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わたしのすてきな後見人  作者: 畑中希月
第二章 レシエムと旧友たち
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第九話 意外な繋がり

 国王執務室は宮廷の中枢、正殿内にある。中央広間を擁する南殿へ向かうため、レシエムは渡り廊下を歩いていった。渡り廊下のガラス窓からは、左右に庭園を眺めることができる。まだ冬季なので緑は乏しいが、寒さに耐えるように咲く花々が、政務に疲れた目と心を癒してくれる。渡り廊下を抜け、中央広間に足を踏み入れたレシエムは、面会相手の姿を捜した。


「あ、レシエム!」


 呼び声のしたほうを見やると、リベアティア・メーヴェが駆け寄ってくる。レシエムも彼女に向かって歩みを進める。二人の距離が二、三歩にまで縮まったところで、リベアティアは立ち止まり、こちらを見上げる。


「こんにちは。ごめんなさいね、急に呼び出したりして。お仕事中だった?」


「いいや。どうせ、今日中には終わる仕事だ」


「肝心の主君そのものが怠惰だしな」という言葉を、レシエムは辛うじて呑み込んだ。その代わりに、広間の壁際に並べられた椅子を指し示す。


「あちらに座らないか? 話が長引くようなら、応接室に移動するが」


「大丈夫、すぐ終わる用事だから」


 中くらいの包みを両手で抱えながら、リベアティアは笑った。


 破顔した彼女は意外に可愛い。別に笑顔でなくとも、リベアティアの容姿は人目を惹く。金褐色の髪が映える白い肌。薄紅色の頬に、繊細な目鼻立ち。知性的に輝く黒い大きな瞳。すんなりと伸びた華奢な肢体。宮廷の女官は、基本的に眉目の美しい女性が選ばれるそうなので、当然と言えば当然ではある。


 リベアティアは十六の割には子供っぽいところもあるが、いずれ、彼女の美貌と父親の遺産に群がる男どもは、相当な数になるだろう。二、三年後のことを考えると、レシエムは不愉快だったし、憂鬱にもなった。


 今のうちによい縁組を、というヴェロナ伯の気持ちも、分からなくはない。リベアティアは片っ端から撥ね付けているようだが、あれはヴェロナ伯なりの心遣いだろう。


(しかし、よりにもよって、ホルテンジエ家との縁談を持ってくるとは……)


 レシエムは頭を抱えたくなった。ホルテンジエ家自体に問題があるわけではない。問題があるとすれば──。


 レシエムの思考を遮るように、リベアティアは微笑む。


「この前は、お手紙をありがとう。それと、国王秘書官就任おめでとう」


「……もしかして、それを言うためにわざわざ?」


 自覚はあるのだが、レシエムは人からの好意に上手く対応できない。お礼や誉め言葉をもらえば、選択すべき表情に困り、挙句の果てに皮肉を返してしまったりする。


 リベアティアの笑顔がたちまち曇る。


「そうだけど……迷惑だった?」


「い、いや、迷惑ではない。驚いただけだ」


「そう、良かった。あと、これ。お祝いなんだけど、受け取ってもらえるかしら」


 リベアティアは、抱えていた象牙色の包みを差し出した。予想もしていなかったことなので、レシエムは戸惑いながら包みを受け取る。絹の包みを広げると、中から出てきたのは装飾用の剣帯だった。金糸の刺繍がベルベットの縁取りに施された、光沢のある黒い革帯。品のある、よい品だ。思わず見入ったあとで、レシエムはあることに気付いた。


「高価なものだろう」


 リベアティアは慌てて首を横に振る。


「そんなことないのよ。レシエムが普段着けているものに比べたら。だから、遠慮なんてしないで」


 レシエムは額面通りには受け取れなかった。この品は彼女の俸給で買ったものだろう。秘書官となったレシエムには、リベアティアの年収が大方予想できる。決して気軽に払える額ではないはずだ。レシエムは剣帯を絹布で包み直した。


「嘘をつくな。気持ちだけ受け取っておくから、店に持っていって返品しろ。代わりに自分の服か装飾品でも買ったほうが有意義だ」


「でも、後見人の仕事もしてもらっているし」


「贈答品目当てで後見人になったわけではない」


「返品にいくなんて嫌よ。それに、わたしのお金よ。どんな使い方をすれば有意義になるかくらい、わたしに決めさせてよ」


 リベアティアは綺麗な眉をつり上げた。こうなると、ほとんど喧嘩も同然だ。周囲を一瞥すると、広間内の人々がちらちらと自分たちを気にしている。レシエムは額に手を当て、溜め息をつく。


「……分かった。今回は受け取っておく。ありがとう、リベアティア」


「そうそう、素直が一番よ」


 リベアティアは、春を告げる花のような笑顔を浮かべた。

 途端に心臓の鼓動が大きくなり、レシエムは思わず顔を引きつらせそうになる。


(……いかん、俺は彼女の後見人だぞ。きっと何かの間違いだ。そうとも、そうに違いない)


 自分を無理やり納得させて、レシエムは普段の冷静さを取り戻した。こちらの苦悩も知らずに、リベアティアは無邪気に話しかけてくる。


「それにしても、レシエムって案外お金のことにうるさいのね。あんなに大きなお屋敷に住んでるのに」


 他の者が言えば、嫌味かと勘ぐりたくなるような台詞だが、レシエムは微笑を誘われた。


「俺だって金の大切さくらい知っているさ。安い給料で働いていたことがあるからな」


「へえ、どんなお仕事?」


「法学院を卒業したあと、一年ほど、そこの講師をしていた」


「先生かあ。でも、レシエムの授業って厳しそう」


「失礼な。これでも、やる気のある学生からは好評だったのだぞ」


(まあ、それ以外の学生は、そもそも俺の授業を取らなかったわけだが)


