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わたしのすてきな後見人  作者: 畑中希月
第一章 あなたがわたしの後見人
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第四話 レシエムの秘密

(大変なことになっちゃったなあ……)


 リベアティアは溜め息をついた。周囲では、同僚の女官たちが忙しく立ち働いている。リベアティアは壊れ物の梱包作業の最中だ。王妃の部屋はいつもの優美さが失われ、戦場のようなありさまとなっていた。


 昨日、オティーリエから国王の艶聞を洗いざらい訊き出したロスヴィータが、その後どんな行動をとったのか、リベアティアは人伝にしか知らない。はっきりしているのは、今朝早くにロスヴィータが、東殿から離宮へ移るという決定を下したということだけだ。

 王女ディーケはもちろん、王妃や王女に仕えている女官たちも引っ越すことになる。


「わたしがもっと気を付けていれば良かった。ごめんね、オティーリエ」


 近くにいたオティーリエに、リベアティアは小声で謝る。


「わたしこそごめん。やっぱり、王妃陛下のお部屋で噂話は厳禁ね……」


 うなだれる二人の傍に、数人の同僚が近寄ってきた。


「なになに? 昨日の騒動って、あなたたちが原因なの?」


「その時の王妃陛下は、どんなお顔をなさってたの?」


「国王陛下のお相手って、どんな方?」


 噂話を聞きつけることに関しては、女官たちの耳の良さは間者並みだ。リベアティアが引きつり笑いを浮かべていると、早速立ち直ったオティーリエが質問に答えていく。同僚たちは、しきりに頷いた。


「でも、くるべき時がきたって感じよねえ」


「そうそう、時間の問題だと思っていたわ。あんなにもてる国王陛下が浮気をなさらないはずがないもの。母から聞いたのだけれど、王太子時代の国王陛下って、女性を取っ替え引っ替えなさっておいでだったのですって」


「もしかしなくても離婚の危機かもね。だって、引越し予定の離宮って、あそこでしょ? 国王に先立たれた代々の王太后が隠棲なさるっていう」


「単に空いてるからじゃないの? だって、王太后陛下はもう崩御なさったから、どなたもお使いにならないでしょう」


「違う違う、皮肉よ。王妃陛下はこう仰せになりたいのよ。わたくしには、もう夫はおりません、って」


「はあ。大恋愛でご結婚なさったお二方に、こんな日がくるなんて。わたし、恋愛はお遊びと割り切って、親にお見合い相手を紹介してもらおうかしら」


「お見合いはやめたほうがいいと思うけど」


 リベアティアが話に加わった直後、勢いよく扉を閉める音が響く。


「あなたたち! 無駄話はいいから、さっさと仕事に取りかかりなさい!」


 いつの間にか現れた、恐ろしい首席私室女官に一喝され、リベアティアたちはしおしおと仕事に戻っていった。




 リベアティアの前にレシエムが姿を現したのは、その翌日のことだ。既に王妃と王女は離宮へ移っているが、引越しそのものは終わっていないため、面会は東殿の応接室で行われた。

 先日のいきさつのためだろう。レシエムはいかにも不機嫌そうだったが、その表情すらも、額縁を付ければ絵画のような趣がある。


(例え性格や愛想が悪くても、この人の顔の良さを認めないわけにはいかないわ。悔しいけど)


 複雑な心境のリベアティアには構わず、レシエムは扉を見やった。


「この宮殿は慌しいな。まるで引越しをしているようだ。何かあったのか?」


「え、ええと、王女殿下のご情操教育のために、王妃陛下と殿下が、一時的に離宮に移られることになったの」


 首席私室女官から教えられた言い訳を、リベアティアは必死で暗誦した。国王夫妻の別居問題を宮廷外の人間に話せば、最悪首が飛ぶことになる、と脅されているのだ。


 一応納得したのか、レシエムは軽く頷いた。リベアティアはひとまず安心する。


「あの、椅子にかけられてはいかが?」


「このままでよい。急いでいるし、どうせ、すぐすむ用件だ」


 無表情に断ると、レシエムは筒状に巻かれた書状のようなものを、リベアティアに向けて差し出した。受け取ると、手触りから上等な羊皮紙であることが分かる。開封した書状には、後見裁判所の印章が刻印されている。


 文書には「第十九代ラリサ伯爵レシエム・エタイン・グライフを、リベアティア・メーヴェの後見人として正式に認める」との旨が記されていた。レシエムのもうひとつの名を、リベアティアは初めて知った。


