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わたしのすてきな後見人  作者: 畑中希月
第四章 後見人改め……

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第二十三話 光のありか

 国王の電撃的な訪問から数時間後、国王一家とリベアティアら女官たちは、とりあえずの着替えだけを持って、東殿に戻ることになった。

 近衛騎士団に警護されながら、一行が王宮の正門を潜ると、多くの侍従や女官たちが出迎えてくれた。いつもは面憎いと思っていた人の姿もあったが、こうやって顔を合わせてみると、奇妙に懐かしい。


 約二ヵ月半ぶりの帰還だったが、王妃や王女、女官たちの部屋は、そのどれもが綺麗に清掃され、整えられていた。王妃たちがいつでも戻ってこられるように、国王がこまめに手入れをさせていたのだ。


 ようやく花の王宮に戻ることができた、と女官たちは揃って喜び合ったが、一番はしゃいでいたのはディーケ王女だったかもしれない。また父王と暮らせることになり、大喜びした王女は、夕食を待たないうちに疲れて眠ってしまった。


 王女のための小さな毛布を抱え、リベアティアは王妃の部屋に入る。調度品が一切ない部屋は、簡素ながら、かえって美しい。夜の到来に備え、一本だけ点された蝋燭の灯が、薄く揺れている。


 長椅子に横たわり、母王妃の膝を枕にして眠るディーケに、リベアティアはそっと毛布をかけた。ロスヴィータに勧められ、リベアティアはその向かいに座る。


 ディーケの髪を撫ぜながら、ロスヴィータは微笑する。


「こうして思い返してみると、今までのことが全部悪い夢だったように思えてくるわ……。勝手に誤解して、あんなに怒っていたなんて、馬鹿みたいね。もっと、陛下を信じて差し上げればよかった。この子にもあなたたちにも悪いことをしたわ」


 既にロスヴィータは、辣腕家の秘書長官によって呼び出されたイングリト及びその父親である侯爵から、直接の謝罪を受けたそうだ。

 どうやら、自称シュツェルツの浮気相手イングリトは、ロスヴィータに代わって王妃になりたくて、あんな嘘をついていたらしい。全く大迷惑な話だ。


 シュツェルツはロスヴィータに信じてもらえなかったことが不満だったらしく、あえてイングリトを引っ張り出してこなかったのだという。

 頭の切れる国王らしくもなく、一般の廷臣たちには浮気は誤解だということを伏せ、夫妻で全幅の信頼を寄せている秘書長官と近衛騎士団長にも仲裁を頼まなかったのは、彼なりの意地だったのだろう。


 宮廷に真実を広めなかったのは、下手に外濠を埋めてはロスヴィータの怒りに油を注いでしまう、と懸念したからかもしれないが。

 ひとつの誤解がさらに事態を複雑化させてしまった、というわけだ。


 もちろん、ロスヴィータは二人きりになった時に、シュツェルツに繰り返し謝ったそうだ。シュツェルツが「お互い様だよ」と言って、ほほえんだという話を聞き、リベアティアの胸は温かくなった。

 自分もシュツェルツが浮気をしたのだと信じ込んでいたので、機会を設けて女官一同で謝罪したい。


 国王夫妻はきっと、今までよりも仲睦まじい夫婦になることだろう。


 ゆったりとした沈黙が流れる。ちょっと迷ったが、リベアティアは尋ねてみることにした。


「あの……王妃陛下はどうして、国王陛下とご結婚なさることになったのですか?」


 ロスヴィータは少し目をみはった。


「あら、珍しいわね。あなたがそんなことを訊いてくるだなんて」


 リベアティアは慌てた。レシエムから求婚されたことは、ロスヴィータにも話していない。というより、何を相談したらいいのかも分かっていない。だが、身近な人物がどのように結婚を決めたのかを聴くことで、何か参考になればと思ったのだ。


 今まで結婚に関心がなかったせいか、リベアティアはその手の話に注意を払ってこなかった。


「あ、いえ、今まで、漠然とした噂くらいしか聞いたことがなかったので……何でも、大恋愛をなさったとか」


「大恋愛ねえ……傍から見れば、そう思えるのかもしれないわね。半分は政略結婚のようなものだったのよ。ただ、陛下はああいうお方だから、結婚の邪魔が入った時に、少しお芝居を打たれたの。周囲が真っ青になるようなお芝居をね」


「ええと、それはどのような?」


 リベアティアが固唾を呑むと、ロスヴィータはくすりと笑う。


「まず、最初から話すわね。わたくしは小さな頃から、陛下か、その兄君のどちらかに嫁ぐよう、父に決められていたの。といっても、正式な許婚いいなずけだったわけではないのよ。陛下の兄君は王太子に立てられてはいたけれど、とても病弱な方だったの。だから、父は様子を見ることにしたのよ」


