童話のような世界に入ってみよう!
学校の帰り道、私は童心を忘れられずにいつもの違う道を歩いていた。新しいもの、知らない光景が視界に入るたび私は嬉しくなる。ここに薬局があったんだとか、ここにラーメン屋があったんだとか。そんな些細なことが、それが嬉しくて堪らなかった。そんな知らない道に目を輝かせながらとある路地裏を見つけた。
ゴクリ……。
私の理性はやめておいた方がいいと言っている。私は非力な女の子だ。見るからに不衛生で、病気になりそうな道。ゴミは散らばり、ジメッとしているのが分かるくらいに湿っている。そして何よりも暗いのだ。
でも私の中の子供は行きたいと言っている。こんな汚くて不衛生なのに臭気に関しては何も異常はないのだ。こんな可笑しくて不釣り合いなことは有り得ないのではないだろうか。
ゴミが散らばっているならば、しかもそれがいつかも分からずカビすらも見えているのに臭害が起きていない。何かあるに違いない。
気がつけば私は足を踏み入れていた。
「おや、珍しい。お客さんかな」
「まぁ、ほんとね。それに可愛い子だわ」
私が汚い道を進むと、気がつけばずっと暗いはずの道に急に太陽が姿を見せた。その眩い光に目を閉じた。ただその一瞬で気がつけば森の中でティータイムを洒落込む2人が目に入った。
それは夫人と夫君だった。だがそれは些か人間と呼ぶには憚られる姿。
夫君の姿、それは黒い身体にぴったりとあったスーツを着ていた。オーダーメイドだろう。だが顔がハムスターであるのが頂けない。だが、語尾にでちゅ!がないだけマシと言ったところではないだ。
そして夫人。夫人は白を基調としたドレスを纏っていた。所々に金を編み込み、青と赤の薔薇を装飾として着けている。更にそのドレスの上から今度は黒を基調とし、内側が赤色の軍服を羽織っている。ただその軍服は小さく、とても似合っていた。ただ顔はよくみんながダイヤモンドと言われ想像する形、ブリリアンカットのアメジストだった。首から浮いているのは何の力だろう?
「こ、こんにちは……?」
「うん、こんにちは」
「こんにちは〜」
一先ず日本人として大事な先制攻撃「挨拶」をすませた。勿論腰は90度。これにより警戒心は0.1程度低下したことだろう。試しに顔を上げると同時に顔を伺う。……ハムスターの顔なんてわかんないし、アメジストに関してはもっと謎だよね。自分に呆れつつ、1番気になっていることを尋ねた。
「ここってどこなのでしょうか?」
自分が来た道を確認するも辺りは木で囲まれているだけ。到底帰れそうにもない。
ハムスターが思案するように顎に手を当てる。
……何故か様になってる雰囲気が癪に障る。だがそれは無視しよう。
「そうだね、ここは私達の私有地だね」
「ふふふ、そうですわね。ここは私達の私有地だわ。貴方はさしずめ手負いの不法侵入者と言った所かしら?」
アメジスト夫人が剣呑を孕ませた声で威圧してくる。それはこれ以上は言わせるなと牽制してくるように。だが、私を害する気はないようだ。仮にあるならばきっと卓上にある刃を向けられているだろう。廃するにはそれが手っ取り早いだろう刃を。
「ご、ごめんなさい!私、気づいたら迷い込んでいまして」
きっと相手からしたらそんなのは関係ないだろう。きっと苦しい言い訳にしか聞こえないはずだ。皆も想像してみてくれ。お店だと思って入ったらただの住居だった場合をだ。有無を言わさず不法侵入者に違いない。私の場合は道だと思ったら私有地だったのだ。
なんかちょっと違う気が……?まぁいいや。近しいものではある。それだけだ。
「ええ、構いませんよ」
「ふふふそこまで気にしてないですわ。……急に威圧してごめんなさいね」
手に持っていたティーカップを丁寧に机へ置いて、立ち、こちらを向き軽く頭を下げた。……この時アメジストが落ちないか心配したのはご愛顧願おう。
「そ、そんな!あ、頭を上げてください!悪いのは私です!」
「そうですわね」
「えっ……あっ」
「あはは!」
私はオロオロしながら両手を突き出し、手を振りながら頭をあげるように願った。そして悪いのは私だと。そうすると夫人はスクッと身体をただし、認めてくる。
私は予想外の反応に声を出してしまい、失言に気づき口に手をやる。それを夫君は笑う。
や、やりずらい……!
