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わたしのすてきな後見人  作者: 畑中希月
第四章 後見人改め……
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第二十話 二人の心境

「……レシエム、おい、レシエム」


 自分の名を呼ぶ声がする。レシエムはぼんやりとそちらを見やった。シュツェルツが執務机に両手をつき、訝しげな顔をしている。


「……どうかなさいましたか?」


 レシエムが尋ねると、シュツェルツは薄気味悪そうに、まじまじとこちらを見つめてくる。


「その質問、そっくり君に返してもいいかい? 君が書類をさばかず、ぼけっとしているなんて、秘書官就任以来、初めてじゃないか」


(そうだったろうか)


 目の前に視線を戻すと、机上には書類が積み重なっている。


「……全く気付きませんでした。いつの間にこれだけの書類が」


 シュツェルツはますます気味悪そうに顔をしかめる。


「……私に対する嫌がらせか? 高熱でもあるのか? それとも好きな女の子にでも振られたか?」


「違います。まだ振られたと決まったわけではございませぬ」


 レシエムは即座に否定した。そうだ、まだ振られたわけではない。頭から急速に靄が晴れていく。


「そうかあ。堅物で、いかにも自尊心の強そうな君が、女の子に玉砕覚悟で告白するだなんて、感動的だなあ。ああ、失礼。結果待ちだったね」


 謎が解けて一安心したのか、シュツェルツは無責任な笑顔を浮かべた。軽口にいちいち付き合っていられないし、たまった仕事を片付ける必要もある。レシエムは書類に目を通し始めた。


 昨日、リベアティアに求婚してからというもの、時間の流れが妙に遅い。その上、彼女が会いにこないか、手紙でもよこしてくるのではないかと、気になって仕方がなかった。


 さらに、リベアティアがどういった返事をくれるか考え始めると、先程のように意識が飛んでしまう。

 出仕前も、今日は休んではどうか、とヴィンフリートとオルーフに心配されてしまう始末だった。


「……で、相手は誰だい?」


 手の中の羽ペンをゆらゆらさせながら、シュツェルツが訊いてくる。レシエムは丁重に聞こえないふりをした。


「当ててみせようか。歓迎会の時に、君が助けた女官だろう? 名前はリベアティア・メーヴェ。君の被後見人だそうだね」


 シュツェルツの正確な指摘に、レシエムは思わず作業の手を止めた。シュツェルツは、ふう、と小さな溜め息をつく。


「分かりやすいなあ、君は。……まさかとは思うが、いきなり求婚したわけではないだろうね?」


 レシエムは顔をこわばらせた。

 いささか早計かと考えないでもなかったが、リベアティアは自分の被後見人だ。後見人と被後見人が恋愛をするのはさすがに気が咎める。


 まずは、早めに結婚の意思確認をした上で、リベアティアに領地経営の基本などを覚えてもらう。そのあとで後見人を辞したほうが、彼女のためにもよいと思ったのだ。あの時は、リベアティアの勘違いに腹を立てた勢いもあったが。


「まずかった……でしょうか」


「まずいもなにも……物事には順序ってものがあるだろう。相手が間違いなく自分のことを好きだとか、根回しがすんだ政略的な結婚だというのなら話は別だが。かく言う私だって、王妃とはきちんと手順を踏んで結婚したんだ」


 自分はどちらにも当てはまらない。レシエムの体から血の気が引いた。


「王妃から聞いたことがあるが、リベアティアは難しい娘なんだろう? いくら信頼の厚い後見人だといっても、独身主義の女性を力業で動かすのは、難しいと思うけどねえ」


 追い討ちをかけるようなシュツェルツの言葉に、レシエムの目の前は真っ暗になる。シュツェルツはにやりと笑った。


「まあ、恋愛や結婚は、そう簡単に割り切れるものでもないからね。その場で断られなかっただけ、希望はあるよ」


「本当に、さようでしょうか」


「そうだよ。一喜一憂の繰り返しが楽しいのさ。で、安定したからといって油断していると、私のようなことになる」


 目の前に飾られた王妃と王女の肖像画を、シュツェルツは一瞥した。レシエムが何も答えられずにいると、シュツェルツは口元だけで微笑し、今度は王妃のみが描かれた肖像画を眺める。


「レシエム、君にだから言うが、私は本当は浮気をしていないんだよ。独身時代、様々な女性と付き合ったが、私が伴侶にしたいと思ったのは王妃だけだ。これからも、きっとそうだろう。側妾制度は女王が即位できるようになったら、廃止するつもりだ」


「え……では、なぜ……」


 レシエムは呆然と呟いた。

 シュツェルツの横顔は静かな真摯さをたたえており、とても嘘をついているようには見えない。そういえば、彼は歓迎会の際、ベティカ公との会話中に誤解がどうとか言っていた。

