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終わりなき終わりへの旅路

作者: 里田あひる


 これから私がするのは、夢で見た話です。夢ですから決して現実味はなく、支離滅裂なものです。夢かどうかも怪しく、私は夢であるべきなのだろうなと諦めただけなのです。けれどもそこでは私は確かに生きていましたし、目覚めたところでそれが夢だとは思えなかったのです。夢の終わりは確かな「死」でしたし、目覚めた時私は生まれたのです。

 根拠はありませんが、しっかりと確信を持って言えるのです。






 そこでの私は住み込みで働いていました。旅館なのか、はたまた軍隊なのか。今の私には分かりません。しかし私は大きな建物に住み込んでいました。小学校よりは大きく、いくつかの大きな建物が入り組んだ病院のような建物でした。その建物には食堂や浴場、割り当てられた小さな個室があり、起きている間はその個室以外で過ごせるような、充実した建物でした。同僚は同年代の女の子だけで、私も二十代手前の女の子でした。おそらく男性はあまりいなかったのでしょう、浴場は女風呂しかありませんでした。



 少女と呼ぶには大人びた女の子達が集団生活をしていたら当たり前かもしれませんが、「あそび」という名のいびりがありました。その対象は皆が飽きると変わっていくのですが、その時の対象は私でした。私は特別可愛いわけではありませんが、背は少し高く、気は強く、人と密接に関わるのは苦手でした。なのであまり仲の良い子もおらず、それが原因だったのでしょうか、「あそび」の対象だったのです。「あそび」と言ってもそうそう辛いものではありません。話しかけたところで返事が返ってこない、履物は隠される、その程度でした。



 浴場には大きな靴箱があり、入浴の際にはそこに履物をしまいます。この集団生活では帽子から履物まで支給されたものを身につけていたので、女の子達は一目では見分けがつかないくらい似通っていました。風呂から上がると、大きな靴箱に入れたはずの自分の履物が見つかりません。支給された服装一式はあまり数がなく、替えがなかったので私は困り果ててしまいました。とはいえ「あそび」の対象にされているため、周りの子達には聞いても答えてくれないでしょう。どうせバレやしないし、困ったら隠した私の履物を履くだろうと、私はちょうど目に入った履物を手に取りました。

「ちょっと。アタシの履物盗まないでくれる?」

「あそび」の人たちは、声をかけても無視するのにしっかりと私から目を離さずにいるのです。きっと彼女たちは、私が何時にくしゃみをするのかも、よく見て知っているのでしょう。

「ああ、ごめんなさい。私の履物はあなたたちのと交換したのかと思って。」

気が強い私は言い返してやりたかったのですが、不思議なことに声が出ません。しかし何も不思議ではないのです。なぜならここでは悪意のこもった言葉は音にならないのです。仕方なく私は何も言わずに個室に帰って寝ようと思ったのですが、「あそび」の人たちに取り囲まれてしまいました。


「ちょっとアンタ何か言ったら?サボテンみたいに黙りこくってないでさ。」

詰め寄ってきたのはリーダー格の女の子でしょう。少し背の高い私をギラギラとした目で見ています。

「サボテンはあなたが嫌いだから喋らないだけで、案外お喋りなものよ。」

今度は悪意がこもっていなかったので声が出ました。どうせ声が出るならもう少し言ってやりたいことがあったのですが、口を開く前に私は殴られてしまったので何も言えませんでした。これはまずい。殴られた私は困ってしまいました。なぜならここでは暴力は禁止なのです。もうここにはいられない、そう確信しました。まだ私に詰め寄っている「あそび」の彼女を暴力にならないように押しのけて、私は逃げ出しました。少しでも彼女に暴力を振るってはいけないのです。ここでは暴力は禁止だからです。


 私を取り囲んでいる「あそび」の人たちをそっと掻い潜って、私は逃げ出しました。向かう先は決まっています。理由は分かりませんが、こうなってしまったら逃げるしかないのだと私は知っていたのです。

 



 向かった先は五階の和室です。言い忘れていましたが、この建物はキリンの首のように長く、和室は五階のこの部屋だけなのです。そしてこの和室にはここであまり見かけない男性が住んでいます。男性と言うのは誤解を招くかもしれません。二百歳だとか実は妖怪だとか言われている、長老が住んでいるのです。

 部屋を尋ねると、長老はいつもと同じようにあぐらをかいていました。腰はりんごのように曲がっていますが髪は真っ白なので、「あそび」の人たちが彼を「バナナじじい」と呼んでいたことは、無視されていた私でも知っています。「あそび」の人たちは声が大きいものなのです。長老は少し偏屈なところがあるのでここでは嫌われていましたが、私は彼が好きでした。彼もまた私を気に入っていて、よく遊びに来ていました。


 「またお前か。」

長老の声は割れたシンバルのようにかすれています。曲がった腰でくんだあぐらを崩さずに、目すら私に向けずに長老は笑いました。

「逃げるのか。」

私が訳を話そうとするのを、長老は出涸らしのような手を上げて止めました。

「言わんでも分かっておる。お前、行くところなどないだろう。」

そうなのでした。私はここしかいるところがなく、ここ以外に行くところもなかったのです。

「しばらくここに置いてもいいが、お前わしみたいに『バナナじじい』になるのは嫌じゃろう。」

長老が「バナナじじい」と呼ばれていることに気づいていたとは思いませんでした。けれども長老は何でも知っているものなのです。

「行くところがないならば、世界境界に行け。逃げるならばそこしかない。」

そう言って長老はドアの方にしわがれた指を向けました。

「エレベーターで上に行け。一番上だ。」

「ありがとう長老。」

もう会うことはないのだろうと分かっていましたが、それしか言えませんでした。



 エレベーター乗り場はこの建物では珍しく、つやつやした鉄でできています。エレベーターは二口で、右は五十階にいることとこれから更に上へ行くことが分かりました。仕方なく十階から降りてきている左のエレベーターのボタンを押しました。ボタンは上が鋭い三角形だったので、上行きだと思ったのです。ボタンを押して一息つくと、右のエレベーターが五十五階にいることが分かりました。エレベーターはとても早い乗り物なのです。