「……突然だが質問をしてもいいかな?」
「は、はぁ……?」
正解じゃなくても不正解でなければいい。それを信条に私は掲げてきた。だが、
「君、童話は好きかい?」
そう問いかけてくるハムスター、この問いはどれを答えても不正解な気がした。しかし答えないと言う選択肢は最も有り得ないだろう。だから、相手が求めてそうな答えを言う。
「は、はい。好きです」
「……ふーん。それは切ないものでもかい?」
切ないもの。それは人魚とかだろうか。確かに人魚姫の話はとても切なく、でもとても愛を感じられて好きだ。原作と書いてあるものでは確か王子を殺すか自分が泡になって消えるかで後者を選んだ。自分の命すら顧みない愛を持っていたのだ。それは素敵だ。
「……そうか、わかった。それじゃ、君には童話の主人公になってもらおうかな」
「え?」
ハムスターはウンウンと言いながらしきりに頷いている。まるで名案だとでも言うように。
何がわかったの……?
「君と遊びたいだけなんだ。ちょっとした娯楽だよ?」
そう言ってニッコリと目を細めた。
私の意識はここでなくなっていた。
「起きて……。お姉ちゃん、私大丈夫だよ。心配しないで」
リアのベッドの上で寝てしまっていたようだ。ベッドの上に置いてある机、そこにのっている容器は空だ。しっかりご飯は食べてくれている。そのことに安堵しながら妹へ顔を向ける。
「んーん、大事な妹を心配するのは当然のことよ」
そう言って銀の髪を撫でる。私とお揃いの銀の髪。それがとても大好きだ。
「ほら、そろそろ寝なさい。私は寝たからそこまで眠く無いけどね」
そう笑いながらリアへおやすみとデコに軽くキスをする。本当に可愛いんだから。……待っててね。
「お母さん、わたしちょっと家空けるね」
「あら、どうして?」
「友達の家に泊まって、色々としてくるの。いつ戻るかは分からないわ。ただ、1年以内には戻ると思うの」
「……そう、わかったわ。向こうに連絡した方がいいかしら?」
「そ、そういうの要らないって言ってた!だから大丈夫!!!」
「そう」
圧倒的に怪しい話を疑いもせず了承してくれる。きっと私が何かをしようとしてることは察してくれたのだろう。ただそれでも茶化してくるのは流石母親と言ったところ。そんなお母さんが大好きだ。
「リアは頼んだわよ」
「言われなくても。お母さんだもの」
そう言って心強く、よわよわしい力瘤を見せてくれた。
「それじゃあ行ってくるわね」
「気をつけるのよ?」
私は軽いやりとりをしたあとすぐに家を出た。前々から荷物の準備はしていたのだ。遠出だってへっちゃら。
向かうのはもちろん友達の家でも何でも無い、『白き塔』へと向かう。そこに居ると言われている白竜の心臓を手に入れるのだ。唯一無二の私の可愛いリアのために。
「待っててね、リア。絶対に治してあげるから」
祝いの門出だ。
なのにどうしてだろう。
空は祝福してくれないようだ。
薄暗い天気の中、手始めに隣の町へと向かう。目の前に目標を作りながら旅をすることにしている。その方が折れにくいだろう。そして町に向かうのには理由がある。だって
寝たと言ってもまだ夜だし……。
それほど寝ていなかったという理由だ。
その後は何事もなく町について宿を取り、眠りについた。枕が違えば寝れないタイプだと思っていたがそうでも無いようだ。
光の塔へ近づけばたちまち元気になると、闇の塔へ近づけば勇気が生まれると。竜の命を貰い受ければ、神の力の片鱗をその身に受けることができるとさえ伝えられている。
「この話はただの噂話にしか聞かないんだけどね。でもリアの病気を治すためにはこれに縋るしかないんだ」
昔話から派生した噂話。実際に光の塔も闇の塔もある。だから強ち間違いではないのではないかと。ただ、この噂話が出てる時点でどちらかの竜が殺されている可能性がある。火のないところに煙は立たないということだ。
エルフの森からどちらの塔も離れている故、塔の情報はあまり入ってこない。行って確認するしかないのだ。
「しっかりしなきゃ」
両の頰を叩く。朝日が照らす中、私は塔について聞き込みを始めた。
