第十四話 ちょっとした騒動
白いドレスに身を包んだリベアティアは、会場の一角で、同僚たちと会話に花を咲かせていたのだが。
「ねえ、あれ見てよ。大変そうねえ、ラリサ伯」
オティーリエの指差すほうを見たリベアティアは、思わずぎょっとした。レシエムが七、八人の若い娘たちに囲まれており、対応に困っている様が手に取るように分かるのだ。
「もっと楽しそうにすればいいのに。まあ、無理ないわよね。初対面の女の子と話すのに、あんまり慣れてないみたいだったし」
気の毒そうにオティーリエは評した。対して、彼女の隣に佇むイルゼはうきうきとしている。
「でも、周りの女の子たちは楽しそうよ。わたしも、もう一度ラリサ伯とお話してみたいなあ。だって、あんなに顔がいいのに奥手そうな人って、宮廷じゃ貴重よ」
「じゃあ、わたしたちも参加しましょうか。名付けて、『ラリサ伯を囲む会』に。リベアティアはどうする?」
オティーリエに尋ねられ、ちょっと迷った末、リベアティアは首を横に振った。
「わたしはやめておくわ。彼に助けを求められても困るし」
「あら、ラリサ伯が聞いたら悲しむわよ。じゃあ、わたしたちはいってくるわ」
からかうように手を振ると、オティーリエとイルゼは、レシエムを囲む輪のほうへと歩いていく。リベアティアは何だか面白くない気分だった。
(レシエムもレシエムよ。上手いこと言って、逃げちゃえばいいのに。娼館の話にしたって、本当は怪しいものだわ)
もしかして、宮廷で饗応が開かれる度に、こんな光景を目にしなくてはならないのだろうか。そう思うと、理由は分からないが、無性に腹が立ってくる。リベアティアはレシエムのほうに背を向け、手近な食卓の前に陣取った。料理を手に取り、がむしゃらに食べ始める。
「……ふん、いい気なものだな。ラリサ伯も、周りの娘たちも」
「全くだ。見てみろ。あの気がきかない対応。あれでも宮廷貴族か?」
レシエムへの陰口らしき囁きが聞こえてきたので、リベアティアは手を休め、そちらへ視線を向けた。二人の青年貴族が、レシエムたちのほうをちらちらと見て、顔をしかめている。
「そういえば、奴の姿は大きな行事の時にしか、目にしたことがないな。今まで何をしていたのか、知っているか?」
「ステラエ法学院にいたそうだ。私の知人が、国王秘書官志願者の身上調査を担当していてな。確かな情報だぞ。そうそう、面白い話がある。奴は先代ラリサ伯の息子ということになっているが、実は甥に当たるらしい」
何が面白い話だ。人の家庭の事情を話の種にするなんて。大体、官僚志願者の身上調査を担当した者が、そんな話を口の軽い知人にぺらぺら喋るなど、あってはならない。こうやって噂は広がっていくのだ。
リベアティアの腹立ちをよそに、青年貴族たちはなおも続ける。
「養子というわけか。で、実の両親は?」
「十年以上も前に亡くなったサロネ子爵夫妻だそうだ。しかも傑作だぞ。子爵夫人は貧農の出で、屋敷の奉公人上がりらしい。当時の社交界ではかなりの醜聞でな、それが原因で子爵も、その姉の夫であるラリサ伯も、揃って領地で隠棲することになったそうだ」
「ほう、そいつは確かに傑作だな。今頃、どの面下げて宮廷に舞い戻ってきたのやら……」
青年貴族たちは肩をゆすって嘲笑した。リベアティアは自分の体が震えていることに気付いた。恐怖からくる震えではない。これは怒りだ。
実の両親についての詳しい事情を、リベアティアはレシエムから聞いていない。進んで打ち明けないということは、彼にとっては話しにくいことなのだろう。そう思ったからこそ、リベアティアは好奇心が湧くことはあっても、あえて触れようとはしなかった。それなのに青年貴族たちは、レシエムの両親や養父母の過去を引き合いに、彼を嘲弄したのだ。自分たちが優越感に浸るためだけに。
(許せない。レシエムが一番気にしているはずのことを──)
食卓から身を翻すと、リベアティアは青年貴族たちの前で立ち止まる。
「あなたがた、女から見向きもされない腹いせに、人の陰口? しかも人の出自を槍玉に上げるなんて、恥ずかしいとは思わないの? そんなこと、ラリサ伯には何の非も責任もないわ。大体、農民を馬鹿にするのなら、あなたがたに食べ物を口に入れる資格なんてないのよ。自分専用の狩場にでも、さっさとお帰り!」
リベアティアがまくし立て終わるまで、青年貴族たちは唖然として突っ立っていたが、ようやく彼ら自身が侮辱されたことに思い至ったらしい。片方の青年が怒気を露わに、リベアティアを睨み付ける。リベアティアも負けじと睨み返した。もう一人の青年が我に返ったように友人を制止する。
「よせ! 彼女は確か、王妃陛下お気に入りの女官だ」
「構うものか! その生意気な横っ面をひっぱたいてやる!」
青年の手が自分に向けて振り下ろされる光景を、リベアティアは他人事のように凝視した。相手に負けず劣らず、頭に血が上ってしまったらしい。恐怖は全く感じなかった。
突然、振り下ろされた手が目の前で制止する。青年はあっという間に体の均衡を崩し、床めがけて背中を打ち付ける。仰向けになった亀のように間抜けな青年の顔を、リベアティアはまばたきとともに見つめた。何が起こったのか分からない。
「女に手を上げるとは、マレの宮廷貴族も地に落ちたものだな」
聞き覚えのある声にリベアティアが顔を上げると、倒れた青年を挟んで、レシエムが立っている。状況がよく呑み込めず、リベアティアは思わず訊いた。
