第五話 和解
これ以上、レシエムに迷惑をかけるのはやめよう。ヴェロナ伯が彼に、余計なことを言う前に。
ようやく、リベアティアは決心がついた。全部自分の不始末が招いたことなのだから、きちんと彼に謝った上で、新しい後見人を探す。
適当な人物のあてはないが、時機を見て、また王妃に相談してみるつもりだ。国王と別居中とはいえ、ロスヴィータが王国一の権門出身であることに変わりはないから、候補者探しはできるはずだ。
問題は、どうやってレシエムにそのことを伝えるか、である。屋敷まで押しかけるのは失礼なので、リベアティアは王宮で彼を掴まえることにした。レシエムが国王秘書官の一次試験に無事通った、という情報を手に入れたからだ。
(あんなことがあったあとで、試験を受けたのに大丈夫だったなんて……よっぽど集中力が高いのね。それとも切り替えが早いのかな)
そんなことを考えながら、リベアティアは二次試験の当日、中央広間でレシエムが現れるのを待った。もちろん、試験の開始時刻と予定終了時刻は確認してある。
やがて、試験を終えたらしい人々が、一定時間ごとに一人ずつ、扉の向こうから現れ始めた。
一時間ほども待っただろうか。リベアティアは黄金色の頭髪をようやく見付けた。恐る恐る近付いていくと、レシエムは端正な片眉を上げてこちらを見た。
「……何の用だ?」
レシエムの様子は、この前とあまり変わらない。つまり、不機嫌そうだった。自分でも不思議だったが、リベアティアは少し安心した。
「あの、少しお話があって」
「手短にすませてもらおう」
レシエムは相変わらずそっけなかったが、リベアティアは深く頭を下げる。
「……この前は、本当にごめんなさい。わたし、無神経だった」
リベアティアが姿勢を崩さないでいると、頭上からレシエムの声がした。
「顔を上げろ。いつまでそのままでいるつもりだ」
言われた通りにすると、レシエムの困ったような顔が目に入った。少し考える素振りをみせてから、彼は口を開く。
「別に、もう気にしていない」
「でも……」
「もっとひどいことを言う奴はいくらでもいる。だから、俺は気にしていない。いつまでも気にかけられても、こちらが迷惑だ」
「……ごめんなさい」
「だから、それをやめろと言っている」
レシエムは眉をしかめたが、怒っているわけではないようだった。
意外なほどにあっさりと謝罪がすんでしまったので、リベアティアは拍子抜けしながらも、次の用件を持ち出すことにした。
「それと、後見人のことだけど……わたし、別の人を探そうと思うの」
リベアティアの予想に反し、レシエムは虚を突かれたような顔をする。
「どうした、いきなり。かえって気味が悪いな。この前のことなら、今さっき決着がついただろう」
「あの、ヴェロナ伯があなたに対して、何か言ってこなかった?」
「いや、まだ何も。ヴェロナ伯に何か言われたのか?」
リベアティアは曖昧に頷いた。ヴェロナ伯の言い分は、とてもレシエムには聞かせられない。
レシエムは皮肉っぽい笑みを口元に浮かべる。
「なるほど。ヴェロナ伯は俺が信用できないか」
あまりにも早く、レシエムが正確な答えを導き出したので、リベアティアは目をみはった。
「え、どうして……?」
「義父である自分を差し置いて、義理の娘が青二才に遺産の管理を任せたら、大抵の人間は怒るだろう。そのあと、後見人を引き受けたのは、遺産目当てではないかという疑いも持つ。前の後見人がその青二才の父親というなら、いっそう不安になるはずだ。前々から、時機を見計らっていたのではないか、とな」
「……こんな短時間で、よくそこまで分析できるわね」
「別に。これが、俺の『普通』だ」
レシエムの返答がおかしくて、リベアティアは思わず吹き出した。そういえば、彼は前にも同じようなことを言っていた。
(あの時は、何て捻くれた意地悪な人だろう、って思ったけど)
「わたし、誤解してたみたい。レシエムって、何も機嫌が悪いから無愛想なわけじゃないのね」
「いきなり何を言い出す」
「別に。こっちの話」
リベアティアは笑いをこらえた。無愛想はレシエムの属性だ。単に感情を表に出さないだけで、内面では様々に表情を変えているのだろう。
レシエムは肩をすくめたが、突然真顔になる。
「以前君は、ヴェロナ伯を後見人にするのだけは嫌だと言っていたな。それなのに、彼から『ラリサ伯は信用できない』と言われれば、後見人を変えるのか?」
一度後見人を引き受けた以上、彼なりにこだわりがあるらしい。この前の「他の後見人を探してくれ」という言葉は、単なる憎まれ口で、本音ではなかったのだろう。それとも単に、ヴェロナ伯に腹を立てているだけか。
リベアティアは本心を説明することにした。
「違うの。色々考えた末に、あなたに迷惑をかけるのは良くないと思って。わたし、レシエムのことを批難したわよね? 自分の都合を、目の前で助けを求める相手よりも優先させるのか、って。でも、わたしのほうこそ、自分の都合しか考えていなかった。後見人を引き受けてもらった挙句、あなたの態度に腹を立てたり。嫌な女だったと思う。だから、自分を仕切り直したいの。ヴェロナ伯に言われたことは、そのきっかけに過ぎないわ」
レシエムはリベアティアの話をじっと聞いていたが、話題を変えた。
「具体的にヴェロナ伯のどこが嫌いだ?」
「たくさんあるけど……今は縁談を次から次へと持ってくるところね。彼の勧める縁談は、絶対に嫌。もともと、結婚しないで、一生王妃陛下にお仕えするつもりだし」
「ほう、それは殊勝な心構えだな」
レシエムは妙に感心したようだった。
「そうなると、後見人は若いほうがいいな。年配者を指名していては、君が神界へと旅立つまでに何度も選び直すことになる」
マレ王国では、人が死ぬことを「神界へ旅立った」「神界へ帰った」と表現することがある。言葉の意味は理解できても、彼の言いたいことがよく分からず、リベアティアは小首を傾げた。
「都合のいい日はいつだ?」
出し抜けなレシエムの質問に、リベアティアは面食らう。
「ど、どういうこと?」
「ヴェロナ伯に、俺が後見人に相応しいと認めさせる。ついでに、伯が君に持ってきた縁談も断念させる」
「でも、迷惑でしょう? 秘書官試験って三次まであるって聞いたわ。それに、秘書官になったら、あなたも忙しくなるだろうし」
「気が変わった。考えてみれば、君の後見人を続けながらでも試験は受けられる。忙しくなったところで、領地や財産をいくつ管理するのも同じことだ。それに、ヴェロナ伯に妙な風聞を流されては困る。俺は近い将来、国王秘書官になるのだからな」
(とんでもない自信家だわ)
リベアティアは呆れると同時に、何だか愉快な気分になった。
「ありがとう、レシエム」
心からお礼を言うと、レシエムは深い色合いの碧眼を丸くして、照れたようにそっぽを向いた。