「ということは何かあったのですか?分かりますか?」
「いやー、どうだろう。……続きが聞きたいならーねぇ?どう?」
「あ、そういうのいいです」
男が下卑た笑みを浮かべながら身体を舐め回すように見てくる。当然そんな相手を構うわけなどなくスタスタと人混みに逃げる。……流石に身体で情報を買うわけにはいかない。
というか身体を売らずとも有力な情報を得た。
塔の周りは荒野になっているということ。数百年前までは栄えた町があったことだ。
私がエルフと言ってもまだ17だ。そんな前のことは知らない。ただ情報を整理し、両の塔で町が潰れているのは何かしらあったと見るのが当然の思考だ。それが争いであったか、自然災害であったかは定かではない。私の中では噂を鑑みるに何かしら争いが起きたと推察している。
私達の森に情報が入ってこなかったのは周りと関係を絶っていたが故だろう。きっと私の思ってる人間の情報は古いことだ。さっきも人間に危ない誘いを受けた。何か護衛を手に入れた方がいいのだろうか?なんにせよこれからはもっと心して行かなければならない。
「争いがあったとしたら竜と人間の間で、なのかな?」
そこも調べていくしかなさそうだ。
「……あぁ、やっと着いた。やっと……やっと着いたんだ」
レイラは痩せこけていた。腕は皮と骨のみ。ヘドロに塗れて木の棒をつきながら歩く様は滑稽。一目見れば誰も近寄ろうとは思わない。こんなに汚く醜い人物は厄介者という文字がお似合いだろう。
レイラは震えていた。きっとそれは歓喜に満ち溢れていたからだ。長い長い旅路の果て、目の前に広がる光景に陶酔し、顔中を濡らしながら嗚咽している。もはや心など壊れていた。無心でただ、何を目的としていたかも忘れ塔を目指していた。
「……リ……ア、リア!」
掠れた声で愛しい名前を呼ぶ。果たしてちゃんと呼べているのかも分からない。片方の鼓膜は破れ、血が固まっている。疲労、頭痛で思考に靄がかかっているからだ。自分の声らしきものは遠くに感じていた。きっともう歩けない。そう思っていたのに塔へと進んでいける。
「……長かった。なんで追われてるの……?悪いことしてない。楽しかったのに、私嬉しかったのに。こんなの聞いてない……。でも、向かわなきゃ」
滔々とした独白はきっと誰も聞いていないだろう。弱音を吐いたって誰も共感はしてくれない。慰めもしてくれない。ただの自慰行為だ。言葉を吐き、涙を流し幾分か心は軽くなる。その足はもう向かっていた。
「いたぞォォォ!!!!!このクソアマァァァ!!!!逃げんじゃねぇ!!殺してやるッッッッ!!!!」
「……もう、やだ」
レイラは足が縺れ、倒れようとも構わず地べたを這いつくばって、青白く光る塔へと入り込んだ。
……その瞬間身体が暖かくなった。疲労など無かったかのように、頭痛などなかったかのように、晴れ晴れとした気持ちになる。四肢へ力が漲り、なぜ立てなかったのかも理解できない。
塔の入口から追撃犯を見る。少し遠い。だが見える。知らない顔が3つだ。たった3人だった。私は腰から長剣に手をつけた。塔から少し離れ、そしてしゃがむ。矢兵がいないならどうってことない。
「絶ッッッ対にッ!絶対に赦してやるもんかッ!」
向こうとの距離が縮まり、2人は後ろで待っていて、1人が歩いて距離を詰めてきた。……舐められてるッ!私はしゃがんだ状態から肉薄してやる。ビックリしたように相手は剣を横に薙ぎ払う。勿論そんな愚策は通じない。しゃがみ、足のバネを使い首へ横薙ぎをしてやる。1人、取り敢えず1人は殺した。言い様のない達成感で恍惚としてしまう。……復讐してやりたい。だけどそれを今してしまうとダメな気がするんだ。
「なっ!?何やってくれんだァァァ!!!」
「お、おいバカ!戻れ!!!やめろ!」
1人の大男がこちらへ距離を詰める。私も同じく距離を詰め、上段から降り下ろした剣を流す。
別に、大男の腕力に負けるからではない。
「なっ!?」
大男よりも腕力には自信あるからだ。
剣の流す途中に力任せで横に弾き飛ばす。目論見は成功。当然の如く首をガラ空きにした大男の首へ刺突。
ガハッ!
