表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

手紙

作者: ぎゃわわ

 拝啓 あなたへ


 僕はきっと生まれてくるべきじゃありませんでした。



そう綴られ始まった宛名のない茶封筒から取り出したその手紙は、とめはねが乱暴で字全体が少し右上がりの癖のある字で書かれていた。



 拝啓 あなたへ


 僕はきっと生まれてくるべきじゃありませんでした。

 僕には幸せを幸せと感じることが出来ません。衣食住が満ち足りていること、友達がいること、恋人がいること、家族がいること、数え始めればきりがない幸せの中を僕は生きています。でも、僕には幸せを受け止め感じる能力が欠落しているのだと思います。いやきっと幸せ以外の感情も。そうでなければ、この理由のない絶望感と虚無感はどう説明すればいいのでしようか。

友達と話しているとき、恋人と話しているとき、どこか自分を俯瞰しているような、全てを冷めた目で見ている自分がいます。自分を俯瞰して冷静な自分に酔い、悦に浸り、周囲の人間を無意識に見下しているのだと思います。そのくせ僕は孤独を恐れ、社会的外見を整えるために上辺だけの人間関係を形成してしまいます。そしてそこでつまらない冗談で笑いつまらない冗談を言う。しかしそうしていると、自分のなかで何かが削れているようなそんな感覚がするのです。

先日、恋人と別れました。僕の何気ない発言に傷付き感情的になった彼女に冷たい言葉を投げ掛けてしまいました。理想的な恋人だったと思います。家庭的で人当たりがよく、笑顔が愛らしい素敵な女の人でした。僕もそんな彼女のことが好きだと思ってきました。

長らく築き上げてきた恋人、という大きな関係が崩れ、怒るか悲しむか、それとも喜ぶかすべきなのでしょう。しかし、今僕の心中は恐ろしいほど穏やかです。何も感情が湧きませんでした。ただ「彼女と別れた」というテキストだけを目で追ってるような、遠い異国の出来事のような、そんな感覚だけがあるのです。自分の行為やその結果をどこか他人事のように感じている自分がいる、きっとこれは何かの病気で数十年後には名前がつけられているのでしょう。そうであることを願います。

怒りも悲しみも喜びも感じないくせに、僕の心は痛みだけには敏感なようで、自分が普通と違う時、普通の人ならこう感じるべき場面にそう感じれなかった時、その乖離に僕の心は悲鳴をあげます。普通ではないくせに、異常であることには耐えられないのです。

そんな時、脳裏に死が浮かびます。「自殺は身に降りかかる不幸に先手を打つだけのことだ」。全くもってその通りだと思います。僕はこのまま一生、人を理解したつもりで見下し、しかし孤独を恐れ、異常者のくせに普通であろうとして、心を磨り減らして生きていく。そんな人生が透けて見えてしまうのです。約束された苦痛だらけの生涯を送るぐらいなら、もうここで断ち切ってしまおう、そう思うのです。

しかし実際は、僕にはそれをするだけの勇気もありません。死を目前にした時、僕の体は震え未来の希望を訴えるのです。このまま生きてれば、生きてさえいればなにかあるはずだ。何か人生を大きく変えるような劇的な何かが。生きてて良かったと思える奇跡が。まるで追い詰められたギャンブラーのように未来に縋るのです。僕はどこまでも救いのない愚か者です。

普通に生きることも、それを断ち切ることも出来ない。こんな苦痛だらけの人生なら、最初から生まれなければ良かった。そう、心から思うのです。


こんなことを言えるのも、あなたなら、この世界であなただけなら僕の言うことを理解してくれると思うからです。そもそも、あなたがこれを読めているでしょうか。

もし、読めていないならそれはそれで、きっと良い事なのですが。


敬具




「なんて書いてあったの?」

 台所で皿を洗っていた妻が、家事を終え隣に腰かけ尋ねてきた。

「うーん、なんて事はないただの日記さ」

「じゃあ何泣いてんのよ」

 妻が僕の頭に手を回し僕を彼女の肩にもたれかからせる。

「ぱぱないてる?」

 足元でお絵描きをしていた娘が僕を心配し僕の手をその小さな手で優しく包んだ。

「ぱぱ、かなしい?」

 娘は今にも自分が泣き出しそうな顔つきで僕を見つめる。

「違うよ。パパは幸せなんだ。」

「しああせ?」

「ああ、しあわせさ」

 僕がそう笑いかけると娘は共鳴するように笑顔になり、再びお絵描きに興じはじめた。

「ふふ」

 手紙に目を通した妻が突然笑いだした。

「笑うことはないだろ」

「別にあなたの卑屈さを笑った訳じゃないわよ。知ってたし。」

「じゃあなんだよ」

「私たちが、『生きてて良かったと思える奇跡』かあーと思って。」

 妻がいたずら好きな少年のように、あまりに無邪気に笑うので僕も思わず笑ってしまった。涙が留めなく溢れたが、気にしなかった。すると娘もなぜか笑いだして、小さな部屋に幸せが木霊した。


 夜、家族が寝静まった後、小さなライトをつけ僕は一人机に向かった。

 


拝啓 十年前の僕へ──


 


 



 

 


 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