「これ……念書?」


 リベアティアが確認すると、レシエムはより不機嫌そうに両腕を組む。


「見れば分かるだろう」


 彼の言動は全く可愛げがなかったが、リベアティアはほんの少しだけ意外だった。あれだけ嫌がっていたのに、レシエムは手続きをきちんと行い、後見人となってくれたのだ。リベアティアは素直に頭を下げた。


「……ありがとうございます。本当に引き受けてくださって」


「礼を言うくらいなら、俺のためを思って他の後見人を探してくれ。その押しの強さがあれば、すぐに見付かるのではないか?」


 レシエムはさらりと皮肉を言う。


(何よ、それ。後見人探しの苦労も知らないくせに)


 湧き出した感謝の心も急速に枯れ、代わりに腹が立ってくる。一言でも言い返してやらねば気がすまない。


「わたしだって、努力はしたわよ。でも、相応しい人が見付からなかったの。でなければ、誰があなたみたいな人にお願いするもんですか」


「では、努力が足りなかったのか、そもそも見当違いの努力だったのか……そのどちらかだな」


 レシエムの皮肉は容赦がない。ようやく見付けたはずの後見人と、どうしてこんなやり取りしかできないのだろう。レシエムの父親とは、実の伯父と姪以上に上手くいっていたのに。


 自信を失いかけ、リベアティアは心の中でかぶりを振った。自分にも非はあるが、彼のほうにも問題はある。


 リベアティアはきっとレシエムを睨め付けた。


「この間、確かにわたしは強引だったわ。それは認めます。でも、あなたの言い草もあんまりじゃない。別に、あなたのお父君と同じくらい親切にして欲しいとは思わないわ。ただ──せめて、普通に応対してよ」


「悪かったな。これが俺の『普通』だ」


「何て捻くれた人なの! ラリサのおじさまのご子息とは、とても思えないわ」


 リベアティアの言葉を聞くや否や、レシエムの顔色がさっと変わった。怒りの表情ではない。傷付いた少年のような顔だった。少し俯いたあと、再び顔を上げた彼は、あの無表情に戻っている。


「君はずいぶん、父と俺とを比べたがるようだから先に言っておくが……」


 レシエムは言いかけて、口をつぐんだ。続きを言えない自身に苛立つように、リベアティアを睨み返してきた。青玉色の瞳が、炎を孕んで揺れている。こんな風に睨まれたのは初めてだった。

 リベアティアが無意識に肩を震わせると、レシエムは目をそらした。疲れたような声で、搾り出すように告げる。


「……父と俺が似ていないのは、当然のことだ。実の親子ではないのだから」


「え?」


 想像もしていなかったことを言われて、リベアティアは唖然とする。


「俺は養子だ。養母が実父の姉だった縁で引き取られた」


「……でも、血縁がないと跡は継げないはずじゃあ……」


 マレ王国での爵位や財産の相続は、性別の他に血縁も重視される。たとえ跡継ぎがいないからといって、当主と全く血の繋がりのない者を、養子にすることはできないのだ。


 リベアティアの問いに、レシエムは笑ったようだった。自嘲に似た暗い笑み。


「養父母は従兄妹同士だったからな。俺にも少しは先代とラリサ伯家の血が流れているというわけさ。もっとも、養父の善良な性格が受け継がれるには、少なすぎる血だがな」


 リベアティアが何も言えずにいると、レシエムは扉の把手に手をかけた。


「失礼する。このあと、試験が控えているからな」


 扉を閉める音が重々しく反響する。リベアティアは呆然とするしかなかった。


(わたし……何てことを……)


 強い後悔を覚えたが、詫びるべき相手は、もうそこにはいなかった。




 離宮に新しく用意された私室に、リベアティアは最後の荷物を運び込んだ。箱に入った本一式を小さな書架に並べ、一息つく。これで引越しも完全に終わり、とりあえず慌しさからは解放されたわけだが、気分は晴れない。


(本当にひどいことを言っちゃった……)


 レシエムが後見人を引き受けることを嫌がった本当の理由が、ようやく分かった。養父と比較されたくなかったのだ。比較されればされるほど、実の親子ではないことを再確認させられる。


 レシエムに謝りたいと思うが、その勇気が今のリベアティアにはない。謝ったとしても許してもらえる保証はない。自分の失言を思い出す度に、強い感情に支配されたレシエムの瞳が蘇る。


 多分、人には誰しも、触れて欲しくない傷がある。リベアティアにもある。だからこそ、許してもらえるとは思えなかった。とにかく、これから先も彼に後見人を続けてもらうのは、虫が良すぎるというものだろう。