音にすればこんな感じだろうか。大男の断末魔は顔にしか出なかった。
「な、なんなんだよお前!?動けないんじゃないのか!?」
「しらない」
こんなやつに語ることは無い。動揺し、混乱に飲まれたやつなど造作もない。唯一皮鎧だったヒョロ男の胸に刺突。
「絶対に赦さない」
剣を抜き、身体が倒れる前に首を斬り飛ばした。
「ふぅ……」
万感の思いが籠った嘆息。きっと理解できるのは私だけだ。人の生に頓着していた訳では無いが、人を殺して満足している自分に嫌気を感じてしまう。
「戻らないと」
似合ってるよ、そう渡された腕輪に感謝と侮蔑の視線を向け、自分の人生を少し、恨んでしまった。
塔の入り口へ戻る。するとこちらを向いてビクリと身体を揺らした真っ白な青年が立っていた。
「……やぁ、君が追っ払ってくれたのかい?まぁ、君が連れてきた物達だったけど」
皮肉混じりにいう彼は何故だか様になっていた。蒼い瞳は鋭さを持っている。まるでその瞳は私を品定めをしているようだった。揺れてる瞳は判断に迷っているのだろう。
「えぇ、そうね。……私は勝手についてこられた被害者だけどね」
わざとらしく嘆息し、うんざりというように肩を揺らす。腕すら使ってお手上げのポーズをとる。内心謎の焦燥感と緊張感に追いやられているが悟らせはしない。
「……へぇ〜?」
彼は何が面白いのか口角を上げていた。その目はまだ推し量れていないといったようだ。
頭に鉛を乗せられている気分。巫山戯てみたものの鼓動ははやるばかり。緊張からは解き放たれない。きっとこのまま話していても何も進まないだろう。少しの嗚咽感を押し殺し、確信に迫る。
「……それで、竜は上に行けばいる?」
頭が真っ白になった。言葉を口にするたび自分が自分でなくなるような感覚。視界はボヤけ、焦点の合ってない目をしていただろう。だが言うことは言った。言えた。しかし……
「残念だけど今はいないよ。食糧が切れたみたいでね、外へ狩りへ出てるんだ。と言ってもこの世界じゃないけどね」
そんなことを滔々と話す彼に、一抹の疑いを植え付けられた。
(食糧……?)
確かに竜だけどほぼ半神みたいなモノが食事する必要あるの……?
「そりゃね。半神と言っても竜は竜さ。食物連鎖からは逃れられないんだよ」
そう言った青年は自身の口許へ指をあてがう。
私はすぐさま口許に手を当てた。
(声に出してた……!?)
