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わたしのすてきな後見人  作者: 畑中希月
第三章 変わりゆく心
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第十五話 計画遂行

 富裕層が利用する繁華街の一角で、レシエムはリヒトを待っていた。そこまではよい。


(だが、彼女まで一緒にくる必要があるのか……?)


 レシエムは隣に佇むリベアティアの姿をちらりと見る。上品な薄茶色の外套を着込んだ彼女は、今は裕福な街の娘にしか見えない。いつもは下ろしている長い金褐色の髪は、スカートと同じ薄緑色の糸が編み込まれ、ひとつにまとめられている。


 通りすがりに彼女を物色するような男たちもいたが、レシエムが思い切り敵意を込めてひと睨みすると、泡を食って逃げ出すのだった。


「レシエム、今のはわたしでも怖かったわよ」


 当のリベアティアは楽しそうだ。


「当たり前だ。相手を追い払うために、睨みをきかせているのだからな。……ところで、リベアティア。今更言っても仕方ないかもしれないが、君までリヒトに会う必要はないのだぞ?」


「でも、リヒトさんはわたしを紹介するっていうレシエムの言葉を信じて、今日ここまで出向いてくれる気になったんでしょ? いくら口実とはいえ、約束を破るのはどうかと思うの。それに、わたしが急にこられなくなった、なんてことになったら、リヒトさんも怪しむんじゃないかしら」


 理路整然と反論されてしまい、レシエムは答えに窮した。元々、この「計画」を立てたのは自分ではなくリベアティアだ。彼女に押し切られる形で、レシエムは計画を実行することになってしまった。


 リベアティアの頭の良さに感じ入る一方で、レシエムは腑に落ちない。全く、どうしていつも、彼女の言うことを聞くはめになってしまうのだろう。


「レシエム! ごめんな、待たせちまって」


 レシエムが声の主を探すと、リヒトが大通りを横切り、走ってくるところだった。レシエムは片手を挙げて応えた。息を切らして自分たちの前にたどり着いたリヒトを、リベアティアに紹介する。


「リベアティア、こちらが俺の友人、リヒト・ホルテンジエだ」


「はじめまして、リヒトさん。リベアティア・メーヴェと申します」


「こちらこそはじめまして。リベアティアさん、レシエムから俺に関するろくでもない噂をお聞きかもしれませんが、今日はそれが、奴の口からでまかせだということを証明してみせます」


 真面目腐ったリヒトの物言いが面白かったのか、リベアティアは破顔した。相変わらず、リヒトは女に対して口が達者だ。もしも彼がリベアティアと見合いをしていたら、と考えるだけで空恐ろしい。


 リヒトがレシエムに耳打ちする。


「可愛い娘さんじゃねえか。やっぱり街の女とは雰囲気が違うな。品がいいっていうか」


 その瞬間、レシエムは射殺すような視線をリヒトに向けた。リヒトは首をすくめ、それ以降はリベアティアに関する軽口を叩かなくなった。




 リベアティアの要望で、レシエムたちはかつて学んだステラエ法学院の門前を通り、書物や古道具などを扱う馴染みの店や市場を見て回った。普段、リベアティアは買い物や散歩くらいでしか城下を訪れる機会がなく、出歩く場所も、王宮近くの神殿か、高級繁華街のようなところだけだという。リベアティアは物珍しそうに品々や道行く人々を眺めている。その様子を見ているだけで、レシエムもほほえましくなり、危うく目的を忘れそうになった。


「わたし、港も見ていきたいな。いつも遠くから眺めるだけなの」


 予定されていた台詞をリベアティアが口にしたので、レシエムは「うむ、そうだな」と、リヒトにも同意を求めた。旅立ちを控えたリヒトなら、もっと複雑そうな顔をするかと思っていたが、案外簡単に頷く。


「ああ、いいぜ。どうせ俺は毎日顔を出してるしな」


 以前から、リヒトはよく港に出かけていたが、毎日というほどではなかった。


(リヒトが旅に選ぶなら、当然海路だろう。いよいよ出発の時が近付いているのかもしれぬ)


