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千福恋物語

深川の雪夜

作者: りんず

「それじゃあ、おかみさん。お先に」

 お茶屋を出た福丸は、ふぅっと大きく息を吐いた。白い息がほんの少しだけ頬を温めてくれる。今年は江戸の町もすっかり雪景色となっていた。

「うう、寒いわねぇ」

 さすがの粋が売りの辰巳芸者も思わず両肩をさすってしまう。福丸は意を決して傘を差し、雪の上を歩き始めた。今日のお客は日本橋魚河岸魚問屋衆。年始の寄り合いはさすがに豪華で、魚は持ち寄り、お酒も極上、料理も申し分なく大変楽しいものだった。・・・しかしだ。

「おいしいって言われてもねぇ」

福丸は右手を上げてため息をつく。そこにはいつもお世話になっている三河屋主人がくれた鯛が縄に括られてぶら下がっていた。今日上がったばかりの鯛だから、いい人とお食べ・・・って言われてもねぇ。今いい人はいないんですよ、旦那。いるにはいるんですけどね、伊野千之助っていうお武家様。でもね、梅雨に入る頃だったか、朝起きて戸を開けたら、ストンと手紙が落ちて『しばらく留守にする、心配するな 千』って。それからぷっつり姿を見せないんですよ。信じられます?今深川で人気の辰巳芸者福丸がですよ、いつまでも一人で待っていると思ってるんなんて!

「そろそろ、あきらめていい人探そうかなぁ」

 はぁ、とため息をつくと、再び提灯を手に、福丸は堀沿いを歩き始めた。寒い最中ではあるが年始の夜はいつもより賑わっている。旦那と芸者が肩を寄せて一つに傘に収まり歩いているのを見るうち、福丸の顔がゆがんでいく。・・・いいなぁ、私も千さんと歩きたいなぁ。

茶屋街を少し抜け、武家屋敷沿いに入ると少し道も暗くなる。

「ん?」

柳の下の堀川の船着き場に人がいる。小さな提灯を脇に置き、その手には竿を持っている。堀で夜釣り?こんな寒い日に?魚なんているのかしら?変な人ねえ・・・・でも、この姿見たことがあるような・・・。福丸は意を決して柳の葉を分け、提灯を掲げて近寄った。

「よお」

「千さん!」

 ふわりと顔を上げたそれは、毎日毎日夢でしか会えなかったニタリと笑うあの顔であった。千之助は首をかしげるように福丸を見上げる。

「元気そうだな、相変わらずきれいだね」

「何よ、いままでどこに行ってたのさ!」

「まあ、いろいろだ」

「ずっと顔を見せないで、こんな所で偶然会うなんて、おかしくない?」

「偶然?・・・・だと思うか?」

「じゃなかったら、何よ」

「ここでずっとこうやって、愛しい女を待ってたって言ったら?」

「う・・・・」

 千之助は本当か嘘か分からない顔で笑いかけると、また釣竿を戻した。この人・・・他の女にもそんな事言ってるんじゃないでしょうね。・・・きっと言ってるわ。しかし、かぶっている傘にはうっすらと雪が積もっている。ここで長い時間座り続けていたのはどうやら本当らしい。まあ・・・ここは私の帰り道ではあるけれど。福丸はそのまま千之助の横にしゃがんだ。

「それで・・・釣れるの?」

「いいや、さっぱりだなぁ」

「でしょうね」

 横に置いてあるザルには、魚の姿はない。

「大物を釣って、喜ばそうって思たんだがなぁ・・・・ん?なんだお前、もう大物釣りあげてるじゃないか」

「お座敷で貰ったの」

「そうか・・・だったらそれで事たりるな」

「誰が一緒に食べるって言った?」

「他に一緒に食べるやつでもできたのか?」

「・・・・いないわよ」

「だろうな」

「だろうなとは何よ!」

「まあまあ、今からちょっと面倒な事をしようと思ってるんだが、それには姐さんとその魚が必要なんだよ」

「私と魚?・・・何するの?」

「まあちょっと待ってくれ。まだ役者は揃ってないんだ(見回す)」

「まだ誰か来るの?」

「(見つけて)お、来たな」

 福丸はあたりを見回してみた。が、真っ白な世界には人の姿などどこにもない。

「来たって・・・・どこよ?」

「防火桶の横だ」

「桶の横?」

 そんなところに人なんて・・・・え、何か動いてる・・・雪?違う・・・真っ白な・・・猫?