「ふふっ。いいさ。中に案内するよ。取り敢えず風呂に入ってきたらいい。服は適当なものを用意するから……ね」
そう言って柔らかい笑みを向け、後ろへ先進む彼の後を控えめに追いかける。
「……大丈夫なはずだ」
小さく呟く声は聞こえないふりをした。
「おかえり、湯加減はどうだった?」
「大丈夫、ちょうどよかったわ」
顔を上気させ、満足気に頷く。勿論軽くのぼせているからだ。
「なら良かった。って入ってる途中にでも聞くべきことなんだろうけどね。まぁ、そこまでデリカシーのない人間ではないよ」
矢継ぎ早に言葉を繰り出す彼。適当にそう、と返事をして湿っている髪の毛を布で拭く。風邪をひいてしまうかもしれないからだ。
「さて、そろそろ食事にしようか」
「……ん?食糧はないんじゃないの?」
「それは竜に対してって話ね。そして数日分しか残ってないから狩りに行ったのさ。さあ、向こうへ行こうか」
手を取って彼は机へと誘う。少し浮き足立っているのは気の所為だろうか。
「久しぶりの客人さ、こんなに嬉しいことはないよ!さぁ、旅の話を聞かせておくれ!」
振り返ってニッコリと笑う。
「もちろん!沢山あるんだから覚悟してね!」
そんな彼に当然旅の話を聞かせるのだ。
「へぇ……。恨んでないの?」
側から見ても分かるほどに、怒りを顕にしている。そんな彼に少し安心感を覚えた。
「恨んでる、恨んでるよ。でも……好きだったんだろうね。そこまで恨んではないの」
「……わかんないな」
「ごちそうさま」
夕食を食べ終え、旅の話を沢山聞かせた。その中でもあの出来事は突っ込まざる終えなかったようだ。私だって他人からこの話を聞いたら突っ込む。死にかけているのだから。
「それじゃ、さっき言ってた部屋借りるね」
「……うん、おやすみ」
「おやすみ」
ただ少し胸がムカムカする。逃げるようにこれから借りる部屋へ向かった。
2年の時が経った。私はユラルと付き合った。一つ屋根の下で暮らし、互いに弱いことを話し合った。私の話に真摯に向き合い、私の為に相手へ怒ってくれた。そんな相手に惚れないわけがなかった。ただ、今は一つの焦燥感と絶望感を胸にしている。妹が、リアが大丈夫なのかが心配だ。発作的に病が酷くなる。そして自分がこんなにも満たされていいのかと不安になる。
私達は愛し合っている。右に目をやるとユラルが気持ちよさそうに眠っている。
けれどこれは絶望感の理由ではない。
私も、まだ寝ようかな。
ユラルの白髪を撫でる。最初に感じた威圧感はもう感じない。
私はユラルの隠している秘密を知っている。
この塔に白竜は最初からいたのだ。一つの絶望感
白竜がユラルであることだ。
「ユラル、おはよう」
「あぁ、おはよう。今日はレイラのほうが早いんだね、珍しい」
「もう!」
そう言って頭を撫でられる。もちろん嫌ではない。どちらかというと好きだ。きっと目を細めてだらしない顔をしていることだろう。
幸いこの塔には2人しかいない。寵愛は私の独り占めだ。
「さて、それじゃ朝ご飯に……」
「ん?どうしたの?」
「いや、お客さんが来たみたいだよ。それも……数が多いね」
「……そう。結構危ない感じ?」
「レイラはこの部屋にいて。僕が片付ける」
「わかった」
普通の人間じゃ人が来るなんて分かるわけない。それに人数だってそうだ。ユラルは強い。一緒に狩りに行った時もユラルだけで片付いてしまった。だからきっと大丈夫だ。大丈夫なはずだ。
でもどうしても苦しいのは依存してるからなのかな。
ユラルが帰ってこない。20分は経っている。話し合いはそんなにかかるのだろうか。少し覗いてもバチは当たらない気がする。
螺旋階段を降りて右へ曲がる。角から入り口を覗いた。
いない。
誰もいない。
おかしい。
鼓動が早くなる。腰に携えた剣を強く握る。この塔に来てからも訓練は続けていた。体調が毎日良好の為、実力もメキメキと伸びた。何があっても絶対に負けない。
入り口を抜ける。
目に映ったのは白竜が夥しい蒼の血液を流しながら人間へブレスを吐いていたところだ。
