はそこにはない。シャルロットの疑問は別のところにあった。

「いえ、わたしがこの部屋で良いのですか? とお聞きしたいのですが……」

 マヌエラは今度はシャルロットの疑問を正確に理解したようだった。

「そういう事ですか。はい。問題ありません。今年度入寮される方で、最も位階が高い女生徒は貴女様です」

 もし、生徒に皇族や王族がいれば、シャルロットの部屋はここではなく、その下のランクに順次移っていく事になる。他に自分より身分の高い女生徒がいない事を知ってシャルロットは待遇には納得した。

(しかし、それはそれで面倒な事になりそうだな……)

 園遊会でアルベールに聞いた学園生活の事を思い出しながら、シャルロットは考える。アルベールの学生時代も熾烈を極めたという、女生徒の派閥争い。出来るだけ巻き込まれないようにしたいところだったが、キープレイヤーとなる高位貴族の子女が少ないとなると、シャルロット自身が派閥の長として担ぎ出される事態が十分考えられる。

(迂闊だったな。男子生徒の事だけでなく、女子の情報ももっと集めておくべきだったか)

 後悔しつつも、シャルロットはマヌエラに案内の礼を言い、部屋の鍵を受け取った。

「明後日には入学式があります。今日と明日はゆっくりお休みになり、旅の疲れをお取りください」

 そう言うと去っていくマヌエラ。ロザリーがシャルロットから鍵を受け取り、ドアに差し込んで……怪訝な表情になった。

「どうしました?」

 様子がおかしいのを見てシャルロットが聞くと、ロザリーは真剣な表情になって答えた。

「鍵が開いています」

 それを聞いて、シャルロットも緊張の表情を浮かべる。本来掛かっているはずの鍵が開いている……という事は、誰かが先に侵入している可能性を示していた。

「姫様はそこに。私が様子を見てまいります」

 ロザリーはそう言うと、慎重にドアを開けて、隙間から中を覗き込んだ。そして、不機嫌そうな声で言った。

「貴方が何故そこにいるのですか」

「いや、そりゃ仕事だからね」

 中から聞こえてきた返事に、シャルロットも緊張を解いて言った。

「騎士らしくしなさいと言ったでしょう、ロベール。そんなに露骨に影らしい振る舞いをしてどうする気ですか」

 そう、中で待っていたのは王都で別れたきり二週間にわたって顔を見せなかった、影守のロベールだった。


「先行して、室内に何か仕掛けがないか、他の影が潜んでいないか、その辺を調査していたんですよ」

 部屋に入ったシャルロットとロザリーに、ロベールはそう言って別行動中の説明を始めた。

「聞いた話では、対立派閥のお嬢様を害するために、部屋の中に罠を仕掛けたり、刺客を送り込んだりした、なんて事もあったそうなので」

「それはまた……」

 呆れたように応じて、シャルロットは聞き捨てならない事実に気が付いた。

「待ってください、ロベール。貴方がそうするという事は、学生の中にわたしを害する動機を持った人がいるとでも?」

 シャルロットの問いに、ロベールは首を傾げた。

「ご存知ないので? 同期生としてとびきりの大物が入学なさるのですが。皇女のヴィルヘルミーネ殿下です」

「……は?」

 シャルロットは顎が落ちそうになった。皇女? それは大物どころではない。

「先ほど、寮監の方は今年はわたしより高位の女生徒はいないと言っていましたが……?」

 シャルロットの疑問にロベールは答えた。

「必ずしも生徒全員が入寮するわけではありませんよ、姫様。帝都の実家の屋敷から通学している生徒もそれなりにいますから」

 つまり、ヴィルヘルミーネも普段は皇宮で暮らし、授業がある時に通ってくるのだろう。となると、他にも自分に匹敵する位階の女生徒がいるのかもしれない。シャルロットは納得したが、まだ疑問はあった。

「でも、皇室にヴィルヘルミーネさまという皇女はおられましたか? 聞いたことが無いのですが」

 シャルロットに代わって同じ疑問について聞いたのはロザリーだった。確か今の皇帝の子供は二人の皇子だけで、皇女はいなかったはずなのである。もしいれば確実に今までの道中で接待役から聞いていたはずだ。

