井戸の中の女の子2
それにしても、なんか登場時とキャラが違うようだが、おそらく、こっちが素なのだろう。そこんところの説明を求めるべきか、あえてのスルーか。なにはともあれ、まず真っ先にするべき事は決まっていた。
「井戸……水を飲ませてもらっても良いかな?」
「あ、ええ、どうぞ」
「ありがとう」
桶を投げ入れると、久しく聞いていなかった水の音。思わず、喉が鳴る。逸る気持ちを抑え、平静を装いロープを引いていく。桶にいっぱいの水。今なら全部飲み干せる気がする。さて、まずは一口……
口腔に広がっていく透明感は、すかさず喉を通り抜け、そして、内臓へ。乾ききっていた身体を、内側から隅々まで駆け巡っていくように、細胞一つ一つが水分に満たされていくのを実感した。短いが人生だが、今まで生きて来た中で、最大と言える感嘆があふれた。
「……うまい!」
そこからは、満足するまで止まらなかった。彼女の目を気にも留めず、浴びるように、いや、浴びながら水を飲んだ。流し込む水が口からはみ出ようが、ぼろぼろのスエットがびちゃびちゃになろうが、なりふりかまわず、何杯も何杯も。
井戸の前、俺の足元に、大きな水たまりを作り、お腹がちゃぽちゃぽと鳴きはじめた頃、ようやく満足し、我に返ることが出来た。彼女に向き直り、頭を下げる。
「みっともない姿を見せてゴメン。でも、本当に助かりました。ありがとう」
「いえ、そんな……そんなにかしこまって、お礼を言われるほどのことじゃ……」
「それほどのことだよ。何日も飲まず食わずだったから、心が折れそうだったんだよ」
「何日も!? ……それは、大変だったね」
彼女は労いの言葉とともに、優しく微笑んでくれた。楽しい。水を口にした時以上に、何気ない会話が、俺の心をさらに満たしてくれた。彼女が井戸から現れた時は、正直どうなることかと思ったが、もっと彼女と話がしたい。と思っていた。
「え、えーと……」
感動に浸り過ぎたようで、彼女を困らせてしまったようだ。得体の知れないみすぼらしい男が急に黙ったら怖いよな。
「いや、その……誰かと話すってのも久しぶりでさ……なんて言うか、感動しちゃって」
俺の言葉に驚いたのか、彼女は少しだけ目を大きくすると、気恥ずかしそうに応えてくれた。
「わ……私も。誰かとお話しするの久しぶり。楽しい」
はにかんだ表情。可愛らしさに見惚れた。出会ったばかりの女の子。そんな都合の良いことなんてあるはずがないのに、もしかしたら? なんて、愚かにも、どぎまぎしてしまう。落ち着け。俺は、バチンと両頬ぶった。その様子に、キョトンとしている彼女も可愛らしかったが、今は、彼女との会話を楽しみたいと言う気持ちは置いておけ。聞かなきゃならないことが、山ほどあるじゃないか。
「私、サディ。あなたは?」
「え? あ……忍です。四ツ谷忍」
口を開こうと思った矢先、彼女、サディに先を制され、しどろもどろになりながら名のる。
それから、二人で井戸の縁に腰かけて、俺はサディにこの世界についてたずねた。しかし、思ったほどの情報は得ることが出来なかった。ただかわりに、少しだが、サディのことを知ることが出来た。
「え? 何もわからない?」
「うん、私、もうずっとここから出てないから。正確には、今、世界がどうなってるのかわからない」
「ずっと出てないって……この場所から? どれくらい?」
「わかんない。もうずっと……だよ」
サディの、遠くを見つめている横顔が、寂しそうに見えた。俺は、何と言って良いのかわからず、口ごもってしまう。そんな俺の様子に気を遣ってくれたのか、明るい声で、サディは話を続けた。
「私ね、女王様だったんだよ? ほら! 王冠! 綺麗でしょ?」
サディは頭を突き出して、王冠を見せてくれた。宝飾品の良し悪しなんてわからないが、細かい細工や散りばめられた宝石は、素人目にも、とても綺麗だったが、俺の視線はすぐに、別の……あまりじろじろ見てはいけないモノを捉えてしまう。彼女の身に着けている服はぼろぼろで、いろいろな隙間が緩いと言うか何と言うか。小ぶりなゆえに見えてしまう罪深さ。意識してしまうと、目のやり場に困ってしまい、とっさに目を背けてしまった。
一見邪険にしているような、そんな俺の態度が気に入らなかったのか、ちゃんと見て! と、サディはぐいぐいと身体ごと寄せてくる。やめてくれ、失恋して間もない俺に、それは効く。おいおい、出会ったばかりだぞ? 女の子なら誰でも良いのか? 違うだろ? 振られたとしても、俺が好きなのは生涯アイツだけ……ダメだ。情けないが、惚れそうだ。何とも言えない甘酸っぱさを噛み締めながら、このままサディと戯れていたい。心の底から思ったが、そんな思いも虚しく、残念ながら、長くは続かなかった。
「ねえ! ほらあ! ……あ」
「え?」
サディが手を滑らせた。とっさに俺の掴んだ。その結果、俺たち二人は井戸に落ちた。