警護
《ヴォガードの警護を務めるなんて考えてみれば皮肉なもんだ》
狙っていたこととはいえ、実際に警護の仕事に就き、暴徒に近いデモ隊を追い返したりとヴォガードを守る仕事をしていると変な気持ちになった。
第七警務小隊は、他の小隊と協力して、執政官官邸の正門前の警備を行っていた。
デモ隊を追い返す仕事に一区切りがつくと、官邸の中から、金モールで飾られた赤い軍服姿のヴォルフ・ヴォガードが現れた。
昔と変わらない若々しい姿だった。
かつては短く刈りそろえていたウェーブのかかった漆黒の髪は長くなっていた。
端正な顔には以前と変わらず柔和な笑みを浮かべていた。
《奴だ、覚えているぞ! 間違いない! 斬りかかれ! カレン!》
ヴォガードの姿を見た瞬間、血が沸騰し、俺は平静を失った。
周辺は警備兵だらけだった。
《無理言わないで》
俺は身を震わせた。比喩ではなく刀身が振動し、鍔鳴りがした
レイジが怪訝な表情でこちらを見た。
《落ち着け! 落ち着け!》
俺はくだらないことで計画が台無しにならないよう必死で自分の感情を抑え込もうとした。
「おお、マーサ、元気にやっているか」
近くに来たヴォガード卿は年を重ねて多少渋みを増したものの、若々しかった。
そして、語り口は相変わらず柔らく、上品で、いけすかなかった。
《奴がこんな近くに!》
俺は気が狂いそうだった。
俺の心に死んだ妹のレナのかわいい笑顔が蘇った。
俺を身に着けたカレンは、マーサのすぐ隣に立っていた。
一気に斬りかかればヴォガードを殺せるような気がした。
ただし、その場合はカレンもただでは済まないだろう。
「はい、おじさま。おかげさまで、母ともども息災にしています」
ふとマーサに視線を移すと、男勝りのマーサの表情が乙女になっていた。
「それは何よりだ。今は亡き君の父上も娘の成長を喜んでいることだろう」
ヴォガードの表情は優しげで父が娘に向けるような温かいものだった。
《暗殺の対象は、マーサちゃんの大切な人……》
カレンの戸惑う感情が伝わってきた。
《だからどうした! 奴は俺から大切な人間を全て奪ったんだぞ!》
また、鍔鳴りがした。
《あんまり騒ぐと周囲に気付かれるから》
周囲に意識を巡らせると、ポールがニヤニヤと笑っていることに気がついた。
気持ちの悪い奴だ。
ポールは接触テレパスだから距離を置けば大丈夫だろうが、護衛の中に強力なテレパシストが紛れていないとも限らない。
執政官に対する害意を気づかれないように、俺とカレンの周りには『障壁』を張っていた。
法令では、テレパシストは、みだりに人の心を覗いてはならないとされており、違反者には厳罰が処されることになっていたが、公共の安全のためならそんなルールはあってないようなものだ。
事実、ポールは最初に会ったとき、カレンの心を取り調べ目的で覗いている。
今の状態をテレパシストが注意深く観察すれば、カレンは『障壁』の能力者にしか見えないだろう。『思念波』が一切流れ出ていないからだ。
俺とカレンが『言い争っている』間にヴォガードは官邸を後にした。
ヴォガードが官邸に戻ってくるのは夜遅くとのことだった。第七警務小隊は夜まで官邸の警備を行い、明日は夕方から夜勤だ。
俺は体中の力が抜ける思いだった。
千載一遇のチャンスを無駄にしたような気がして、無力感に苛まれた。
俺は『思念波』を遮断する『障壁』を解いた。
俺の心に、刀に貫かれて冷たくなっていく妹のレナのビジョンが蘇った。
「執政官は、今でも昔の部下のことを覚えているのね」
カレンは俺の想いをよそに、マーサに小声で話しかけていた。
「ええ」
長身のマーサは、満足そうな笑みを浮かべながら小さな声で答えた。
「すごいね」
「何でも父に私のことを頼まれたらしいの。ヴォガード卿はずっと私たち家族のことを気にかけてくれたわ。経済的な援助もしてくれた。……執政官は私のあしながおじさんなのよ」
俺は虫唾が走る感覚を味わった。
マーサの表情はまるで恋する乙女だった。
「ヴォガード卿の御家族は?」
「いないわ。両親は若いころに亡くなったそうよ。おまけにずっと独身。かわいそうだわ」
《かわいそうなものか! 独身の権力者など、権力に物を言わせてやりたい放題に違いない。おまけに、あの容貌、物腰だ。何人の女を泣かせたかわかったものじゃない。マーサも騙されているんだ。早く目を覚まさせてやった方がいい》
《マーサちゃんがかわいそうじゃない、ひどいこと言わないで》
カレンとマーサの会話に割り込む形で騒ぎ立てる俺に、カレンからきつい『思念波』が返ってきた。カレンは少しうつむいてマーサから表情が見えないように気を使っていた。
俺は少し不安に駆られた。
《約束は果たしてくれるんだろうな》
《約束は守るわ》
《では今夜だ》
俺の心はささくれ立っていた。
《そんな急に……》
カレンは激しく動揺していた。
《いや、今回、警備体制の情報が手に入ったのは幸いだった。次のチャンスはいつになるかわからない。一番いいのは、明日、我々が夜勤の時に行動を起こすことだが、第七警務小隊の仲間に迷惑をかけたくはないだろ?》
第七警務小隊の警備中に執政官が暗殺されでもしたら、リード少佐をはじめ隊員たちは当然責任を追及される。
《……ええ、まあ……》
《では決まりだ》
カレンの表情がみるみる暗くなった。
「カレンちゃん、どうしたの? 具合悪いの?」
カレンの変化にマーサが気付いた。
「何かあったのか?」
少し離れたところからハリムが声をかけてきた。よく響く声だ。
「いえ、何でもありません!」
カレンは顔を上げ、覚悟したように決然と応えた。
「私は大丈夫。ありがとうマーサちゃん」
カレンは少し悲しげな表情をマーサに向けていた。