バチバチと音を立てて、波のように電流が口から地面へ流れ落ちる。
白竜からさらに血が吹き出る。傷が深いみたいだ。肉が抉れ、鱗も剥がれ落ちている。高貴さなどは一切感じられない。
人間は残り3人だった。一人は金髪で、赤と白のドレスを纏った女。何処かの王女と言われても納得するような女。年齢は若い。私と同じくらいだ。眠そうな眼はきっと男に人気なことだろう。腹が立つ。薔薇を模した長剣を持っている。そしてそれを白竜に向けていた。
残り二人は騎士然としている。下でへばってる騎士とは鎧が違うところを見ると隊長に近いのだろう。
と言っても今、また新たに吐かれたブレスで立っているのは女だけだ。白竜は最後の力を振り絞ったからなのか、ぐったりと倒れてしまっている。
けれどきっと助かるだろう。なんたってあの塔の守護神だ。少しすればきっと治るはずだ。
そう考えて怒りに任せそうになる身体を自制する。
「ねぇ、どうして抵抗するのかしら?半神ならまた生き返れるでしょう?過去のように」
「僕が僕である為さ。ただ必要なことなんだ」
「でもその傷じゃ、もう長くはないでしょう?動けないでしょう?どうしてそこまで生に固執するのかしら?」
「……」
「……そう」
女はつまらなそうに歩き、緑に発光する剣を振り下ろす。
……あれはダメだ。
悲鳴を上げる脚を無視し、女の長剣へ自身の長剣を両手に持ち、横からぶつける。
「なっ!?」
女が重そうな瞼を大きく開く。こんなやつと死闘なんてするわけもない。する価値もない。
ガランッ
横目に女を見る。力強く女が剣を振っていた為か、私の力が強かった為か。弾いた腕が痺れて使い物にならないようだ。その証拠に剣を落としている。私は縺れる足に従いそのまま地面に転けた。すぐさま立ち上がって、転がっている剣を回収する。
女は唖然としている。
「死ね」
放心状態なんて的だ。女の剣で首を斬ってやった。
「はは……」
ゴトリと音と共に、糸の切れたマリオネットの如く横たわる四肢。それを無視し、白竜……ユラルへ近寄る。
「……ユラル」
ユラルは酷い有様だ。蒼の血液は固まり、あるいは水溜りを作っている。胸に刺さる剣、そこから少し見える刀身は緑に発光している。族滅之草が塗られているのだろう。
助からない。ただそれだけがわかる。頭がおかしくなりそうだ。なんで今なの?ずっと幸せだったじゃない。
そう愚痴りそうになるが元々訪れる運命が早まってしまっただけだった。愛してしまった。初めからわかっていたはずだった。それなのに愛してしまった。絶対に叶わない恋だと知っていても。けれど……理屈じゃない。
だから、だから弱いところは見せない。絶対に泣かない。顔に力を入れてポーカーフェイスだ。
「……誰だ小娘。私はそのような名前は持っていない」
知っている。ユラルが嘘をつくのが下手くそなことを。私は首のない四肢を睥睨する。ただ、他人行儀に心が痛む。
「あら?勘違いかしら?まぁ、いいわ。私ずっと白竜様にお願いがあったの」
強気でいかないと。
「……。ほう?申してみよ」
「貴方の、貴方の心臓が欲しいの、よ」
強気で。
「……フハハ!!!なんと、やはり人間は愚かなだ!もう我は朽ちるしかないようでな?」
「……な、に」
顔に力が入らない。
「だが我はどうしても色濃く残りたいのだ。竜が故に倫理観などなくてな?どうにも今の他人のままというものは嫌なようだ」
……やめて。
「其方の心情などは配慮できないな」
「……」
「だから我からの楔を受け取れ」
威風堂々、それでいてどこかおちゃらけていた白竜は一転し、優しく包み込むような声色で言う。
「……レイラ、リアちゃん助かると、、いいね」
あぁ……。本当に、最悪だ。
顔が歪んでいるのを自覚する程に醜い顔だろう。頬に伝う熱いものが溢れて止まらない。
……泣かないなんて無理だ。
「……絶対に助かるのよ」
皮肉を込めて言ってあげる。
「ユラルとは違ってね」
いつものように、日常会話のように私の答え方をする。後悔はしてない。
私は、白竜が胸に刺さっていた剣を自ら刺すのを眺めた。眺めることしかできなかった。