 ふわふわの長い毛に金色の目をした真っ白な猫である。雪の中というのにまったくお構いなしに、まっすぐこちらに向かってくる。ええ?猫?雪の中に猫?。福丸が唖然としている中、その猫は千之助の前まで来ると大きな尻尾をふわりと降って立ち止まった。

「(千さん、お待たせ)ニャーン」

 そうとてもかわいく鳴く。千之助はニコリと笑ってしゃがみ込むと、猫を撫でた。

「ご苦労だったな、コハル」

「・・・・この猫を待っていたの?」

「そうだ」

「猫?・・・・ねえ猫って寒いの苦手なんじゃ・・・・」

「(馬鹿にするように)ニャン」

「こいつは普通の猫じゃないんだよ。ほら」

 そう言って千之助は、コハルと呼ばれた猫の首に手を回す。長い毛をかき分けるとそこには紐が縛られていた。千之助はそれを解き、隠されている手紙を広げた。この猫が手紙を運んできたというの?嘘でしょ、だって猫よ、犬なら分かるけど・・・。まじまじと猫を見ると、猫も福丸の方を見た。

「(何よあんた)ニャァ・・・・」

「・・・・絶対に、私のことバカにしてるでしょ、お前」

「よしコハル。(手紙をひらひらさせて)おれたちをここに連れて行ってくれるか?」

「(もちろん)ニャン」

 そう返事をすると、コハルはくるりと方向を変え、ずんずんと歩き出す。猫が言う事聞いてる・・・きっとこの子、犬なんじゃ?千之助は福丸の手を取り、傘を差しだす。そしてコハルの後を追って歩き出した。

「どういう事なの?猫が手紙運んでくるなんて、猫でしょう?」

「言ったろう、コハルはただの猫じゃない。忍猫だ」

「し、しのび!」

「しーしー!コハルに怒られるぞ」

 ちらりとコハルが振り返り、福丸を一瞥する。『これだから素人さんは・・・』とでもいいたげである。完全に福丸を見下している。こ、こいつー。

「コハルは賢いだけじゃないぞ、ほら見た目も器量よしだからなぁ(結構デレデレ)」

「(嫌味っぽく)そうね、本当にきれいな猫」

 相手は猫なのに・・・なんだか、なんだか無性に負けた気分!そんな福丸の気持ちを知ってか知らずか、優雅に雪道を進むコハルはほどなくして、一軒の茶屋へするりと滑り込んで行った。

「ここか・・・よし、それじゃあ頼むぜ、福丸姐さん」

見ると店の向かいの壁際にひっそりと夜泣きそばの屋台がある。千之助はそこに福丸を促した。

「おやじ、ご苦労だな」

「へえ、もうそろそろ出てくる頃ですぜ」

「あれ・・・神田の?おじさん?」

 それは千之助と福丸の出会った神田橋の蕎麦屋の主人である。ほっかむりをしたまま福丸ににこりと微笑んだ。やっぱり・・・おじさんは千さんの仲間だったのね!でも蕎麦はおいしいから、いいんだけど。

「千さん、どういう事なの?」

「張り込みだよ・・・」

「・・・また何か面倒な事に巻き込まれたんじゃ」

「大丈夫。ちょっとどんな奴が来ているのか気になっただけだ。一人で張り込んでもつまらないだろう?せっかくの茶屋街なんだ、姐さん連れの方が自然だ」

なるほど。初めて会った時は確か私たちが見張られていたけど、今回は私たちが見張るって事なのね。あの時はよくわからない事に巻き込まれて怖かったけど、今日は何だか千さんと仲間に慣れた気がして、うれしいわ。

「(ちょっと甘えたように)そう残念ねぇ。千さんとお座敷で遊べるかと思ったのにぃ」

「それはまたゆっくりとな。蕎麦はいくら食べてもいいぜ」

「(嫌味たっぷりに)わあ、それはうれしいわ」

「すまないな・・・こんな寒い所で」

千之助はそう言いながら福丸の背中をさすった。もう・・・本当に・・・うまいんだから。

そんな事されたら、顔まで熱くなっちゃう。福丸は熱燗を一気に飲み干した。

「いいわよ。雪を見ながら、おじさんの蕎麦とお酒なんて、最高よ。ね、千さん」

 そういって腕に抱きつこうとしたら、するりと白いものが二人の間に入ってきた。

「ニャー!(姐さん邪魔よ)」

「おお、コハルどうした?」

 なんでコハルがここにいるのよ!それも千さんの膝の上!