「それが、どうも今の皇帝ではなく、出奔した皇子の子供だとか」

 ロベールの答えにシャルロットは出発の前に聞いた話を思い出した。

「……そう言えば、アルベール殿下がそんな事を言っていましたね。かつて、皇位継承争いを嫌って出奔した皇子がいた。それが現皇帝の兄だったと」

「おや、その話はご存知で。ええ、その皇兄のアウグスト殿下の子供らしいんですよ」

 頷くロベール。彼の調査によると、事情はこうだった。

 出奔したアウグストは、追手に見つからないように密かに国を出て、帝国との従属関係を持たない別の国へと流れていった。やがてある街に腰を落ち着けた彼は、貴族らしい学識を活かして、代書や写本などの仕事をして身を立てていたという。

 そんな庶民としての暮らしの中、たまたま隣に住んでいた職人の娘と惹かれ合うようになったアウグストは彼女と結婚。娘も生まれ、まずまず幸せな生活を送っていた。

 しかし、やはり庶民としての生活が合わなかったのか、家族のために稼ごうと無理をしたのが良くなかったのか、アウグストは次第に健康を崩しがちになり、ついには明日をも知れぬほどの重病になってしまった。

 妻もまた看病疲れから倒れてしまい、アウグストよりも先に儚くなってしまう。妻の実家も貧しく、娘の将来を案じたアウグストは、ある日枕元に娘を呼び、出奔時に唯一持ち出してきた身の証――皇家の紋章が入った指輪を託した。そして、実は自分が皇族である事を明かした。

「私が死んだら、それをもって帝都に行くのだ。そして、私の守役だった人を訪ねなさい。そうすれば彼がお前の事を良いように取り計らってくれるだろう」

 そう遺言したアウグストは、それから間もなく亡くなった。娘は父の遺言に従って帝都に上がり、父に教えられた守役だった伯爵の家を訪ねた。彼女が持って来た指輪を見た伯爵は、間違いなくアウグストの遺品と判断して娘を連れて登城し、皇帝に引き合わせた。

 出奔した兄を慕い、長年行方を探させていた皇帝は兄の死を知って嘆く一方、その忘れ形見の娘と出会えた事を大いに喜び、彼女を我が子同然の存在として、皇女として遇する事を決めたのだという。

「それが、つい数日前の事だそうで……まぁ、道中の貴族たちが知らなくても不思議はないかと」

 ロベールの説明を聞いて、ロザリーが確認する。

「皇族と認められたという事は……指輪に留まらない身の証があったという事ですね?」

「ええ。玉璽の儀をやったそうですから」

 ロベールが答える。玉璽――国書に捺す印章の事である。かつて、今よりも魔法が身近だった時代は、どの国でも玉璽は君主とその血族だけが触れる事を許されており、他のものには決して触れられないよう魔法的な守護がかけられていたと言う。

 つまり、玉璽に触れる事ができれば、王家・皇室の一員である事を証明できるわけで、その儀式を玉璽の儀という。歴史の新しいフランディアには、そんな力を持つ玉璽など存在しないが、プロヴィンシェンのように、古い歴史を持つ大国に伝わる玉璽は、まだそうした神秘の力を残した時代に作成され、代々受け継がれてきたものだった。

 つまり、プロヴィンシェンにおいて玉璽の儀をクリアしたという事は、ヴィルヘルミーネ皇女は間違いなく皇兄アウグストの遺児である、という事だ。ロベールの説明に、シャルロットは溜息をついた。

「それはまた……物語のような、劇的なお話ですね」

 貧しい庶民として暮らしていた主人公が、実は貴種の出であり、それを証明して幸せをつかむ。どこの国にもそんなおとぎ話が伝わっているものだ。しかし、おとぎ話ならその娘――ヴィルヘルミーネが皇女になった時点でハッピーエンドとなる。でも、世の中はそんな単純ではない。シャルロットはこの話の裏にあるきな臭さを悟っていた。

