第二十二話 一通の手紙
その日の午後のことだ。オティーリエとイルゼが血相を変えて、ロスヴィータの部屋に入ってきたのは。これには、ロスヴィータはもちろん、二人を出迎えたリベアティアも驚いた。
「どうしたの、二人とも。伝説の竜か鷲頭獅子でも現れた?」
息を切らしてオティーリエが答える。
「──違うわよ。国王陛下がいらっしゃったの」
「ディーケ王女にお会いになるために?」
「王妃陛下とお帰りになるために! 今日は何が何でもお引き戻しあそばすご所存よ。近衛騎士を何人もお連れになってたし。そうそう、ラリサ伯もいらっしゃったわよ」
「え……」
思わずリベアティアは言葉を失う。冗談で言ったのに、まさか本当にグライフがきてしまうなんて。どんな顔をして彼と会えばよいのだろう。
イルゼが瞳を潤ませてロスヴィータに訴える。
「国王陛下はもうすぐこのお部屋にいらっしゃいます。鍵を閉めても、扉を壊してしまわれそうな勢いで。……いかがなさいますか?」
ロスヴィータは優美に立ち上がり、決然と言った。
「仕方がないわ。わたくしが直々に応対します」
リベアティアたちは部屋の壁際に控え、ロスヴィータは扉の正面に佇む。
やがて、整然と揃った無数の足音が、扉の前で止まった。扉が音高く開かれ、シュツェルツが姿を現す。すぐうしろにはルエン、それにレシエムが控えていた。レシエムと目が合ってしまったので、リベアティアは慌ててそっぽを向いた。
お辞儀をするや否や、ロスヴィータはシュツェルツに詰め寄る。
「どういうおつもり? 数を頼んでわたくしを連れ戻そうとなさるなんて。女官たちが怯えるでしょう。元々かけらほどしかない良識まで失ってしまわれたの?」
「悪いが、君の毒舌に怯んでいる暇はないよ。先程、枢密院会議で、君の素行を咎める発言があった。早く戻りなさい、ロスヴィータ。君自身やディーケのためだ」
ロスヴィータは一瞬息を呑んだようだが、再び眉をつり上げる。
「そう。人に何かを言われたから、ようやく動かれた、というわけでございますのね」
(……王妃陛下、この前は国王陛下の御許に戻ってもいい、とおっしゃっていたのに)
やはり、本人を前にすると素直になれないのだろうか。その気持ちは、自分にも分かるような気がする。
シュツェルツはおもむろにかぶりを振る。
「それは違うよ。私自身が君に戻ってきて欲しいんだ。神々に誓って言うが、私は浮気をしていない」
「……そんな。だって──」
「イングリトは君に嘘をついたんだよ。私が彼女に何度も会っていたのは、勤務態度を改めてもらうためだ。何もなかったし、恋愛感情も持っていない。私の妃は今までもこれからも君一人だ。だから、頼む。戻ってきてくれ」
「……本当に、心から、そう思っていらっしゃるの……?」
「もちろん、思っているよ」
シュツェルツは優しくほほえむと、ロスヴィータを抱き寄せ、口付けた。
オティーリエとイルゼが小さな歓声を上げる。まあ、夫婦だものね、と思いながらも、事の真相を明かされた衝撃もあり、リベアティアはその場に固まってしまった。
ロスヴィータを抱き締めたまま、シュツェルツは悪びれた様子もなく辺りを見回す。
「……ということで、皆、部屋から出ていってくれないか。王妃と二人だけで話がしたい」
リベアティアたちは慌ててかしこまると、ぞろぞろと部屋をあとにした。最後に部屋を出、扉を閉めたルエンに、レシエムが信じられないという面持ちで語りかけている。
「……陛下はご正気か? 衆目の前で、堂々とあのような恥ずかしい行動をなさるなど」
「陛下の羞恥心は、伯爵閣下の羞恥心とは別の場所にあられるのでしょう」
しみじみと答えるルエンに、レシエムは分かったような分からないような表情で頷いたが、リベアティアの視線に気付いたらしい。むっつりとした表情で、すっと歩み寄ってくる。
「昨日、リヒトからこれが届いた。君の分だ」
上衣の裏から一通の手紙を取り出すと、リベアティアに向けて差し出した。リベアティアはおずおずと受け取る。
「招待状だ。結婚式の」
レシエムは一言だけ付け加えると、離れていった。
リベアティアは思わず同僚たちのほうを振り返る。オティーリエもイルゼも、興味津々といった様子で、リベアティアと手紙とを交互に見ている。いくら手紙の内容がやましくないからといって、人前で渡すこともないだろうに。
(レシエムだって、国王陛下と大差ないわ。充分羞恥心がずれてるじゃない!)
リベアティアは憤然としたが、彼への返答を、まだしていないことに思い至った。
答えを出さなくては──できれば、結婚式の前までに。