「コハルちゃーん、こっちにおいで、私の膝の上、ほらほら」

「お前の膝には、もう先約がいるぞ」

「え?」

 見れば鯛が膝の上に乗っていた。

「もーう!」

福丸は口を尖らす。

「はは、福丸。それ捌こうか」

「(尖らしたまま)ありがとう・・・おじさん」

「(それ私も食べる)ニャーン」

「はいはい、コハルにはもっと豪華なもの作ってやるぞ」

 足元には火鉢が置かれている。これは初めから長期戦だと分かってたのね。

ほどなくして捌かれた鯛が出て来た。

「はい、千さん」

 箸で千さんの口元へもってゆく・・・・。

「ニャーン(パクリ)」

「ちょっとー!何食べてるのよ」

 コハルは当たり前、という顔で刺身を飲み込んだ。

「その魚はコハルにやってくれ。俺が魚を釣ってやる約束だったのに、守れなかったんだからな」

「(そうよ)ニャア」

 猫に目くじらを立てている福丸を見てケタケタと笑うと、千之助は来ていた着物を脱いで、福丸にかけた。薄い着流しに膝に猫。まるで部屋の中にいるかのようなに平気な顔をして酒を飲んでいる。

「ねえ、千さんは寒くないの?」

「俺か?俺はもっと寒い所で暮らしていたからな」

「あら、そうなの?」

「(コハルを触りながら)こいつも同郷。ここの所ずっと俺たちについてきてるんだ。なぁ」

「そう・・・なんだ」

 てことは・・・コハルは私より千さんと長く一緒にいるって事じゃない。

「今日みたいなふわりふわりと降る雪なんざ、寒いうちに入らない。本当に寒いとな雪が銀色に輝くんだよ」

「銀色?」

「まるで氷のかけらに様な細かい雪さ。ふうっと息を吐いたら、息までも銀色になる」

「・・・見てみたいわ。寒そうだけどね」

「いつか・・・お前にも見せてやりたいよ」

「連れてってくれるの?」

「そうだな・・・・生きていたらな」

 何てこと言うのよ。私は今でも千さんが誰なのか、どんな事に巻き込まれているのか知らないけど・・・。コハルは全部知っているんだ。知っているし、そんな千さんの役に立ってる・・・。くやしいけど、鼻から負けてるんじゃない、私。

 その時だ。

「(出て来たよ)ニャア・・・」

「出てきた」

 店の方に目を向ける。商人が数人、武士らしき者が数人・・・あたりを伺う。千之助は福丸を抱き寄せ、福丸も身を預けてうっとりと千之助を見る。お座敷帰りの武士と芸者はこのあたりでは見慣れた光景だ。店を出た者たちは二人に木を止めることもなく、去って行く。千之助は酒を飲むふりをしながら、まだ店の方を伺っている。

「行ったの?」

「いや・・・まだいる」

 と少し時間をおいて、店の暖簾がゆれた。一人の男が出て来た。その男は同じようにあたりを見回したが、なんとこちらに視線を止めたのだ。

「あいつ・・・」

その男がにやりと笑った。明らかに千之助を見ている。福丸が千之助を見ると千之助もその男を見ていた。一瞬、雪が真横に吹雪いた。

「千さん・・・・」

 男はそのまま何事もなかったように、通りに消えて行った。千之助も無言でその背中を見送った。

「福丸・・・酒をくれ」

「あいな・・・」

 千之助は、福丸がなみなみと注いだ酒を、一気に飲み干した。千さんは隣にいるのに、この人の心はもう見えなくなってしまった。でも、不安に思う事なんてない。どんなお人であろうとも、どんな事情があっても・・・・私には千さんしかいないんだから。福丸はその静寂を心静かに待っていた。

(雪景色・・・・きれい)

「(やっと口を開く)なぁ・・・またしばらく姿を消す事になるが・・・・どうする?」

「・・・・待っているわよ。ずっと」

「そうか」

「銀色の雪・・・見せてくれるんでしょう?」

「・・・ああ」

 今日、二人で見た江戸の雪はそれまで忘れないから・・・・。きっと、きっとよ、千さん。

 福丸はいつの間にか自分の膝の上での乗っていたコハルをぎゅっと抱きしめた。この子はまた千さんについてゆくのだろう。もし・・・千さんに何かあったら。この子が知らせてくるのだろう。

「コハル・・・うらやましいけど、千さんの事。頼んだわよ」

 コハルは真っ白で大きなしっぽを優雅に振り、福丸の手にほほを擦り付けたのだった。

おわり

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