「……例え、本当の皇女としても、ヴィルヘルミーネ殿下は半分庶民の血を引いておられるという事……つまり」

「実家の爵位が低くとも、貴種と言う点で姫様は十分皇女殿下の対抗馬たり得ますわね」

 ロザリーが考えたくなかった現実を突きつけてきた。

「頭の痛い事ですね」

 シャルロットは実際に頭が痛み始めるのを感じていた。皇女とは言え半分庶民のヴィルヘルミーネに対して、血統を重視する思想を持つ貴族階級の女生徒たちの中には、従うのをよしとしない者が必ず現れてくるだろう。

 そんな彼女たちが担ぎ上げる旗頭たりうる存在は、今のところシャルロットしかいない。従属国の出とは言え、紛れもない王族であり、血筋と言う点でも家格の点でも文句のつけようがない存在だ。少なくとも「出奔した元皇族の娘」などよりは遥かに尊崇すべき存在、と見做されるだろう。

「それで、ヴィルヘルミーネ殿下ご自身はどのようなお方なのでしょうか」

 シャルロットはロベールに尋ねた。元は平民として暮らしていたのであれば、あるいはヴィルヘルミーネ自身は権力闘争などには興味を持たない性格かもしれない。それなら多少はシャルロットも楽になる。婿探しをしながら女生徒たちの権力闘争を率いるなど、シャルロットの手には余り過ぎる。

「申し訳ありませんが、流石にそこまでは俺にもわかりません」

 ロベールは答えた。彼自身、先行して帝都入りしたとはいえ、まだ三日ほどしかたっていない。その間に現地に潜むフランディアの「影」の同胞たちや、ある程度友好関係にある他国の同業者と接触して掴んだのが、今までに出した情報だった。話を聞いて、ヴィルヘルミーネに与する者が先走ってシャルロットに危害を加える可能性を案じ、部屋を調査したものの、流石にまだそこまでする者はいなかったようで安心していたところである。

「そうですか。実際にお会いしてみて、その人柄を掴んでみるしかないという事ですね」

 シャルロットは頷く。どうせ三日後の入学式で確実に出会う事になる相手だ。

 その時、部屋の扉がノックされた。

「何の御用でしょうか?」

 ロザリーが立ち上がり、誰何の声をかけると、ドアの向こうからマヌエラの声が聞こえた。

「アーベントロートでございます。シャルロット殿下の荷物を運んで参りました」

 それを聞いて、ロベールも立ち上がった。

「おっと、俺はまだ姿を見られるわけにはいかないので、ひとまずこれで……」

「お待ちなさい」

 姿を消そうとする彼を引き留めたのは、シャルロットの力の篭もった一言だった。

「荷物が部屋に運び込まれたら、ロザリーと一緒に荷解きと整理をお願いします。わたしは少し出かけるので」

「お出かけ? どちらへ?」

 逃げ損ねたロベールの言葉に、シャルロットは答えた。

「近くの部屋の皆さんに、引っ越しのご挨拶をしてまいります」

 学友となる人々の為人を知るためにも、ヴィルヘルミーネに関する情報をもう少し集めるためにも、ここはまず自分が直接出向くべきだろうとシャルロットは考えていた。一般の貴族社会ではそんな事はできなくて、まず使者を立てて意向を伝え日取りを決める、という煩雑な手続きが必要となるが、この学園ではそこまでする必要はないだろう。ドアのところで荷物の確認をしているロザリーにも一声かけて、シャルロットはまず隣室から訪ねて見る事にした。

 