 ロスヴィータの瞳にやりきれない光が宿る。できるだけ、長生きしそうな、間違いのない相手を娘の結婚相手に。政略結婚とはそのようなものなのだろう。もしかすると、通常の結婚もそうなのかもしれない。


「兄君は十六歳で神界へと旅立たれたから、代わりに陛下が立太子されたの。父はすぐにでも、わたくしと陛下を婚約させたがったのだけれど、わたくしは条件を出したのよ。『結婚はいたします。でも、十三になったら、何年かは女官として働かせてくださいませ』とね。何も知らないまま王太子妃になるのは嫌だったのよ。本当は見も知らぬ相手と結婚なんてしたくなかったもの。いくら家を発展させるためとはいっても」


 リベアティアは得心がいった。


(だから王妃陛下は、わたしに目をかけてくださるんだわ。当時のご自分とわたしが似ていたから)


 ロスヴィータの表情が、ほんの少しだけ悔しそうなものへと変わる。


「けれどね、やはり父のほうが一枚上手だったの。わたくしは陛下の衣装係にされてしまったのよ。腹が立ったわ。しかも、まだまだ子供のわたくしに、陛下がご興味なんて持たれるわけもないし。陛下はその頃から女性がお好きで、年上の女官とよく遊んでおいでだったわ」


「その頃から、国王陛下のことを……?」


「自分でもよく分からないの。意識はしていたけれど。でも、女官になって二、三年もたつと、陛下のわたくしに対する態度が変化し始めたのよ。現金な話でしょう」


「お付き合いされていたのですか?」


「おままごとみたいなものだったけれどね。きっと、陛下も用心なさっていたのよ。下手なことをすれば、すぐにでもわたくしの父に口実を付けられて、結婚することになってしまうもの」


 そうかもしれない。だが、多分その頃から、国王にとって、ロスヴィータは特別な存在だったのだろう。他の女性とは一線を画した。


「でも」と、ロスヴィータは暗い顔になる。


「わたくしが今のあなたと同じ歳になる頃、父は先王陛下に陛下とわたくしの──ああ、話がややこしくなってしまうわね──シュツェルツとわたくしの縁談を持ちかけるつもりでいたのよ。ところが先王陛下は何て仰せられたと思う?」


 リベアティアは首を横に振った。


「わたくしを王妃に迎えたい、とおっしゃったのよ。王妃を亡くしてもう三年になるから、って」


 寒気がしたのか、ロスヴィータは空いているほうの手で、自身の肩を押さえた。リベアティアは言葉もなかった。それは、今の自分が、父親よりも年上の男性から求婚されるようなものだ。美しくあることが必ずしもよい結果を生むとは限らないのだ。


「それで──それで、どうなったのです?」


「もう終わりだと思ったわ。先王陛下には失礼な話でしょうけれど。父は憤激していたけれど、国王が相手ではどうすることもできなかった。でもね、この話を知ったシュツェルツが、父に協力を仰いでいらっしゃったの。わたくしを父王と結婚させるよりも、将来性のある自分と結婚させたほうが身のためだ、とおっしゃってね」


 ロスヴィータの唇から小さな笑い声が漏れる。


「その時、わたくしは宮廷から下がって実家にいたのだけれど、シュツェルツは父と申し合わせて、一晩屋敷に泊まられたのよ。で、翌朝になって、先王陛下に謁見なさったの。『大逆の罪を犯してしまいました。将来、父上の妃になるかもしれない女性と、一夜をともにしてしまったのです。父上、どうか私の首をおはねください』──そうおっしゃったらしいわ」


「……それで、無罪放免に?」


「それは、先王陛下だってお怒りになったでしょうけれど、正式に婚約していたわけではなかったから。第一、たった一人残った王子の首をはねられると思って?」


 そこまで計算していたからこそ、シュツェルツはこの芝居を買って出たのだ。だが、失敗したらどうするつもりだったのだろう。本当に断頭台に送られることにでもなってしまったら。


 リベアティアは感心すると同時に呆れてしまった。もし、レシエムがそんなことをしたら、自分は喜ぶより先に怒ってしまうに違いない。レシエムにそれだけの度胸があるかどうかは分からないけれど。


「その年に、わたくしとシュツェルツは婚約式を挙げたわ。そのあとで、わたくし、伺ってみたの。あの時、怖くはございませんでしたか、って。シュツェルツはおっしゃったわ。『怖かった。けれど、君が父の妃になることを想像するほうが、遥かに怖かった』──これには笑うしかなかったわね」


「……大恋愛だと思います、それは」


 リベアティアが溜め息まじりに判定を下すと、ロスヴィータはにこりとしてディーケの頬を愛しそうにさする。


「わたくしが陛下と結婚できたのは偶然の積み重ねにすぎないの。それとも、運命神ロサシェートの思し召しかしら。もし、わたくしと陛下が結婚していなかったら、この子は生まれていなかったかもしれない。そう思うと、不思議ね」


