人を呪わば……
幼馴染が好きだった。
幼馴染もまた、幼馴染が好きだった。
幼馴染と幼馴染は結ばれ、俺は一人になった。
二人を祝福したその日の深夜、俺は我武者羅に自転車を走らせた。
やり場のない気持ちを発散させるべく、ただひたすらにひたすらに……
そんなことで割り切れたなら、どんなに良かっただろう。
俺には深夜に自転車を走らせる明確な理由があった。
時刻は、午前二時。丑の刻。
目的地は、昔からあるが、名前も知らない神社。かなりデカいご神木がある。
自転車の籠には、金槌、五寸釘、藁人形。
俺の気持ちには、お互い気づいていたはずだ。
相談したことだってあったじゃあないか。
俺のいないところで、二人で笑っていたんだろ?
……そんな奴らじゃないってことは、痛いほどわかっていた。
わかっていたはずなのに、初めての失恋や疎外感。二人を憎んでしまうような、自分自身の感情を、抑えることが出来なかった。
子どもみたいに泣いていたと思う。ご神木に藁人形をあてがい、五寸釘を突き立てる。
握りしめていた金槌を振り上げる。
打ち付ければ、それでお終い。
本当に呪いがかかるなんて、これっぽっちも思ってはいない。
今さら言い訳がましいけど、胸の中に渦巻く醜い感情を吐き出したかっただけだった。
俺は思いっきり打ち付けた。
俺の胸中とはうってかわって、空虚で乾いた音が、夜の神社にこだまする。
沸き立つような、醜い想いを吐き出し、熱を失っていく身体を、夜風が震わせた。
すると突然、強い力で背中を引かれた。
バランスを崩して倒れる。背中に伝わるであろう衝撃を覚悟した。
しかし、それはおとずれなかった。
身体を包む浮遊感。
落とし穴? 落ちている?
そうか、人を呪わば穴二つ……と言うことか。
きっと、そう言う事なのだろう。漠然と理解する。
落下中の俺は以外にも落ち着いていた。いや、落ち着いていたと言うよりは、突然のことに、何も考えることが出来なかったのだろう。遠ざかっていく星空を見つめながら、只々、落下していると言う感覚だけが、身体を通り抜けて行った。
そして、気づいた時には、俺はここに立っていた。
どこともわからない、薄暗く、林なのか森なのか、おどろおどろしい木々が茂り、周囲には、毒々しい霧のようなモノが満ちている。
反射的に口を覆ったが、今さらと思い、思い切って吸い込んでみたが、微かに甘い匂いがするだけのようで、呼吸に支障がなければ、ただちに身体にも影響は無さそうだった。
あらためて周囲を見渡すと、見覚えのある物がいくつか目に留まった。
ご神木と、それに打ち付けられた藁人形。根元に金槌。
その光景に、少し安堵したとともに、ふつふつと、罪悪感が沸き上がった。
金槌を拾い上げ、釘抜で五寸釘を引き抜く。
「痛かったよな。ゴメン」
藁人形を握りしめ、つぶやいた。
自分勝手な理由で傷つけてしまった。
あれだけデカいご神木なら効果がありそう。なんて思ってた自分が情けない。
心の中で、自分を諫め、ここからどうしたものかと振り返ると、目に飛び込んできたソレに戦慄した。
ソレは、立ちふさがるように現れた。実際に、立ちふさがっていたのだろう。
熊とも猪ともとれるような姿の、禍々しい巨大な獣。
着ぐるみか? なんて一瞬思ったが、唸り声を上げるソレの存在感に、そんな甘い考えは吹き飛ばされる。
逃げろ!
頭の中で何度も叫ぶが、あまりの恐怖に足がすくみ、動くことが出来なかった。
ソレは、じりじりと近づいてくる。
バチが当たったんだ。
不意に頭をよぎった。
そうだ、幼馴染を呪うような奴なんて、こうなって当たり前だ。
「人を呪わば穴二つ……か」
そう思うと、固まっていた身体から力が抜けた。
だらりと項垂れる。
ため息をついて顔を上げると、間近に迫っていたソレと目が合った。
ソレは、一瞬怯んだのか、後ろ足を僅かに引いた。
しかし、その動きは、怯んだわけではなく、俺に飛びかかるための予備動作であると気づいた。
俺の人生、楽しかった事、辛かった事、短いなりに色々あったなあ。
これが走馬灯か? いや、なんか違うよな。だって、自分で思い返してるし。
はあ……こんな化け物に殺されるのか。食われるのかなあ。嫌だなあ。
最後の思い出がこんなんなんて。
どうしようもならない状況による諦めから、そんなことを考えていたと思う。
ソレは、地面を蹴った。
視界を覆う巨体。
まるで時間間隔が伸びていくような、不思議な感覚に襲われる。
思考が巡りだす。
幼馴染を呪って終わりでいいのか?
良いはずがない。
人を呪わば穴二だと言うのならば、もし俺が死んだら、あいつらも……
馬鹿馬鹿しい考えだと思った。
死にたくない言い訳をしているだけだとも思った。
だが、俺の今の状況が、本当に呪いによるものだとしたら……
でもどうする!?
金槌でどうにかなる訳がない。
釘……ありえない。
藁人形?
いや……! こうなったら、一か八か!
「死ねるかああああああああああ!」
絶叫と共に、ご神木に藁人形を打ち付けた。
俺は、ソレに押しつぶされた。
重さに耐えながら、悪あがきでもがいた。
喚いて暴れて……どれくらい抵抗しただろう。
ソレは動かなくなっていた。
ソレの下から這い出て、呆然とソレだったモノを見下ろした。
何が起こったのか、理解が追い付かなかった。
思考に追い打ちをかけるように、ソレだったモノから、白い靄のようなモノが浮き立った。
その白い靄は、俺を覆うと、まるで身体に吸い込まれるように消えた。
身体がぽかぽかしてきた。そのせいだろうか? 心も少しだけ
軽くなったような気がした。
その瞬間、身体に衝撃がはしり、ご神木に叩きつけられる。
何が起こったか理解できず、痛みをこらえながら顔を上げた。
ソレは、もう一匹いたのだ。
つがいか? 怒ってる? やっぱ、怒ってるよな。一人ってヤだよな。俺も昨日……
いや、今はそんなことどうだって良い。
ヤらなきゃ……ヤられる……!
確証があった訳ではなかった。
ただ、どうすれば良いかはわかった。
この呪いは有効なのだ。
俺は金槌で釘を打った。
もう一匹のソレはあっけなく、崩れ落ちるように倒れた。
ご神木を背に、ずり落ちるように腰をおろす。
痛い……!
怖くて傷口が見れない。
これが、致命傷ってやつなのかな……くそ……死ぬ訳には……いかないのに……意識が……遠のいて……
諦めかけたその時、俺は再び白い靄に包まれた。
温かい。痛みが引いていく。
この不思議な現象に戸惑いつつも、恐る恐る傷口に目をやると、みるみるうちに治っていった。
それどころか、得体のしれない何かが、体中から溢れているような感覚すらある。
俺の身体に何が起こっているのか?
この時の俺には、知る由もなかった。