 シャルロットが戻ってきたのは、それから一刻ほどたった頃だった。まだ片付けが済んでおらず、整理中の荷物を放り出して、ロザリーはシャルロットを部屋に迎え入れた。

「思ったよりお早いお帰りでしたね。挨拶は済みましたか?」

 成果を聞くロザリーに、シャルロットは首を横に振った。

「いえ……お二人しか知り合いになれませんでした」

 隣の部屋を含め、多くの部屋はまだ入居前で、いくつかの部屋を訪ねた末にようやく出会えた生徒は、今日は二人だけだったのだ。

「そうなのですか? 私たちが到着した時に、かなりの人数が見ているのを感じましたが」

 ロザリーが意外そうな声を上げる。その疑問に答えを与えたのはロベールだった。

「もう入居している学生は、大半が地方から来た下級貴族か平民の特待生だよ。姫様がいきなりお部屋訪問して来たら、連中だって困っちまう」

 考えてみれば、学園の生徒の中でも、上級貴族の子女はまだ帝都の上屋敷――上都時の実家の屋敷に滞在しているはずだ。今から入寮しているという事は、そう言った贅沢な施設を持たない階層の子女だという事である。

「クラリッサ様にもそう言われたので、下の階の皆さんを訪ねるのはやめにしたのです。あ、クラリッサ様というのがお会いできた一人なのですが」

 シャルロットが言う。五つ隣の部屋に既に入居していたのが、クラリッサとその友人のテレーゼの二人だった。

「クラリッサ様ですか。同じ階という事は、かなり上級の貴族のご令嬢と思われますが、どのようなお方ですか?」

 ロザリーに聞かれたシャルロットは複雑そうな表情になった。

「コルベルク伯爵令嬢だそうです」

 コルベルク伯という肩書にはロザリーも聞き覚えがあった。

「もしかして、副外務卿であられるコルベルク伯の?」

「……私の"死"に立ち会ったお方だ。まさか、そのご令嬢と学友になるとは」

 久しぶりに男性口調でシャルロットは言った。

「コルベルク伯クラーゼン家と言えば帝国でも名門で有力な家門の一つですね。上屋敷もお持ちだと思いますが」

 ロザリーが言う。入学式までに急いで入寮する必要などなさそうな家だが、それにはちゃんと理由があった。

「クラリッサ様も、お父上の教育方針で諸国の礼法などを学ばれたとの事。外国からの留学生の世話役として早めに入寮されていたそうです」

 女口調に戻ったシャルロットが答える。クラーゼン家は現当主のアウグストだけでなく、代々の当主が外交に携わってきた家門で、子供たちも男女を問わず外交についての心得を学んでいるのだという。

「なので、今からわたしの部屋を訪ねてこようとした矢先に、わたしがやってきたのでかなり驚かれていましたが……」

 シャルロットはクラリッサの部屋でのことを思い出した。


「どちら様ですか?」

 扉の向こうから声が聞こえてきた事に、シャルロットは安堵の息をついた。どの部屋もノックに返事が無かったので、誰もいないのかと不安になっていたところだ。

「本日より入寮しました、シャルロット・ド・ロワール=ブリガンドと申します。ご挨拶に参りました」

 シャルロットが答えると、扉の向こうはしばし沈黙し、呼吸数回の間をおいて最初の返事とは別の声が聞こえてきた。

「シャルロット殿下……ですか? フランディアより留学されるご予定の」

「はい、そのシャルロットです」

 質問に答えると、扉がゆっくり開かれた。

「大変失礼しました。この部屋に入居しております、クラリッサ・フォン・クラーゼンでございます。まさか、シャルロット殿下直々の来訪とは思わず……」

 扉の向こうで頭を下げたのは、十六~七と思われる少女だった。顔立ちは美形が多い傾向のある貴族の中では、やや平凡な方だろう。しかし、口調や表情には誠実さが表れていて、シャルロットはこのクラリッサという部屋の主に一目で好感を持った。どことなくマリーの友人の令嬢たちに通じる雰囲気がある。

 そのクラリッサが庇うようにして背後にメイドが控えているが、おそらく彼女が最初に応対した声の主だろう。緊張した面持ちだ。

(……あれ、やっぱり先にロザリーに使者になってもらった方がよかったのかな)