 リベアティアは胸が苦しくなった。母も、父が生きていた頃は、王妃と同じ言葉を口にしながら、リベアティアの寝顔を撫ぜたのかもしれない。


(でも、お母さまは再婚するためにわたしを置いていった。……けれど、王妃陛下は違う。王女殿下を置いていったりはなさらなかった……)


 自分は絶対に母と同じことはしない。子供を授かったら、その子が独り立ちするまで、手元で育ててみせる。


「リベアティアは、今でも結婚するのは嫌?」


 ロスヴィータの質問に、リベアティアは頷きかけ、やめた。


「……分かりません。あの、今まで黙っておりましたが、わたし、ある方から結婚を申し込まれたのです」


 ロスヴィータは驚いたようだったが、すぐに優しく目を細めた。リベアティアは何だか恥ずかしくなったが、説明を続けた。


「でも、その方のことを好きかどうかなんて分からないし、わたしに彼と結婚する資格があるかどうかも分からないし……でも、断って、彼と疎遠になるのも嫌で……。ものすごく贅沢な悩みだということだけは、分かってはいるのですけれど……」


「結婚は、怖い?」


「……はい、少し」


 そもそも、結婚にはよい思い出がない。母を失った、彼女とヴェロナ伯の再婚。周囲から脅迫観念のように刷り込まれた「結婚しなければならない」という考え方。その呪縛に抗うために、自分は意地を張ってきたような気がする。


 ロスヴィータはほほえんだ。


「リベアティアは、勘違いをしているわ」


「え?」


「結婚したからといって、自分の中の何かが急に変わってしまうわけでもないのよ。わたくしだってそう。だから、よく見極めたほうがいいわ。相手が自分にとって相応しい人かどうか、相手にとって自分が相応しい人かどうか。背伸びをしても、卑屈になっても、相手を見誤ってもだめなの。……わたくしにとっては、陛下がちょうどよい相手だったというだけの話よ。お互いに、色々と問題はあるけれど」


 そう締めくくると、ロスヴィータは「もうすぐ夕食の時間よ」と、ディーケを揺り起こし始めた。窓の外はすっかり暗くなっている。いつの間にか、蝋燭の灯がくっきりと部屋を照らし出していた。




 寝室に戻ったリベアティアは、部屋の蝋燭を手燭に載せ、廊下の燭代から火を拝借した。灯の点った蝋燭を寝台脇の小机の上に置く。今日手渡された結婚式の招待状を引き出しから取り、寝台に腰かけた。


 蝋燭の灯を頼りに招待状の中身を読む。結婚式は三週間後、ステラエ市内に建つ、海神ナヴナトの神殿で行われるらしい。マレでは、豊穣の女神ワイスリーンの神殿で結婚式を挙げるのが常だから、これは珍しい。

 航海に出るリヒトが無事に海を渡れるよう、あえてナヴナトの神殿を選んだのだろう。


(この手紙、リヒトさんが書いたのかしら? 汚くはないけど、荒っぽい字ねえ……)


 そういえば、レシエムの字はどんな風だったか。思い出そうとしたが、鮮明には浮かんでこない。


 リベアティアはもう一度引き出しを開け、中に二通残されていた手紙を取り出す。一通はレシエムと出会う前に彼がよこしてくれた手紙。もう一通は、秘書官試験に合格したことを、レシエムが伝えてくれた手紙だ。誰かに見られたら恥ずかしいと思い、着替えと一緒に離宮から持ち出したのだ。

 中を開くと、一行しか書かれていない文面が姿を現す。流れるような、綺麗な字だ。


(やだ、よく見ると、わたしの字より綺麗だわ……本当にレシエムって、いちいち嫌味な人ねえ)


 思わず笑ってしまったあとで、リベアティアはじっと彼の書いた文字を見つめた。不思議だった。心の中が温かくなっていくような気がした。


 レシエムと出会う以前に受け取った手紙も読み返してみる。几帳面に書かれた、こちらを気遣うような内容。どうして今まで気付かなかったのだろう。レシエムはレシエムなりに、あの頃から自分のことを心配してくれていた。大切な人を失ったばかりなのは、彼も同じだったのに。


 母からの手紙を読む時、リベアティアの胸はいつも切なく締め付けられた。先代のラリサ伯からの手紙は安堵感を与えてくれたが、それは大樹の下に佇むような安らぎだったように思う。レシエムからの手紙は、どの手紙とも違っている。


 リベアティアは部屋をほんのりと照らす、小さな灯りに目を止めた。まるで、この蝋燭の灯のように、優しく温かい。


(この光は、わたしの心の中にある)

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