「……レシエム、えーと、今何かしたの?」
「別に。こいつの腕を掴んで、引きずり倒しただけだ」
レシエムはこともなげに言うが、ある程度武術を習得していなければ、できない芸当だろう。
「はあ。レシエムって、実は強いのね」
「そのようなことはどうでもいい。なぜこのような事態になった?」
レシエムはじろりとこちらを見据えた。リベアティアは急に気落ちしてしまい、しどろもどろに答える。
「……だって、この人があなたの悪口を言ってたから、何か言い返さなきゃと思って……」
「そのようなもの、聞こえなかったふりをすればよかろう」
「そういうわけにはいかないわよ。あなたはわたしの後見人なんだから」
リベアティアが訴えると、レシエムは考え込むように口をつぐんだ。と、うしろから声がかかる。
「なかなか面白いものを見せてもらった」
国王シュツェルツがレシエムのすぐうしろに立っていた。リベアティアをはじめ、周囲の者が一斉に恭しく姿勢を正す。連れに助け起こされる最中だった、例の青年貴族でさえも、それに従った。シュツェルツは青年を一瞥する。
「しかし、宮中で手荒な真似をすることは許さぬ。追って詳細を伝えるが、そなたは三か月間、王宮への出入りを禁止とする。ちなみに、今後ラリサ伯に復讐のための決闘を挑んだ場合、罰はさらに重くなる。それでもよいというのなら、予も止めぬがな」
青年貴族はがっくりとうなだれた。シュツェルツはもはや彼には構わず、レシエムのほうに目を向ける。
「さて、ラリサ伯の処分についてだが、女官の危機を救ったということで、特別に咎め立てはせぬ。以後、同じような事態が生じた場合は、警備の者を頼るように」
それだけを告げると、シュツェルツはルエン卿を引き連れて、颯爽と歩み去っていく。先程までレシエムを取り囲んでいた娘たちが「さすが、陛下」と歓声を上げた。例の青年貴族たちはすごすごと会場を出ていき、人々は再び歓談を始めた。
今更ながらことの重大さを理解し、リベアティアはレシエムに頭を下げる。
「……ごめんなさい。レシエムが罰を受ける可能性だってあったのよね」
「もうよい。陛下からはご寛恕を賜った。それにしても、無駄話などさっさと切り上げて、君の姿を捜していればよかった。そうすれば、あのようなことには……」
レシエムの端正な顔には、後悔と憤りが色濃く浮かんでいる。
(もしかして、わたしのために怒ってくれてる……?)
そう思い付いた瞬間、リベアティアはまともにレシエムの顔を見られなくなってしまった。頬が熱を帯びていたが、いつまでも俯いたままでは怪訝に思われてしまうだろう。
顔を上げようとして、リベアティアはレシエムが身に着けている剣帯に目を止めた。多少値が張ってもレシエムに似合うものを、と思い切って選んだ、あの剣帯だ。想像以上に、彼によく似合っている。リベアティアは胸の奥が温かくなるのを感じた。
「その剣帯、早速着けてくれたのね。ありがとう」
「……このような時でもないと、着ける機会がないからな」
レシエムはそっけなく応じたあと、所在なげに何かを考えているようだった。リベアティアも何となく会話を切り出せず、しばらく沈黙が続いた。やがて、レシエムは思い出したように口を開く。
「……そういえば、昨日、リヒトに──先日話した友人に会ってきた。向こうも見合いの意思はないそうだ」
「そうなの? 良かったわ。ありがとう、レシエム。久し振りに会って、リヒトさんとは話が弾んだ?」
縁談のひとつが帳消しになったことよりも、レシエムが約束を守ってくれたことのほうが嬉しい。リベアティアは恥ずかしさも忘れてほほえんだが、レシエムの表情には微妙な翳りがある。リベアティアは不安になった。
「もしかして……縁談のことが原因で、リヒトさんと喧嘩に?」
「いや、違う。君とは直接には関係のないことだ」
レシエムはこちらを安心させようとしているようだが、関係ないと断言されてしまうのも寂しい。
「でも、ほんの少しなら関係があると思うわ。よければ、話だけでも聴くわよ?」
レシエムは少しためらう素振りを見せたが、訥々と昨日の経験を語り始めた。リヒトと恋人フリーダの破談。二人の抱える事情とそれぞれの考え。レシエムの彼らへの気持ち。
「レシエムは、二人に仲直りして欲しいと思ってるのね」
話を聞き終えたリベアティアが結論付けると、レシエムは頷く。
「ああ。しかし、俺がでしゃばることではないような気もする。今の二人に何より必要なものは、助言ではなく時間なのだろうな……」
「でも、リヒトさんが長旅を計画している以上、そんな悠長なことは言っていられないんじゃないかしら。この先、二人が仲直りする時がきたとしても、それは何年も先のような気がするわ。その時は、二人とも違う人と結婚していたりして」
「……嫌な予想をするな、君は」
「最悪な予想をしておいたほうが、いい結果を得られるものよ。そのほうが、人間は危機を避けようと努力するでしょ?」
「なるほど。君はごくたまにだが、まともなことを言うな」
レシエムは感心したように深々と頷いた。相変わらず失礼な人だとは思うが、不思議と腹は立たない。どんな態度をとられても彼の助けになりたい、というのが、リベアティアの本音だ。
(今まで、レシエムに助けられてばかりだったんだもの。少しは恩返しをしなくちゃ)
「ねえ、レシエム。わたし、考えたんだけど……」
リベアティアはそう言って、彼にたった今思い付いた話を持ちかけた。