体罰とは何か
本文にも冒頭書きましたが、はっきり言って「140文字以上のツィート」です。
大層なタイトルの割に中身スッカスカです。
それでも2時間くらい書くのにかかりました・・遅いorz
何かを感じてくれたら幸いです。
体罰とは何か
最初に言っておくと、私は教育者でも議員でも政治家でも何でもありません。
ゲームやアニメ、漫画が好きな、まぁいわゆるオタクの一人です。
そんな私が「体罰とは何か」なんて大層なお題で文章を書こうなんて思ったのも、自分の好きなアニメの一つ「魔法少女リリカルなのはStrikers」のあるシーンを見たのがきっかけです。
・・オタクっぽいっしょ?そんな訳なので、堅い文を書く気はないし、まして教育方針がどうのこうのと言ったことを言う気はないし、そんな権限もありません。
私がここで書いている他のエッセイ?と同様、ぶっちゃけ「Twitterで書くような次元のことだけど、140字では到底収めきれないのでここに書いてみた」に過ぎません。
なので、「単なる与太話」程度に読んでくれたら幸いです。
強いて言えば、もし教育に携わる方が読んで、思うところがあれば幸いです^^
本題に入ります。
まず、こんな文章を書きたいと思ったきっかけとなった「魔法少女リリカルなのはStrikers」のシーンとは、ズバリ第8話「願い二人で」における「模擬戦闘での撃墜シーン」です。
ちなみにこのシーン、「なのはStrikers 模擬戦 撃墜」でググるとちらっと出てくるくらいには、アニメファンにとって結構有名なシーンのようです。
ですが、知らない方がほとんどだと思うのでざっと説明すると、
「なのはさんというすっごい(魔法使いの)教官が、部下への訓練の程度を見るためやった模擬戦で全く教えてない無茶な危険行為を行っていたので鉄拳制裁(魔法)した」
と言った感じですwニュアンスだけ感じてください!
「なのは」と言うキャラは普段はかなり温厚な(だが怒ると怖い!)キャラです。それが何故ここまでやったかと言うと、
「なのはさんは若い頃同じように無茶してきた時期があった。そして無茶をし過ぎた結果、思わぬところで死にかけるという経験をした。教える子には同じようになってほしくないと思ってる。」
という想いがあったからだと、彼女を知る同僚たちによって次の回で語られます。単純な私はうるっと涙腺に来ました。
さてこのシーン、あれって思う方も多いのではないでしょうか。
「どんな理由であれ、「教えている側が教えられる側に指導外の内容で危害を加える」って「体罰」じゃないの?」
この疑問、文脈だけ見ると何も間違ってないと思います。
実際、私もそう思います。なのはさんに聞いてもこう答えるでしょう。「体罰と言われればその通りです。」と。
ですがこの行為を「体罰」と言っている人はいない気がします。まあ、アニメだからと言われればそれまでなんですがw
「過激な指導」「きっついおしおき」という評価が多い気がします。私もその印象が大きいです。
それは何故でしょうか?
それはなのはと言うキャラが「教え子のことを本当に思って行い」かつ、「その事を彼女を知る周囲の人たちがわかっていた」からだと思います。
ここで「体罰」の定義を確認しましょう。
ググってみますと「私的に罰を科す目的で行われる身体への暴力行為」とあります。
なのはさんがやったことは、行為だけ見れば多分にこれに該当するという人が多いでしょう。
でもここで一つ、「私的に」と言うのは該当するでしょうか?
「自分としては出来ればやりたくないけど、結果的にやってしまった」
と言ったところでしょう。そしてその心情は彼女の周囲もわかっていた。
私が言いたい「体罰の定義」。
それは「自分あるいは自分の所属する側が有利になるまたは不利にならないため、つまり「教える側が自分のために、教えられる側に危害を加えること」」と考えます。
「自分の言うことを聞かなかった。」「こいつがとろいんで仕事が覚束ない。」「野放しにしておくと周囲に示しがつかない。」
そして「口だけでは伝わらないから体に言い聞かせた」全て自分のためではないでしょうか?
「え?最後のはちょっと違うんじゃない?」と思った方もいるでしょう。
「言って聞かないなら叩いて教えるのも教育」という考え方ですね。上記のなのはさんの行為もこの側面はあると思います。
確かに私もその考え方は間違いとは言い切れません。
それでも「自分のため」の例にあえて挙げました。
と言うのもこの考え方、「わざわざ口で伝えるより叩いた方が楽。」と言う自分本位の考えを伏せる口実となりがちに感じるからです。
「できうる限り何度も口で教える」ことが前提でしょう。そこまでやる人が「単に自分のために」手を出すとは考えにくいです。
「教え子のためを思えばこそ手を出してしまった」と言うのをただの「体罰」で括ってしまうのは如何でしょうか?
ここで注意したいことがあります。
それは「私は教え子のためを思えばこそあえて叩いた!」と自分から言っている人は「自分のために体罰」をしていないのでしょうか?
これは状況次第ではあるでしょうが、私は多くは嘘あるいは自分自身を騙して発言していると考えます。
本当に教え子のためだけ考えての行動なら、自分を保身したりなどしないでしょう。
もちろん本心かも知れません。・・ですが、心の中の話です。本当か?かは被害者も周囲もわかりません。
なので、「本人ではなく周囲そして被害者」が「教え子のためにやった」と判断するのが重要だと思います。
仮にどれだけ立派な考えが教える側にあろうと、教え子や周囲に伝わってなければそれは「体罰」と言えるでしょう。
件の「なのはさん」は自分の経験と周囲の理解がありました。だからこそ「体罰」という印象がそんなになかったのでしょう。
昨今の教育現場はきついとよく聞きます。
「叩くのはもちろん、教育のためにちょっと罰を与えただけですぐ「体罰」と言われる。やりにくい。」
「叩いたから」、「廊下に立たせたから」すぐ体罰と騒ぎ立てるのは眉を顰めます。
まずは「何故そんなことをしたのか?」を問うのはもちろん、「教え子のためを思った」行動かを周囲そして被害者自身が判断する必要があると思います。
そして判断の材料は「体罰と思われる行為をした瞬間」だけではなく、「その教育者は普段はどんな人物か」も含まれることは多分にあるでしょう。
逆に言えば「つい魔が差して」教え子を叩いてしまった場合も、周囲の理解がある人物なら周囲そして叩いた相手も悪気はないと判断して体罰と騒ぎ立てられないかも知れません。
それを期待して普段は皮をかぶるというのはいただけませんが・・・
「体罰とは何か」
「教える側が「自分のために」、教えられる側に危害を加えること」あるいは、
「教える側が教えられる側に危害を加え、かつ「教え子のためにやったと周囲そして教えられる側に理解されない」こと」
と言えるのではないでしょうか。
教育者を「聖職者」と言う習慣がなくなり、単なる「職業」となってる感があります。
教育者といえど同じ人間です。間違ってはいないでしょう。
ただ「聖職者」と呼ばれていた頃は、教育者側にも「教え子のために考える」という意識が強かった、強く持たせてくれていたのかも知れません。
相手の、周囲のことを思って行動するのは難しいかも知れません。
正直なところ、私にとっては難しいです。・・が、これを書いているうちに少し意識が上がった気がします。
・・って、完全につぶやき、Tweetだよ、これじゃあ・・
こんな後書きまで読んでくれて本当にありがとうございます!