 格式ばった使者のやり取りまでは学園生活では不要だろうと考えたのだが、間違えたかもしれない。シャルロットは二人を安堵させようと微笑みかけながら言った。

「いえ、突然押しかけたこちらにも非があったようです。ご都合が悪ければ改めて参りますが」

 すると、クラリッサは首を横に振った。

「そのような二度手間を取らせるわけには参りません。それに、私の方から殿下の部屋へ伺おうかと思っておりましたところです。よろしければ、中へどうぞ」

「では、お言葉に甘えて失礼します」

 シャルロットはクラリッサの誘いに頷いた。自分の存在を知っていた節もあるし、彼女の話は聞いておいた方が良いという予感がしたのだ。

 シャルロットの部屋ほどではないにしても、この部屋も上級貴族の令嬢が住むに相応しい格式と広さのある部屋だった。そして、シャルロットには意外な事に、部屋にはもう一人生徒と思しき少女がいた。クラリッサとは対照的に、燃えるような赤い髪の毛が印象的な、美少女――というよりは美女と呼ぶに相応しい、大人びた美貌の持ち主だった。

「初めて御意を得ます、シャルロット殿下。テレーゼ・フォン・コルヴィッツと申します。お会いできて光栄です」

 すでに夜会の華になってもおかしくない、場の主役の座を独占していそうな少女は、しかし折り目正しくシャルロットに挨拶をした。

「ご丁寧なあいさついたみいります」

 シャルロットも挨拶を返し、三人は窓際に設えられたティーテーブルを囲んで椅子に腰を掛けた。最初に応対したメイド――クラリッサ付きで、イルマという名前だった――が手際よく茶と菓子を用意する。

「……美味しいお茶です。ありがとう、イルマ」

 シャルロットがその手前を誉めると、ようやく緊張が解けたのか、イルマは笑顔で頭を下げ、部屋の片隅へ下がった。それを機に話が始まる。まず口を開いたのはクラリッサだった。

「改めまして、帝国へ、そして学園へようこそおいでくださいました、シャルロット殿下。殿下の事は父より伺っておりました」

「お父上から?」

 シャルロットは首を傾げ、そしてクラリッサの姓に思い当たる事があったのを思い出した。

「もしかして、お父上は副外務卿のコルベルク伯爵ですか?」

 シャルロットがそれを口にすると、クラリッサは笑顔で頷いた。

「はい。父の事をご存知だとは光栄です」

 その後彼女から聞かされたのが、シャルロットが部屋に戻ってからロザリーたちに告げた事情の数々だった。

「そういうわけですので、学園や帝国の生活や風習について、何かわからない事がございましたら、私に何でもお聞きくださいますよう」

 クラリッサはそう言って頭を下げた。もっとも、外国からの留学生はシャルロットだけではないので、クラリッサもシャルロットのためだけに動いているわけではない。ただ、一番重要視してサポートする相手なのは確かである。

「ありがとうございます、クラリッサ様。そういう時には頼りにさせていただきますね」

 シャルロットも頭を下げる。初見で抱いた誠実で信頼できそうな相手だという印象を裏付ける事ができ、安心する想いだった。彼女と知り合えたのは間違いなく幸運だっただろう。

 問題はテレーゼの方で、クラリッサとは友人関係のようだが、見るからに奔放そうというか、貴族の子女にありがちなわがままで人を振り回しがち、という感じにも見える。人の事は言えないのだが。

「テレーゼ様はクラリッサ様とはどのようなご関係ですか?」

 シャルロットが先手を打って聞くと、テレーゼは笑いながら手を振った。あいさつの時の折り目正しさとは打って変わった、少し庶民的な言葉遣いで答える。

「様、なんて堅苦しい呼ばれ方は苦手なんです。私の事はテレーゼ、と呼び捨てにしてもらって大丈夫ですよ」

 クラリッサに比べると、やや失礼にも感じられる口調が気になったが、親しみも感じられる。シャルロットは頷いて先を促した。

「私はクラリッサとは幼馴染みで、一緒に入学したんですよ」

 テレーゼは言う。意外にもこの二人は同い年で、父親が友人同士で爵位も同じなら領地も近い事から、自然と子供同士仲良くなり、今では無二の親友として付き合う仲だという。

「そういうわけで、本当は四階の部屋は一人用なんですが、学長にお願いしてクラリッサと同じ部屋にしてもらってるんです」

 テレーゼがそう言ってクラリッサの手を握る。クラリッサも友情を再確認して嬉しいのか、手を握り返していた。

「それは素敵なご関係ですね……羨ましいです」

 シャルロットは本心から言った。王太子だった頃は対等の友情を育める相手など望むべくもなかったし、今の大公息女という立場でも難しい。上に立つものは孤独でもある、とは父からの数少ない教えだったが、その事をシャルロットは改めて寂しい事だと思った。