 窓辺に立ち、宮殿を包む冬の森をぼんやりと眺めていると、扉を叩く音がした。入ってきたのはオティーリエだ。


「リベアティア、ヴェロナ伯がお見えよ。突き当たりの応接室でお待ちになってるわ」


 面会者がレシエムではなかったことに、リベアティアはほっとし、そんな自分に嫌悪を感じた。

 だからといって、ヴェロナ伯と会うのが楽しくなるわけではない。


 顔を合わせたヴェロナ伯は、すこぶる機嫌が悪そうだった。同じ機嫌が悪いのでも、美青年のレシエムとヴェロナ伯とでは大分様子が違う。応接室そのものが、重苦しい空気に包まれたかのようだ。


「新しいラリサ伯がそなたの後見人になったそうだな」


 そう口火を切り、ヴェロナ伯はこちらを見据えてくる。誰が教えたのかは知らないが、彼の耳に入っていたようだ。リベアティアは居心地の悪い思いで、伯爵を見返した。


「ええ、何か問題が?」


「大いにある。第一に、なぜ私に一言も相談せず、勝手に決めた?」


 ヴェロナ伯の口調は詰問に近い。リベアティアはむっとした。本当に、どうしてこの男は、血縁でもないのに自分にあれこれ指図をしたがるのか。


「わたしの後見人です。勝手に決めて何が悪いのです」


「そなたはまだまだ世間を知らぬ」


 ヴェロナ伯は決め付けるように言った。


「後見人というのはな、よく見極めねばならぬのだ。先代のラリサ伯のように誠実な方ならば、何の問題もない。だが、そのご子息も誠実な人柄とは限らぬ」


 ヴェロナ伯の言葉は、針のようにリベアティアの心を刺した。レシエムが耳にしたら、きっと傷付くだろう。ヴェロナ伯はなおも続ける。


「ラリサ伯は国王秘書官を志望しているそうだな。まだ若いし、野心があるのは当然のことだ」


「……何がおっしゃりたいのです」


「後見人はその気になれば、ご父君の遺産をそっくり横領できる。そういうことだ」


 頭に血が上るのが分かった。何を根拠にそんなことを言うのか。後見人探しの際、リベアティアは遺産目当ての人物にも出会った。ああいう類の人間は、何度か会えばぼろが出るし、最初はおかしなくらい愛想がいいものだ。

 レシエムは違う。そもそも、レシエムが父の遺産を横領する気なら、自ら後見人になろうと売り込んできたはずだ。


 リベアティアは語調に怒りを込めた。


「あなたは何の権利があって、わたしの選んだ後見人を侮辱なさるのですか」


 ヴェロナ伯は軽く目をみはったが、溜め息をつくように答えた。


「私はゾフィに、そなたのことを頼まれている」


 それは、死んだ母の名だった。

 未亡人だった母がヴェロナ伯と再婚したのは、リベアティアが十歳の時だ。リベアティアは母方の祖父とともに屋敷に残った。マレ王国では、婚家に前夫の子を連れていく習慣がないからだ。

 その後、リベアティアは一度だけ母と再会した。十四歳の時だ。


 病のためにすっかり痩せて、別人のようになってしまった母を前に、リベアティアは途方に暮れるばかりだった。母が息を引き取ったのは、それから数日後のことだ。


「あなたの口から、母の名前など聞きたくありません!」


 気付くと、リベアティアは叫んでいた。目頭が熱くなり、頬を水滴が伝っている。拳で乱暴に顔を擦り付け、リベアティアは立ち上がった。


「……リベアティア」


 ヴェロナ伯の声が聞こえたが、リベアティアは一礼し、彼の姿を視界から追いやった。


「失礼いたしました」


 精一杯声を振り絞ったが、自分の耳に届いたのは情けない涙声だった。走り去りたいのをこらえて、いつも通りの足並みで部屋から出る。扉を閉めると同時にとめどなく涙があふれてきた。理由は分からない。

 あの時、レシエムもこんな気持ちで部屋を出たのだろうかと、頭の隅で思う。だが、リベアティアの心を占める感情は、おそらく彼のものよりも醜い。


 再婚は母を幸せにしてくれるものだと、リベアティアは信じていた。信じようとしなければ、母との別離を納得できなかった。母からの手紙は、いつもリベアティアを心配するものばかりで、彼女自身のことはほとんど書かれていなかった。

 それは、母が幸福だからだと、リベアティアは思っていたのだ。母と再会するまでは。


(ヴェロナ伯と再婚しなければ、お母さまはあんな風に死なずにすんだ)


 このような思いを逆恨みというのだろう。そう分かってはいても、リベアティアはどうしようもなくヴェロナ伯が憎くてたまらなかった。

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