剣術
カレンが入隊して半年が過ぎた。
十六年間沼の底で待ち続けた俺にとって、半年など、とるに足らない時間のはずだったが、とても長く感じられた。
「踏み込みが浅い!」
「はい!」
カレンはマーサ・メルゲン少尉に体術の基礎を叩き込まれた後、レイジ・カトー中尉に剣術を習うようになっていた。
赤茶色の皮鎧を身に着けたカレンは、本部の中庭で木刀を握らされ、体が覚えこむまで、ひたすら型げいこを繰り返していた。
切り下し、切り払い、切り上げ、突く。
レイジは踏み込みにしても斬撃にしても鋭さを要求し、数をこなせばいいというような稽古を嫌った。
カレンの白く柔らかかった掌にはマメができ、血が滲み、皮が厚くなっていた。
気の毒に思わないでもなかったが、俺の目的をかなえるためには仕方のないことだった。
「型げいこも飽きただろ、俺に打ち込んでみろ」
腕を組んでカレンの素振りを見ていたレイジは、腕組みを解くと木刀を正眼に構えた。
長い癖のない黒髪を後ろで束ね、痩せて背の高いレイジの身体からは、力みといったものは全く感じられなかった。
レイジは返し技を教える目的で、たまにこんなことをやってくれるが、技が高度すぎるためカレンは一つとしてものにできていなかった。
リード少佐が最初の『教師』をレイジではなくマーサにしたのもうなづける。
小学生にいきなり大学の講義を受けさせても無駄だからだ。
「はい」
カレンは緊張の面持ちで木刀をトンボに構えると、気合とともに本気で斬りかかった。
手を抜くととても怒られるのがわかっていたので型げいこそのままの鋭い斬撃だった。
もしも、避けられなければ木刀といえども大怪我は免れない。そんな斬撃だった。
「え」
しかし、そんな渾身の一撃も、流れるような優雅な動きで、はじかれ、そらされた。
その間にレイジは間合いを詰め、カレンの胴を横に薙ぐように木刀をふるった。
相当に手加減した一撃だった。
皮鎧の上なので、ほとんどダメージはなかった。
「わかったか?」
「えっと……」
傍から見ていた俺にはわかったが、当事者のカレンには見えていないだろう。
「ゆっくりやってやる。ゆっくり斬りかかってみろ」
「はい」
レイジは技のスローモーション再生を行った。
「なんとなくわかったような気がします」
「では、ゆっくり斬りかかるからやってみろ」
「はい」
ゆっくりやっているうちはカレンにもできたが、徐々にスピードを上げていくと、途中で相手の木刀をそらすことができなくなった。
「まだまだ修練が必要だな」
「はい」
カレンはへとへとになって膝をついた。
「俺は先に詰め所に戻る。お前は少し休んでいけ」
レイジは息を切らすこともなく、切れ長の涼しい視線をカレンに向けた。
「はい」
カレンはそんなレイジの背中を呆然と見送っていた。
「だいぶ絞られたようだな、大丈夫か」
中庭から建物内に戻った途端、カレンは廊下に佇んでいたハリム・アブドラヒム中尉に声をかけられた。
カレンとレイジの剣術の稽古をしばらく見ていたらしい。
「大丈夫です。もっと怖い方かと思ってましたが、そんなことはありませんでした」
「まあな、あいつは、本当は優しい奴だ」
ハリムは少し遠い目になった。
俺は、カレンとレイジが初めて会った時に、黙って鞘を拾いに行った彼の後姿を思い出した。
不器用で、無口だが、心配りができる人間だと俺も思っていた。
「昔からのお知り合いなのですか?」
「同期だ。奴は昔はもっと朗らかだったし、もっとしゃべった」
なかなか想像が出来なかった。レイジには暗いイメージしかなかった。
この半年というもの、笑顔を見たことはなかった。
明朗快活な熱血漢のハリムとは対照的だった。
「何かあったんですか」
「……恋人を犯罪者に殺された。それ以来、奴からは容疑者を生かして捕えようという気持ちがなくなった」
「そうなんですか……」
俺はレイジの気持ちがわかるような気がした。
愛しい人間を殺されれば、博愛主義は絵空事に思えてくる。
《犯人は捕まったんだろうか》
「元のようにとまでは言わないが、俺はあいつに幸せになってほしいと思っている」
「カトー中尉の恋人を殺した犯人はどうなったんですか?」
カレンの真剣なまなざしが、ハリムの大きな目をとらえた。
ハリムは少し驚いたような表情を見せたが、すぐに気を取り直してカレンにまっすぐ向き直った。
「いまだに犯人はわからないんだ……そうだなケリをつけないと次には進めないよな」
ハリムはひとりで納得すると、踵を返して、詰め所に向かった。