 「あなた、世界境界に行くの?」

後ろからかけられた声に振り返ると、私と同じ格好をした私より背の高い女の子がいました。その子のことは見たことがありましたが、どこで会ったのか思い出せませんでした。

「あなたも?」

「そうよ」

会話はそれで終わりでした。左のエレベーターが来たからです。この建物の人は五階に行きたがるのか、大量のスーツが降りてきました。おかしいなあ、この建物にこんな男性なんていたのかなあ。そんな疑問は隣にいた彼女にかき消されました。

「ほら早く乗らなきゃ。」

腕を引かれながら見ると、エレベーターは下行きでした。彼女の力は思いの外強く、びくともしませんでした。


 「待って!これ下行きよ!」

声を出せたときにはもうエレベーターのドアは閉まり、下へと動き出していました。長老の言った世界境界は上です。これはまずいと思いました。

「次の階で降りよう。あなたも世界境界に行くのでしょう?」

彼女は楽観的に笑って答えました。

「大丈夫よ、エレベーターは上でも下でも最後まで行けば折り返すもの。」

確かにそうなのでした。私はそれまでエレベーターに乗ったことはほとんどありませんでしたが、どこかで止まって折り返さないとエレベーターの箱が足りなくなってしまうことを知っていたのです。

「長い旅路になりそうね。」

手持ち無沙汰になった私は苦し紛れで彼女に声をかけました。彼女は何も言わずにそっと手を握ってきたので、私はそこからは何も言いませんでした。もしかしたら悪意がこもっていて声が出なかったのかと考えたのですが、別に大事なことではなかったので、声が出てなくても構わないやと、力を抜くことにしました。




 エレベーターは凄い速さで降りていきます。血が頭にのぼっていく感じがしました。でも何も不安ではありませんでした。なぜなら世界は繋がっていることを、私はちゃんと知っていたからです。

 どのくらいエレベーターが降りていったのか分かりませんが、気づくと辺りは真っ暗になっていました。エレベーターはガラス張りなので外の様子は見えるはずなのですが、蛍光灯に照らされた彼女とエレベーターの内部以外は何も見えなくなっていました。見るものがないのなら目を開けている必要はありません。私はそのうち目をつぶっていたのでした。



 いつの間に寝てしまっていたのでしょう。気づくと私は彼女の手を握ったまま、電車のようなものに乗っていました。その乗り物はサイのように速く走っていましたが、他の乗客はいませんでした。窓の外では民家が過ぎ去って行き、遠くでは青々とした富士山がゆっくりと表情を変えていました。

「起きたの?」

私の様子に気付いた彼女は楽観的に笑って声をかけました。

「ここは?」

「世界境界が近づいてるの。」

彼女はしっかと私の手を握り返します。乗り物は速く走り、ここには二人しかいないかのように静かでした。外の景色は相変わらず民家が過ぎ去って行き、遠くでは青々とした富士山がゆっくりと表情を変えていましたが、さっきよりもだんだんと明るくなっていることに気づきました。私たちは光の方へと向かっているようでした。足が吊る直前のような緊張と指先が痺れる直前のような寂しさが少しずつ強くなっていくのを感じました。世界境界が近いようです。私は思わず彼女の手を強く握り、顔を覗き込みました。

「二人だったらどこにでも行けるのね。」

何のためらいもなく声が出ました。ここは悪意がこもっていると声が出ない、あの場所ではないのです。彼女もまた楽観的に笑って、私たちは光に包まれました。





 私の話はこれで終わりです。彼女が誰だったのか、私は誰だったのか、目が覚めた私には分かりません。けれども確かに私は彼女と手を繋いでいたのだと思いました。世界境界に行けたのかどうかも、今となっては分かりませんが、夢でしたから仕方のないことです。目が覚めた私は何の確証もないまま、そこにあった「死」と彼女の手の熱を感じたのです。

「二人だったらどこにでも行けるのね。」

目が覚めて、「おはよう」の前にそれを呟きましたが、なんだか現実味はありませんでした。現実味というものがどんな味なのか、今の私には到底分からないことです。

「あそび」の人たちや長老、あるいは彼女が今どこにいるか分かりません。ここが現実なのか、むしろ夢なのか。それすら今の私には分からないのですから仕方のないことですが、それでもいいと思ったのです。どうせ世界は繋がっているのだから。



 私はカーテンを開き、朝の一杯はコーヒーがいいか、紅茶がいいか悩み始めました。そしてまた一日分の命を消費するのです。これで私の夢の話は終わりですが、何か質問があっても私にはお答えできないでしょう。きっと長老なら何でも答えてくれるのですが、私に分かることも、私が知っていることも、そんなに多くはないのです。もし彼女に会うことがあればよろしく伝えてください。「今度はどこへ行こうか」と。


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