 閑散とした授業風景を、レシエムはしみじみと思い出した。その中にいつもいた赤毛の青年のことも。


 少し迷ったが、レシエムは前々から訊いてみたかったことを、リベアティアに尋ねる。


「話は変わるが、以前、ヴェロナ伯が言っていたな。君が大商家のホルテンジエ家との縁談を断ったと」


「ええ。今でも、『気は変わったか?』なんて、ヴェロナ伯は言ってくるのよ。その度に断ってるけど」


 リベアティアはいかにも不満そうだ。思っていることが手に取るように分かるので、彼女を見ていると退屈しない。レシエムは笑いを押し殺した。


「ヴェロナ伯は君の見合い相手を、ホルテンジエ家の誰だと言っていた?」


「名前は聞いてないけど……確か四男だって言ってたと思うわ」


「……四男か、よりにもよって」


 レシエムは溜め息まじりに呟くしかない。外れていて欲しいと願っていた不安が的中してしまった。リベアティアの大きな瞳が、心配そうな光をたたえる。


「前にヴェロナ伯と三人で話し合いをした時にも、ちょっと変だなとは思ったけど……レシエムはホルテンジエ家の方と面識があるの?」


 レシエムは頷く。隠しても仕方のないことだ。


「あの家の四男は、リヒト・ホルテンジエといってな、俺の法学院時代の友人だ」


「そうだったの。意外に世間って、狭いのね」


「その狭すぎるところが問題でな」


「どういうこと?」


 レシエムは蘇りそうになる苦い記憶に、そっと蓋をした。


「リヒトには恋人がいてな。真剣な付き合いだった。俺が彼らと最後に会ってから、まだ半年もたっていない。二人が別れたとは思えない。おそらく、その縁談はリヒトの本意ではないだろう」


「確かめにいかないの?」


「それはそうだが……」


 レシエムは歯切れの悪い自分が情けなかった。縁談のことは何とかする、とかつてリベアティアに約束した。リヒトとは再会したいし、事情を訊いてみたい。だが、顔を合わせ辛いのも事実だ。理由は、リベアティアには言えない。というより、言いたくなかった。なぜだろう。養子だということや、自分の弱音は彼女に伝えることができたというのに。


(たかが、あれくらいのことで……)


「じゃあ、わたしが事情を確認してみましょうか。直接伺うのは気が引けるから、手紙か何かで」


 思いがけないリベアティアの提案に、レシエムは唸った。それもよい案かもしれない、と思いかけたところで、レシエムはリヒトの困った性格を思い出す。


 リヒトは少年時代から女にもてた。大商家の息子という肩書きもさることながら、見栄えもよく、陽気なところが女を惹き付けるらしい。リヒト自身も彼女たちの扱いに慣れていて、決して邪険にはしない。そればかりか、美女には積極的に声をかけたり、娼館に入り浸ったり、何人もの女と同時に付き合ったりと、浮名にはこと欠かない。本命の恋人ができたからといって、そう簡単に女癖が直るものでもないだろう。


(だが、それが原因で二人が別れたとも思えぬ。彼女はリヒトの性格をよく知っていたし……まあ、それはともかく)


 レシエムは左右にかぶりを振った。


「だめだ。リヒトの奴は根っからの女好きなのだぞ。後見人として、そんな奴と君を接触させるわけにはいかない」


 リベアティアは、いまいちぴんとこなかったらしい。


「女好きって……国王陛下と同じくらい?」


「どうだろうな。少なくとも、陛下は娼館にはおいでにならぬだろう。リヒトの奴は常連だぞ」


「陛下のそんな噂は聞いたことがないわね。……そう、リヒトさんはかなりの女好きなの。ヴェロナ伯の持ってくる縁談はどうしようもないってことが、よく分かったわ。お友達のレシエムには悪いけど」


 慨嘆したあとで、リベアティアは眉をひそめる。


「ん? お友達が娼館の常連だったってことは、もしかしてレシエムも?」


「ま、まさか。あのような恐ろしいところ……」


「恐ろしいところ? どんなところか知ってるってことは、一度くらいは行ったことがあるのね。ふうん」


 まるでいかがわしいものでも見るような目付きで、リベアティアはこちらを見上げてくる。レシエムは耐え難くなり、ぶんぶんと首を横に振る。


「確かに行ったことはある。あるが、酒を飲んで帰ってきただけだ!」


「むきになるところが、ますます怪しいけど」


 リベアティアはなおも疑わしそうだ。


(く……リヒトのお陰で、俺まで同類にされてしまう)


 こうなったら、リヒトとは顔を合わせ辛い、などと言ってはいられない。何としてでも、リベアティアの信頼を取り戻さねば。レシエムは知らず知らずのうちに、片手に抱えた絹布の包みに力を込めていた。それが、リベアティアからの贈り物だということを思い返し、慌てて力を抜く。


 どうも当初と目的がずれているような気もしたが、レシエムは決心した。


「分かった。俺が奴に会って、事情を訊いてくる。君との縁談も取り下げてもらうよう頼んでくる。君は安心して待っていてくれ」


「……よろしくお願いします」


 いやに他人行儀な口調で、リベアティアはそう締めくくった。

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