 僅かに焦りを感じ、レシエムは先頭を切って歩き出した。


「そういえば、リベアティアさんの故郷はピサエだっけ? 地図を見ると、あそこも海に面してるけど」


 港への坂を下る途中、リヒトが不意に言った。気さくな彼の態度にリベアティアもすっかり慣れたようで、自然に返答する。


「ええ。わたしが生まれ育った屋敷は、海を見渡せる崖の上にあったわ。潮の香りもここと同じ」


「へえ、じゃあ、ステラエにきて良かったね。俺はずっとステラエ育ちだから、いまいちぴんとこないけど、故郷と共通点があったほうが住み心地もいいだろ?」


「そうねえ」


 リベアティアの声はなぜか曖昧に響いた。レシエムは思わず彼女を振り返る。目が合うとリベアティアはほほえんだが、いつもは生気に満ちている瞳に元気がない。


(そういえば、彼女がどんな思いで生きてきたのかを、俺は知らないのだな)


 リベアティアには肉親がおらず、義父のヴェロナ伯とは折り合いが悪い。ヴェロナ伯は義理の娘のことを気にかけているようだが、彼女自身はというと、義父に好意のかけらさえ抱いていない様子だ。母親の再婚相手に対する心情が複雑なのは、無理もないことだろう。


 事情は異なるが、レシエムも養父にはなかなか心を開けなかった。実父に面差しの似た養母や、かいがいしく世話を焼いてくれたオルーフやヴィンフリートには、すぐに懐くことができたのに。


 養父が嫌いなわけではなかった。ただ、甘え方が分からなかっただけなのだ。ようやく父子らしくなってきたのは、養母が亡くなった頃からだろうか。だが、それは六年ほどの、本当に短い間だった。


「わあ、間近で見ると船って本当に大きいのねえ」


 港に到着すると、リベアティアが歓声を上げた。ステラエは近隣諸国でも指折りの港を抱える湾岸都市だ。海上貿易の生命線である港は広く、よく整備されている。港と周辺の海には常にたくさんの船が往来し、停泊している。


 市中に引けを取らず、港は人でごった返していた。ちょうど接岸したばかりの帆船から、人々が物資を運び出している。リベアティアは飽きもせずに、その活気溢れる光景を見つめていた。海風が吹き、彼女の長い髪を揺らす。船の後方に広がる海原が、太陽の光を受けて輝いた。


「悪い、俺、ちょっと知り合いに会ってくる。すぐに戻るから、待っててくれ」


 突然、リヒトがそう言い出し、レシエムたちの返事も聞かずに歩き出す。レシエムは内心で慌てた。彼が戻ってこなかったら、計画に支障をきたす。一方、リベアティアはのんびりしている。


「リヒトさんって、やんちゃな子供みたいな人ね。きっと、フリーダさんは彼のそういうところを好きになったのね」


「……まあ、そんなところだろうな。俺が女に生まれていたら、リヒトのような奴は願い下げだが」


 レシエムは皮肉った。フリーダのことはもう仕方がないが、リベアティアまでリヒトのことを誉めるのは面白くない。そう思ったあとで、レシエムは憮然とした。なぜ、リベアティアとフリーダを同列に考える必要があるのだろう。確かにリベアティアは自分にとって特別な存在になりつつあるが、それは恋ではない……はずだ。


 リベアティアはおかしそうに笑う。


「そんなこと言っても、レシエムだってリヒトさんを親友だと思ってるんでしょう。リヒトさんと話す時、すごく楽しそうだもの」


「……法学院では、他に仲良くしたいと思える相手がいなかったからな」


「あ、レシエムが珍しく照れてる」


 リベアティアの指摘が図星だったので、レシエムは話題を変えることにした。


「で、どうだ? 港は」


「きて良かったわ。やっぱり遠くから見るのとでは、迫力が違うわね。ピサエの海とは全然違う」


 最後の言葉だけ、リベアティアは呟くように言った。思わずレシエムは、先程から気にかかっていたことを訊く。


「故郷は嫌いか?」


「嫌いっていうか……いい思い出がないの。だから、今はステラエがわたしの故郷よ」


 リベアティアは淡々と答える。どことなく憂いを含んだ顔だった。いつもより大人びて見えるその表情に、レシエムは戸惑った。長い睫毛を伏せ、少し沈黙したあとで、リベアティアは再び口を開く。