「ーーー、ーーー」
最期に何を言っていたかは分からなかった。でもやっぱり言わなきゃいけない。
「お慕いして、おりました」
溢れるものを手で拭いながら、膝から崩れ落ちる。声だけはと押し殺した。
心が何度も矛盾する。けれども何を言うにも正解はなかったと思っている。そして不正解もなかったとも思っている。
白竜は目の前から消えた。蒼の水溜りも消えた。ただその代わりに一つの臓器が落ちていた。
たくさん泣いた。
涙が溢れて止まらなかった。こんな気持ちはいやだ。でもこれはユラルに対して、失礼だ。悲しくて泣くんじゃない。感謝の気持ちで泣きたい。
鼻がツーンとして視界がぼやけていった。
心は少し落ち着いた。それでもやはりどこか穴が空いたような気持ちだった。
私は辺りでくたばる騎士からリュックと麻袋を貰う。そこへ臓器を入れる。
ゴーン、ゴーン。
鐘のような音が耳を劈く。塔へ目をやる。青白く光っていた塔は輝きを失い、塔の天辺には数字が現れていた。
89:99
その数字を見た時、背負っているリュックの中身、心臓と何かが繋がったのを感じた。それを感じた途端に理解した。
(きっとタイムリミットなのだろう)
なぜか分かるこの不思議へ、疑問を抱くことはなかった。
「向かわないと」
女へと近寄る時に無理をした足はいつの間にか治っていた。それを自覚した時、また気持ちが溢れそうになったが耐えた。忘れなければならない。けれど忘れたくない。
……心が、どうにかなりそうだ。
心臓の時間がもう迫っている。それが分かるくらいに繋がりが薄くなるのを感じていた。だがもう自分の家はもう目の前だ。
「間に合った……!」
木製のドアを勢いよく開ける。
「ただい!!……ま?」
扉を開け、視界に広がったのは白い木の壁にこびりつくまだ新しい血液だった。
下へ目をやる。
「なん……で……?」
足から力が抜けて地面に座り込む。
床には母親がいた。
服が切られ、無理やり脱がされた母親がいた。
顔に大きなあざを残し、身体中に打撲痕の残る母親がいた。
お腹を大きく裂かれ、血液を流している母親が横たわっていた。
目に光はない。
死んでいた。
「あー!おかえりーー!待ってたんだよねぇ!」
「グレ……ンツ?」
そこには血塗れたグレンツがいた。忌々しい男が。そして手にナニカをぶら下げていた。
「んー!そうそう!ひさしぶりー?何年ぶりだろうねー!」
そんなことどうでもいい。
「……ねぇ、、貴方何を持ってるの……?」
本当は分かっていた。でも……理解したくなかった。
「アハッ!きみのだーーーい好きな」
嫌だ。
「リアちゃんだ、よっ!」
そう言って髪の毛を乱暴に掴み、持ち上げていた生首を私へ投げ飛ばす。受け取るしかなかった。
胸に抱きとめた生首に顔が吸い込まれる。そこには苦痛に歪んだままのリアの顔があった。
「ああぁぁ……ああァァァァッ!!!!!!!リアァァァッ!!!!!」
リアが死んだ。リアが死んだ……?なんで死んだの?……どうして???リア悪いことしたかなー。なんでしんだの?どーして?しんだ?しんだってなんだっけ!わかんない。わかんないや!……あっ!もしかしてねてるふりなのかも!おこしてあげないと!わたしおねえちゃんだもん!
「りーあ!おきて!あさだよー!いやうそ!ひるだよー!おかあさんもねてないでおきよー!!!」
りあもおかーさんもおねぼーさんだなー。めずらしい!!!
「ねかせたほーがいいのかなー?」
「……あ?なんだおまえ?」
「んー?おじちゃんだれー?」
なんかひょろひょろのおじちゃんがいる!!!おかーさんのお友だちかなー?
「……ははっ、アハハハハハハハハハハ!!!!!傑作だなぁ!?こりゃ傑作だ!!アハハハハハハハハハハ!!!!!」
「むー、おじちゃんうるさい!なにがおもしろいのー?」
「アハハハハハハハハハハ!!!!ちょっと待ってろ!」
おじちゃんきんじょめいわくって知らないのかな。大人なのに。
「おらよっ!」
もどってきたおじちゃんがお人形のみたいなのをなげてくれた!!!
