夜襲
夜の官邸は門の周りに篝火がたかれ、別の警務小隊の兵士が立っていた。
カレンは赤茶色の皮鎧から階級や氏名、部隊を示すワッペンをはぎとり、覆面で髪と顔を覆って赤い兜をかぶっていた。
遠くから見れば巡回中の警備兵にしか見えないだろう。
官邸をぐるりと取り囲む高い塀の一角に警備兵の配置の薄い箇所があり、カレンは周囲に注意を払いながら、そこをよじ登った。
巡回の時間もわかっているので見回りの兵士に発見される心配はない。
カレンを警務小隊に入隊させて正解だった。
そうでなければ、こんなに細かく官邸の警備状況は分からないだろう。
《う~ん》
《頑張れ》
身体能力の低いカレンはロープの先に小さな熊手をつけた小道具を用意していたが、それでも四苦八苦していた。第七警務小隊での鍛え方が足りないと見える。
ようやく塀の上に到着すると、塀の上にはびっしりと鋭利なガラス片が埋め込まれていた。
普通の人間なら特殊な手袋でもしていないと血まみれになるのだろうが、『障壁』の能力を展開しているので全く問題がなかった。
カレンは傷を負うこともなく、塀の上のガラスの刃をことごとく砕いた。
機械文明の全盛時代は、電磁波を使用したセンサーを張り巡らし、電気ショックやレーザー光線で侵入者を排除していたということだが、現在は幸いにしてそういう道具はない。
その代わり、官邸の警備のため、テレパシストが『思念波』の発生場所を検知し、侵入者を発見するという『サーチ』が行われていた。
アレス共和国では、機械文明で行われていたことは可能な範囲で『超能力』で補っていた。
しかし、そうした工夫も俺の前では無力だった。
『障壁』の能力を展開し『思念波』を遮断しているので、テレパシー能力を活用した『サーチ』にはひっかからないはずだった。
「ふう」
カレンは自分の背丈よりも高い塀を登り切ると、小さなため息をついた。
《物音を立てるなよ》
俺とカレンを『障壁』で包み込んだ状態で、俺は『思念波』でカレンに語り掛けた。こうすれば周囲に『思念波』が漏れることはない。
《はい。でも心臓がバクバクいってうるさいです》
《冗談が言えるくらいなら心配ない》
《いえ、本気で言ってるんですけど……》
カレンは高い塀から飛び降ると、尻餅をついた。
《大丈夫か?》
《平気です》
華麗な侵入者には程遠かった。
思わずカレンの身体を心配してしまったが、『障壁』で保護している最中だ、周囲を破壊したとしても本人が傷を負うことはないはずだった。
《急ぐぞ。俺が能力を全開にしていられるのはそう長い時間じゃない》
《わかりました》
カレンは立ち上がると建物に向かって走った。
体術や剣術が苦手なカレンにも侵入に向いている側面があった。足音が小さいのだ。
『思念波』でサーチすることもできず足音も小さければ発見される確率はグンと下がる。
そもそも警備状況は細かく把握しているので、巡回の兵士に出くわす恐れはない。
あとは、要所要所に立っている警備兵をどう片付けるかだ。
仲間と思って油断している隙をついて殺してしまうのが一番簡単だが、気の優しいカレンにはそれはできないだろう。
その部分を解決するために、俺は一計を案じていた。
《死なないわよね》
《大丈夫だ》
暴徒鎮圧用の無力化ガス、かつての文明から受け継ぐことのできた技術の一つだった。
詳しい化学組成は知らないが、缶入りの固形の薬剤に瓶入りの溶剤を混ぜて麻酔性のガスを発生させる。
閉鎖された室内でしか効果はないが籠城事件などでは絶大な効果を発揮する代物だった。
治安維持を生業とする警務部隊管理下の倉庫に保管されていた。
いわゆる毒ガスではないが、強い麻酔作用があるため、吸いすぎれば命にかかわる。
開発したのは大昔の地球に存在したソ連という国で、劇場を占拠し人質を取って立てこもった事件で使用された。
犯人の無力化には成功したが、呼吸中枢をやられた人質も相当数命を落としたということだった。
ヴォガードを守っている警備兵が何人死のうと、俺にとっては知ったことではなかったが、カレンが気にするので危険なガスではないと説明した。
当然カレンは『障壁』の能力で保護していた。
《凄い効果だね》
《ああ》
気を失っていない兵もいたが、戦闘能力を失った芋虫状態だった。
俺とカレンは血を見ることなく、二階にある執政官の寝室に至った。
寝室の前にいた最後の護衛も、護衛の態をなしていなかった。
幸いにして、この状況に対処できる能力者は護衛の中にいなかったらしい。