井戸の中の女の子4
パチパチと、何か乾いたものが弾けるような音が近づいてくる。聞き覚えがあるような……火? 何かが燃えている? 徐々に俺の方に……違う、近づいているのは、俺の方? おぼろげに意識を取り戻しつつある。ゆっくりと瞼を持ち上げる。薄暗い……夜? 見慣れない天井。薪が小さく爆ぜる音。……ここ、どこだっけ? 寝ぼけた頭の回転はとても緩やかで、再び瞼を閉じてしまいそうな微睡。そんな意識を優しくすくい上げてくれたのはくれたのは、サディの穏やかな声だった。
「忍? 大丈夫?」
意識が鮮明になるにつれて、今までのことを思い出す。そうだ、村を見つけて、サディに出会って、おしゃべりして、井戸に落ちて……それで……あ!? 衝撃的な記憶がフラッシュバックする。いや、見たことが無い訳じゃない。俺も男だ、諸々の媒体で凝視したことなど、数え切れぬほどある。しかしだ、直接! しかも 間近で! しっかりと、脳裏に焼き付いていることに感激した。
「顔、赤いよ? 本当に大丈夫?」
額と額が触れ合う。サディの顔が、文字通り、目と鼻の先に。自分の鼓動が頭に響いた。そして、遠ざかる。そんなわずか数十センチが、非常に怨めしかった。
「ちょっと熱い? お水、いる?」
「いや……大丈夫です」
半ば放心状態で、から返事をするのがやっとだった。近い。近いよ、サディ。俺は君のパーソナルスペースの一部ではないんだ。俺だから良かったものの、変な奴だったらどうなっていたか……やれやれ、俺が守ってやるしかないな。学校にテロリストが如く、彼女に出会ってからのくだらない妄想は、留まることを知らない。将来的に思い出しては、羞恥心に耐えられず、夜な夜な吐き出しに行くことになることになるのだが、それはまた、別のお話……でする予定は勿論無い。黒歴史は、隠すモノと、相場は決まっているのだから。
「忍? はい、コレ」
妄想が止まらなくてゴメンね。もう何度目かな? サディは正気に戻すのが上手だね。手渡されたのは、見覚えのある黒い布。お礼を言って受け取り広げる。なんだ、やっぱり俺のスエットじゃないか。もう乾いてるのか。あれ? 破れてたところが直ってる。
「すごい。これ、サディが直してくれたんだよね?」
「直したなんて……応急処置みたいなもの。ここには物がないから、それくらいしか」
「じゅうぶんだよ! ありがとう! 草とか枝がチクチクして嫌だったんだ。本当に助かるよ」
「もう……忍、大げさ」
明かりのせいかもしれない、視線を逸らし、俯くサディの頬が高揚している気がした。
「そ、それにしても……忍の洋服は変わってるね」
「そう? 俺のところでは、結構普通だと……あれ?」
フード付きの真っ黒なスエット上下。人目を避けるために選んだんだけど、見た目は完全に不審者だよな。ん? まてよ……金槌、五寸釘、藁人形……よくよく考えてみると、いや、よくよく考えなくても、俺は、見た目以外も不審者だった。俺は口を濁す。
「は、ははは……ちょっと特殊かもね……ははは」
「そうなんだ! これで顔を隠すんでしょう? あ! もしかして、忍は密偵なの? 真っ黒だし」
「え!? いや、あの……まあ、そんなところ」
見栄をはった。実際は、ただの傷心中の学生である。
「うわあ! すごいね! どんなことをしたの? 私、忍のお話聞きたいわ!」
「ゔっ…… あー……そのー……」
墓穴を掘るとは正にこのこと。俺は、嘘に嘘を重ねていく。学校での出来事なんかを、それっぽく脚色して、あたかも、国を揺るがす大事件を解決したかのように話した。しかし彼女は、そんな与太話を、とても楽しそうに聞いてくれる。彼女のうつ相槌が心地よく、あることないこと口八丁。千夜一夜物語かと言うような、壮大な物語を紡いでしまった。ゲームなら、話術関連の実績でも解除されてそうだ。
そして、空が白んできた頃、夜通し続いていた俺忌憚は終演を迎える。肩に重さを感じて目をやると、いつの間にか眠ってしまったサディの頭が。彼女をベッドに寝かせて、内緒だが、彼女の寝顔を見つめた。そして気づく。俺……すっぽんぽんじゃねえか!? 慌てて着替えて、いそいそと部屋を出た。
深呼吸して、落ち着きを取り戻す。何か、お礼をしなくちゃな。そうだ! サディなら、食べられる物がわかるかもしれない。朝食に、適当にそれっぽ物を集めてこよう。食べられる物が採れると良いな。