優しく抱きとめるとそれは身体だった。首はなく、そして下半身から粘液が流れ出てきた。それは白濁としていた。
「あぅ、、えっあっあぁ」
「お?」
「……ぁ」
背中が軽くなった。
ゴーン、ゴーン。
鐘の音が再び耳を劈く。背中に感じていた僅かな繋がりが完全に消えるのを感じた。
「あぁ……?」
リアを優しく置いて、リュックを脱いで開く。麻袋がある。中にはなにも入ってなかった。
「……」
?
「……ちっ。なんかもうお前いいわ。つまんねぇ、死ね」
目を前にやると剣を横なぎに振るわれていた。
私はリュックを捨ててリアを強く抱いた。
眩しい。目を閉じているはずなのに眩しい。右手で目に影を作る。これで目を慣らしていこう。
「うん、おかえり。と言ってもずっとここで眠っていたわけだがね」
「ふふふ、長いお眠りだったわね」
……あぁ、そうか。今のは夢、だったんだ。あんな悪夢はもういやだ。心臓は未だに早く脈を打つ。圧迫感がずっと拭えない。
「さて、私達も君の物語を楽しませてもらったよ。それで君にお礼をね、渡そうと思うんだ」
「ええ、ええ!いいわね。素敵ですよ、貴方」
……は?楽しませてもらった?
「ま、待ってください!私のあの悪夢を見てたんですか!?」
「ふむ?当然だが?」
「ですわよね?」
お互いに確認し合うかのように見つめ合う。
……ふざけるな。
「あんな、あんな酷いものを楽しめたって言うんですか!?」
「えぇ、もちろん」
「当然ですわね」
……所詮は人外なのか。感性が違いすぎる。ここで怒ったって無駄に疲れるだけだ。……夢なら夢でいい。横になったまま会話をしていた。私はすぐに立ち上がる。
そこで違和感を感じた。私は右腕に何もつけてなかったはずだ。それなのに、それなのに夢で見た通りグレンツにもらった腕輪が付いていた。
「腕力上昇の腕輪……」
「⬜️⬜️⬜️」
「⬜️⬜️⬜️」
「え?」
なんて言ったんだろ……?きっとどこの言語でもない気がする。
「この玉手箱をあげよう。外の世界では数百年の月日が経ってしまっている。その例外で時の影響を受けていない君の時をここに入れた。浦島太郎と言ったら分かるだろう?」
「絶望したなら開ければいいのよ。貴方の好きにしなさい」
そう言って流れるように玉手箱を受け取った。
「うっ」
すると眩い光に包まれた。
戻ってきた世界は退廃としていた。私は気がつけば学校の校舎らしきところの裏庭で寝ていた。この太陽の位置、暖かさは昼といったところだろうか。だが、校舎は倒壊していた。当然学校からはすぐに出た。
生物がいた。だが人間はいなかった。それでも人間の形をしたものはいた。頭があり、目、口が飲み込まれそうなほど黒い穴が空いているものでできていた。首が長い。胴が細長い。手足が長い。指が長い。爪が長い。そんな生き物だ。そんな生き物にも身長がある。
怖い。腕輪を撫でる。
「こんな世界、いやだ」
『絶望したならあければいいのよ』
そんな声が頭で反響した。
高い廃ビルの屋上にきた。
きっと、飛び降りながら玉手箱を開ければ確実にさよならできるはずだ。夢でも死んだことがある。それよりも酷いこと目の前でされた。死ぬのなんて怖くない。
玉手箱を開けながら私は朽ち、変わり果てた世界と一つになろうとした。
浮遊感。
意識が飛ぶ。
瞬き。
世界へ、手を伸ばす。
皺はない。
開けた玉手箱が手元に見当たらない。
沢山の痕の残った汚い腕。
私を助けた腕輪は見当たらない。
瞬きをする。
視界に世界が広がる。
それは"いつも"と変わらない栄えた世界だった。
読んでいただきありがとうございました。