「ラリサのおじさまの紹介でステラエにきてからは、大変な時もあったけど、いいことがたくさんあったわ。王妃陛下にお仕えすることもできたし、それから、レシエムとも会えたし」


 はにかむように、リベアティアは微笑した。白い花が目の前で開いたような笑顔。


 一瞬、レシエムは呼吸を忘れた。


 心臓の鼓動がじわじわと高鳴っていく。お前は彼女の後見人だ、という声が遠くで聞こえたような気がしたが、それが理性の掛け金にすぎなかったことを、レシエムはようやく理解した。


(──結局、リヒトの言う通りだった、というわけか……)


 何かを言わなければ、と思ったが、なかなか言葉が出てこない。こちらの様子を不思議に思ったのか、リベアティアが小首を傾げている。


「よう、戻ったぜ。悪かったな、二人とも」


 その声がレシエムを現実へと引き戻した。突如として強烈な恥ずかしさが込み上げ、心持ち俯く。もちろん、リベアティアの顔をまともに見ることなどできるはずもない。声の主であるリヒトは、レシエムに近付いてくると、こう囁いた。


「もしかして、俺、変な時に帰ってきたか?」


 レシエムは無反応を決め込むことにした。




 リベアティアのことが好きだと気付いてしまった。


 思いがけない事態に、レシエムは頭を抱えたくなったが、計画は遂行しなければならない。


「ねえ、二人とも、そろそろお昼にしない?」


 港から市中へ引き返す途中、リベアティアが提案してきた。既に正午の鐘は鳴りやんでおり、自然な展開といえるだろう。


 レシエムとリヒトの了解を得たリベアティアは、市中に入ると先頭に立って料理屋を探し始めた。先日、レシエムが見せた地図の通りに、リベアティアは歩いていく。内心で、レシエムは彼女に声援を送る。


(よし、いいぞ、リベアティア)


 見覚えのある路地に入るに従い、リヒトの表情が落ち着きをなくしていく。


「なあ、リベアティアさん、ここら辺は、その、治安が悪いから、店に入るのはやめたほうがいいと思うよ」


「そうなの? でも、大丈夫よ。レシエムがついてるし。リヒトさんも知ってるでしょう、レシエムって腕が立つのよね」


「う、まあ、それはそうだけどな……」


 リベアティアに丸め込まれ、リヒトは言葉に詰まった。助けを求めるような、切羽詰った眼差しでこちらを見つめてきたが、レシエムは素知らぬふりをした。


 やがて、リベアティアは「海豚(いるか)亭」の看板が見える場所で立ち止まった。リヒトはほとんど顔面蒼白で、しきりにレシエムの袖をひっぱってくる。引き返そう、という無言の合図を、レシエムはまたも無視した。


「『海豚亭』かあ。いい名前ね。わたし、このお店がいいな」


 予定通りリベアティアが宣言すると、レシエムは厳かにリヒトに告げた。


「リヒト、これも何かの縁だと思わぬか? どうだ、ここはひとつ、店の中に入って、フリーダの様子を窺ってみては?」


「……レシエム、さてはお前、最初から仕組んでやがったな! 考えてみれば、こういう理由でもなきゃ、お前がリベアティアさんを連れてくるはずないもんな。俺は帰るぞ!」


 必死の形相で引き返そうとするリヒトの腕を、レシエムはむんずと掴む。リヒトの推測通り、レシエムとリベアティアはフリーダと彼を対面させるためにこの計画を練り上げ、実行したのである。


「今頃気付くお前も悪い。さ、店の中に入れ」


「そうよ、リヒトさん。往生際が悪いわよ」


 リベアティアも加わり、三人は店の前で押し問答を繰り広げるはめになった。リヒトは何とかして逃げようとするが、レシエムは意地でも彼の腕を放す気はない。しまいには暴れるリヒトを羽交い絞めにした。


 と、店の扉が勢いよく開き、威勢のよい娘の声が響く。


「ちょっと! 喧嘩なら店の前以外でやってよ。営業妨害で役所に訴えてやるわよ!」


 フリーダだった。彼女は驚きの表情を浮かべ、レシエムとリヒトを交互に見ると、全てを察したように溜め息をついた。

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