 シュツェルツは自嘲するような笑みを浮かべる。


「初手を間違えた上に、日頃の行いが悪かった、ということなんだろうね。説教するためとはいえ、件の女官と二人きりで会っていたのは、私の手落ちだ」


「……それならば、早く誤解をお解きになりませぬと」


「そうだね。王妃に信じてもらえなかったことで、私も少し意固地になっていたのかもしれない。君を見習って、近々、彼女に会いにいってくるとするかな。最近は私も諦め気味でね、娘の顔を見に、離宮に通っているようなものなんだ」


 国王夫妻の間には、どのような恋愛模様があったのだろう。レシエムは興味を惹かれたが、口には出さないでおいた。




 いつものことだが、ヴェロナ伯がリベアティアを訪問してきた。もちろん、リベアティアの中に先日の気まずさは残っていたが、それよりも頭から離れないのは、昨日のレシエムの表情と台詞だ。思い出すたびに恥ずかしさに襲われてしまう。


(レシエムの馬鹿)


 乱暴に決め付け、リベアティアは記憶を頭の片隅に放り込んだ。


「ホルテンジエ家が縁談をなかったことにしたい、と申し出てきた」


 応接室の椅子に腰かけるなり、ヴェロナ伯はそう切り出した。リヒトとフリーダの結婚が決まったことを知っているリベアティアにとっては、別段驚くことでもない。「そうですか」とだけ答えた。


 レシエムとリヒトが友人同士であることや、この前の騒動までは知る由もないはずだが、ヴェロナ伯はリベアティアの反応を、ごく自然に受け取ったようだった。


「実はな、それよりもよい縁談があるのだ。相手はマレでも指折りの名家の当主で、歳は十九。しかも官僚で、これからも出世の見込みがある」


 普段なら聞く耳など持たないところだが、リベアティアは真剣に耳を傾けた。そういえば、レシエムは言っていた。ヴェロナ伯にも自分の意向は伝えてある、と。


「あの、それはもしかして……」


「やはり気付いたか。驚くな、ラリサ伯がそなたとの結婚を望んでいる」


「……昨日、ご本人からお聞きしました」


 リベアティアが不機嫌に応じると、ヴェロナ伯は目をみはる。


「ふむ、そうか。案外気が早いな、彼は」


「どういうおつもりですか? 以前はあれほど彼に難癖を付けておいでだったのに」


「あの時とは事情が異なる。ラリサ伯が生真面目で真っ当な青年だと分かったからな。少々、真面目すぎるきらいもあるが、そなたにはあれくらい固い夫のほうが似合いだ」


 リベアティアは思わず赤面した。レシエムが自分の夫になるなど、想像できない。


「……彼には、もっとお似合いの女性がいるはずです。わたしなんて、気は強いし、顔だって王妃陛下と比べれば十人並みだし、たとえ遺産を相続できたとしても、彼にとっては大したものではないだろうし……」


「私には、そなたとラリサ伯が釣り合っているように見えるが」


 ヴェロナ伯はさらりと言い、リベアティアは絶句した。


(だめよ。わたしは結婚なんてしないって、決めているんだから。それに、ヴェロナ伯が支持する縁談なんて、たとえレシエムとのものでも──)


 そこまで考えて、リベアティアははっとした。


「本当にそうなの?」と心の奥底から、疑問を投げかける声が聞こえた気がした。


 自分は一体何が嫌なのだろう。結婚そのものが嫌なのか。それとも、ヴェロナ伯の持ってくる縁談が嫌なのか。


「そなたが私を嫌っていることは知っている」


 ヴェロナ伯は遠くを見るような目付きをする。


「私と結婚して、ゾフィが幸せになったかと問われれば、私には返す言葉もない。だが、私を嫌うあまり、自分の幸せをふいにすることもなかろう」


 母の名を出されたが、不思議と怒りは感じない。代わりに湧いてきたのは疑問だった。どうして母は、ヴェロナ伯との再婚を決めたのだろう。マレ国では、亡夫の財産の一部を、寡婦が相続できる権利が認められている。

 屋敷もあった。娘と父親もいた。気心の知れた使用人もいた、無理に結婚する必要など、どこにもなかった。母は何が寂しかったのだろう。


「……伯爵閣下は、母とはどこでお知り合いになったのですか?」


 突然どうした、という表情で、ヴェロナ伯はリベアティアを見つめる。


「友人の屋敷で開かれた宴席で。二人とも境遇が似ていたからか、話が合ってな……」


 そういえば昔、母が一人で友人の家に出かけたことがあった。祖父と留守番をしていたリベアティアは、母が帰ってくるなり文句を言った。


 ──ずっと待ってたのに。


 ごめんなさい、と謝りながらも、母の表情がとても生き生きとしていたことを覚えている。


(そう……お母さまは、ヴェロナ伯と初めて会って、それであんなに楽しそうにしていたんだわ……)


 それは、多分、リベアティアにも祖父にも与えられなかった唯一のものだ。


「……母の最期は幸せではなかったかもしれないけれど──不幸なことばかりでもなかったと思います」


 今のリベアティアには、それだけを言うのがやっとだった。ヴェロナ伯はひとつ頷いたきり、何も言わなかった。

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