(ヴィルヘルミーネ殿下なら、もしかしたら……)

 対等の友情を育める人になれるのかもしれない。そう思い、シャルロットはヴィルヘルミーネについてクラリッサとテレーゼに尋ねてみたが、二人ともやはり数日前に皇室に迎え入れられたばかりの皇女についてはほとんど情報を持っておらず、むしろ初耳のようだった。

「今上陛下の兄上のお話については私も聞いたことがありますが、お子がおられたというのは初めて聞きました」

 クラリッサが言うと、テレーゼも頷く。

「私もですね。お父様なら何か知っているかもしれませんけど」

 テレーゼの父、ウルム伯ギュンターは内務官僚でもあり、今は帝都で平民向けの行政・司法を担当する民政司を務めている。仕事柄報告などで宮中へ参内する事も多く、そこでの情報収集を依頼するにはうってつけの相手と言えた。

「その前に、ご本人にお目にかかるのが早そうですけどね」

 シャルロットは言った。それよりも今二人には聞いておきたい事がある。

「そのヴィルヘルミーネ殿下ですけど……お二人はどう思われますか? 平民の血を引く方が皇室に入られるというのは」

 思いがけない質問だったのか、クラリッサとテレーゼは顔を見合わせてしばし沈黙したが、まずクラリッサの方から口を開いた。

「私は気にしません。陛下がお認めになり、受け入れたお方なのですから、私たちは臣下としてお仕えするだけです」

 いかにも真面目な彼女らしい答えだった。

「私も別に。人柄を見てどうお付き合いするか決めますよ」

 テレーゼも父親が平民相手の仕事をしている影響なのか、平民の血が混じっているからというだけで皇女を認めないというような、偏狭な考えは持っていないようだ。逆に言うと、人格がダメなら認めないという事でもあり、それはそれでなかなか不敬な態度ではある。

 しかし、シャルロットは二人に十分な好感と信頼感を持った。二人ともタイプは違うが、しっかりしたものの考え方を持っていて、フランディアにいれば間違いなくマリーと友人になれるような娘たちだ。それはシャルロットにとっては絶対的に重視すべき基準である。

「殿下ご自身はどうお考えなのですか?」

 クラリッサが聞いてくる。その表情に懸念の色が見えるのは、シャルロットがヴィルヘルミーネと対決せざるを得ない立場に置かれる可能性を考慮しての事だろう。

「わたしも、まだお会いした事が無い方を、生まれだけで判断するというつもりはありませんよ」

 そう言って、少し考えて続ける。

「できれば親しくお付き合いをしたいとは思いますが」

 シャルロットは既に平地に乱を起こそうとして失敗した身である。もう二度とそんなことはしたくない。ヴィルヘルミーネと望んで対立したいとは思わない。それが偽りのない本音だった。

「わかりました。もしお困りのことがあれば、何でもお申し付けください。必ずお助けいたします」

 クラリッサが頭を下げる。

「私の事もなんでも頼ってください、シャルロット様。私とクラリッサの事は味方だと思ってもらって大丈夫です」

 テレーゼも言う。どうやら、二人もシャルロットを信頼できる人間だと思ってくれたようだ。

「ありがとうございます、クラリッサ様、テレーゼ。これからもよしなにお願いします」

 シャルロットは手を差し出した。クラリッサとテレーゼがその手に自分の手を重ねる。こうして、シャルロットは異国で初めての友を得る事ができたのだった。



「そうですか。良き出会いがあったようで何よりでした」

 シャルロットの説明の後、ロザリーは安堵したように笑顔を見せた。クラリッサのコルベルク伯爵家も、テレーゼのウルム伯爵家も、帝国の伯爵の中では有力な方だ。人脈としてもかなり強い。お近づきになって損になる相手ではない。しかし、それとは別にシャルロットが安心して交流できる相手と出会えた事自体が喜ばしい。

