赤い沼の底
《殺してやる、殺してやる、殺してやる……》
俺の心の中では、明けても暮れても、どす黒い感情が渦巻いていた。
そんな俺は自由の身ではなかった。
赤く濁った沼の底で、身じろぎ一つできなかった。
最初は闇に包まれる回数で日にちを数えていたが、やがて、その作業もしなくなった。
冬が来て沼の表面に氷が張り、また、氷が解けて春になることが幾度となく繰り返された。
何年経とうが俺の心は決して変わることがなかった。
《憎い相手を惨殺するという望みが叶うなら、悪魔に魂を売っても構わない》
俺はそんなことばかり考えていた。
ある年、沼が干上がり、俺は久しぶりに親指の先ほどの大きさの太陽を拝んだ。
太陽が発する熱は弱く、暑さを感じることはなかったが、すり鉢状の沼の底は次第に乾き、ひび割れていった。
俺は冷たく乾いた風にさらされながら、周囲のぬかるみがだんだんと小さくなっていく様をぼんやりと眺めていた。
かつて沼の淵だったところには、ところどころに低木が生えていた。
そのため、あまり遠くまで周囲を見渡すことはできなかった。
おまけに乾いた風は、粒子の小さな赤い土を巻き上げて、たびたび景色を霞ませた。
小さな太陽が沈むと、満天の星が毎晩美しく煌めいた。
そして、油断すると流星にしか見えない小さな月が夜空を横切った。
月は二つ、『狼狽』と『恐怖』を意味するフォボスとダイモスという名が付けられていた。
太陽系第四惑星火星。
かつての不毛の星は、惑星改造の結果、気温と気圧、そして、酸素濃度が上昇した。
しかし、地球に比べ気圧も酸素濃度も低かったため、人類は自らも遺伝子レベルで改造し火星の環境に適応していた。
しばらくして、遺伝子操作の影響か、それとも地球に比べ強い宇宙放射線が地上に降り注ぐ影響かはわからなかったが、火星の人類は地球の人類とは異なる特徴を備え始めた。
「おい、パク。誰もいねえじゃねえか」
「面目ねえ、マオ兄貴。でも確かに暗く淀んだ『思念波』を感じたんだ」
ある日の昼下がり、馬に乗った二人の男が俺の近くに現れた。
二人とも胸部を赤い金属プレートで補強した赤茶色の皮鎧に身を包んでいた。
皮鎧は全身を覆うものではなく胴体や肩、肘から先、そして脛の部分を守っていた。兜は被っていなかった。
そのため、装着者の体型がよくわかった。
マオはカミソリのように鋭い印象の痩せた白髪交じりの男、パクは小太りで顎ひげを生やしたぼんやりとした雰囲気の男だった。
二人とも防具は同じ皮鎧だったが武器は異なり、マオは先込め式のマスケット銃を、パクは二メートルほどの長さの槍を背負っていた。
二人の会話から推測するに、パクは他人の思念を遠くから感知できる『精神感応』(テレパシー)の能力者のようだった。
それは火星では特に珍しいことではなかった。
火星人類の三~四割は能力の強い弱いや種類の差こそあれ、何らかの超能力を身に着けていた。
主な超能力の種類は、『精神感応』(テレパシー)、『念動力』(サイコキネシス)、『瞬間移動』(テレポート)の三つだった。
超能力者がきわめて多いということが火星の人類の特徴だった。