「そうですね。あの二人なら派閥争いに関係なくお付き合いができそうです」

 シャルロットも頷く。どちらも血統重視派ではないのでヴィルヘルミーネに付きそうではあるが、個人的友誼を重視してくれるだろう。

 後は肝心のヴィルヘルミーネの為人が知りたいところであるが……と思った時、部屋の扉がノックされた。

「何の御用でしょうか?」

 ロザリーが立ち上がり、誰何の声をかけると、ドアの向こうからマヌエラの声が聞こえた。本日二度目だ。

「アーベントロートでございます。シャルロット殿下へのご来客をお連れしました」

 シャルロットは首を傾げた。客と言われても心当たりがない。マヌエラが連れてきたという事は、外部からの客のはずだが……しかし、マヌエラが通したのだから怪しげな人物ではないだろう。シャルロットは頷いた。

「お通ししてください」

 それを聞いてロザリーが扉を開ける。その向こうに立っていたのは、マヌエラとシャルロットも知っているある人物だった。

「お疲れのところ申し訳ありません。大使のバラティエでございます。シャルロット殿下に火急の用があってまかり越しました」

 名乗ったのはフランディアから帝国への大使として帝都に駐在しているバラティエ男爵だった。二年前から任についており、彼を送り出したのは摂政時代のシャルルだったため、シャルロットには顔なじみの相手である。

「はじめまして、バラティエ大使。シャルロットでございます」

 もちろん、シャルロットとしては初対面を装うのみである。立ち上がって挨拶をすると、バラティエは跪いて貴人への礼を示した。

「お会いできて恐悦至極にございます、殿下。本来なら出迎えばならぬところ、ご挨拶が遅れ申し訳ありません」

 シャルロットは首を横に振って寛容の意を示すと共に、用件を尋ねた。

「いえ、大使がその任に精励されているからこそでしょう。気には致しません。して、いかなるご用件でしょう?」

 バラティエは頷いて立ち上がると、懐から封筒を取り出し、シャルロットに差しだした。

「急ではございますが、明日皇宮にて新たに皇室に迎えられた、ヴィルヘルミーネ皇女殿下のお披露目を行うとの事です。こちらは皇帝陛下より殿下への招待状です」

 シャルロットは驚いた。入学式より早く、ヴィルヘルミーネやその他の皇族を知る事の出来る機会が訪れたのだ。おそらく今帝都に滞在している有力貴族もほとんどが呼ばれるのだろう。確かに急ではあるが、これは帝国を統べる人々について知る絶好の機会になるはずだ。

「謹んでお受けいたします。お招きいただき光栄ですと、皇帝陛下にお伝えください」

 シャルロットが招待状を受け取って答えると、バラティエは頷いて拝命した。

「承知いたしました。明日大使館から馬車を回しますので、準備を整えられますよう」

 そう言い残し、一礼して去るバラティエ。封筒に施された封蝋には帝国の象徴たる双頭鷲の紋章が捺されている。おそらくこれがヴィルヘルミーネも触れて証明を果たした玉璽のものなのだろう。

「ロザリー、話は聞きましたね? 急いであのドレスの準備をお願いします」

「承知しました」

 シャルロットの命に頷くロザリー。あのドレス――フランソワの手によるものは、もちろんここへも持ってきている。これほど出番が早いとは思わなかったが。

(今までは人伝でしか知る事のなかった皇族方……どんな方たちなのか見極めなくては)

 シャルロットの帝国での戦いは、早くも始まろうとしていた。

 


タイトルを考えてる時、いい案が思いつかなくて悩んでいたら、ミリオンライブの「だってあなたはプリンセス」を聴いて、これだと思いもじってタイトルにしました。主人公の名前がシャルロットなのもその影響ですが、他にミリオンっぽい要素はありません。

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